2006年12月11日 【長崎県】
小田原の名君、北条氏を倒し名実ともに天下統一を果たした豊臣秀吉。
農民出から天下人にまで登りつめた野心家秀吉の次なる狙いは朝鮮半島の制覇だった。
「みんなで同じ敵をやってけるみゃー!」と国内の士気を統一するのが目的だったというが真相は謎。
その朝鮮出兵の軍事拠点として築かれたのがここ呼子にある名護屋城だ。
ここから何十万人という日本兵が壱岐、対馬を経由し釜山に入り、朝鮮人を殺しまくった。
文禄の役、慶長の役と2度にわたって攻め込み、慶長の役だけでも10万人以上の朝鮮人を殺戮し、耳・鼻を塩漬けにして日本に送っていたという。
しかし結局泥沼状態になり、そうこうしているうちに秀吉病死。
やる気をなくして日本軍退散という形で、このわけのわからない殺戮劇は幕を閉じた。
江戸時代に入り名護屋城は解体され、その廃材を用いて唐津城が築かれた。
当時、大阪城に次ぐ巨大さを誇った城郭も、今はわずかに石垣や土塁が残る荒地となっている。
さて、おそらく旅中最後の島になるであろう壱岐・対馬攻めだ。
呼子の港からフェリーが出ているが、ちょっと出港まで時間があるのでその間に呼子最大の名所、七ッ釜へ。
駐車場に車を止め、細い坂道を下り海の方に歩いていく。
芝生が広がり向こうには真っ青な海が見える。
故郷日向の海を思い出しながら歩いていると、ものすごい柱状節理の絶壁が現れた。
海にそそり立つ洗濯板みたいな玄武岩の崖に、海蝕によるいくつもの洞穴が口を開けている。
すげー。
柱状節理の名所はこれまで数多く見てきたけれど、ここは1~2位を争う景観だ。
呼子に戻り、12時間300円の駐車場に車を止めフェリーに乗船。
まずは壱岐島だ。
片道1850円。
原油の高騰でフェリーの運賃はどこもかなり上がっている。
船内で対馬行きの時間を調べる。
うーん……………まずいな……………
明日のうちに呼子に戻ろうと思ったらどう組み合わせても対馬には3時間30分しかいられない。
しかも早朝5時から8時30分まで。
こりゃ、下手したら2日間野宿だな。
1時間ちょいで壱岐島に到着し、早速ヒッチハイクで向かったのは、島のシンボルである猿岩。
車内で陽気なお婆ちゃんとの会話が弾む。
「わたしゃ若い時、動員学徒で長崎行っとって原爆に遭ったとばい。長崎の都会ん友達に、壱岐は玉転がしたらすぐ海ば落ちらすとやろ?ち馬鹿んされとったばい。ひゃっひゃっひゃ!!!」
元気な婆ちゃんのすげーリアルな話。
もっと原爆のことを聞きたかったが、言葉を選んでいるうちに猿岩に到着した?
婆ちゃんまたね。
うおおおおおおお!!!!!
すげえ!!!!!!!
でけえ!!!!!!!
海にニュッて立っている!!!
猿が!!!!!
キングコングが!!!!!
ニュッて!!!
今にも動き出しそうなほどリアル!!!!!
なめてかかってたけど、こりゃ絶対見ないと損だわ。
1人ぼっちのさびしい海辺でひとしきり大騒ぎしてから、さーて戻ろうかなと歩いていると、すぐ横に戦時中の砲台跡があった。
真っ暗なコンクリートの穴の中に入ってみる。
荒れ果てた雑木林の奥に空いたコンクリートの丸い穴。
今はすっからかんになっているが、大戦中には東洋一の威力を誇っていた巨大な砲台があったという。
ボロボロのコンクリの壁にはくすんだ迷彩柄がわずかに見てとれる。
ずっと奥まで続くいくつもの弾薬庫。
俺がこの島の子供だったら絶対小さい頃に探検したりしていただろうな。
歴史なんて何も知らずに。
昔の遺跡はどんどん風化していく。
犬の散歩ではなく、牛の散歩をしているお爺ちゃんに挨拶しつつ、のどかな田舎道を歩き、やっとこさ通った車に乗せてもらい、港のフェリー乗り場まで戻ってきた。
地元の人に評判の『福寿飯店』でうまい飯を食べ、町中を歩く。
壱岐って結構栄えてるんだな。
飲み屋街もかろうじてある。
フェリーターミナルに戻り、待合所のベンチに寝転がる。
ありがたいことに暖房が入っている。
防寒着を着込んでギターを弾いた。
誰もいない暗い待合所に響くギター。
そして夜中の2時半に対馬行きのフェリーが入港した。
翌日。
フェリーが対馬の港に着いた。
タラップを降りると、島はまだ夜の闇の中だった。
とにかく時間がない。
静まり返った商店街を歩いていく。
こんな絶海の孤島の小さな商店街でもコインパーキングがあることに驚く。
夜の中、赤く光るパーキングメーター。
本州よりも韓国に近いこの対馬。
北部の岬からは釜山の夜景がキラキラと見えるらしい。
ていうかヒッチしようにもこんな夜明け前に車の通りなんてない。
わずか3時間じゃどこにも行けないな。
とにかく釜山の明かりだけは見てみたいと、山に向かって歩いた。
閉じている部分のほうが少ない破れたブーツは非常に歩きづらく、足の裏はすでにマメだらけ。
月明かりが森の中のアスファルトを照らし、先導してくれる。
空がほの明るくなってきた7時。
もうこれ以上進んだらフェリーに間に合わない。
くそ……………なんのために来たかわかんねぇ。
フェリー代片道2330円もしたのに。
朝練のランニングをしている中学生たちがすれ違いざまにびっくりするくらい大きな声で挨拶してくる。
こんな遠い島にだって俺が過ごしてきたような少年時代があるんだよな。
厳原の町に降りてきた。
店の看板には日本語とハングル文字が一緒に書いてある。
国境の島だからな。
ここは韓国からわずか50キロしか離れてない場所。
あー、釜山の町、見たかったな。
対馬藩時代の武家屋敷跡や、石垣の道を出勤の島民に混じって見て回り、フェリー乗り場に戻ってきた。
めちゃくちゃあっという間だったけど、もう日数がないからしょうがない。
まぁ最果て感は味わうことはできたかな。
フェリーで壱岐の芦辺港に到着した。
まだ油断はできない。
2時間以内に反対側の郷ノ浦港まで行かないと呼子に戻れない。
それでも余裕かまして、ヒッチを始める前にちょこっと歩いて少弐公園へ。
ここ瀬戸浦一帯は弘安の役で蒙古軍が4万の大軍で攻め込んできた、いわゆる元寇の古戦場。
当時の壱岐の守護、少弐資時は19歳という若さで恐ろしい蒙古軍を迎え撃ったが、全滅。
その墓や首塚などが残っている。
壱岐には他にも魏志倭人伝でも書かれていたほどの古代の遺跡も出土しており、海の景勝美だけではない歴史のロマンも秘めている。
ヒッチで1発郷ノ浦に戻ってきた。
乗せてくれたのは伊藤ハムのセールスリーダーさん。
お歳暮シーズンで今が1番忙しいらしい。
お中元からお歳暮、暑中見舞いに年賀状。
まったく日本人は忙しい国民だ。
リーダーさんと楽しいおしゃべりをしつつターミナルに着き、フェリーに乗りこんだ。
そんな感じで呼子に無事上陸。
これで佐賀・長崎は終わりだ。
思いがけず時間かかってしまったな。
もうロスは許されない。あと10日で2県。
一気に熊本に向けて走っていると、電話が鳴った。
話しながらイヤホンマイクを装着していると……………
出やがった……………赤い棒を振ってる警察。
「はーい、わかるねー。」
6000円1点。
はぁ…………一体この旅の中で何回捕まっただろう。
何のためのイヤホンマイクだよ。
くそー!
残りもう少しだーーー!!!
【佐賀・長崎編】
完!!!!
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