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どなんの島、与那国







リアルタイムの双子との日常はこちらから







自転車に乗って田舎道を走る。


うるさいくらいの蝉の声、荒れたアスファルト。


八重山の太陽がジリジリと照りつけている。


ぼんやりとした朧げな風景。


旅に出て1ヶ月が経った。








1時間200円のレンタサイクルで向かったのは、南風見田という場所。


草が生い茂り、道が半分くらいの狭さになっているせいで、「忘勿石」と書かれた看板が草に隠れていて通り過ぎてしまった。


看板がすでに忘れ去られてしまっているやん。


ゆっくりと引き返し、やっと発見し、あぜ道を通って浜に向かった。









そこには波のない浜が広がっていた。





遠浅になってるのか、はるか彼方に波が白い線を引いている。


誰もいない浜辺。



ノコギリのようにギザギザな形をした岩。

てっぺんに草を生やしている丸い岩。



不思議な光景の中、ひっそりと忘勿石の石碑が立っていて、識名先生という人の胸像がはるか彼方の水平線を眺めていた。






1945年、戦争が激化する中、波照間島から強制疎開させられた島民たちは、マラリアの蔓延している西表島に連れてこられ、この南風見田であばらやを作って暮らすことになった。


そして案の定、1500人の疎開人口のうち500人がマラリアに感染して死んでしまったのだという。


子供も66人が死亡。


死んでいく子ども達を見守ったこの識名先生は波照間の国民学校の校長先生で、最後まで波照間の島民たちのために戦ったんだそうだ。


そして帰島が決まった際、この場所にあった石に文字を刻む。


ここで起きた悲劇を忘れないために。



識名先生の胸像ははるか故郷の波照間島を眺めていたんだ。


こんな何もないところにポツリと取り残された銅像がすごく悲しげだった。

















自転車にまたがりさらに奥のほうに向かうと、道が終わっていた。


















森の奥の奥まで突き進んで行ったけど何もなく、引き返して今度は仲間川のマングローブ林に行って写真を撮り、昼に自転車を返した後、スーパーでカップラーメンとオリオンビールを買い、フェリー乗り場で真っ昼間からビールをあおった。



「1回のダイビングでダイビングを知ろうと思ったら大間違いだよ。」



どの島でダイビングをすればいいと思いますかという質問に、西表でダイビングインストラクターをやっているという兄ちゃんはそう言っていた。



「波照間に行くならあそこでダイビングしなよ。西表からわざわざ潜りに行く人もいるくらいいい海だよ。」



かつて戦争で敵艦に囲まれた海も、今は平和になっている。











13時の高速船で石垣島に戻り、ブラブラ情報を収集してまわり、ラーメンを食べ、ギョーザをテイクアウトしてコンビニでビールを買い、港で自分におつかれっ!!と言いながら飲んだ。


今日も野宿。


明日は与那国島。


明後日には波照間に向かうためにまた石垣島に帰ってこなきゃいけない。


あさっての船を逃したら来週の月曜まで船がないからだ。


時間との勝負だなぁ。















翌日、チケット売り場のベンチで目を覚ました。



起きて即、往復6580円の乗船券を買ってフェリーに乗り込んだ。



客室の片隅に陣取ると、横の本棚にエロ本の山があった。

フェリーの中の本棚にエロ本置くか?と思いながらマジマジと3冊ぐらい読みふけり、



「やばい、やばい!!せっかくの暇な時間だ。何かしなきゃっ。」



と、麻の編み物を始めた。


1つ完成させてみようとブレスを作ったが、なかなかいい出来。


民芸品屋や土産物屋にまめに顔を出し、いろんな品物を見て勉強した甲斐があった。


こいつはおれがつけよう。









そうして14時半に与那国島に到着した。





周囲が27kmくらいの小さな島なのでチャリで周るとしよう。


よーし、レンタサイクルしてレッツゴー!!



とノーテンキに出発したのがバカだった。








坂ありすぎ…………


マジ死にそう…………











どなん、渡るのが厳しい、とそう別名で呼ばれるくらい断崖絶壁で囲まれたこの与那国島。


マジで坂道だらけだし、周りはどこまでもゴツゴツした岩場と切り立った崖ばかりでめっちゃ過酷。



そんな岩場で与那国馬という野生の馬が、タテガミを揺らしながら雄々しく草をはんでいる。









絶望的に疲れながら自転車をこいでいる俺をレンタカーで観光してる若者たちがビュンビュン抜かしてく。


ちくしょう。




絶対チャリの方が楽しいもんねええええええ!!!!


と自分に言い聞かせながら走っていると、ポツポツと雨が降り始めた。


逃げ込める場所皆無。


終わってる…………

















久部良の港から最西端の岬を素通りして、牧場やら立神岩・軍艦岩などを急いで見てまわり、やっとこさ租納の町までやってきた。


本当は野宿のつもりだったが、濡れた体に風が冷たく、近くの2千円の宿に泊まることにした。


はぁぁぁぁ…………丸3日ぶりのシャワーはマジで最高だ。




そしてノリのきいたシーツにパンツ1枚で寝る。


明日は最西端の石を拾って帰るか。


天気が良ければそこから台湾がズゴーと見えるらしいが…………雨上がるかなぁ。
















そして翌日、朝7時に起きて、自転車でティンダバナという場所に向かった。


租納の集落の背後に巨大な岩山があり、そのてっぺんに鋭角三角形にえぐれた部分があって、遊歩道でそこまで登っていく。





ここはかつて伝説的な女首長さんが住んでいた場所なんだそうだ。


今では町の人々の憩いの場になってるとのことだった。



与那国には与那国語なんていう独特な言葉もあるくらい、日本の内地からかけ離れた場所。


でもここも当たり前に日本なんだよな。





ささやかに広がる租納の町を眺め、山を降りた。













8時半に宿に戻ると、ご主人が港まで送ってくれた。


あっという間だったけどこれで与那国島ともオサラバ。



まだ9時半。

フェリーの出港は10時。


すぐそこの最西端の岬、西崎に行く時間は十分ある。




と思っていたら「もう出ますよー。」とフェリーの人。


…………え?


ちょっと待ってくださいよー!と言っても聞いてくれない。


すると宿の主人が、



「すぐそこだから待っててくれよ。」



と言うと即OK。

さすが地元民の声は強い。





「9時40分くらいに港に行って出港してしまったフェリーを見送った旅人を何人も見てきたよ。」



と主人。


そんなバカな。

出港が遅れるならまだしも早まるなんて。


しかもそれが普通なんて。


…………八重子諸島を周るみんな、気をつけましょう。









ご主人に西崎まで付き合ってもらって、無事写真を撮り、日本最西端の石も採取。


やっぱり曇ってて台湾は見えなかったけど、まぁいいか。


フェリーが出港し豆粒ほどになるまで、岸でご主人は手を振ってくれていた。















石垣に到着し、次の波照間に関する情報を収集しているうちに夜になったので、1泊500円のキャンプ場に行ってテントをレンタルして眠った。


寒くて寒くて仕方がない。


もう夜になるとこんなに寒いのかよ。



寒くて、寂しくて、いろんな奴に電話して寂しさを紛らわした。


「久しぶりー元気?」



良かった、俺のメモリーを消した奴はまだいないみたいだった。
















テントの中で目を覚ますと、さすがに日中は熱がこもって暑くて外に飛び出した。


波照間に行くフェリーは明日。


まだ石垣島の観光をしてなかったので今日はレンタバイクで島一周のツーリングに出かけることにした。



泊まっているキャンプ場【南夢楽園】のレンタバイクは安い。

1日1000円。


普通じゃ2000円から2500円はとられる。









原付バイクなんて久しぶりで、運転大丈夫かなと思いながらも恐る恐る出発。


まずやってきたのは唐人墓というとこ。





奴隷労働者としてアメリカに輸送される中国人を乗せた船の中で、中国人が暴動を起こし石垣島に漂着。


しかしアメリカの追っ手により中国人128人が殺された。


その人々を奉ったのがこの慰霊碑。


          

青い空に映える極彩色の墓には中国人の人形や龍が施されており、すごく奇妙な光景だった。


沖縄ってホント、島ならではの色んな歴史があるなぁ。





有名な川平港は、あまりにも観光地化されていて、水着の女の子以外目を引くものはなかった。











晴れ渡る空の下、今日の目玉サビチ洞へ向け、珊瑚の透ける青と緑の海と、風になびく森に挟まれた道をノロノロと走った。


島の空気がすごく気持ちいい。


周りには誰もおらず、風に草がそよぐのみ。


ほんの少しの寂しさが胸をよぎる。





石垣島北部、伊原間にあるサビチ洞は、海に抜ける珍しい鍾乳洞になっており、入口の池に2mのうなぎがいるという話。


ウキウキでたどり着くと、でっかい岩の下にぽっかりと穴が開いていた。





子どもの頃、家族旅行は必ず歴史資料館巡りか鍾乳洞巡りだったってほど親がそういうのが好きで、俺もやっぱりその影響で鍾乳洞が好きだ。


カエルの子はカエル。


20秒くらいで資料館や鍾乳洞に飽きて走り回って迷惑かけまくってた俺が、今じゃ他の観光客の誰よりも時間をかけてじっくりと見学している。









なかなか立派な鍾乳石ばっかりだったが、結局うなぎは見られなかった。

ていうかホントにいるのか?








売店でサータアンダギーを食べながらパッションフルーツジュースを飲んだ。


名物犬のゴンとじゃれてると売店のおばちゃんが、



「ここまで来たなら平久保灯台に行かないと損だよ。」



と教えてくれた。


ボソボソと乾いたサータアンダギーを口に放り込むと、スクーターにまたがった。















草がはみだしまくっている荒れた道をひたすら進む。


そうして坂道を上り終えると、目の前に広がった景色にテンションがあがりまくった。





石垣島の北端、平久保灯台。


眼下に広がる珊瑚が、言葉では言い表せないほどキレイな模様を海に描いていた。










晴れ渡る空。


深さによって色を変える珊瑚。


沖縄に来て1ヶ月ちょっと。


いろんな景勝地をまわったが、ダントツで一番キレイだった。





帰り道でアクセル回しすぎてちょっとこけた。



  










町に戻り、石垣島観光の最後のシメ、マラリア資料館へ。


石垣、西表で1945年に大流行したマラリアによって、他の離島から強制疎開させられた人々のほとんどがその犠牲になった。


その当時から現代までのマラリアに対する資料を展示しているこの資料館。


マラリアに苦しむ人々の写真を見て、胸が痛かった。



現代の日本にマラリアはない。

しっかりとした予防法があるからだ。



ほんの57年前にこんなことがあったなんて…………


かわいそうすぎる。







受け付けのおばちゃんに、



「こんなに若いのに興味を持ってくれるなんてありがとねー。ほんとに珍しいよ。人は見かけによらないねー。」



と言われた。



なので「来館の感想を書いてください。」というアンケート用紙に、


「受付のおばさんすごく美人!」


と書いて宿に帰った。












キャンプ場に戻ってテントをたたみ、ヒッチハイクで街に向かった。


この前、清福酒造でバイトをしてるときに又吉さんと昼ご飯食べに行ったあさひ食堂のカツ丼がめちゃくちゃ美味しかったんだよな。


もう1回食べたくてあさひ食堂に行ってカツ丼大盛を食べた。


死ぬほど美味い。


お腹もいっぱいになって外に出ると、夜風が気持ちよかった。









ビールを買い、港に着いた頃にはすでに22時。


1日中動き回って本当に疲れた。

明日は波照間島だ。


結局ロクな情報は得ることが出来なかったけど、まぁそんなもんだ。


ガイドブックにはロクな情報は載ってない。

現地で地元民に直接聞かないといい情報ってのは得られないもんだよ。



さて寝よう。


今夜もまた野宿。


このフェリー乗り場、寝心地いい。









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