スポンサーリンク オンザロードアゲイン 4章 2023/9/2 双子子育て 飛行機は無事、着陸した。通路を進み、イミグレーションに到着すると、新しく取り直したまっさらなパスポートにスタンプが捺される。弦を張り替えたギター、荷物を詰め込んだ古びたバッグパックをレーンで受け取ってゲートを出るとそこは懐かしいドイツだ。背の高い白人たちが行き交い、あの独特な発音のドイツ語が耳に入ってくる。白人の流れの中にいると、ずいぶんと昔にここを1人で歩いていた記憶が蘇ってくる。あんなに世界中を旅していたのに、今となってはとてつもなく遠いところまで来てしまったという心境に若干緊張してしまう。かろうじて覚えているドイツ語の看板を見ながら通路を歩き、電車に乗ってフランクフルトのハウフトバーンホフまでやってきた。そしてバスに乗り込み、街の中心部へと向かう。走るバスの窓から見えるのは石造りの壮麗な街並みだ。大きな教会や石畳のショッピングストリート。活気にあふれた中世の洗練された美しい街並み。あの頃、俺はこの街の中を汚いバッグパックを背負い、汚いギターを持ち、汚い髪の毛と汚いヒゲでさまよっていた。野宿をしながらその日の食い扶持もままならない毎日ではあったけど、若い日の俺は旅の刺激に震えながら歩き続けていた。空気の匂いがあの頃を思い出させる。頭の中のモヤが晴れるような、そんな新鮮さだった。バスを降り、地図を頼りに目星をつけていた宿にやってきた。ボロいドアを開けて中に入ると、そこには若者たちでいっぱいのレセプションがあった。みなヨレた服を着て、金のなさそうな雰囲気だけど、明るく、楽しそうに旅の話をしている。泊まるのはもちろん豪華なホテルなんかではなく旅人ご用達の安宿だ。今も昔も、安宿にはこうした金のないバッグパッカーがいるもんだなと嬉しくなる。こんな若者たちの中に1人おじさんが迷い込んで場違いじゃないかなと少し肩身は狭くなってしまうけども、昔だって、この人どんな人生送ってるんだろう?って不思議になるような世捨て人のおじさんがどこの安宿にも住み着いていたもんだ。いやぁ~俺がレバノンにたどり着いた時はだなぁ~!!やっぱりインドは北なんだよ~!なんて風に若者にこれまでの自分の旅の武勇伝をひたすら語り続ける面倒くさい安宿のヌシ。うんうん、俺はそうならないように気をつけないと。それにしてもあの頃と違うのは、みんな宿の共有スペースでパソコンやスマートフォンを触りながら旅の情報を調べていて、どこを見てもガイドブックや情報ノートらしきものが見当たらないこと。昔はボロボロの情報ノートが宿のどこかに置いてあって、みんながそこに自分たちの旅のルートや情報を記し、それを次に来た旅人が参考にしてルートを決めたり日程を組んだりしていたものだ。あのころの旅人にとってなくてはならない貴重な情報源だった。それくらいインターネットのない時代の旅は情報が乏しかった。いまや海外の旅もずいぶんと楽になったもんだ。俺たちのころはもっとこう泥臭くて現地の人との繋がりがあってトラブルになったときの対処で旅人の真価が問われて…………って、うん、面倒くさい武勇伝を語るヌシみたいにならないようにならないように。受付で鍵をもらい、男臭い体臭が漂うドミトリー部屋のベッドのひとつに荷物を降ろした。10人ドミトリーの部屋の中にはそれぞれのバッグパッカーの荷物が散乱しており、みんなベッドの淵に靴下をひっかけたりシャツをひっかけたり、まぁとにかく汚い。でもこれも懐かしい旅の光景だ。荷物を置き、軽く荷ほどきをし、内ポケットの奥に入れてある書類ケースを取り出した。防水のジップロックに入れたこの大事な書類。それはサハラ砂漠マラソンのエントリーシートだ。とってしまったんだよなぁ…………と思うと、もう後戻りすることができない実感が湧いてくる。参加料の40万円はすでに支払っているのて、あとはこのエントリーシートを持って開催地であるモロッコのパリーワルザザードまで行かないといけない。マラソンの開催日は4月の頭、現在が11月10日。あと約5ヶ月。あと5ヶ月でモロッコだ。書類をジップロックに戻し、バッグの中にしまった。一息つこうと共有スペースに戻って無料のコーヒーにお湯を入れる。その時、向こうのほうにアジア人のグループがいることに気づいた。若い男女4人でワイワイと笑っていて、綺麗な服装だ。するとその中の1人の男の子がこっちに気づき、近づいてきて声をかけてきた。「こんにちはー、日本人っすかー?」4人組の中のリーダー格というか、1人堂々とした雰囲気で、チャラい見た目だ。「ああ、そうだよ。君たちは大学生?」「そうですー。来年から就職なんで卒業旅行みたいなもんっすね。おじさんは1人旅なんすか?」「そうだよ。」「へー、そうなんすねー。おじさんがこんな安宿のドミとか珍しくないっすか?ははは!!どんな感じで回ってるんすか?」「…………んー、そんなに日程は…………決まってないかな。」「え?そんな感じっすか?いいなー!羨ましいー、帰りの決まってない旅とかしてみたいわー!!え?なんか行き先とかあるんすか?見たいものとか。」「まぁ…………最終的に目指してるのは…………モロッコかな。」「モロッコ?へー、雑貨とかオシャレっすよねー。え、じゃあフリックスバスとかで目指す感じっすね。」「フリックスバス?」「え?知らないんすか?!フリックスバスとかネットで取ったらめっちゃ安いんですよ?!セールとかだと何百円とかで乗れるんすから。」「そうなんだ…………あんまりそういうのはわからないからね…………それより君たちはどんな旅行なの?」「卒業旅行なんすけどねー、来年から就職とかマジ憂鬱っすわー。なんかこのままでいいのかなぁとか思うんすよー、男として。まぁ仕方ないし大学生活も残り少ないんで友達連れてヨーロッパ旅行って感じっす。ハーイガイズ。ワッツアーップ。」ドミトリーに入ってきた若い欧米人旅行者に気軽に声をかける彼。「やっぱ外国じゃこれくらい積極的じゃないとダメんなんすよね。僕が思う旅の醍醐味ってー、ローカルとの出会いだと思うんすよ。外国じゃ日本人の常識とかマジ通じないし。」彼の若さを微笑ましく感じられるようになってる俺もずいぶん歳をとったもんだ。「そうだね、俺もそう思うよ。」「あれ?おじさんギター弾くんすか?」「ああ、そうだね。ちょっとだけ。」「マジっすか?俺も前にバンドやってたんすよね。でももう俺もいい歳になったしやめちゃったんですけどね!このギターってアレっすか?やっぱ旅はギター、みたいな感じっすか?でもギター持って旅ってめっちゃ荷物じゃないっすか?」「いや、まぁ…………俺は路上で弾いたりするから。バスキング。」「え?バスキング?」「路上で弾いて、通行人にお金を入れてもらうこと。それでお金を稼ぎながらモロッコまで行こうかな………ってね。ヒッチハイクしながら。」「…………あー、そうなんすねー、へー。まぁ頑張ってくださいー。」なんか白けたような顔をして仲間のところへ戻っていった彼。こっちをチラチラ見ながら笑っているのがわかる。おおかた変わった旅人気取りのオッさんが若者に大ボラ吹いていきがってるみたいに思ってるのかな。いかんいかん、俺としたことが、これじゃあ安宿のヌシそのまんまだ。若者は謙虚でないといけないっていうけど、年寄りのほうが謙虚でないといけなさそうなもんだ。とにもかくにもギターを持って街に出た。これから5ヶ月かけてモロッコに向かうわけだけど、5ヶ月もあれば充分なので、一直線には向かわずに懐かしい思い出の場所を回りながらあのころの旅を感じてみたい。そのためには旅費を稼がないといけない。昔の感覚のままお金をほとんど持たずに来ているので、しっかり路上で稼がなければ飯を食うことができない。まぁきっと大丈夫。昔とった杵柄だ。路上での旅なら誰よりも分かってる。ただあの頃みたいにギターを弾いて歌を歌えるのかが心配ではあるけども。体力もだいぶ落ちてるだろうし。懐かしいヨーロッパの街並みを眺めながら中心部を目指していくと、歩行者天国のショッピングストリートがあった。かつてはここが俺の仕事場だった。車の通らない、石造りの建物に挟まれたヨーロッパのショッピングストリートは、静かで音が響いて路上演奏にピッタリだ。そしてヨーロッパにはストリートカルチャーというものがしっかりと根付いていて、どの街に行っても様々なジャンルのパフォーマーが街角で腕を振るっている。クラシック音楽、アコーディオン弾き、サックス吹き、絵描きもいるし、ダンサーもいるし、サッカーボールのリフティングで曲芸をやってる人もいる。身体中に色を塗った状態でピクリとも動かずに銅像になりきるスタチューパフォーマンスは昔から定番だ。ほらほら、今でもあちこちにパフォーマーが陣取っている。みな、前に入れ物を置き、それにチップの小銭を入れてもらって稼いでいる。日本だとこうした路上パフォーマンスは、夢見る若者が有名になるためにやってるものっていう解釈だったり、下手したら物乞いと同じもんっていうふうに見る人もいる。たしかに、長いこと日本の田舎にいるとそういう感覚も分かる。会社に勤めて毎日一生懸命汗水垂らして働くのが健全な社会人。道端で芸を披露してお金を恵んでもらうなんてみっともない、って思う人の気持ちも分からんでもない。でも、世界の路上は違う。アメリカでも南米でもアジアでも、路上で芸を披露して金を稼ぐバスキングってやつはひとつの文化として確立されているもんだ。そうしたフェスティバルも開催されているくらい。成熟した芸術の地域であるヨーロッパは、本当に路上が受け入れられている。さぁ、俺もバスカーたちに混ざって久しぶりの路上をやるぞ。と、意気込んではみたものの…………なかなかギターが取り出せない…………うー、なんてビビリなんだ…………いや、もう何十年も路上で演奏してないんだから怖くなってしまうのも仕方ないよな…………昔はあんなに躊躇なく道端やら市場の中やらレストランの中やらで歌っていたのに。南米ではバスの中でも歌ったりしてたこともある。市バスに飛び乗っていきなり歌ってお金を回収して降りていくなんて、今考えたらなかなかの変人ぶりだ。ふぅ…………落ち着こう。そうそう、向こうのほうで一生懸命歌ってる兄ちゃんのギターなんてまずチューニングが合っていないじゃないか。あっちの角にいるお爺ちゃんクラリネット吹きも今にも倒れそうな雰囲気だ。まぁお爺ちゃんがクラリネットを吹いているあの光景がまたヨーロッパの街角に味を加えてるんだけど。うん、自分より下手な人を見て安心しようなんてダサいことやめて早いことギターを開くぞ!!お店の閉まってる壁際に場所を決め、思い切ってギターを取り出した。アジア人のオッさんが道端でギターを構えている光景はなかなか珍しいようで、チラチラとこちらを見ていく人々。ふぅ、落ち着こう落ち着こう。大丈夫、ここはヨーロッパ。頭のおかしなオカマがいきなり全力でガンズを熱唱しだしたとしても誰も何も言わない。それがヨーロッパ。そうだよ、俺ごときがビビってどうする。ふぅと深い深呼吸。よし、気合い入れていくぞ!!!!そして一声目で声が裏返った。ヒイイイイイ!!!あまりにも恥ずかしくて顔を真っ赤にしてうつむく。ぐおおおおお…………恥ずかしすぎる…………こんな場所でいきなり声を裏返して俺は一体何をやってるんだ…………でも恐る恐る周りを見渡してみても、俺のことを見て笑ってる人なんていない。ふぅ…………そうそう、気にしすぎだよ。俺は俺のペースでゆっくりいこう。ゆっくりリハビリしながら勘を取り戻していこう。1曲目に選んだのはハートオブゴールド。俺の昔からの旅のテーマソングだ。ギターを鳴らし、ハーモニカを吹き、声を出す。周りの建物に音が響き、ちょうどよく伸びていく。ひどい声だ。あの頃みたいな高くて澄んだ声とはあまりにも程遠い。音程も不安定だし、早速喉がかすれて痛くなってきた。指先もすぐにめちゃくちゃ痛くなってきた。全然ギター弾いてなかったからな。コードチェンジも昔みたいにスムーズにいかなくてもどかしくなる。でも歌の歌詞だけは不思議と体が覚えていて、スラスラと意識せずに出てくるのが嬉しかった。俺の中にまだあの頃の積み上げたものがわずかでも残っていることに救われた。歌い終わると、小さな女の子がテクテク歩いてきて、ぽとりとギターケースに1ユーロコインを入れてくれた。そして可愛い目で俺のことを見上げ、タッタッタと走って向こうにいたお母さんのところに戻っていった。お母さんは子供の頭を撫でながら俺のほうを見て、いい曲ね、と言って親指を立てて歩いて行った。あの頃の記憶が蘇ってくる。遠い遠い、果てしない旅のど真ん中にいたころの自分。ギターを鳴らし、声を出す。息を思いっきり吸い込んで、ずっと動いてなかったような肺の隅々にまで新鮮な空気を入れて押し拡げる。指はたまらなく痛くて血が出てきそうなくらいだけど、その痛みが愛おしかった。またあの感覚を取り戻せるのかと思うと、もっとこの痛みを感じていたかった。気づけば周りには数人の人が足を止めて演奏を聴いてくれていた。笑顔の人、一緒に歌を口ずさんでいる人、体を揺らしてる赤ちゃんもいる。うん、まだまだ俺も捨てたもんじゃない。でもまだまだこんなもんじゃない。もっともっと感覚を取り戻していい演奏をしよう。あの頃よりもいい演奏が、きっと今でもできるはずだ。とても生きてる感じがした。最後の曲を終えると、通りに拍手が響いた。向かいの建物の3階に住んでいるおばちゃんが、窓を開けてブラボーよー!あなたこれから毎日そこで歌わないといけないわー!と言い、観客から笑いが起こる。たくさんの人たちがチップを入れてくれ、1人1人にありがとう、ダンケシェーンと笑顔でお礼を言う。日本から来てるの?この街にはどれくらい滞在するの?とみんながフレンドリーに話しかけてくれ、俺もなんとか昔を思い出しながら英語で応える。ずいぶん久しぶりの英語で、昔みたいには上手く単語が出てこないけど、ある程度はまだ喋ることができて助かる。英語もこれからどんどん慣らしていかないとな。ギターケースの中の溜まったあがりに向かって手を合わせ、いただきますと感謝して袋に詰め込む作業も、いつもやっていたことだ。すると、ギターケースを片付けているところだった。「あ、あの…………おじさん。」誰かが日本語で声をかけてきて顔を上げると、そこには宿にいた大学生の彼が立っていた。「ああ、さっきの大学生の。」「路上で演奏するって…………本当だったんすね………………俺、なんかめちゃくちゃ感動しました!!俺おじさんのこと疑ってて、本当にそんな旅なんかしてんのかよ、って。でも……みんなすごい笑顔で、なんかここだけすごくいい空気になってて…………マジヤバかったッス!!」俺もまだまだ若いやつらには負けてられない、なんて言ってちゃ本当におじさんみたいだけど、実際すっごいおじさんなんだからそう思わなきゃ仕方ない。俺は俺のやれる旅をしていこう。ギターをしまい、彼の肩に手を置いた。「お互い、いい旅しような。」荷物を持って歩き出した。彼の元に友達の大学生たちがやってくる。「あれ?あのおじさん、宿にいた人じゃん。」「何話してたの?」「カッケェ………………」「はぁ?」「どうしたの?」ギターを持って歩くポケットの中にはたくさんのコインが入っている。まずこの手に入れたユーロでやることは決まってる。やってきたのは街の中にあるヨーロッパ発祥のファストファッションブランド、ザラのショップ。ここで新しい革靴を買った。そして日本から履いてきた古い靴をゴミ箱に入れる。「男のオシャレは足元が1番大事、だよねカンちゃん。」カンちゃんがいつもそう言っていたよな。残金を数えるとまだ50ユーロほど残っている。サハラ砂漠までの道のり、そしてマラソンのための装備を考えると毎日歌い続けないといけないはず。久しぶりの挑戦と旅の心細さに震えてきて、空に向かって軽く深呼吸した。なんとしてもモロッコまでたどり着いてやるぞ。さぁ、旅のスタートだ。