2006年1月30日 【関東出発】
元住吉。
いつもの駐車場で目を覚ました。
車を降りて、住宅地の商店街の中を歩く。
歩きなれた駅前通り。
今日でお別れかと思うとやはり切ない想いが心に芽生える。
マクドナルドを買って光ちゃんの部屋に戻ると、光ちゃんが真剣な顔で話した。
「この数ヵ月、悩みに悩んだよ。おかしくなりそうなくらい。」
と言う光ちゃん。
ずっとギターを弾かず、音楽の話を口にしなかった光ちゃんが久しぶりに胸の内を聞かせてくれた。
「叔父さんが亡くなってからね、どうするべきなのかずっと悩んでてね。フミちゃんにもちゃんとメール返さなかった時とかあってすまんと思ってるよ。3月でハーデン辞めて今年いっぱい俺なりにやるだけのことやってみるつもり。それで音楽でやっていけそうになかったら宮崎帰るよ。」
音楽をやるために東京に出てきたのだから、東京を離れる時は音楽をやめる時だと言う。
マジかよ光ちゃん。
ずっと今まで良きライバルとして、相棒として一緒に音楽をやってきた光ちゃんが戦線離脱か…………
好き勝手ができるのは25歳まで、という世間一般の壁は想像以上に大きかった。
宮崎に帰って仕事に専念してギターや機材は押し入れの奥に埋もれちまうのか?
オッサンになってから、俺も昔音楽やってたんだよー、って若いやつに言うのかよ?
あんなにがむしゃらだった10代はもう遠い昔なのかよ?
ドラム缶に火をおこして一晩中エレキかき鳴らしていたあの頃のこと、まだ俺ははっきりと覚えているよ。
高校を卒業してそれぞれの進路に進み、盆の帰省でみんなが帰ってきた19歳の時、光ちゃんのギター聞いたらすっげぇ上手くなっててすっげぇ悔しかった。
あの悔しさをはっきり覚えている。
やっぱ東京行ったやつはすげぇって、心の中ですごく焦ったもんだった。
俺たちの何が変わったっていうんだよ。
あのころのままじゃないのか?
また俺のことビビらせてくれよ。
光ちゃん、またいつかめちゃくちゃカッコイイCD作ろうな。
元住吉の部屋を出てファントム号に火をいれる。
見送ってくれた光ちゃんは日差しの中、とても清々しい笑顔をしていた。
俺の顔もきっとそうなっていたはず。
振りきるようにアクセルを踏んだ。
東京最後にひとつだけ用事が入っている。
15時から鈴木日出夫さんという方とお会いすることになっていた。
この方も宮崎のディッキー綾部さんの紹介だ。
ディッキーさんはよかれと思って紹介してくれているのだが、俺や相手の方はどう話をしたらいいのかわからないので大変気まずいんだよな。
この前の下北沢のライターさんの時もそうだった。
鈴木さんに連絡して待ち合わせ場所で合流し、鈴木さんのお宅にお邪魔させてもらった。
部屋の中にはものすごく立派な機材が所狭しと並べられている。
綾部さんと若い頃、東京で一緒にバンドをやっていたという鈴木さんは、現在作曲家をやっているとのこと。
エーベックスなどの色んなプロダクションから、今度この歌手でこんな感じの新曲出しますから曲作ってくださーい、と発注がくる。
それを締切までに作って納品するのがお仕事の流れ。
もちろんその発注は1人だけではなく、日本中の作曲家たちに回されるもの。
会社勤めの作曲家さんもいれば、フリーの作曲家さんもいる。
もちろん売れっ子作曲家さんもたくさんいる。
そうした人たちから上がってくる何百曲っていう候補の中から厳選した曲が選ばれ、歌手が歌入れして世に発表されるわけだ。
へー、J-POPの新曲ってそんなふうにして公募して決めてるんだな。
採用されれば印税収入、採用されなければ無駄働き。
シビアな世界だ。
実際に過去のボツになった作品を聴かせていただいた。
あの有名な歌姫に歌わせる予定だった曲だ。
採用されやすいように、わざわざあの歌姫に声が似ている歌い手に歌入れをしてもらって納品するんだそう。
なるほどー、確かにそれだとイメージしやすいよな。
そんで曲はというと、
こりゃすごい。
あの歌姫のカラーに合ってるし売れそうなアレンジ、タイアップのテーマもしっかり反映されている。
さすがの技術。
でもこれでダメなんだなぁ…………
世の中に流されるヒット曲の影には、こんなにもたくさんの未発表曲が毎日吐くように大量生産されては消えていってるんだ。
他にもレコード会社、デビューの仕組みなどなど、色んなことを教えていただいた。
メジャーデビューしたとしても、積極的に活動してプロダクションに後押ししてもらえるような努力をしなければ、契約だけして飼い殺しにされるだけ。
アーティスト自身にエネルギーがなければ、いくらいい曲作ったって売れないんだと。
あと、バイト禁止なんて事務所もあるのでデビューしてからの方が生活が苦しいってミュージシャンも多い。
勝手に好き勝手なところに行って路上でライブ、なんてもってのほかだろうな。
まぁ俺はメジャーには興味はないけど。
これからまた徹夜で作曲の仕事があるよと言う鈴木さん。
貴重なお時間をありがとうございました。
東京を出て、横須賀へ向け走る。
これが神奈川県、そして関東最後の街になる。
もうガソリンがない。
残金も300円くらい。
いつガス欠で止まってもおかしくないような状態で冷や汗かきながらなんとか横須賀に到着した。
米軍基地のあるこの街。
戦後すぐに設置された基地のため、アメリカ文化が色濃く入りこんでいて、そのためロックも盛ん。
今夜はこの街で歌うぞ。
ひとまずは路駐して街の中を歩き回ってみた。
どうやらこの街には3つの繁華街があるようだ。
1つ目は有名なドブ板通り。
戦後、アメリカ兵たちの飲み屋街として形成され、通りに流れるドブ川に板を敷いて歩道にしていたことからこの名がついた。
しかし今はすっかりきれいに舗装されていてドブのドの字も見当たらず、映画で見るような派手なアメリカンバーが並んでいる。
ここをかつてMPって呼ばれた人たちが歩いてたんだなぁ。
そして肉体の門みたいな売春婦がたくさんいたんだ。
2つ目が駅前の栄町1丁目。
カラオケ屋、パチンコ屋、クラブなどがでかいビルに入っていて、明るく賑やかで日本人もアメリカ人も入り混じって楽しんでいる。
そして3つ目が栄町3丁目。
細い路地に足を踏み入れると、そこはまるで迷路。
蜘蛛の巣のように薄暗い路地が枝分かれしていて、小さなスナックの看板が連なっている。
建物もすごく古く、電線が頭上で絡まるように入り組んでいる。
まさに戦後。
それこそ映画『肉体の門』そのまんまだ。
色んなひなびたネオン街を見てきたがここは群を抜いて風情がある。
一種のテーマパークにさえ見える。
というわけで俺が歌うのはもちろん3丁目。
決死の覚悟でコインパーキングに車を入れる。
これで稼げなければ永久にこのパーキングから車を出せないという面白すぎる背水の陣。
気合いを入れて路地裏の中に入り、角でギターを構える。
目の前のスナックの名前はそのまま『ろじ』。
いい名前。
「ん?お兄ちゃん歌うの?よし、こっちきな。」
まだ1曲も歌ってないのに通りかかったおばちゃんが俺を呼んだ。
よし!!流し1軒目だ!!
入った店は昭和感溢れる名前のクラブ『薔薇都~バラード~』。
ゆうべのライブで結構叫んだせいで声が枯れてしまっていたがまぁまぁ楽しんでもらえたし、なによりママが各テーブルをバスケットを持って回ってくれ、1万円も集めてくれた。
うおおおおおおお!!!
これで駐車場から脱出ううううううう!!!!
「頑張るんだよ!!アタイは若い頑張ってる子を見るとうれしい!!」
おかげで駐車場の心配もなくなり、そっからは路上で歌いまくった。
通りじゅうの店のドアが開き、ママらしきケバイおばさんたちが顔だけ出してこちらを覗いてくる。
そして道を歩いているおばさんたちはすれ違うたびに、
「あら~、ママ。」
「あっら~、ママ。」
「あららら~、ママ。」
と会話が始まる。この街ではおばさんがみんなママだ。
そこにおじさんが通りかかると、
「あらっ!!スーさん!!ご無沙汰じゃない~。」
「いい子できちゃったの~?」
とママさん衆に捕まる。
その横をガットギターをつま弾きながら歩く流しのおじさん。
いいなぁ、こりゃいい街だ。
夜中1時を過ぎるとほどんどの店のネオンが消えた。
スポットライトを失ったママさんたちがいそいそと帰っていく。
あのおばちゃんママたちにも輝くような若い頃があったんだよなぁ。
何十年も繰り返されてきたネオンの瞬き。
あまたの人生。
「お兄ちゃん、おいで、暖かいの飲ませてあげる。」
最初に声をかけてくれた『薔薇都』のママがお店から出てきて違うお店に連れていってくれた。
スナック『オリビア』。
こちらもこのママが経営するお店らしい。
聞けばこのママは3丁目で1番のベテランママとのこと。
栄町で夜の世界に入って50年が過ぎたっていうから驚きだ。
「昔はねぇ、この辺りが1番賑やかでねぇ。人が溢れてたんだよ。娯楽のなかったころだったからねぇ。流しもたくさんいたよ。進駐軍のオンリーちゃんってパンパンもいっぱい街に立ってた。この一角は戦後から何も変わってないんだよ。昔の姿そのままなんだ。だからよく映画の撮影なんか来るんだよ。」
夜の世界って隠れた存在のようだけど、本当は人生の大半が夜。
人間は明るいうちに働くように出来ている、と言う人もいるが、このママは人生のうちでほとんどお天道様を見てこなかったんだろうな。
真の夜の女だ。
そのお店でも2曲ほど歌ったら、ちょうど居合わせた社長さんから1万円が飛び出した。
計22000円。
数時間前まで120円しかなくて半泣きだったのが嘘のような晴れ晴れとした気分。
店を出て、もうすっかり灯りの消えた真っ暗な小路を歩いた。
静まり返ったアスファルトに足音が跳ね返る。
今日はまったく指がかじかまなかった。
北関東にくらべ太平洋側はなんて暖かいんだろう。
つらい冬ももうじき終わりか。
ガソリンを入れ車を走らせ、眠れる場所を探し回った。
三浦半島は一大リゾート地。
どこに行ってもパーキングはきちんと閉鎖しているし、無駄な空きスペースがないので、なかなか場所を決められない。
夜の中をあてもなく走っているといつも虚しい気持ちになってしまう。
この夜はいつまで続くんだろう。
早く落ち着ける場所を見つけたい。
そうしてしばらくして、観音崎の道路際に白線の広がってる部分があったので、そこに突っ込んでエンジンを切った。
今夜はこの道端で寝るしかない。
車を降り、岸壁の手すりにもたれかかった。
外灯がぽつぽつと光っているだけの寂しい道には車はまったく通ってなく、波のチャプチャプという音だけが近くに、遠くに聞こえる。
夜風が体をやさしくなでる。
黒い海の向こうに見えるのは横浜の明かりか。
今年で25歳。
人生の3分の1が終わった。
あっという間だよな。
昔思い描いた未来像がどんなものだったかなんて覚えていないが、子供のころに想像し得たことの1万倍は色んなことをやってきたと思う。
五体満足で産まれ、必要としてくれる人もたくさんいる。
このまま年を重ね50年歳になった時にふとふり返り、俺は何を思うだろう。
きっと今の俺では想像もつかない山や谷をこれから経験していくはず。
たくさんのことを知り、混ざり合い、変わっていくんだろう。
時間は誰にでも平等だし、人生というものの経験者は何千年も前からこの地球上にいる。
あー、それにしても元住吉、楽しかったな。
退屈やなー、ばっかり言ってたけど、今思えばとても刺激的だった。
光ちゃん、タカフミ、ユウキと過ごした日々。
東京は魅力的だった。
みんなまた散り散りになった。
それぞれの想いを実行しに。
波のチャプチャプが耳につく。
ずっと海を眺めていると催眠術にでもかかってしまいそうだ。
あの向こうの街明りのすべてに人生があり、俺の知らないところで泣き笑いをしている。
誰かが今の俺のように同じことを考えている。
おーい、友達にならんかー?
さぁ、寝よう。
漁火がきれいだ。
【関東出発編】
完!!!!
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