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僕の旅の原点。日本一周 前編

2017年1月24日(火曜日)
【スコットランド】 ソルトコーツ





昨日のブログを書いていて、原点に戻ってくださいという読者さんの言葉に、ふと日本の旅のことを思い出しました。



iPhoneの写真フォルダに入っている日本一周の時の写真を見返してみるとすごく懐かしいものがたくさんある。

青春の全てを捧げたあの日本一周こそが僕の旅の原点。


今でこそ世界2周目っていう旅をしているけども、あの頃の俺には日本一周もそれはそれは壮大な旅でした。


いつも海外の旅のことばかり書いているので、たまには日本の旅のことも少し書いてみようかな。














日本一周をしたいと思い始めたのは多分高校生くらいのころからだったと思う。

漠然とだけど、とにかく知らないところに行きたいという思いだけがあって、ヒッチハイクして色んなところに遠出するようになっていった。

ちょうど同じ頃に、路上で演奏したらお金がもらえるということを知り、得意のギターを持って夜の街に出るようになりました。


これなら自分で稼ぎながら色んなところに行けるやん、と思い、それから夏休みとかを利用してヒッチハイクして野宿しながら九州中を歌い歩くように。


知らないところに行く興奮と孤独感は、小さな町で育った田舎の子供をガッツリ虜にしました。










そんな思いは高校を卒業してからもどんどん大きくなっていき、どうせならスケールでかく日本の全てを見てやろうじゃねぇか!!と思って、日本一周をすることを決意。

金を貯めるためにとび職のバイトをしました。



ご想像通り、とび職なんて暴走族引き取り所くらいの職種なのでとにかく恐ろしい人ばっかりで、10代の田舎育ちには衝撃の毎日。


それでも頑張って働き、先輩にネオン街に連れて行ってもらって夜の遊びを教えてもらい、キャバクラ行きまくって給料使いまくってまた怒られながら働いて、フオオオオオオ!!!不毛おおおおおお!!ってなりながらもやっとのことでお金を作り、有り金はたいて日本一周用の車を買いました。




そしてようやく出発の日が来て、数枚の着替えが入っただけのバッグとギターを持って宮崎県を出発。

最初の目的地は沖縄。


1番下からスタートして、グルッと一周して宮崎に帰るというごくシンプルだけど完璧なルート。


旅の資金は路上で稼げるだろう。もしキツかったらバイトでもなんでもやってとにかく面白い経験をしまくってやる。


というめっちゃ漠然とした計画。



最初は車は持って行かず、沖縄はオールヒッチハイクでいくことにした。


あれは20歳の夏。

所持金は1万円。

鹿児島からのフェリーの甲板で潮風を浴び、怖いほどの開放感に震えたものだった。


あの日が僕の旅人生が始まった日。

















沖縄に到着し、とにかく金を稼がないと死ぬと、国際通りで路上をやった。

しかし稼げない。

まだ20歳の経験不足な若僧の歌では、音楽が盛んな沖縄では誰も足を止めてくれない。



そしてまったく稼げずに夜中の町をさまよった。

金はない、寝床もない、行く場所もなんにもない。

腹が減ってどうしようもない。


おまけに記録的な台風が直撃して、一晩中建物の影で座り込んで雨に打たれて、マジでひどい旅のスタートだった。






とにかくマジでこのままじゃ死ぬと思い、町で見つけたバイトの求人広告に応募して仕事をゲット。

同時に1泊1000円という安宿も見つけた。

当時ゲストハウスなんてものの存在すら知らなかったので、そんな安い宿がこの世にあるんだ!!とビビったものだった。





そして、これまで親との旅行で行く旅館やホテルしか知らなかった田舎育ちにとって、沖縄の安宿はもう異次元そのもの。


ウルトラ汚い広間に、ウルトラ汚いヒゲもじゃでなんかダボダボの服を着た旅人たちがひっくり返っており、宿の壁には【一緒にイカダ作って島巡りする仲間募集】とか変態的な言葉が書かれており、超絶カルチャーショック。


もちろん部屋は2段ベッドが並ぶドミトリーで、こんなとこで寝るなんて頭のおかしい囚人みたいだ!!と思ったなぁ。


こ、これが旅人たちというものなのか…………と呆然としたものだった。




その後、数え切れないほど泊まることになるゲストハウスというものに最初に出会った日。

宿の名前は南風で、トマリンの近くにあったんだけど、今もやっているのかな。













沖縄のゲストハウスには本当に色んな人がいた。

純粋に沖縄旅行をしに来てる若者たち。
まったりしてるヒッピーたち。
逃亡犯のように素性を隠してひっそりと暮らしてるおじさん。
もう何年もこの宿にいるというヌシの爺さん。


沖縄には旅人が多い。

そしてみんなかなりクセが強くて、変な人ばっかりだった気がする。



そんな宿でもなんとか若者たちと友達ができ、ない金をはたいてオリオンビールを買ってみんなで飲んだりした。


僕はインドの山奥で4年間、滝に飛び込んだりして遊んでいたんだよ、とか、高橋歩のゲストハウスには行くの!?とか、ゆうべ東京から来てる女子大生とエッチしたぜ、とか、俺地元じゃマジ喧嘩無敗、とか、そんな会話が飛び交っていた。













ヤンバルの山奥で豚の餌やり、泡盛工場の手伝い、サトウキビ狩りなど、とにかくバイトもこなすことができて生きていけるだけの金も手に入り、それから八重山の島々を巡り、波照間の日本最南端まで行き、そこから北上の旅が始まった。

もちろん与那国の最西端も忘れずに。







西表島のお祭り、節祭。(しち)ミルク様カッコよかった。







雨でバイトが休みのときは旅人に教えてもらったヘンプアクセサリーを作って路上で売ったりしてた。








たまに売れた時は、え?マジで売れたし………ってなったなぁ。

















奄美大島、宝島、中之島、屋久島、種子島を巡り、本当にたくさんの地元の人たちと出会いながらの南の島旅が終わり、宮崎に戻り、そこから車中泊の旅がスタート。


大分、福岡、山口、岡山、鳥取、兵庫…………書くのめんどくさいな。47都道府県全部行ってます。





日本三大奇祭、西大寺裸祭り。この中で揉みくちゃになってます。







阪神が18年ぶりにリーグ優勝した時、ひっかけ橋の上で揉みくちゃになってました。






醍醐寺の大閤花見行列。







嵯峨野の化野念仏寺。







岸和田のだんじり。ライブで地元のおじさんが銀蠅みたいな格好してだんじりロックっていう曲を演奏してた。










周りかたとしては、まず新しい県に入ったら本屋さんでるるぶかマップルを買います。

それぞれの県のガイドブックですね。


このふたつってマジで最強なくらい県下の観光地を有名どころも穴場スポットも網羅してるので、これさえあれば観光に関しては無敵です。


当時はまだiPhoneとかなかったですからね。

ネットで調べることもできなかったので、このふたつの本はマジで重宝しました。



それから県の商工会議所あたりに電話して、向こう1ヶ月くらいの県内でのイベント、お祭り、行事情報を教えてもらいます。

さらに大好きな焼き物の窯元やお酒の蔵元もリストアップ。



それぞれの場所と日程を考慮してルートを割り出したら、あとはひたすらズバアアアア!!っと回りまくる!!!

毎日毎日、親の仇のごとく名所に行きまくってました。



そうしてだいたい平均1ヶ月くらいかけてひとつの県をコンプリートしたら次の県へ進むという感じです。

日本のすべてを見てやる!!という思いでスタートしましたからね、大きな街も、山奥の秘境も、とにかく気になるところはとことん行きました。



初めて行った東京では、あまりの都会っぷりに衝撃を受けてこんなとこ人の住むところじゃない!!って思ったもんです。








そうして金が無くなってきたらまたどこかでバイトをする。


本当は路上で稼ぐという計画だったんだけど、あの時は本当ビビってました。

初めて1人でどんどん遠い見知らぬ土地に行き、自分の演奏に自信が持ててなかったんです。



勇気を振り絞ってたまに路上に出ても、酔っ払ったオッさんに、下手くそ!!やめろやめろ!!なんて言われて鬼のように凹んでました。


まだ20歳そこそこで下手っぴだったし、知らない土地で自分の音楽が通用するかわからなくて怖くて、日本一周の最初のころはほとんどバイトで旅資金を稼ぐという感じでした。



でもそうしたバイトの経験もすごく新鮮で真新しく、貴重な勉強になりました。




★引っ越し屋さん

マジで死ぬほどキツかった。2度とやりたくない仕事。

印象に残ってる言葉
「家具落とすなら足の上に落とせや!!」





★ホスト

大阪のミナミでやったんだけど、夜中の心斎橋には本当に色んな珍獣がいてすごく刺激的で面白かった。

印象に残ってる言葉
「客は風俗に落としてナンボやぞ!!」





★鳶

大阪の寝屋川でヤクザまみれの鳶会社で働いて人生初めての500円玉くらいのハゲができた。怖かった…………

印象に残ってる言葉
「キャアアア!!金丸君止めてえええ!!」
(先輩が町で若者を血祭り中)





★ブレンディ

山の中の倉庫の前で、100人くらいでひたすらブレンディのボトルに傷がないかチェックし続けるというこの世の終わりみたいなバイト。

印象に残ってる言葉
「なし」
(無の境地に入ってたから)





★キウイビニール引っ張り

川崎の工業地帯にある港湾に連れて行かれ、そこでひたすらキウイが入ったダンボールの穴に指を突っ込み、中のビニールを5センチほど外に引っ張りだすという、これ続けてたら鎬昴昇並みの紐切りの使い手になれるバイト。

印象に残ってる言葉
「指にサポーター巻いといたほうがいいですよー。」







他にも色々やったけど、まぁ社会勉強なったよなぁ。

世の中や日常に不平不満を垂れ流しながら、ずーっと派遣で工場のライン作業して、日替わりでやってくる新人に人生語ってイキリたおすおじさんとかを見て、俺はぜってーこうならねぇって思ったもんだった。

今は思いませんけどね。若い頃はそんなもんです。






富士山。







5年に一度の北茨城、御船祭り。







那須高原、御神火祭り。







岩手県水沢の飲み屋街。







五所川原立ちねぶた。







八甲田のどっかの温泉宿。






八戸、三社大祭。






竜飛崎の階段国道。






へべぐなる!!ってなに?










そんなこんなでようやく東北に突入し、みんな何言ってるか全然わからん訛りすごすぎビビるーって思いながらも美味しいお酒や歴史ある建造物に感動しつつ、ひたすら北上。


そしてとうとう北海道に渡る日が来ました。


ここでひとつ面白い計画を立てていたんですが、北海道に行くのに根性で津軽海峡を泳いで渡ってやろうという超意味不明なことを考えていました。

結果死にそうなのでやめました。


いやー、友達に函館まで来といてもらって海峡を見張ってもらい、俺は腰にビニール袋に入れた発煙筒をくくりつけて泳いで、ヤバくなったら発煙筒を焚くという誰も何も得しない計画を立ててたあの頃の自分が結構好きです。


なんかしたかったんですよね。


その後もただ旅をするだけじゃなく、旅の中で色んなチャレンジをするということを目標のひとつにして回っていました。















ついに渡った北海道はとにかく道が広くて真っ直ぐで、本州とはまったく違った開放感のある雄大さにとにかく旅してる実感がほとばしりまくりました。


北海道やべえええええ!!って感動しまくりで、味噌ラーメン食べてやべえええええ!!!ってなって、車がぶっ壊れてやべえええええ!!!ってなりました。


タイプの違うエンジンオイルを入れてしまったことでエンジンが爆笑レベルなことになってしまい、アクセル踏んでないのにいきなりブオオオオオオンン!!!って回転数マックスになって死にました。



これまで一緒に旅した愛車が………って悲しんだけど、とにかくこいつは新しい車をゲットしなければいけないというところで出会ったのが富良野のご家族でした。


車を買うために働かないといけないことになったんだけど、その働き口を富良野で見つけてくれ、その間住む借家も見つけてくれました。


仕事が終わったら毎日のように家にお邪魔して晩ご飯をご馳走になり、1人娘のヒロちゃんからはお兄ちゃんと慕ってもらい、本当に家族のように接してもらいました。


どこの馬の骨かもわからない流れ者になんでこんなに優しくしてくれたのか、その理由はおばちゃんが若い頃に流産をしていたことでした。

もしその子が生きてきたら俺と同い年だったということを知り、本当涙が出そうなほど色んな感情が込み上げました。


遠い遠い北海道の真ん中にある富良野という小さな町で、こんなにも本当の家族のように思える人たちが出来たことが奇跡のように嬉しかった。

人生不思議だなって思えたものでした。













富良野、千石食堂の味噌ラーメン。僕の中の日本ラーメンランキング、1位。







そんな富良野での生活は、本当に北の国からの再現みたいな日々で、借家に帰れば玄関の前に近所の人が置いていってくれたメロンや野菜があったり、食べきれなかったらそれをいつも通ってた食堂に持って行ったり、素朴な田舎の日常に心から安らげた。


新しい車は冬に手に入ったんだけど冬に動くのはダメだということで、結局富良野には1年も滞在することになった。



夏は緑と花畑、ラベンダー畑が咲き誇り、

秋は紅葉で山々が萌え、

マイナス30℃になってダイヤモンドダストがきらめく静寂の冬には凍った湖にワカサギを釣りに行き、

やがて雪解けの時期になると遅い桜が残雪の中で可愛らしく咲く。



日本中を見て回ったけど、どこが1番良かったと聞かれたら迷うことなく北海道。富良野です。

富良野はマジで楽園です。












そんな1年滞在した富良野。

せっかく時間があるんだから、この富良野で面白いことをしたい。

そう思い、さっきも書いた旅中のチャレンジってやつをやることにした。




それは、旅人が集まれる秘密基地みたいな場所を作ること。

沖縄でゲストハウスに行き、日本中から集まった旅人が色んな情報を交換し楽しく語り合う、そんな場所を日本のどこかに作れたらいいなと旅しながら思っていたんだけど、富良野はまさにうってつけの場所だった。


小さな小屋でいい。この大自然が広がる富良野のどこかに、そんな旅人たちの秘密基地を作りたい。



そしてすぐに行動に移し、原野を見て回ったり、知り合いに土地の持ち主を聞いたりして、色々目星をつける日々。



そんなある日に、1人のおじさんを紹介してもらい、話をしに行ってみた。

おじさんは富良野の町からちょっと離れた芦別岳の麓で1人で暮らしている、地元の人から変わり者と呼ばれる人だった。


僕がおじさんの家でこんな場所を作りたいんですと一生懸命説明すると、おじさんは家の横にある農地の一角に連れて行ってくれた。


そこは無数の鉄くずなんかの雑品が山のように積まれたゴミ置場みたいになっていた。



その鉄くずの山の中に、大きなバスが埋もれていた。



これ………いいんじゃないか?


バスを改造した秘密基地なんて最高じゃんか!!!!


これ使ってもいいですか?!と聞くと、好きに使ったらいいべやーと言ってくれたおじさん。




車に乗り込んで家に帰る途中、マジで人生で最強のガッツポーズと雄たけびをあげた。

震えるほど嬉しかったのを覚えてる。


くだらんことかもしれんけど、熱くなれるものを見つけた時、こんなに血がたぎるんだなって実感したもんだった。











と、書き出したらめっちゃ色んなこと書きたくなってくるな。


ちょっと長いので続きはまた明日書きます。

僕の旅の原点である日本一周はここからさらに勢いを増して転がりだしました。














あ、今日の日記ですが、海沿いの小さな港町、ソルトコーツのホコ天で歌って今日のあがりは2時間で83ポンドでした。11800円。


















あの頃も今も、ずーっと同じ旅の空の下。





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