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長崎県島原での路上








2006年11月30日 【長崎県】




『日本三大』ってマジでいくつあるんだろう?


そう思いつつ、京都の伏見、茨城の笠井に並ぶ日本三大稲荷の祐徳稲荷へ。




朱塗りで極彩色の装飾が施された建物がとても鮮やか。


鉄筋コンクリートの要砦みたいな神殿にお参りし、海岸線を下る。





有明海に面した町、鹿島市で開催されている『ガタリンピック』という干潟での泥んこ競技大会は全国でもかなり人気で、毎年出場希望者が殺到するほどだという。


会場である道の駅の裏手に行くと、どこまでも広がる干潟の上に桟橋が伸びていた。




海水がだいぶ引いていて干潟の上を歩くことができた。


寂しげな風に吹かれながら歩く。


ムツゴロウを探して歩いていると、もういるいる。


地面全体が動いているように見えるほど気持ち悪いくらいの群れが蠢いている。


ちろちろと追っかけあったり、背びれをいっぱいに広げてケンカしたり、すごくかわいい。





有明海は牡蠣の養殖が盛んで、干潟の向こうに森のように無数のいけす棒が突き立てられていた。

なんとも穏やかな風景。


海岸線を走っていると道沿いに『牡蠣焼き』、『生カキ』の看板。


香ばしい匂いによだれをためながら走り、長崎県に入った。





まずは諫早から島原半島に入り、島原市へ。




そういえば家族での最後の旅行はこの島原だった。


まだ記憶は新しく、町の中にそびえる島原城を両親と一緒に見たのを思い出す。


4万石の城下町の武家屋敷保存地区に入ると、つまらなそうに歩いたあの時の記憶がよみがえる。








石積み塀に囲まれた路地で、中央を水路が流れる美しい景観。

今はこんなにワクワクしながら散策できる。


この景観がどれほど価値のあるものなのかを知ったから。






それから島原城へ。


深いお堀から立ち上がる石垣を抜け、城内へ。


天守閣にあるキリシタン記念館ではその歴史を勉強することができる。



フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教の布教にやってきたのは戦国時代の1549年。

鹿児島に上陸したザビエルは、それから2年間日本各地で布教活動を行い、長崎の平戸にも滞在していた。


南蛮文化を日本のどこよりも取り入れていた当時の長崎。


特にこの島原では藩主自身が洗礼を受け、キリシタン大名となり、布教を全面サポート。

島原半島はキリシタン王国となる。


が、あまりにも信者が増え、一向一揆並みに強大な存在になり始めたことにより、豊臣秀吉によりキリスト教禁止令が出され、信者たちは迫害を受ける存在になる。






対抗するキリシタンたちのうっぷんが爆発したのが島原の乱だ。


天草四郎時貞を大将に半島全体の一揆衆が集結し、次々と幕府軍を撃破。

そして有馬の原城を占拠。


しかし篭城して奮戦したが、やはり兵力の差はどうしようもなく、ついに女、子供、老人などの非戦闘員たちも含めた約3万人という日本最大の大虐殺が起きてしまう。


3万人とか狂気としかいいようがない。


この乱をきっかけにキリシタンたちは表面上、改宗したことにして陰で信仰を続けた。


これを隠れキリシタンという。




そういった歴史を頭に入れて資料館の中を見ていく。


仏像に見せかけた観音像は実はキリスト教のマリア像であったり、わかりにくく仏像の裏に十字が刻んであったりと、リアルな品々がたくさん展示されていた。


信者かどうか識別するための有名な踏み絵の板もあった。

信者は泣く泣く板を踏み、帰ってから足を洗い、その水を飲んだという。



科学のなかった時代、天災や不幸など人間の力の及ばないものを何かのせいにしなければ納得できなかった心理。


祈ることで得られる安堵感は、何よりも崇高な、何よりも得がたい宝だったんだろうな。


人生は辛い。

自分が弱い存在だと年を重ねるごとに身に沁みてわかってくる。


そして少しずつ宗教というものの必要性が見えてくる。


ただの思想なのになんて力を持っているんだと感じさせてくれる資料館だった。






520円という入館料は高いが、これはこの天守閣と、あと2つの資料館の共通券になっている。


1つ目の北村西望記念館へ。


日本を代表する彫刻家である西望さんのもっとも有名な作品といえば、長崎平和公園にある有名なあの平和記念像。


依頼を受けてから完成までに4年という歳月がかかった超力作だ。


あの像の試作品のいくつかをはじめ、彼の彫刻作品を見学する。




男性の力強い肉体が得意だったようで、なるほど、どの作品も今にも動き出しそうなほどの躍動感と生命力に溢れている。


あー、家族旅行のときに親父とここ来たよなぁ。

なんで大人ってこんなもん時間かけて見るんやろ?っていつもイライラしてたよな。






次に観光復興記念館。

1990年から始まった島原半島の中央に位置する雲仙普賢岳の噴火により、度重なる大火砕流と土石流で島原の町は壊滅的なダメージを受けた。


たくさんの人命が奪われ、町は土砂に埋もれ、いたるところで火災が起きた。


映像コーナーで当時の災害の様子と復興の経緯を見ることが出来る。

昼夜をとわず流れ出る溶岩、もくもくと上がる噴煙。


すぐそこにそびえる静かな山がいきなり火を噴いたなんてにわかに信じがたい。


山って火を噴くもんなんだよなぁ。

山の見方が変わるわ。





展示品の中に泉谷しげるのサインがあった。

彼って泉谷基金ってのをやってるんだそうだ。


北海道の奥尻島が津波被害に遭ったときに、ギター1本、メガホン1つで全国を弾き語りライブして回り、1000万以上の基金を集め、被災地に寄付したんだそう。


それがきっかけで今も全国の被災地に援助を送るべく活動しているんだって。


すごいバイタリティだな。

ひねくれもんの俺は昔ならば売名行為の偽善者が、くらいにしか思わなかっただろうが、この旅の中で数え切れない人々に返しきれないほどの恩を受けてきた今では、こういった誰かを助けるという行為をしたくてたまらないと思えるようになっている。


しかもそれを音楽でやれるなんて最高なことだ。

助けてもらえるという感謝の気持ちは人一倍、身に染みてわかっている。


いつか誰かのために歌を歌えるようになれたらな。








町の中をグルグルと歩いて散策し、適当にメシを食べた。

今日もこれが1食目。

人間腹が減ったら食えばいい。



今日は歌いたいところだが、まだ喉の調子が悪い。


ここからしばらく街が多い。

連チャンにそなえて今日は休んでおくか。


残金1500円。

明日は動けないな。







宮城県石巻の路上でお世話になったあつみさんからメールが入った。



「石巻はもう寒いですよー。今日タイヤを履き替えました。元気でがんばってなー。」



あつみさんありがとう。

東北楽しかったよなぁ。


まったく未知の領域で…………希望に燃えていたあの頃の俺。



んー、今の俺はあの頃みたいに燃えているかな。


ここは長崎だー。








翌日。





金がまったくもってない。

なさすぎでガソリンも入れられないので動けない。


なので車の中でひたすらギターの練習。

もっとうまくなりたい。





海沿いのきれいな広場の端に大きな慰霊碑が建っていた。




これは雲仙普賢岳の火砕流によって亡くなった消防隊員たちの霊をなぐさめているもの。

監視や住民の避難誘導をしていた消防隊員12名が、火砕流に飲み込まれ殉職したのだという。




命を賭してまで住民たちの安全を確保しようとした勇敢な男たち。


同じく三重で消防団員をしている、四畳半パンクの剛兵太さんを思い出した。


彼も数年前の土砂崩れ現場で、目の前の山が地すべりを起こしてあやうく生き埋めになりかけたと笑っていた。


災害があった時に最前線に行くのが仕事なんてな。



剛さんに気をつけて下さいねとメールを送った。








普賢岳の火山活動によって出来上がった日本一新しい山、昭和新山の麓にある上の湯で体を洗い、島原の路上にやってきた。

今夜はハナ金。


稼げなければ明日はカップラーメンも食べられないどころか、今夜コインパーキングから車を出すこともできない。



「んー、哀愁がない。パワーはあるばってんがもちっと哀愁の出せるようにならんば。」



「だめだめ!!演歌も歌えんとか!!客が歌ってるとん伴奏も合わせられんで流しのでくっか!!」



「感動したわ…………ついこん前彼女亡くしてな…………よか供養になったわ……………」



今夜も色んな人に色んなことを言われながら歌う。


音楽の捉え方は人それぞれだ。

ギターのことを三味線と言うまったく関心のない人もいれば、1つのバンドのライブに何十万人も集まったりもする。


俺は俺の信じる音楽をやるのみ。

ひたすら精進。



12000円のあがりをポケットにつめて車に戻った。


哀愁って難しいなぁ。



リアルタイムの双子との日常はこちら





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