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お宝なのかなんなのか猿には分からない

こんにちは!神田です。



最近、やたら耳にする言葉、「ですです」

大阪でもたまにあります。「です」で答える時に「ですです」て答えること。


でも、やたら耳にするんですよ。宮崎きてから。


フミくんとかフミくんのお母さんに言ってみても、まーその人の口癖じゃないー?くらいな感じだったんですけど、気になればなるほど、1日に数回聞く「ですです」が耳につくーーー!!!!!

で、ネットで調べてみたら、宮崎弁のひとつらしい!!!!

しかも、宮崎県民が自分で気づいていない宮崎弁て書いてました。


やっぱりーーーーー!!!!!!!

めっちゃ言いますもん。答える時、「ですです」て。


あーーーーすっきりした。



おわり



 



先日のこと。



僕たちが購入契約をした古民家の家主さんが美々津に帰ってくるという一報が入りました。



交渉を始めてから3ヶ月、初めての家主さんとのご対面です。





家主の岩本さんは現在は神戸に住んでいるかたなので、遠方ということもあってなかなか交渉もスムーズには進んできませんでした。


やはり思い入れのある家を手放すのは家主さんにとって辛いことでしょうし、そういった想いをないがしろにして金さえ払えばいいんだろ?なんてことはもちろんできません。


そうして3ヶ月以上、慎重に交渉を続けてきて、ようやく岩本さんとご対面することができる日が来ました。





ご高齢ということもあり、そう頻繁には戻ってくることもできないので、今回の帰省で必要な書類関係の手続きを全て終わらせたいという岩本さん。


もちろんそれは契約の上でとても大事なこと。


でも僕らにとっては、家主さんとお会いする、ということのほうがはるかに大きなことです。


これまでここに住んできたかたがどのようなかたなのかを知りたかったし、これから住まわせていただきますということをキチンと面と向かってご挨拶したかったからです。














そして当日。


僕らは美々津の駅に、家主さんである岩本さんたちをお迎えに行きました。


ギラギラと太陽が照りつける中、無人の駅舎に僕とカンちゃんと不動産屋さんの担当さん。



結構ドキドキです。


まだどのようなかたか全然知らないし、イメージもつかない。




めっちゃ気難しい人だったらどうしよう…………

古民家暮らしナメんなよ?っていきなり蹴りを入れられたらどうしよう…………





正直、家を買うといっても、契約が成立してしまえば前の持ち主さんとの関係というのはそこまで密接ではないはずです。

そんなに相手のことを気にする必要はありません。


でもやっぱり、これまで代々続いていた古民家を売っていただくんだから、そこは敬意を表するべきです。


できることなら、良い関係でこれからもやっていきたい。









南国の太陽が降り注ぐ中、宮崎空港からやってきた電車が美々津の駅に入りました。


あー!!緊張する!!






「あああー、どうもどうもー、わざわざ申し訳ありません。岩本です。このたびはキチンと荷物の整理とかできないままですみません。」




はい、めっちゃくちゃ素敵なご夫婦でした。

めっちゃくちゃ優しい。


腰が低くて、丁寧で、明るくて、すっごい素敵。


もう会った瞬間にホッとしました。




「いやぁ、ご主人は金丸先生のひ孫さんですよね?私が小さな頃、体調を壊した時はよく金丸先生に診てもらってたもんでねぇ。ふさこちゃんとかが私の同級になるんですよ。」




僕のひい爺ちゃんは美々津で金丸病院をやっていた先生でした。

僕が物心ついたころにはすでに病院はやっていなかったんですが、親戚の集まりで本家に行ったりするとそこはすごく大きなお屋敷で、大はしゃぎしていたような記憶があります。


今ではひい爺ちゃんも、お爺ちゃんの兄弟たちもほとんど亡くなってしまい、その当時のことを知る人は少なくなってきています。

なのでこうして岩本さんの口から、実際に金丸先生に診てもらってたという話を聞くと、美々津の歴史が頭に浮かんでくるようでした。



















「ここは代々商家の家でしてね、私で11代目なんですよ。でも私の代でこの岩本屋を潰してしまう。それがとても苦しくて、先祖様に何度も謝りましてね。これらが代々の当主です。」



岩本さんご夫婦と岩本邸に入り、かつてのお話を色々と聞かせていただきました。


仏壇の部屋にたくさんの肖像画が飾ってあるんだけど、それらは戦前、大正、明治期の歴代当主さんたちのもの。



「この肖像画が8代目でね、岩本屋の中興の祖なんですよ。裏庭に文字の刻んでる石が置いてあるんですけど、チソク、と書いてあるんです。もう見ましたか?」



「あ、草に埋もれてるあの石ですね。なんて書いてるかは分かりませんでした。チソク?ですか?」



「そうです。この8代目は色んな功績を残した人だったんですけどね、厳しい人だったから、自分の代で岩本屋を大きくして財を成すことができなかったと思っていたそうです。なので戒めとして、知恵が足りなかった、知足という言葉を石に彫って残したんです。」




うおおおお…………

なんてエピソードだ…………


なんか歴史ある観光地とかに残ってる史跡レベルやん…………


この家やっぱりすげぇわ…………









いやぁ…………俺なんて全然知恵足りねぇだろうなぁ…………




「私は、私の代で岩本屋を潰してしまうことにとても苦しんだんです。でも買ってくれるのが外国の人とか知らない人とかじゃなくて、地元の金丸さんですから、ご先祖様もきっと許してくれると思ってるんですわ。」



壁には大きな書が飾ってある。


かつての高鍋藩のお殿様が書いたものなんだそうだ。



















3日間、岩本さんは美々津に滞在し、荷物を仕分けし、片付けをしてくださいました。













お手伝いさせてください!と僕らも重いものを運ばせてもらったりして、岩本さんたちの必要なものだけを分けていきます。


そうして、後に残ったものは金丸さんたちの好きなようにしてくださいということになったんですが、とにかく家の中には普通にこれまで生活していた当時のままの家財道具が残っており、さらには納戸には山のような骨董品たちが埃をかぶっています。


こりゃ相当な大仕事になりそうだなと覚悟したわけですが、同時にすごくワクワクもしていました。


古いもの好きな僕とカンちゃん。


一体どんなアンティーク品が眠っているんだろうと、ひとつひとつの箱を開けるのが楽しみでした。














岩本さんたちは本当に本当に優しいご夫婦で、これまでの岩本屋の歴史を話してくださり、世間話をしてくださり、作業の合間でお昼ご飯に行ってご馳走していただり、とても心和む3日間でした。


明るく快活な岩本さん、上品で穏やかな奥様、


なんかちょっと親戚のおじちゃんおばちゃんが増えたような気がして嬉しかったです。









もっともっとかつてのお話を聞かせてもらいたかったんですが、3日間は早いもので、あっという間に岩本さんたちが神戸に帰る日が来ました。


売買契約書や委任状や補助金の申請書など、様々な書類の署名関係を済ませ、あと1番大事な仏壇のショウヌキというものも、お寺さんに来てもらって行いました。


岩本さんはこの住職に結構怒れたそうでした。

岩本家と地元のお寺は代々深い付き合いがあったようなので。




とにかく、これでもう岩本さんたちはこちらに戻らなくても物件の引き渡しができる状態になりました。


決済はまた後日、振込で行う形。

それと同時に登記移転手続きをして正式に物件の持ち主が変わることになります。


この登記移転手続きって普通は司法書士さんにやってもらうものらしいんですが、司法書士さんってめっちゃ高いんですよね。


20万くらいするんですよ。

自分たちでやれば2万~3万くらいです。




この登記移転手続き、なんかやたら面倒くさい、素人にはできなさそうなものなので多くの人たちは司法書士さんにお願いするみたいですが、実際法務局とかに行って相談したりしてみるとそこまで大変ではないです。


抵当権の抹消手続きなんて複雑そうなもんもあったけど、不動産屋さんが協力してくだってとてもスムーズです。




そうそう、抵当権ってすごいですね。


抵当権ってどんな昔に結んだものでも、正式に抹消手続きをしなかったら永久に消えないものらしいです。


この岩本屋さんは昭和26年に、宮崎太陽銀行が今の名前になる前の昔の銀行からお金を借り入れした時に抵当権を結んでいたようで、その権利が未だに残っていました。



めっちゃ戦後のやつです。



もうあらゆることのひとつひとつが、僕たちがこれから歴史あるリアル古民家で暮らしていくんだということを教えてくれています。




「まだお墓がこっちにありますから、年に1回は戻りますので、その時にお店に遊びに来させていただきますね。ここには古くからの商売の神様も祀っておりますから、伏見稲荷のキツネ様がいますから。頑張ってくださいね。」




岩本さんご夫婦を駅までお送りし、何度もお辞儀して手を振った。













これにて3ヶ月半続いた物件探し奮闘記編、終了です。




お店オープンまでの道のり、次へのステップは古民家の改修編。





さぁて、こっからやること死ぬほど山積みだぞ。




















今回、岩本さんと書類のやり取りをし、必要なものを分けてもらい、とうとう、とうとう家の中を自由に触れるようになりました。



古民家改修編スタートです。



ブログが少しタイムラグがあるんですが、スタートしたのは7月21日(土曜)でした。





ちょうどお母さんも時間があるということで手伝いに来てくれたんですが、



まぁ、とてつもない。



とてつもないです。











マジでなんでもある。


普通にさっきまで人がいたような感じの家財道具。



タンスや棚の引き出しを開けると、ビッシリと詰まっている領収書だとか年賀状とかの紙。


洋服類やら食器類やら、電化製品やら、もうどっから何すればいいんですか?っていうような状況。














ここには10年くらい前までお婆ちゃんが1人で住んでいたんですけど、昔の人って物をすごく大事にするじゃないですか。


とにかく色んな物を取っておく。



なので色んな空箱とか取り扱い説明書とか、そんな僕にとっては不要な物が信じられないくらい大量に保管されてました。


蚊取り線香の空箱で棚1個埋まってましたからね。


お米の空袋が綺麗に畳んでしまわれていました。

あのビニールの空袋ですよ?



バッグとか100個くらいありましたし、傘も20本くらいありました。




他にも開封してない粗品のタオルとか肌着とか、開けてない引き出物とか、もーーーーーーーーーーーーすごい。



ありとあらゆる押し入れがギチギチになるくらいマンパンです。











とにかくそれらを引っ張り出して、ズバアアアアアアア!!!!っと選別です。





こういう時って物にそこまで執着のない僕らでもやっぱりつい、



あ、これ使えるかも、

あ、これもまだまだ綺麗だな、



とか考えてしまって要るものコーナーに入れてしまいそうになる。



でもこれはダメ!!!

かなり選球眼を厳しくしてないと全然荷物が減らないまま!!









写真とか手紙とかも尋常じゃないくらいたくさんあるんだけど、これも心を鬼にして処分しないとどうにもならない。


岩本さんはチェックした上で不要な物を残していっているんだから、僕らが勝手に判断して神戸の岩本さんの家に郵送なんかしたら向こうの迷惑になってしまいます。



とにかく事務的に仕分けしまくるしかない!!!!




「あら、文武これまだ使えることないね?あー、これはいいわぁ。」



「お母さん、そんなの使わないから。どうせ家あっても使わないよ。」



「分からんよー。ホラー、まだだいぶ綺麗じゃわー。ねぇ奈緒ちゃん。」



「分かりますー、もったいないですよねぇ。どうせ捨てるなら1回試しに取っておいて、やっぱり使わないならその時に捨てればいいのかなって思いますよね。」



「そんなんしてたら物で溢れかえるよー!!どんどん処分してー!!心を鬼にしてーー!!!」



「あ、フミ君、この壺はどうする?」



「あー、そんな汚い壺はいらんわ。捨てたらいいわ。」



「ダメエエエエエエエエエエ!!!その壺は必要うううううううう!!!!」



「はー、そんな汚い壺のどこがいいっちゃろかいねー。あ、このお鍋はいいねぇ、まだ使えるわー。」



















そんな感じで3人でワイワイしながらひたすら作業。


お母さんはお昼から友達とご飯を食べに行ったので、カンちゃんと2人で黙々と仕分けまくりです。



今日も暑くて気温は32℃。

ムワッとした室内で埃をかぶって汗がボタボタ流れ落ちます。


熱中症にならないよう水分を取り、外に出て風を浴びて新鮮な空気を吸い、またひたすら仕分け作業。

































もう何年も触られていないような押し入れの奥深くから、年代物の木箱や網かごが出てきたりするともうドキドキ。


いきなり見たこともないような恐ろしい虫がブワアアアアアアアア!!!ってわいてきたらどうする?とか言いながら、2人でゆっくりと木箱を開ける。


すると、ふわあああっとカビ臭いような埃臭いような、古いものがまとった歴史の匂いが立ち上る。

まさしく浦島太郎のような感じ。



木箱の中で止まっていた時間が、数十年の時を経て現代の空気と混ざり合い、再び動き出すその瞬間がたまらなくドラマチック。


























木箱の中には年賀状が入っている。



謹賀新年。という言葉の横にある日付は昭和5年とかそんな時代。


戦前の、まだ人々が着物を当たり前に来ていた時代のあの遺物。




そこには岩本吾平・イシという名前が書いてある。


岩本さんのお爺さんにあたる人みたいだ。


つまり岩本屋の9代目。







































他にも色あせた巻物、書、水墨画がゴロゴロ出てくる。


ほとんどが年月の中で劣化し、朽ちており、巻物なんかも開くことができないくらいボロボロになっている。




油紙に包まれたなにかの金物、


タンスの中に入っている紬の着物たち、


日本人形、


木桶、


火鉢、


輪島塗のお盆やお吸物椀などの漆器、


埃かぶった陶器の数々、




かつて廻船問屋を営んでいた岩本家は美々津の中でも有数の商家なので、日本各地からこうして色んな品々が集まっている。


もう本当、時代劇の中でしか見ないような古い古い伝統的な生活道具があちこちから出てくるのが楽しすぎて、夢中になって押し入れを開けまくった。



































そうして初日でこれ。






この山がもうひとつあります。



要らないものだけで2つ山ができたけど、要るものは別で分けてるので3つ山ができました。




1階だけで。




ま、マジ疲れた…………


誰か手伝って…………






ていうか骨董品の見分けかた全然わかんねぇ!!!!!!!


なんか古い九谷焼の陶器一式とか、輪島塗のお盆の揃いとか山ほど出てくるんだけど、どれが骨董品として価値のあるものなのか全然見当もつかん!!!!


もちろん、価値もわからんけど見た目でカッコいいものは自分たち用に取ってるんですけど、俺たちが要らないものでももしかしたら骨董品好きに売れるものがあるのかもしない。



かと思うと全然捨てられない!!!!!




中島誠之助先生えええええええええええええ!!!!!!


テンガあげるから来てえええええええええええええええ!!!!!




「フミ君!!このお椀いる!?」



「ほぅ、この高台、い~い仕事してますねぇ。」



「この茶碗は!?」



「釉薬の流れかたがいいですねぇ。い~い仕事してますねぇ。」



「この化粧箱は!?」



「金具の細工がい~い仕事してますねぇ。」



「このゆまちゃんのDVDは!?」



「い~いケツしてますねぇ。」



「あああああ!!!何捨てていいかわかんないー!!この明治時代の手紙とかどうしよー!!」



「うぇっへーい!!全然わかんねぇぞイエエエエエエイイイ!!!!」





無傷の初代ファミコン出てきました。





めっちゃ美品の説明書つきです。


これの価値はなんとなく分かる。


かなり高いはず。





と思ってネットで調べたら未開封で15000円くらいでした。


意外と安いいいいい…………
















大事そうに布にくるまっている包みを開けると、そこには大正時代の帳簿が入っていた。


商家だった岩本屋の支出などが書かれた帳簿で、誰々に何銭とか、何の仕入れが何円とか、そんなことが細かくビッシリ書かれている。




暑い西日が差し込む畳の上に座り、じっくりとその帳簿の文字を見つめた。



めちゃくちゃ達筆だけど、今使っている日本語と変わらないその文字。


俺でも、まぁ読める。



戦前の、まだ着物を着た人たちがこの美々津を歩き、港町として宮崎の中でも有数の賑わいを見せていたこの美々津。



地面はもちろん踏み固められた土で、港も岸壁なんかでなく、橋ももちろんないので渡し船が行き交っていた。


主要道路の国道10号線も土の道。



暑い西日とセミの声。



もうすぐ夏祭りがある。









じんわりと、じんわりと心にしみてくる。




俺が知ってるのは美々津の36年だけ。


100年前の活気に沸いていた美々津のことは知らない。



そう思うと、古民家に住むということはまるでここが故郷ではなく、新しい知らない町かのような唐突な新鮮さに気づいて驚いた。



俺はこの美々津の歴史を少しは知っている。地元だから。

でもまだまだ知らないことだらけ。


当時に生きていた人たちの空気感など、知る由も無い。






古民家に引っ越してくる俺たちはヤドカリみたいだ。


誰かが出ていき、誰かが入り、そのヤドは残り続ける。


この屋根の下で新しい命が生まれ、古い命が消え、繰り返していく。



家というのは、そうやって何世代もの人生を見つめていくものなんだ。







なんて異次元だ。


古くなったからって潰すなんてもってのほか。


木と石という、これ以上ないシンプルな自然ものを組み合わせて作られている日本家屋。


それが大地に根付き、祈祷し、この地で人を守ってきた。


なんて貴重なものなんだろう。


こんな人類にとって、町の歴史にとって重要な文化財、マジで大事に使わないと。












ひぐらしの声がする。


西日が傾く。




今まで色んな人生を見てきた。

色んな町があった。


これからは俺たちが町を作っていく。




じんわりと心にしみてくる。


俺たち、ここで暮らすんだなぁ。






クラウドファンディング終了まで、あと14日!!!