2006年12月21日 【鹿児島県】
九州は暖かい。
去年の今頃はスキーウェアをぶくぶくに着込んで毛布にくるまって震えながら寝てたってのに、今日も汗をかいて目を覚ました。
九州は暖かい。
薩摩半島南部の山の中、隠れ里のような小さな町、知覧にやってきた。
ここは出水の町と同じように薩摩藩の外城として武家屋敷の町が構成されていたところで、外城の遺構としては県内で最も当時の姿を残しているところだ。
が、そのため園として整備されているので入園に500円かかる。
パンフの写真を見るとさすがに見事な景観だが、今500円はちょっとなぁ……………やめとこ。
まぁここは武家屋敷よりも見たいものがある。
戦後、知覧帰りといえば軽蔑されたらしい。
それはなぜか。
ここ知覧は神風特攻隊の基地があったところ。
ここから1036名の10代から20代前半の若者たちが、行きだけの燃料と爆弾を載せて飛び立ち、敵艦にぶちあたり散華した。
そのため知覧帰りはお国に貢献しなかった死に損ないといわれたわけだ。
まず最初に若くして散った命を祀ってある特攻観音にお参りして、それから特訓中の隊員が通っていたという食堂、富屋食堂へ。
ここは軍おかかえの食堂で、隊員たちはみなここで飯を食べ、語らい、永遠の別れを祝ったらしい。
そんな彼らの聖地は今は資料館として開放されている。
ここのおかみさん、トメさんは、若くして故郷を離れ死地に赴こうとする青年たちの母親がわりになり、ご飯を作り、悩みを聞き、慰め、特攻の母と呼ばれた。
精悍な体つきに無邪気な笑顔の若者たちと笑いあうトメさんの写真をはじめ、店内にはいくつもの遺品や遺書が並んでいる。
色んなエピソードが紹介されていた。
「おばちゃん、俺ホタルになって戻ってくるから。」
と言った隊員が次の日に飛び立ち、夜にほんとに1匹のホタルが店に入ってきた、とか、後顧の憂いを断ち切って見事飛び立ってもらいたいからと、子供2人とともに入水自殺した隊員の妻の話とか。
胸がマジで痛い。
2階では実際に敵艦に突っ込む特攻機の映像が見られる。
雨のように放たれる迎撃弾をかいくぐり、見事体当たりできたのはほんのわずか。
ほとんどが敵艦に到達する前に打ち落とされ、海の藻屑となった。
無念だっただろうなぁ。
せめて功を立てたかったろうなぁ。
突っ込む瞬間の顔…………
どういう精神状態だったんだろう…………
これがたった60年前の出来事。
写真に写る隊員の達観したかのような笑顔が胸に突き刺さる。
俺はまだこんなにも未熟だ。
そんなヘビーな歴史を持つ知覧を出発し、清水の磨崖仏を見てから、鹿児島市内に入ってきた。
鹿児島市、見るとこありすぎ!!!!!
マップを睨みつけ時間割を決めてから、まずは加世田の維新ふるさと館へ。
鹿児島といえば薩摩藩。
薩摩は江戸時代、江戸、加賀に次ぐ大藩で、代々島津家が藩主として君臨してきた。
幕府からは絶大な信頼を受けており、太平の世で九州の秩序を守ってきた。
時は下り、幕末。
欧米列強のアジア植民地化が進む中、ついに日本にも黒船が来航。
しかし250年の平和にゆるみきっていた幕府は時代錯誤な対応しかできずにいた。
次第に倒幕の気運が高まる中、井伊直弼の弾圧により尊皇派は次々と捕縛。
この安政の大獄により若き志士たちの炎が逆にあおられ止められないものに。
その先頭に立って過激に動き始めたのが、吉田松陰がまいた種、長州の志士たち。
リーダー格の高杉晋作率いる奇兵隊を幕府が攻撃。
その幕府軍の大将が薩摩藩西郷どん。
これにより長州、薩州は最悪の犬猿の仲に。
そんな中、欧米列強に侵略されつつある今の状況で日本人同士でにらみ合ってどうする!!と両藩の仲裁に入ったのが坂本龍馬だ。
もともと西郷どんは幕府の姿勢に疑問を持っていたこともあり快諾。
しかし長州は先の戦いで久坂玄瑞をはじめたくさんの仲間を薩摩に殺されている。
誰があんなボケどもと!!
怒る長州を龍馬は命がけの説得。
そして奇跡的なこの2つの藩の同盟が結ばれた。
これにより一気に形勢逆転。
大政奉還、王政復古、新しい時代の幕開けとなった。
ここまでが維新の歩みだ。
新政府が樹立され、長州・薩摩の実力者たちが明治の実権を握ることになる。
西郷どんもその一員となり政治の世界に身を置くが、不平を唱える侍さんたちの鬱憤を朝鮮に向けるという征韓論で、幼馴染の大久保利通と意見が分かれ、結局西郷どんは政府をぬけ、鹿児島に帰った。
私塾を開き、若者の指導にあたっていたが、西郷どんを慕う若者たちは西郷どんをないがしろにした政府が気にくわん。
さらに、いきなり新しい時代になり廃刀令で行き場を失った侍たちもどうしていいかわからん。
そんな中、私塾生がついにしびれをきらし、政府政策で移送中だった武器・弾薬を略奪するという事件を起こす。
いきりたった九州各地の不平志士たちが西郷どんの元に集結。
もうどうにもならんと諦めた西郷どん。
「こん命、おはんらにやりもす。」
と言い、政府との戦争に突入した。
そして明治10年、西南戦争勃発。
最新武器による政府軍の攻撃で西郷軍は次第に削られてゆき、九州中で転戦を繰り返したが、ついに追い詰められる。
山の中を潜んで敗走する途中、西郷どんは、
「夜這いのごたる。」
と言って兵を笑わせ、励ましたという。
そしてついに鹿児島市内、城山にて西郷どん自刃。
ここで侍の時代は終わった。
維新ふるさと館ではここ鹿児島を舞台に繰り広げられたそうした激動の幕末の歴史を勉強できる。
ていうか西郷どんとかどうでもいいくらい受付の女の子が可愛くて困る。
ふるさと館のある加世田は維新の中心人物たちが生まれ育った場所に建っている。
すぐ裏には大久保利通、少し歩けば西郷どんの生誕の地碑がある。
明治の軍神、東郷平八郎も市内の出身だ。
新政府は『薩長土肥』の人間が牛耳ったわけだ。
夜になり、天文館にやってきた。
あああ、天文館だ。
思い返せば4年4ヶ月前、旅に出て最初に歌ったのがこの街だった。
沖縄に渡る前夜。
不安と期待が胸の中に渦巻く中、ここで歌ったっけ。
沖縄に行き、九州に戻り、中国地方を回り、大阪でホストをして、東京でバイトしながらCDを作り、美香と茨城で暮らし、東北を駆け上がり、北海道の富良野で車が壊れ、雪に埋もれながらバスを改造し、東北を駆け降り、北関東で音楽の面白さを知り、中越の山を巡り、四国お遍路をし、関西でライブ漬けの日々を送り、中国地方を下り、九州に入り………………
4年4ヶ月の日々が頭の中を駆け巡る。
まだ最初の沖縄にも渡ってなかったあの夜。
あそこからあんなにも激動の日々が始まるなんて。
深呼吸をして、にぎやかなアーケードでギターを鳴らした。
俺は成長しただろうか。
これまでの数々の路上が頭に浮かぶ。
チラホラと集まる人。
金は入らなかったが、ここ数ヶ月で1番の歌が歌えたと思った。
翌日。
騒々しい話し声が聞こえて目を覚ますと、窓のすぐ外で作業服を着た人たちが歩き回っていた。
体を起こすとそこは工事現場の駐車場。
まだ7時半かよ。
眠い目をこすって外に出ると、そこにはすごい光景があった。
湾沿いを走る国道10号線の通勤ラッシュの向こうにそびえる桜島が、朝焼けの空に浮かびあがっていた。
なんて雄大な姿だ。
通勤の人たちからしたら毎日見る当たり前の風景なんだろうけど、こいつは日本を代表する景色のひとつだよ。
あああ、すげぇ……………
九州男児たるもの西郷どんや桜島のように大きな男であれ。
通勤ラッシュに乗って鹿児島市内に戻り、キリスト教を日本に伝えた男、聖フランシスコ・ザビエルの来日記念碑、西郷どんが隠れていた岩窟や自刃した地を足早に回り、旅最後の都会を後にする。
旧街道の名残り、白銀坂を歩き、百名瀑の龍門滝に感激しつつ、山を登っていく。
霧島山へ登る国道223号線沿いには温泉が無数にひしめきあっている。
日当山温泉、妙見、新川、安楽など、熊本阿蘇とは違って田舎の婆ちゃんちみたいなひなびた昔ながらの湯治場といった趣の共同浴場がいたるところで看板をかかげている。
そんな中、寺田屋事件により手を負傷した坂本龍馬が、妻のおりょうと湯治をかねて西郷どんのとこに遊びに来た際に入った温泉、塩浸温泉にやってきた。
ボロボロの建物とモルタルむきだしの浴場が温泉好きの心をそそる。
龍馬たち2人はここに入浴してのんびりと霧島山に登り、あわただしい維新の日常を忘れたという。
これが日本で最初の新婚旅行なんだって。
エンジンが空回りしすぎで20キロくらいしかスピードが出ず、後ろに大渋滞をつくりながら山の中を登っていく。
そして見えてきたのは、思い出の霧島温泉だった。
日本一周に出る前に最後にどこかに行こうと、美香と一緒に来たあの日が鮮やかに浮かぶ。
あれは20歳の時。
安い旅館に泊まったんだけど、それでも金のない俺からしたら大奮発だった。
外の居酒屋に行こうと、濡れた髪のまま浴衣で散歩した道は確かこのあたりだったと思う。
美香の手の温もりも、細い肩も、昨日のことのようなのに、もうずいぶんと時間が過ぎた。
高千穂河原は駐車場代だけで410円もするから素通り。
ちょっと行ったところにある霧島神宮に参拝した。
この神宮は約1500年前に建立されたもの。
もとはさっきの高千穂河原に鎮座していたらしく、現在地には約520年前に移ってきたのだそうだ。
山の緑に神殿の朱が映える。
山を降り、福山の町で桜島をのぞむ高台にある坂元醸造にやってきた。
ここは最近の健康ブームで人気の黒酢の醸造所。
高台に登る斜面一帯に醸造用の黒い甕が、眼がチカチカするほど敷き詰められている。
店内では係員さんがこれでもかってくらいていねいに案内してくれた。
血がさらさらになるということなので、酒が好きな親父に持って帰ってやろうと黒酢を2本買った。
それから桜島へ。
溶岩が固まったゴツゴツした台地をかけぬけていくと、夕焼けの中に叫びの肖像があった。
うがー!!と叫んでいるこの巨大な男の横顔のモニュメントは、2年前に行われた長淵剛の桜島オールナイトライブを記念して造られたものらしい。
すげー男だ。
マジでこの旅の中で何回長渕をリクエストされたことだろう。
彼もまたでかい九州男児だ。
夜になり、鹿屋の町に到着。
おー、小さい町だと思ったが飲み屋街はかなりでかい。
忘年会シーズンの人出もおそらく今日・明日がピークだろう。
通りに溢れる活気のある喧騒。
気合を入れて歌い始めると、早速3000円入った。
よし!!いい感じ!!
と、その時だった。
向こうからチンピラ、というかおっさんが肩で風を切って歩いてきた。
「おう!!お前誰に断ってここでやっとるとか!!あー!?」
でた。よくいるんだよな。
こういう、別に自分はテキヤ関係とか地回りの人じゃないのに、飲み屋街の雰囲気にほだされて極道気取りになり、やたらと因縁をふっかけてくるおっさん。
「いや、誰にも断ってないですよ。」
「あーん!!やったらやめんか!!金儲けやがって、どこの人間か!!」
「宮崎ですよ。」
「宮崎のもんが鹿屋でやんな!!帰れ帰れ!!わしゃ3回ムショ行っとるからなー。早く帰れ!!」
「おう、お前何考えとんじゃ。そういうお前はどこのもんか。」
そこにさっきから俺の歌を聴いてくれていたおじさんがズイと入ってきた。
「わしは鹿屋の地元じゃ!!宮崎は◯◯組やろが。あと◯◯組に◯◯組、みんな知っとるわ!!」
「おーおー、わしも知っちょるぞ。スミレ組にタンポポ組になー、」
「ひまわり組とか。」
「何いいいいいい!!」
赤い顔して詰め寄ってきた難癖おじさん。
すると味方のおじさんが立ち上がって難癖おっさんの服を掴んでひっぱった。
「兄ちゃん、気にせんでいいから歌っとけよ。お前ちょっとこっち来い。」
「じょ、上等じゃねぇか。」
「おじさん僕も行きますか?」
「あー、いいいい。こんなジジイ俺1人で充分やかい。」
「早く宮崎いね!!」
2人はネオンの向こうに消えていった。
きっと化けの皮がはがれて急にフレンドリーになるいつものパターンなんだろうな。
その後も歌い続け、深夜の2時にギターを置いた。
おじさん、宮崎にいぬの、あと1日だけ待ってください。
あと少しで終わるんです。
翌日。
晴れ渡る空。
フェニックスや蘇鉄の南国植物が生い茂る、忘れ去られたような有料道路を走る。
駐車場に着き、そこからさらに歩いて15分。
ここは本島最南端、佐多岬。
しばらく歩いて行くと、レストハウスや展望台などの廃墟が木々に埋もれていた。
12月なのに汗ばむ背中。
太陽はジリジリと照りつけている。
この景色に見覚えがある。
そうだよ、高校生の頃、ヒッチハイクでこの佐多岬まで来たんだよな。
あの時はこの水平線の遥か向こうにある沖縄に渡るなんて想像もしていなかった。
今こうして同じ場所から海を眺めている。
でも今眺めているのは沖縄ではなく、遥かその先の見知らぬ国々。
車に戻り険しい山だらけの大隅半島を走っていく。
ファントムはもう限界ギリギリだ。
ガランガラン!!という今にも車体が分解してしまいそうな尋常じゃない異音は1年くらい前からその激しさを増し続けているし、坂道ではアクセルが空転してゴムの焼ける匂いが鼻を突く。
いつ壊れてもおかしくないといわれながらよくここまで走ってくれたもんだ。
内之浦を走っていると、海に面した丘の上に大きなパラボラアンテナが見えた。
古びたゲート。
ここは鹿児島宇宙空間観測所。
中に入っていくと、小ぢんまりとしたロケットの打ち上げ台があった。
近くで見るとそこら中錆びつきまくっていてコンクリ部分も古くくすんでいる。
ひと気はなく、置き去りにされた夢の異物が空に向かっていた。
ここは1970年、国内初で世界4番目に人工衛星が打ち上げられた日本で最も宇宙に近い場所。
資料館では打ち上げロケットの構造や宇宙学についてかなり詳しく紹介してあった。
太陽のエネルギー、果てのない暗闇、長い長い宇宙の歴史を一瞬の命しかもたない人間が解き明かし続けている。
人間はすぐに滅びる。
死ねば全て消える。
一体なぜ人は生きているうちに証を積み上げ、証を残そうとするのか。
宇宙の記憶を探してうねるアンテナ。
人生のマニュアルなんてぶち壊すんだ。
夜になった頃に志布志の町に入った。
ここから15分も走ればそこは宮崎。
ここが日本一周、最後の町だ。
志布志の飲み屋街いいねぇ。
飲み屋街のすぐ裏に無料の共同駐車場があるとか、なんて親切な町だ。
人通りも多いし、路地が細くて歌いやすい。
居酒屋の煙、スナックの匂い、どこからか聞こえるカラオケ、タクシーの排気ガスのすっぱい香り……………
16歳のころからやり続けた路上演奏。
たぶん、これを節目にしばらくやることはないだろう。
数々のドラマをこのネオンの下で見てきて、子供ながらにその不思議な魅力にとりつかれていた。
声をかけてくれた居酒屋『はまの』の大将と一緒に歌った松山千春。
最後の夜が18000円か。
いい路上ができた。
さぁ!!!!
これで向かうは宮崎!!!
……………と、その前に1ヶ所行くべき場所がある。
志布志を出て、夜の山の坂道を登っていく。
あえぐファントム。
全然スピードが出ない。
もうちょっとだ。
もうちょっとだけ頑張ってくれ。
リアルタイムの双子との日常はこちら