スポンサーリンク オンザロードアゲイン 1章 2023/8/27 双子子育て 潮騒に混じってお経が聞こえる。ザザーン、ザザーンと寄せては引く音が遠い記憶を連れ戻してくる。規則的な波の音と、規則的なお経の声。夏の太陽がアスファルトが焼き、そこを黒い喪服を着た人たちがやってくる。小さな過疎の港町。この町でたくさん人が集まるところを見るのは葬式の時くらいだ。窓の外、緑の木々がまぶしく梢を伸ばし、蝉の声が聞こえる。すすり泣く音がセミの声にかき消されそうに頼りない。港にある神武天皇お船出の地のモニュメントが、抜けるような夏の青空の下、ずっと昔からそこに立っている。潮騒がザザーン、ザザーンと静かに繰り返している。奥さんのカンちゃんの葬式が終わってから1ヶ月が経った。1人でぼんやりと8月の防波堤の上に座り込んで海を眺める。暑い太陽に、座ってるだけで汗が頬を伝ってくる。遠く水平線に灯台が浮かび、テトラポットに波が砕けている。砂浜には散らばった流木を拾い集めるお爺さんが見える。何年も前からずっとああして流木を集めては火をつけて燃やしているお爺さん。来る日も来る日も、まるでそれが自分の使命のように。あのお爺さんがいなくなったら、この浜は誰も片付ける人が居なくなって流木まみれになってしまうんじゃないかと、ふと思う。流れる汗をぬぐう。葬式が終わり、バタバタとした日々もとりあえず落ち着きはしたが、逆にもうこれで終わりなのか?と思えてきて虚しくなる。俺の大事な人が死んでしまったのに、こんなにもアッサリと町はいつもの日常を取り戻している。まだこんなどん底にいる俺にそっぽを向いてるみたいに。向こうのほうから犬の散歩のおじさんが歩いてくる。小さな町なのでみんな顔見知りで、おじさんは、元気だしないよ、と小さく声をかけてくれた。はい、と答える。テトラポットの向こう、沖に灯台の島が浮いている。子供の頃から見てきたこの風景。あれからずいぶんと時が経って、今まで自分が歩いてきた道がまるでどこかで見た古い映画の中の場面のように、他人事のことかのように思い出される。鮮やかではあるけど、そのフィルムにはもう温度は感じられない。故郷の美々津に戻ってから30年はあっという間に経ち、髪は薄くなり、シワも増え、筋肉も衰えた。人生の知識はそれなりに増えたかもしれないが、60歳という歳になるまでに多くのものがなくなっていったような気がする。カンちゃんとの間に子供は恵まれなかった。それでも2人での毎日はとても充実していた。美々津に戻ってからオープンした居酒屋も生活に困らないほどにやっていけて、休みには色んなところに遊びに行き、町の行事に参加し、小さなコミュニティの中でそれなりに慌ただしく生きていくことは、時が経つことを本当に短く感じさせた。今さらになって、もっともっとカンちゃんとの何気ない毎日に、その価値を感じながら過ごすことができていたならと思う。カンちゃんがどう思ってくれていたのかも、今になればもう聞くことはできない。でも優しいカンちゃんならきっと、フミ君といられて毎日毎日が本当に幸せだったよ、って言ってくれると思う。涙がまた溢れて灯台がにじむ。もうどれくらい泣いただろう。人は愛する人ができると、きっと強くなる以上に弱くなる。「おーい、文武。おるかー。おーい。」夕方、お店の中で1人で飲んでいると幼馴染のゆうきがやってきた。カンちゃんが亡くなってからというもの、まだお店の暖簾は出していない。1人になり、どうせやることもないんだから早く開けようって思いながらも、どうしてもお客さんを入れる気にはならなかった。「おー、いるぞー。」「お前まだお店開けんとや?もう1ヶ月やぞ。寂しい気持ちはわかるけどよ、そろそろ開けてくれんと俺も飲む場所がねぇやん。今日もクーラーの取り付けの仕事行ってきて汗かきまくってるんやからよー。ビール飲むぞー。」慣れた様子で棚からグラスを取り出し、冷蔵庫から瓶ビールをとって注ぐゆうき。「でも…………まだ信じられんよなぁ。こんなにいきなりカンちゃんがいなくなるなんてなぁ。しかも交通事故なんてなぁ………………」「………………」「元気出せよ。また店開けたら気も紛れるやろ。料理作ってたのカンちゃんやったけど、お前も作れんことないやろ。それかバーベキューでもやろうぜ。」「…………おー、そのうちな。」「それか温泉でも行くか?」「まぁ…………そのうちな。」「………………あー、なんか面白ぇことないかなぁ。」「…………お前子供の時からずっと言ってるなそれ。もうそんなねぇやろ。この歳だし。」「あー?まだ60やぞ?いくらでもなんかあるやろ。この店みんなで作った時とか面白かったよなぁ。お前もまた旅出ればいいやん。ギターもまた弾けばいいやろうし。もうずっと弾いてねぇやろ。」「ああ。」「あーあ、なんか面白いことねぇかなぁ。…………とりあえず町のスナックでも行ってくるか。元気出せよ。早く店開けろよー。」勢いよくビールを飲み干すとゆうきは500円玉を置いて帰っていった。このお店を作ったのは30歳の時だった。大阪生まれのカンちゃんと結婚し、久しぶりに故郷の美々津に帰ってきて、この古民家を購入し、仲間や地元の人たちに手伝ってもらって作った居酒屋。寂れた港町には飲む場所がないってことで町の人たちも飲みに来てくれ、平凡だけどこれまでやってくることができた。お客さんの話し声と笑い声に満ちた店内。忙しく動き回る俺とカンちゃん。あの活気に満ちた日々が遠い遠い昔に思えてくる。ひぐらしの声が聞こえる。薄暗い店の中、ぼんやりとテーブルの縁を触った。過疎の田舎町が年に1番賑わうお盆。帰省の人々で車が増え、花火大会と精霊流しが行われ、町が清浄な空気に包まれるこの時期は、かつて水運で活気に溢れていたこの港町の在りし日々をほんの少し取り戻すことができる。築100年以上の古民家が立ち並ぶ町並み保存地区であるこの美々津。漆喰壁、連子格子、石畳の小径の向こうに見える港の岸壁。廻船問屋を営んでいた旧家の前に打ち水がまかれ、猫がゆっくりと歩いていく。まるで時代劇のセットのような町並みだけど、そのひとつひとつが誰かの実家であり、懐かしい故郷だ。花火が打ち上げられ、色とりどりの火花が川面に鮮やかに浮かび上がる。カキ氷を持った浴衣の人々が穏やかな表情で夜空を見上げる。ずっと昔から繰り返されてきた田舎の営み。しかし数日が過ぎて盆も終わると、また町は老人しかいない元の静かな通りに戻る。生気のない毎日を送っていたけども、いい加減掃除でもしようと部屋の中を片付けた。葬式からろくに何もしておらず、掃除なんてずいぶんと久しぶりだったので物が色々散らかっている。このカゴはどこの上にあったっけ。この領収書をしまうところはどの引き出しだろう。カンちゃんがいないと収納する場所もよくわからなくて、情けなくなってくる。すると、タンスを動かした時に後ろの隙間になにかが落ちているのを見つけた。手を伸ばして埃にまみれたそれをつまみ上げてみると、何年か前にカンちゃんが無くした無くしたと言ってたイヤリングだった。お気に入りなのにどこに行ったかわからんー……ってグチグチ言ってたのが、こんなところから出てきた。あーあ、やっぱりカンちゃんやなぁ。こんなところすぐに見つかりそうなもんなのに。ふと、タンスのカンちゃんの引き出しを開けた。懐かしい服がたくさん入っている。新しい服、昔から着てる服、カンちゃんは物持ちがよかった。引き出しの中にはカンちゃんの匂いがまだ残っていて、その匂いがたくさんのことを蘇らせて胸が詰まった。記憶を優しくなでてくる。思い出したかのように押入れを開け、奥のほうのずっと触ってなかった箱も引っ張り出してみた。色あせた懐かしい写真たち。思い出の靴とか、使わなくなったバッグとか、壊れたハーモニカなんかも出てくる。夢中になって、そのガラクタみたいな思い出の品をひとつひとつ手に取った。「うわ、懐かし…………」古いアルバムを開くと、そこには俺とカンちゃんが旅していた頃の写真が挟まっていた。ヨーロッパの町並み、アジアの屋台街、アフリカの地平線、大きなバッグパックを背負った髪の毛の長い俺と、若くて健康的なカンちゃんが、外国の風景の中で笑っていた。押入れの中に座りこみ、ゆっくりとアルバムをめくる。今の生気のない年老いた自分が嘘のように、そこには輝く笑顔の2人が写っていた。俺は26歳の時に旅に出た。持ち物はアコースティックギターと寝袋と数千円のみ。フォークミュージックをやっていたので、ギターを弾いてその稼ぎで世界を一周してやるという、まぁどう考えても無謀な計画だった。路上ライブって物自体は当時のヒッピー文化が盛んだった時代ではそれほど珍しいことではなかったけれども、でもやはりそれだけで世界一周なんて、当時親や友達みんなから絶対無理だと反対され、笑われたもんだった。そうした声を押し切って日本から船でロシアに渡ることができたのは、若さと、楽天的な性格があったからだと思う。現代みたいにインターネットも普及していなくて情報もろくになかったけど、現地で人々に助けられながら野宿とヒッチハイクで放浪する日々。心配していた路上ライブも、ヨーロッパなんかのストリートカルチャーがある地域では思った以上に稼ぐことができたし、それぞれの国で面白い仲間ができ、バッグパッカーというかヒッピーというかそんな友達もでき、たくさんの人にお世話になり、死にかけたことも何度もあったけれど、少しずつ前に進むことができた。そんな旅の中、俺はカンちゃんと出会った。バッグパッカーで女の子の1人旅をしていたカンちゃん。マレーシアのクアラルンプールの屋台でご飯を食べているときに出会い、俺たちはすぐに恋に落ち、数ヶ月一緒に旅をし、そのまま海外で結婚式を挙げた。なにかが欲しくて旅をしていたけど、そこで本当に守りたい大事なものが見つかったと思えたもんだった。スリにあって全財産を失ったり、ビザ切れで強制退去を受けたり、ヒッチハイクの車の中でピストルをつきつけられたり、過酷な状況は数え切れないほどあったけど、なんとか日本に帰国した時には出発から3年の月日が流れていた。世界一周を路上ライブの稼ぎのみで達成した旅人ということで、多少新聞やテレビなんかのメディアに取り上げられ、大きなライブなんかもやったりした。東京を歩いていたら握手してくださいって言われることもあった。伝説の旅人、なんてチヤホヤされるのも嫌な気分ではなかった。あれからずいぶんと時間が流れた。旅をしていたことも、歌っていたことも、人から握手を求められていたことも少しずつ遠ざかっていき、過去の落ち葉に埋もれて記憶から薄れていった。あの果てしない冒険の日々がまるで現実味のない他人事のようでもあり、昨日のことのようも思える。時間はとても静かに、さりげなく過去を灰にしてしまう。いつからだったんだろう。青年時代からあんなに夢中になっていた旅と音楽。それらが自分から離れていってしまった。いや、離れたのは自分自身だ。写真の中のギターを弾く自分を見ていると、忘れかけていた懐かしい焦燥感が、ジワっと胸にじむ。箱の下に眠っている切り抜き写真やライブのチラシをひとつひとつ見ていると、それらに混じって1枚の写真が出てきた。当時の仲間たちと写っているその写真には、3年以内に武道館でライブができなかったらサハラ砂漠マラソンに出る、という雑な文字で書かれたカードを持った俺が写っていた。