2006年11月28日 【佐賀県】
4年前、福岡で必ずまた再会して飲もうと約束していた浜ちゃんと、久しぶりに専門学校時代の話で盛り上がった昨日の夜。
「おー、広島も山口も行ったんかい!?平和公園も!?前にあそこの献花台の千羽鶴がかばちな大学生に燃やされてのぉ。あの時は大人たちも怒っとったけど、ヤンキーたちも怒り狂ってのぉ、広島中の族がそいつ探しとったわい。ヤンキーじゃけぇど、あの原爆の部分だけは汚しちゃいけんのじゃわ。」
浜ちゃんの好きなパンクをBGMに朝方まで飲み語り、そのまま浜ちゃんの部屋で寝させてもらった。
次の日、10時に目を覚まし部屋を出た。
浜ちゃんありがとうな。
さぁ!!
こっから九州ラストスパートだ。
玄界灘を望みつつ、山を越えてSAGAに入った。
塙のネタでお馴染みの、九州の中でも『何もないところ』ということで有名な佐賀県。
さて、どこから攻めようか。
まずは吉野ヶ里遺跡にやってきた。
弥生時代の古代都市、邪馬台国伝説の舞台であるこの遺跡。
国内最大級の規模で、『ムラ』から『クニ』へと移り変わった時代の変遷が読み取れる遺物が次々に出土している。
園内には当時の集落を再現した竪穴式住居や物見やぐらなどの建物や、出土品の展示コーナーもあるのだが、駐車場代も入れると700円もするので無視。
九州中の名所は子供のころに家族旅行でほぼ制覇している。
遠いあの日も雨降りだったことを覚えている。
あまりにもつまらなくて1人でさっさと車に戻ったんだよな。
『想夫恋』というヤキソバ屋で腹ごしらえして佐賀市内に入った。
佐賀はマジで同じ九州人でもどういう県かわからないくらい目立たないところ。
どう回っていこうかな。
内閣総理大臣を2度も務め、早稲田大学を創設した偉人、大隈重信の生家をプリッと見てから、次に佐賀城へ。
戦国末期に建てられたお城で、重厚な門をくぐると、きれいに整備された庭が広がる。
テクテク歩いて本丸歴史館へ。
出来たばかりのきれいな建物だが、入館無料というからナイス。
佐賀は昔、36万石という全国で8番目の大藩だった。
江戸初期に鎖国令が出されてからは小倉とともに長崎の警備を任され、それにより西洋の進んだ文化にいち早く触れてきた。
そして幕末、10代藩主の鍋島直正は進んで西洋の強力な武器を取り入れ、明治維新時には『薩長土肥』、つまり薩摩、長州、土佐、肥前と、維新の雄藩の1つとして数えられるほどに新しい日本作りに貢献した藩なのだ。
知らんかったな。
先見の明をもった名君、鍋島直正を祭っている佐嘉神社や松原神社にお参りした。
この佐賀、町中にやってきて分かったけど異常に水路が多い。
沼地に形成しているような感じで、家と家の隙間、道路の下などいたるところにドブ川が張り巡らされている。
目立つ廃屋、電線だらけの空、んー、ノスタルジックな昭和ムード満点だな。
飲み屋街も意外にでかい。
枝分かれしてなく、一直線上に伸びているためやたらと広い。
ひとまず市内を抜け263号線を北上すると、山沿いにいくつもの温泉街があるエリアに入る。
その中の古湯温泉に行き、地元の人たちが集まるひなびた公衆浴場、古湯センターへ。
17時を過ぎると200円という安さだ。
広い湯船にはたくさんの爺ちゃんたちが肩が触れ合うほどぎゅうぎゅうに入っている。
湯につかると、え?温度設定まちがってない?っていうくらいぬるい。
しかしここはそのぬるさが好評で、ついついリラックスしすぎてうとうとしてしまうことから『うたた寝の湯』とも呼ばれている。
俺もついうたた寝。
さっぱり汗を流してから佐賀市内へ戻ってきた。
まだ喉の調子は万全じゃないけど、もう振込みやらなんらやが迫っていて金がない。
長崎に入れば島攻めが多くなるだろうからフェリー代も作らんといかん。
休む暇なんてない。
さぁ、もう1ヶ月きってるんだぞ!!!
翌日。
佐賀市の繁華街、あいけい。
ゆうべは火曜日というのになかなかの人出だったな。
朝のネオン街はすっからかんの風が吹いている。
そんな飲み屋街の中、人を待つ俺。
「よし!!明日FM佐賀に連れて行くかいよ!!明日10時にここに来い!!出してもらえるかわからんばってんが、じゃっどん俺が話してやっかい!!これも縁ったい!!ハッハッハ!!」
ゆうべ演奏を聞いてくれたオッちゃんが言ってたセリフ。
うん、来ねぇ。
ひたすら待ったけどいつまで経ってもオッちゃんが来る気配はないので、昼前に佐賀市を出発した。
佐賀といえばムツゴロウ。
というわけでやつらの生息地である干潟へ向かう。
広大な農地用干拓地が広がる東与賀町を駆け抜け、海沿いの公園に車をとめた。
防波堤に上がってみる。
「おー……………すげー…………………」
目の前に広がる有明海。
しかしそのほとんどが泥沼地帯になっている。
近くに行くと、小さなカニが動き回っていて、無数に空いた穴にサササッと逃げ込む。
強く冷たい風が泥の上を走って吹きつける荒涼とした風景。
展望台に双眼鏡があったのでのぞいてみた。
はるか沖を見てみると、泥の上をピチャピチャ歩きながら様々な鳥が泥の中をほじくりまわしているのが見える。
カニでも食べているんだろう。
小さいやつから、くちばしが自分の体ほどもあるような大きなやつまで、色んな鳥が穴をほじくっている。
人間がいなくたって動物は生きていけるんだよな、なんて考えていると、なにやら足元の泥の中で動いているやつがいる。
よーく目をこらして見てみると、水溜りからにょろにょろと何かが這い出てきた。
あ!!ムツゴロウ!!!!
お腹にある小さなヒレをペタペタ動かして泥の上を這っている。
あれがムツゴロウかー……………
ん?
あれ?
………………あれ!?
気がついてみれば、もう信じられんくらいの数のムツゴロウがウジャウジャと動き回っていた。
干潟はムツゴロウの王国だ。
みんなたくましく生きている。
有明海に面する陸地はここら一帯全部が干拓地。
歴史とともにどんどん埋めたてられ、現在町が形成されている部分も昔は泥地だったようで、1番古い埋め立ては室町時代にまでさかのぼるという。
順々に埋められていったためか、畑の中いたるところに古い防波堤らしきコンクリの壁がとり残されていた。
山側に入り、次に川古にある大楠公園へ。
樹齢3000年という楠の大木の根回りは33メートル。
50メートル走を想像したらハンパな太さじゃないことがわかる。
それから近くにある孔子を奉る日本最古の聖廟、棚田の広がる山道を走り大聖寺にお参りし、一気に武雄市内に入った。
小さな町の駅裏に広がる武雄の温泉街は、1300年の歴史を持つ全国有数の古湯だ。
大きな旅館が並ぶメインストリートを走っていると、温泉街のシンボル、国の重文に指定されている武雄温泉共同浴場の朱塗り楼門が目に飛び込んできた。
まさに千と千尋の神隠し状態。
かつては旧長崎街道の宿場として多くの旅人や大名がこの湯を楽しみ、賑わっていたという。
敷地内にはいくつもの浴場があり、1番安いので300円。
1番高いのが1時間3800円。
これは江戸中期、佐賀藩主の鍋島氏専用のお風呂だったんだって。
由緒正しい温泉だ。
おいしいと評判のギョーザ会館で20時間ぶりの飯を食って、ダッシュで次の嬉野温泉へ。
風格ただよく温泉街の中、やたら目立っているのはいたるところにあるピンクのお店。
九州でも有数の歓楽温泉街だからな。
ここも家族旅行で来たことがあるけど、あの頃はピンクのお店の存在なんてこれっぽっちも知らなかったよな。
嬉野から山を越えて鹿島の町までやってきた。
今日はここでストップ。
路上も今夜はお休みするとしよう。
佐賀は小さな県だ。
5日もあれば終わるだろうが、しかし島があるために日程調整が難しい。
ここは佐賀だけにこだわらず、長崎も一緒に回るとしよう。
「行っちゃえよ!!行く前に子供作って、帰ってきてこの人がパパよって感じでいいやん!!俺はもう栃木の片田舎でボーっとやってるからさ。」
久しぶりに栃木のセンジ君から電話が入った。
「つーかテレビでよー、崖っぷち犬ってのやってたっちゃわー。野良犬が崖に行ってしまって戻れなくなってオロオロしてるのを全テレビ局が生中継してると。野次馬もめっちゃおってよ。下に網張って落として、『あっ!!今犬が落ちました!!無事なようです!!』とか言って周りで歓声があがりよっちゃわ。んで保健所で餌あげて寝てるところ映して『今はすやすやと眠っております。』とかキャスターが笑顔で言いよるとよ。すでに里親募集の電話が80本くらい入ってるんやって。呆れてものが言えんよ。年間30万匹も保健所で殺しまくってるっていうのによ。平和ボケもほどほどにしろて。」
相変わらずだなセンジ君。
そんなセンジ君に美香のお父さんのことを話した。
「無理やり悲しむことないよ。それは偽善者だよ。所詮死んで悲しいのは身内と恋人と友達くらいやって。亡くしたことがなければその辛さはわからんよ。」
正直だよな、センジ君。
俺は美香のお父さんの現状を、心の底から悲しめているのか。
悲しいなら悲しめばいいけど、純粋に悲しめているかどうかはわからない。
美香との関係、お父さんへの責任、いろんな感情から俺は悲しんでいるのかもしれない。
どうすることもできない。
今は美香のことを気遣うことしかできない。
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