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僕の旅の原点、日本一周 後編

2017年1月25日(水曜日)
【スコットランド】 ソルトコーツ





昨日の日本一周の続き……………












真冬の道央は凍てつく寒さで、毎日毎日パウダースノーが大地を埋め尽くしていました。

そんな中、バイト前の時間、バイトの帰りに廃バスに行き、1人でコツコツと作業をしました。


雪かきをして道を作り、ベニア板を運び込んでノコギリで切り、ベンチやテーブルを作った。


真っ暗な雪の夜に、ストーブを焚いて木のクズにまみれて少しずつ少しずつ作業を進めていくと、最初はゴミで埋もれていた廃バスがやがて形になっていきました。


作りながら、冬の北海道も旅しました。
マイナス25℃とかそんな極寒の雪の中で見た北海道の大自然は本当に美しかったです。





能取岬の流氷。







屈斜路湖。死ぬほど寒かった。







吹上温泉。雪かきスコップを持って自分で道を作りながら行く秘湯。











やがて春になり、雪が解けた頃に旅人バス作り、最後の大仕事。


雑品屋さんを手配してトラックに来てもらい、敷地を埋め尽くしていた鉄くずを全て持って行ってもらった。


そして地主の佐藤おじさんが持っていたユンボで、傾いていた旅人バスを持ち上げ、水平に設置。

最初はなんか内地から来た若いのが変わり者の佐藤さんのとこで変なことやってるぞ、っていう風に距離を置いて見られていたのが、いつの間にかたくさんの人が協力してくれるようになり、ついに夏の初めに旅人バスは完成した。




これが、






これ。







これが、






これ。







ちょうど1年。

富良野で車がぶっ壊れて動けなくなってから、どれほどの人と出会い、そしてお世話になったことかわかりません。

そうした人たちのご協力のおかげで僕はひとつの大きなチャレンジを達成することができました。



あそこで車が壊れたからこそあった物語。

でも車が壊れなければ、もしかしたら富良野ではなく、どこか違う場所で違う物語があったかもしれない。

そんな運命の岐路をいくつも通り過ぎて、あの時23歳の僕は富良野にいたんだと思います。









旅人バスの前には、旅人情報交換所という立派な看板が立てられました。


電気も裏の農機具小屋から引っ張ってきて、簡易トイレも隣町の美瑛町から安く買ってきて設置しました。


旅人バスは、旅人ならば誰でも利用することができ、基本は無料。

でももし中で寝泊まりなどをした場合は寄付金ボックスにお気持ちを入れてくださいと書いておいた。

そして皆さんの持つとっておきの旅情報をバス内の壁にマジックで書いて残してくださいとも書いた。




旅人バスをを作るためにだいぶお金を使ったけど、夢を叶えさせてくれた地主の佐藤おじさんに少しでも恩返しするため、寄付金は全て佐藤さんに受け取ってもらうことにした。


俺は旅を続ける。管理は佐藤さんがしてくれる。


作るだけ作って出ていくのかと思われるかもしれんかったけど、これが少しでも佐藤さんの収入の足しになればと願った。


どうせ放置してたもんだしー、いいべーと笑ってくれた佐藤さん。

本当に本当にいい人だった。








これは後の話だけど、最初は利用者の少なかった旅人バスも、やがて面白いところがあるという口コミが広がり、ライダーやチャリダーが少しずつ訪れるようになってくれた。

北海道は昔からそういった旅人が多く訪れる土地なので、そんな彼らが休める場所になってほしいという思いもあったので狙い通りだった。


やがて利用者は増えていき、富良野の地図にも旅人情報交換所という名前が記載され、さらには北海道のライダーズマップにも載るようになった時には作った僕自身驚いた。


さらにさらに、もっと快適な場所になって欲しいという願いからここに訪れた旅人たち自らが作業を手伝ってくれ、バスの前にバイクを止められるひさしが出来、水が引かれて炊事場ができ、バスの裏には自分たちでまきを燃やして入る五右衛門風呂までできた。


もはや旅人バスは僕だけのものではなく、この場所を愛してくれる旅人たちみんなのものになっていった。












話は戻って、そんな旅人バスが完成した夏に、僕は富良野を出発しました。

なにからなにまでお世話になったご家族、佐藤さん、富良野中のみんなに挨拶して回り、新しい車に乗ってついに日本一周折り返しの旅が始まりました。






ラベンダー畑。







富良野出発前に北海道の妹と。まだ茶髪とかしてたなぁ。







礼文島、桃岩。ここのユースで落陽を歌おうと思ったけどできんかった。







カムイワッカ湯の滝。鹿の白骨とかあってマジでヒグマ出るから注意。







トドワラ。日本で見た夕日で1番くらい綺麗だった。







青森県、黄金崎不老ふ死温泉。白神山地のオフロードはマジ疲れた。






岩手県にある廃墟フェチの聖地、天空の廃墟、松尾鉱山跡。







秋田県、玉川温泉。天然の岩盤浴をする人がゴロゴロ転がってる。







北海道をグルリと一周し、それから青森に渡り、またひたすらに各県を旅して回る日々。

久しぶりの本州には、北海道にはない歴史を秘めた建造物がたくさんあり、見所満載の東北の日本海側をがむしゃらに回りまくりました。


ですが、そんな折り返しの旅の中でずーーーっと引っかかっていた思いがムクムクと首をもたげました。


日本中の観光地を見て回って、たくさんの人と出会う。当初通りの旅。

でもなんか違う。これで満足できなくなってきてる。


俺はもっと何かに打ち込める。こんなに若いのにもっと本気にならないといけない。


そう悩み始めた時に、俺は路上で稼いで旅をすると決めて出てきたんじゃないのか?と思い返しました。


それなのにビビって路上に出ずに、バイトしてのうのうと旅を続けている。

俺の音楽への思いはそんなもんだったのか?

ビビってないでやれよ!!





そう決めて、それから毎日路上に出ました。


下手クソやめろとか、お前が歌ってるのがんからんわとか、キツイこといっぱい言われました。


飲み屋街で歌っていたらみんな酔っ払ってるからバンバン言いたいこと言ってきます。

それが若僧ならなおさらです。


楽譜蹴っ飛ばされたり、ギター叩かれたり、ビールかけられたり、へこたれそうになることも山ほどありました。

でもとにかく毎日路上で歌いました。



すると、少しずつ少しずつ稼ぎが上がっていきました。

罵声があればあるほど、何クソボケ!!と思って、どうすればもっといい歌が歌えるようになるのか練習し続け、やがて罵声も減っていきました。


そしてバイトをせずとも、路上だけで旅ができるようになった時、本当思いました。


諦める前に全力でやったか?

出来なかった、じゃなくてやってなかっただけだろ?

ビビって逃げてないで本気でやらないと。








どっかの飲み屋街。夜のキレイな女の人にいつもドキドキ。







山形県、銀山温泉。温泉町の公衆浴場はどこも安い。







山形県、山寺。修験道の危険な山を登ってたらお坊さんにクソ怒られた。







東北のどっかのお祭り。







埼玉の飯能のお祭りだったかな。







千葉県の田舎の村でやってたお祭り。すごいよかった。







削ろう会は日本伝統工芸の粋が集まる協議会。でもめっちゃ地味。









昼間観光巡り、夜は路上という今の旅のスタイルが定着し、ひたすら色んな町に行き続けました。


世間知らずな田舎者だったけど、たくさんの人と出会う中で、同和問題だとか在日問題だとかの差別や、世の中の裏のことを学び、人間って素晴らしいけど、汚いんだなぁってショックを受けることもたくさんありました。


神社仏閣巡りは最優先で欠かさなかったんですが、それは宗教美術や歴史が好きなだけじゃなく、人間がなぜ宗教に依存するのかという精神性を知りたかったからでした。


そうして各県で無数の神社やお寺に訪れました。

しかし、そう簡単に宗教と人間の心の関係性が若僧に分かるはずもない。




そんなある日のこと。

岐阜の新長谷寺を訪れました。

規則的に伽藍が配置された境内は、曼荼羅で見るような計算された美しさがあり、これはすごいところだなと感動しました。


そして本堂の中に入り、へー、こんななってるんだーと見て回っていたところ、そこにいた住職さんに声をかけられました。



「本堂に入る時に挨拶はしましたか?」



え?…………ああ、礼儀がなってなかったんだなと、すみませんと謝ったんだけど、住職は謝るのは私ではなくお釈迦様にですと言った。

このご本尊様はただの木彫りの像に見えるかもしれないけど、十月十日をかけて祈りを込めたれっきとしたお釈迦様なんですよ。

そんなお釈迦様に挨拶をしないでお寺に訪れてはいけませんと。



おお、そうかと、挨拶の仕方を教えてもらった。


本堂に入る時にはちゃんとお辞儀をし、合掌をする。

それがお釈迦様への挨拶になりますと住職は教えてくれた。



「お寺というのは見学しに来る場所ではありません。祈りの場所です。君は宗教学について学びたいんだろうけど、宗教を理解するためにはキチンと挨拶をするところから始めないといけません。」




そう言われた時にめっちゃガーンと来た。


お寺とか神社って見学で来たらいけないのか?


世の中の人、ほとんどが信仰心とか持たずに物見遊山で参拝するものなんじゃないのか?



でもそれでもいいということだった。

信仰心がなくてもいいから、キチンとご本尊に挨拶をすること。それが大事なんだと。

マジですっげぇと思った。

あれが初めて宗教ってものに触れた瞬間だったなぁ。




あの時の住職の言葉は今でもめっちゃ残ってる。


世界を回り、キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー、色んな宗教施設に行ったけど、ちゃんとその宗教のやり方で挨拶をすることってものすごく大事なことだっていつも肌で感じた。

仏教徒だからイエス様に手をあわせるのはおかしいのか?

きっとそんなことはないと思っています。










栃木、日光東照宮。だったはず。







埼玉、雁坂トンネルのあたり。秩父夜祭はとても綺麗だった。






静岡県、浄蓮の滝。伊豆の踊子の銅像。







日本はどこにでも銭湯があるから助かる。僕はスーパー銭湯よりも町の古い銭湯が好き。







長野県、分杭峠は峠フェチにとってたまらないシチュエーション。














旅中での色んなチャレンジも忘れずに。



★立山・黒部ダム探検

称名滝から全ルート徒歩で向かい、夜のジャングルの中をさまよって死にかける。







★富士山の頂上でゲリラライブ

ギターをかついで1合目から富士山に登り、頂上で野宿して日の出とともにゲリラライブ。でも高山病で死にかけて2曲で撃沈。








★四国お遍路

歩き、野宿、通し、の三拍子。お金はほぼ持たずにギターを担いで門前で歌って稼ぎながら45日かけて結願。





















後半マジで研ぎ澄まされて無の境地入ってたな。








日本には観光地だけでなく、様々なアトラクションがあります。

それらをできる限り体験し、この日本がどんな国なのか体当たりで知りたかった。


日本一周をする人の中にはよく歩きや自転車で回る人がいて、そういった人たちの中には車中泊の旅のことを楽でいいですねーって言う人たちがたまにいます。

でも海沿いをぐるっと回って日本一周って確かにそうかもしれないけど、内陸部や山の中の秘境を行かずして日本一周になるのか?ってあの頃僕も反論していました。


結局はこれぞ正しい日本一周、なんてないんですけどね。

自分が1番過酷で素敵な旅ができてるって、旅人はよく思うもんです。






お祭りや行事にも数え切れないほど行きました。

羅列したらとんでもない数になるので書きませんが、特に印象に残ってるのは栃木県発光路の強飯式です。

田舎の風習がよく残った、本当に日本昔話の世界がありました。



一度見てみたいお祭りトップスリーは、秋田の竿灯、河内の花火、越中おわらです。あ、悪石島のボゼも見たいなぁ。怖いけど。






岐阜県、高山祭り。ラーメン食べたい。






岐阜県、白川郷の屋根葺き替え。この結も含めて世界遺産なんですよって聞いたときは感動したなぁ。







愛知県豊橋市、鬼まつり。めっちゃ白い粉かけられてえらいことなった。







淡路島、鳥飼の船だんじり。











旅の後半になってからは、路上だけでなくライブハウスでの演奏にも取り組むようになり、各町でライブハウスを見つけたら積極的に飛び込んでブッキングしてもらい、地元ミュージシャンたちの仲間もたくさん出来ていきました。


出発したころは何もかもわからなくて、本当に世間知らずで、戸惑いながらがむしゃらに先に進んでいたけど、このころになって音楽と旅のふたつのテーマがようやくガッチリはまりだしました。


音楽にも、旅にも、すごく充実して取り組め、めっちゃ燃えてました。


若い時ってめっちゃ熱くなりますよね。

なにか、本当の本当に自分のやるべきことが見つかった時、鼓動が早くなり、夜も眠れないような興奮。


このころよく味わっていました。


俺はまだまだやれるぞ、こんなもんじゃないぞって先を見据えていました。






大阪の大繁華街、北新地。






三重かどっかの千枚田。千枚田行きすぎてどれがどれかわからん!






山口県、岩国市の飲み屋街はもはやホームくらい何度も歌ったなぁ。







佐賀県の干潟。












最後の地、九州に入り福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島と回り、ついに日本一周最後の日。

僕は高千穂の峰に登りました。


まだ夜のうちに高千穂の峰の麓に車を止め、1人で暗いうちから山を登りました。


ハァハァと息をつき、落ち葉を踏みしめて登って行くと、やがて森林限界を超えて見晴らしが良くなり、夜の端が明るくなっているのを見て急いで頂上へと登り続ける。


そして頂上に着くと、そこには不思議なモニュメントがありました。

変な細長いものが石積みの真ん中に突きたっている。


これは天の逆鉾というもので、神代の時代、アマテラスの孫にあたるニニギノミコトが日本をおさめるためにこの高千穂の峰に天孫降臨し、この剣を山の頂上に突き立てたという伝説がある。


つまりここから日本は始まった。

その後ニニギノミコトの4代後の子孫が僕の故郷である美々津からお船出をして紀伊半島に向かい、奈良に入って天皇に即位した。

それが初代神武天皇。




日本をこれでもかってくらい隅から隅まで回った最後の日はこの天孫降臨の山しかないと思っていました。


そうして1人ぼっちで山の頂上に立ち、ご来光をおがみ、僕は宮崎に帰って日本一周を終えました。


実に4年4ヶ月の旅でした。








帰った時こんな顔。









このころにも彼女がいたんですけど、さんざん待たせて2人の関係が崩れそうになっていたところに、僕が言った言葉が決定打になって別れることになりました。


世界一周をしたいって。

旅は中毒性がありますよね。

もっともっと、もっと最果てまでって求めてしまうようになってしまう。




それから僕は青春の放浪っていう日本一周の本を自費出版し、今度は音楽メインでさらにストイックに日本を駆け巡りました。




ちなみにこの本の詳細はこちら





そして色んな準備が整ったのが30歳。


旅を初めて10年経って、僕は世界一周に出発しました。


海外には行ったことなかったけど、これまで日本でギター1本でやってきたんだ、必ず世界でもやっていける、金がなかったらヒッチハイクして野宿してパンかじりながら生き延びてやるって、それまでの日本での旅の経験の集大成みたいな感じで前回の世界一周をやりきりました。











旅人バスについてなんですが、完成してから10年以上、北海道のチャリダー、ライダーたちに愛されていました。

様子を見に行くたびに、バス内の壁に書かれている旅情報は増えており、何度も利用者の人たちとジンギスカンをしてお酒を飲んだものでした。



しかし今はもう富良野に旅人バスはありません。

正確に言うと今は近くの農家さんの休憩小屋になっております。



僕が前回の世界一周中に、地主であった佐藤さんが亡くなってしまい、親族の方から撤去してほしいという要望があり、農家さんに引き取ってもらいました。

若い頃の夢を叶えてくれた佐藤さん、そして協力してくださった地元の人たちには本当に言葉にならないほど感謝しております。


時が経つのって早いです。













長いこと書きましたが、これが僕の旅の原点です。

旅なんかやっててなんになるの?将来なんの役に立つ?って何度言われたことかわからないです。

いつまでもフラフラしてないで仕事しろよって。



確かに将来の安定に直結するような資格や技術なんかないけど、今僕の周りにはかけがえのない仲間や尊敬できる先輩がたくさんいます。

日本中、世界中に。


これは紛れもなく旅が与えてくれたものです。


この人との繋がりこそが人生の宝だと信じて疑いません。



そして面白いことに、大人から白い目で見られる旅ってやつも、ずーーーーっと続けていたら本も出せるようになれるし、たまに町で写真撮ってくださいなんて言われるようにもなるもんです。


周りからどんなにくだらんと言われることでも、何事も信じてがむしゃらに取り組めば、いつか何かの形になり得るんじゃないでしょうか。







ずーーーーっと1人で旅してきて、旅は1人でするもんだと思っていたけど、今はやっと一緒の歩幅で旅ができる人が見つかって結婚までして、本当に旅してきて良かったなって思います。


今回の旅が最後になるのかどうなのか。

さすがに結婚までしたんだからこれまでのようにはいかないだろうけど、これからも2人のペースで、旅を楽しんでいけたらと思っています。


もー今までみたいな過酷なことはしたくないですけどね……………

津軽海峡泳いで渡るとかただのアホですよ……………





こんな僕らですが、どうぞこれからもよろしくお願いします!!


ちなみにカンちゃんの若いころはこんなの。








あ、あと日本の旅ってめっちゃ楽しいですよ。海外旅が大好きなかたも1度日本一周やってみてはいかがでしょう?


あー!!三沢のバラ焼き食べながら瓶ビール飲みたいいいいいい!!!!




ていうか今日のあがりは2時間で70ポンド!!10000円!!


あの頃も今も元気に歌ってるぞー!!






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