2006年10月19日 【高知県】
安芸でお世話になった方がもう1人いる。
エガワ食品の社長さんだ。
路上中に声をかけてくれ、1軒流しに連れて行ってくれた後に会社の事務所で寝かせてくれたんだよな。
会社まで挨拶に行き、お礼を伝えて安芸を出発した。
香北の轟の滝は数段に分かれ流れ落ちる百名瀑。
深いブルーを湛える滝壺を経由する様は自然の芸術を感じさせる。
まだ時期が早かったが、紅葉の時にはさぞかし美しいだろうなぁ。
高知市内へ入ってきた。
ここでは遍路中に知り合ったハッピーな兄ちゃんと会う約束をしていたのだが、昨日から電話に出ないんだよな。
まぁタイミングもあるし、これで出なかったら諦めようと、もう1度通話ボタンを押す。
あ、出た。
おーい元気かー、って、
ん?何だ?
声が震えている。
「草が見つかって……………捕まってしまったき…………」
マジか…………
電話に出なかったのはそういうことか。
つい4日前に朝鮮アサガオを煎じて飲んだところ記憶喪失。
意識がはっきりしてきたらそこは取調室だったそうだ。
自分だけならまだいいが、入手ルートや草仲間についてもこじゃんと絞り吐かされて親や親戚にも迷惑をかけることになったという。
「俺は…………ダメな男です…………友達の人生を壊しちゅーとこやき……………」
遍路の時、大麻がプリントされたTシャツを着てた何ともわかりやすいレインボーマン。
おだやかでにこやかで地面に生えてる花も踏めないような愛すべき男だ。
ラスタマンの神、ジャーの教えでは酒やタバコやタトゥーは不浄だけど、葉っぱは出来るだけ吸えと説かれている。
日本でも昔は殿様への献上品の1つだったそうだし、外国でも合法な地域はいくらでもある。
しかし、いくら弁解しても法律は法律だ。
自宅待機で震えていた彼のところへお菓子を買っていってやり、すぐに1人にしてやった。
それから国民宿舎『土佐』を訪ねた。
遍路中、夕闇の中をトボトボ歩いている俺を拾ってくれ、宿にタダで泊めてくれ、さらにご飯までご馳走してくれ一緒にワインを開けた元バッグパッカーのイカシた支配人。
「おー、うれしいねぇ。うん、泊まっていきなよ。お金いらないから。」
まったく支配人。
お接待の延長で始めたようなもんだから、とはいっても商売っ気なさすぎですよ。
でも接待を期待して甘えてくるお遍路は絶対に受けつけないとも言っていた。
ここで甘えたら、俺も一緒だ。
支配人にまたお会いしましょうとお礼を言い、車に乗り込んだ。
それから須崎市の漁港までやってきた。
ここで歌ったとき、たくさんチップを稼がせてくれたスナックのママのところにこれから挨拶に行くとしよう。
あー、ホント毎日たくさんの人に助けてもらったよなぁ。
お遍路は人生の縮図だ。
感謝の気持ちと謙虚な気持ち。
恩を忘れない気持ち。
ずっと持っていないと。
翌日。
土佐市にも遍路中にめちゃくちゃお世話になった人たちがいる。
足の裏に豆ができて皮がベロリと剥がれ、痛くて痛くて歩けなくなった時に足の手当てをしてくれた薬局のみんなと、色々と世話をしてくれた果物屋のおばちゃんだ。
みんなすぐに俺のことを思い出してくれ、笑顔でその後の話をした。
あああ、ホントあれは奇跡の日だった。
死ぬほど痛かった足が次の日にはプラスチックみたいに硬化したんだよなぁ。
足の傷は今も残っている。
あの時の感謝の気持ちももちろん深く焼きついています!!
本当に本当にありがとうございました!!
挨拶を済ましたら、土佐市を後にして高知市内へやってきた。
上町地区。
この場所はあの幕末の英雄、坂本龍馬の生まれ育った場所だ。
国道沿いのビルの隙間に建つ龍馬生誕の地碑。
龍馬の家だった才谷屋跡は喫茶店『さいたにや』になっている。
その他、幕末にその名を残す面々の邸宅跡など、志士ゆかりの地が街のいたるところに点在していた。
幕末ってたった150年前のことなんだよなぁ。
それにしても喫茶店の『龍馬定食』ってどんななんだろう……………
空港も高知龍馬空港だし、高知めっちゃ龍馬推し。
子供のころに家族旅行で高知に来たときに水族館に行ったんだけど、そこの飼育員さんが言うこと聞かないアザラシに、
「リョウマ!!こら!!リョウマ!!」
と怒ってたのを思い出した。
アザラシに龍馬て…………
ほんと龍馬は土佐っこの心のシンボルなんだな。
龍馬がよく遊び、水平線の向こうに憧れを抱いた桂浜にある坂本龍馬記念館にやってきた。
海軍塾筆頭、水運の商社設立、薩長同盟のとりまとめ、大政奉還のきっかけとなる船中八策…………
まさに彼がいなければ今の日本はなかった。
幕末の凝り固まった体制とアリンコの様に慌てふためく人々の中、縦横無尽にイマジネーションに従い駆け回った龍馬は、描き続けた開国と未来の発展を目前にして、33歳の時に中岡慎太郎と密会中に何者かに踏み込まれ暗殺。
生き方を自由に発想し、固定概念や周囲の目に囚われない屈強な意思と行動力は、今まさに現代の軟弱な若者が見習うべきところだよな。
たった33歳で日本をひっくり返したんだもん。
すごいわぁ。
この龍馬記念館も年配の方より大学生風の若者が多い。
龍馬直筆の手紙、暗殺された時に部屋にあった龍馬の血が飛び散った屏風(複製)など、興味深い品々が展示してある。
屋上からは龍馬が世界にロマンを抱いた水平線と桂浜の海岸線を一望できる。
幕末の頃、国が動乱に揺れ動いていた時に、彼ほど世界を視野にいれて行動できていたものはいない。
この水平線の向こうには果てしない世界が広がっている。
江戸時代の龍馬ですら世界を見ていたのに、俺はまだまだこの小さな日本の中でちょこまかしている。
もっともっと、大きな夢を描かないと。
越知の百名瀑『大樽の滝』を見て、一気に土佐佐賀町にやってきた。
かつては漁業で大いに栄えていたというこの港町。
遍路中にこの町でカップラーメンを買おうと酒屋に入ったら、旦那さんに呼ばれて奥の食卓でおいしい魚料理をたくさんいただいたんだよな。
カツオの1本釣りに象徴される豪快で精悍な、まさに土佐ッ子という地元の漁師さんたちの武勇伝をたくさん聞かせてもらったあの夜。
お礼を言いたかったのだが、残念ながらちょうど外出中で会うことはできなかった。
この夜は中村の飲み屋街で路上をすることにして、その前に居酒屋『なかひら』の大将のところへ挨拶に行った。
ここでも遍路中にたらふく食べさせてもらったんだよな。
「おー!!また周りゆーがか!?こじゃんときばらながいかんぜ!!」
大将に励まされ、気合いを入れて表で歌っていると大将が早めに店を閉めてやってきた。
いいライブハウスがあるから連れていってやるとのこと。
おお!!楽しそう!!
ありがとうございます!!
しかしここでちょっと嫌なことがあった。
やってきたのは入り口にどでかい加川良のポスターが貼ってあるライブハウスだった。
店の中にはちょっと気難しそうなマスターがいた。
長い髪を後ろで束ね、鼻ヒゲを生やしたいかにもライブハウスのマスターです的なマスター。
軽く飲むくらいだと思ってたんだけど、案の定、大将が1曲やってみろ!!と言ってきた。
え、えええ…………
こんな初めてのライブハウスの中でいきなり演奏とか、めっちゃやりづらいんですけど…………
マスターも明らかに嫌そうな顔をしてる。
そんなのいらねぇよ、的な。
どう考えても今やる空気じゃないよと思いつつも、大将がやれやれ言うので仕方なく歌うことに。
でもやるからには本気でやるぞ。
何を歌おうかなと考えながらギターを構えてイスに座ろうとすると、いきなりマスターが怖い顔で口を開いた。
「まさかイスには座らんよな。座ってやるなんて10年早いしな。俺は座って歌うのは絶対認めてないからな。」
え?
えええ?
座って歌ったらダメなの?
10年早いってどういうこと?
経験積んでる上手い人なら座っていいってこと?
あなた俺のことなんも知らんよね?
ていうかどうやって歌うかなんて、演者の自由やろ?
立って歌う人もいれば椅子に座る人もいれば地べたにアグラの人もいれば裸足で歌う人もいる。
みんな自分のやりやすい形があって、それが個性だ。
それを立ちしか認めない、ってどんだけ型にハメようにしてんだ?
ていうかなんでオーディションみたいになってんの?
どう見ても軽くやってよ的な流れやん。
マジでなんだこの人?と思いながらも、やるからには本気で歌った。
でも空気が悪くなっただけだった。
その夜はなかひらの大将の家に泊めていただけることになり、タクシーで大将の豪邸に到着した。
ビールを飲みながら、それからもたくさん話を聞かせてもらった。
「ちゃんと定職つかないかんぜ。親に心配かけゆーんやからな……………でも…………俺はやりたいこときばっちゅー若い奴は好きやぜ。」
さっきのライブハウスのマスターの言葉がずっと残っててムカムカする。
若いから舐められてるのか、俺がまだまだだから舐められてるのか。
どっちもだよな。
きばって、きばって、何も言われんくらいの男になってやりたいな。
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