2006年11月20日 【山口県】
修学旅行でだったか家族旅行でだったか忘れたけれども、とにかくずいぶんと昔にここ山口の秋芳台に来たことを覚えている。
セピア色の記憶の中では、ものすごい地の果てに行ったような印象なんだけど、その地の果てにこうしてまた24歳で戻って来た。
幼かったあの頃の俺。
今の俺はもうどこにでも行けるぞ。
まずは日本最大の鍾乳洞、秋芳洞に向かった。
1200円を払ってゲートをくぐって森の中を歩いていくと、岩山にポッカリと巨大な穴が口を開けていた。
おどろおどろしい雰囲気の洞窟の中から、ザーザーと青い水が流れ出てきている。
まるで異空間への入り口だな。
確かに子供の頃にここに来たことがあるはずなのに、今こうして見ると初めての場所のような新鮮な驚きがある。
覚悟を決めて中に踏みこむと、そこには太古が広がっていた。
「うおー………………すげぇ……………すげすぎる……………」
『スゲェ』と『ヤベェ』を1人で何回言っただろう。
今まで行ってきた鍾乳洞が比べ物にならないスケールだ。
高い天井、静かな地底湖、どこまでも続いていそうな入り組んだ無数の穴。
この地底にどれほどの空間が広がっているんだろう。
あまりの怪しげな神秘に、カルト宗教の儀式でも行われていそうだ。
百枚皿、黄金柱、クラゲの滝昇りと、洞窟の随所に散らばる見所を見ながら進んでいく。
数万年、数百万年をかけて造られた鍾乳石の造形に、地球の遥かな歴史が刻まれている。
ここが発見されたのは600年前。
チョンマゲの人が発見したときも今とほとんど変わらないこのままの姿だったんだよな。
ちょんまげを切って着物が洋服になったけども、人間の歴史なんてこの鍾乳洞の中ではわずか1センチだ。
はぁ、スゲェ。
洞窟を抜け出し、地上に出て車を走らせる。
坂道を登り、視界がひらけたとき目の前に広がったのは360°の大草原だった。
「マジかこれ…………………」
記憶の中にある秋吉台ってこんなに大きなスケールだったっけか。
どこまでも広がる静寂。
展望台に登ってみる。
あ、なんかこの光景おぼえている。
小さかったころに確かにこの場所から同じように大草原をながめた気がする。
ふと、うねる丘陵のあの向こうの向こうに行ってみたいという気持ちが湧きあがった。
この感覚もあの時と一緒だ。
あの時は時間がなくて駆け出したい気持ちを抑えて駐車場に戻ったのだが、今俺は自由だ。
行こう。
歩いて歩いて、草原の中をひたすら、迷子になってしまいたい気持ちで歩きつづけた。
曇天の空の下、どこまでも俺1人。
枯れた草がおおう大地に白い石灰岩が散ばっている。
ここはその昔は海の中だったようで、サンゴの地質が残り、そこに雨が降ることによって侵食され、ギザギザとした大地になった。
浸透した地下水は地中を削り、大小の洞窟を造りつづけ、この足の下に深遠な大空洞を完成させた。
地球の歴史の中の、人類の歴史の中の、たかが70年の俺の人生。
そんなことを考えながら歩きつづけふと振り返ると、さっきの展望台がはるか遠くに小さく見えた。
ずいぶん歩いたな。
枯草が冷たい風に波打つ。
俺はどこにでも行ける。
人間はどこにでも行ける。
自分の意思と足で。
すべてのマニュアルをリセットして生きれば一体どうなるんだろう。
気が狂いそうだ。
人間なんて一瞬の火花。
車に戻り一気に日本海側まで縦断し萩の町に入った。
焼き物、明治維新、これまた見所満載の町だ。
まずは山手にある松蔭神社へ向かった。
この萩の町に生まれた学者、吉田松蔭。
塾を開き、数多くの明治維新の主要人物たちを育て上げた現在の日本の礎を作った立役者だ。
幼い頃から学問に没頭し、西洋学を学ぶうちに日本を本当によくするためには倒幕が最良という思想に行きつく。
ペリーが浦和沖に現れた時には、小船をこいで単身黒船に乗りこみ、「外国を見せてくれやー!!」とペリーに直談判しにいくという情熱家。
が、しかしそれが見つかり投獄。
獄中でもだれかれ構わず講義し、萩に幽閉されてからも松下村塾という道場を作り後進の教育に励む。
がしかし、その情熱的で苛烈な生き方はやはり幕府に目をつけられる。
そして井伊直介による安政の大獄。
反幕派一掃計画で思想犯として松蔭は捕らえられ、斬首刑となった。
辞世の句がまたすさまじい。
『身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちるとも とどめおかまし 大和魂』
その後、松下村塾で教育を受けた高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、木戸孝允、山県有朋などなど、明治維新の原動力となった長州藩士たちが、日本を変え、そして新しい政府を動かしていくことになった。
これだけの偉業を成し遂げ、己の生き方を貫き、堂々と首をぶった切られた時の年齢が、なんと30歳というから頭が下がりまくりです……………
熱過ぎるよ、松蔭さん。
その松蔭さんを奉る松蔭神社、松下村塾を見てさらに墓所へ。
松蔭のお墓の周りには、高杉や久坂などの門弟のお墓が慕うように寄り添っていた。
さらに初代総理大臣にまで登りつめた伊藤博文の旧宅なども見て回る。
この伊藤博文。
総理大臣時の厳格な写真しか見たことないけど、若かりしころはやはり夢見る若者だったようだ。
当時、外国への密航は吉田松蔭も投獄されたように重罪だったわけだが、この博文さん、鎖国により文化の遅れている日本を変えるには外国というものをこの目で見なけりゃいかん!!と仲間5人で密航。
この5人はその後それぞれが日本の中枢に食いこむ要人に成長していくことになる。
長州ファイブと呼ばれる彼ら。
若者は野望を持て!!と時代を超えて教えてくれる。
自分の命と深く語り合い、やるべきことを見つけ出すんだ。
今夜は日本を変えた偉人たちの故郷で歌おう。
路上に出る前に晩ご飯を食べにそのへんの食堂へ。
ばあちゃんが1人でやっている、あまりきれいとは言えないけど里帰りしたように落ちつける食堂。
「吉田松蔭知ってんか?はぁー、おばちゃん頭が下がるわー。若い観光客のお客さんがご飯食べにくるじゃろ?どこに行けばいいか聞いてくるけぇ、そりゃ吉田松蔭のとこは行かないけん言う。ほしたら、ばあちゃん松蔭って何?ってこれじゃもん。若い人にこそ知っとってもらいたいんじゃがなぁ。」
「そうなんですね。」
「昔は萩もそりゃ賑やかじゃったなぁ。港に船が入るとなぁ、もう飲み屋街はどこも貸し切りじゃけぇ。観光客もようけ来とってなぁ…………観光バスもひっきりなしでなぁ……………」
昔を懐かしんで涙ぐむお婆ちゃん。
いい話をありがとうございました。
その在りし日の影もないささやかな飲み屋街でギターを構える。
人いないなぁ。
それでも歌っていると、1人のおやっさんが近づいてきた。
「よし、ちょっと来い!!メシ食わしたる!!」
豪快なおやっさんについていくとそこは韓国料理屋さん。
「おー!!お前宮崎か!!奇遇じゃなー。明日宮崎のやつが来るんじゃ。」
どうやら明日宮崎のやつで、このたびプロテストに合格したゴルファーの祝賀会をやるという。
「よし!!明日兄ちゃんも来て同郷同士話したらいい!!ワシの息子たちもいろんな所でいろんな人に助けてもらってる。わしも若いやつを応援したいんじゃ!!ワシは在日じゃけぇのぉ。小さいころは石投げられたり散々いじめられたもんじゃあ。でもそんなもんに負けるか!!って頑張ってきた。ワシは頑張っとる若いモンが大好きじゃ!!!ホラ!!腹いっぱい食って飲め!!!!」
今も昔も萩には熱い人がたくさんだ。
翌日。
「オゲエエエエエエエエエエエエエ!!!!」
はい、見事に二日酔い………………
気持ちわるいいい……………オエェェェェェェ!!!!
ふらふらの体で長門の手前にある湯免温泉に行き、小さいレトロな風呂に入って二日酔いを体中から絞り出し、よし、萩探検スタートだ。
まずは1791年に作られた藩校、明倫館へ。
現在の建物は幕末の1849年に建てられたもので、校内には木造の校舎がいくつも並んでおり、中を見学することができる。
こんなレトロな校舎なのに、中ではたくさんの子供たちがはしゃぎまわっている。
んー、こりゃすごい。
江戸時代に造られた学校らしく武道場なんて時代錯誤なものまであり、入り口には『諸国修行者引き受け場』なんて看板までかかってる。
坂本龍馬もここに来たことあるんだって。
すげぇなぁ。
どんな子供が育つんだろうな。
大大名、安芸の毛利輝元。
しかし関ヶ原で西軍総大将となったため減封で萩へ飛ばされる。
その後、260年間長州藩の藩庁として栄えたこの萩は、焼き物だけでなく城下町の美しさとしても有名だ。
浜に車を停めて、歩いてお城へ。
指月山を囲む美しい曲線を描く石垣。
門前にある萩焼資料館を覗いてみた。
400年前に朝鮮から渡った萩焼。
その上品で落ち着いた風合いは焼き物ファンならずとも魅了されてしまう。
資料館には萩焼の創始者、坂高麗左衛門をはじめとする貴重な古萩の数々に心を揺さぶられる。
独特な気品が香ってくる。
城の前に広がる町並みは全体が巨大迷路だ。
あみだのように直線直角になっており、道沿いは全て塀と垣根が張り巡らされているため、どこを曲っても同じ景観。
鉤曲りもたくさん残っており、しばらくグルグル歩いていたら自分がどっちを向いているのかもわからんなった。
これは敵に攻め込まれた時に相手をかく乱するためにわざと複雑に作ったからだそう。
まさに江戸時代。
それもそのはず、このあたりは区画整理がほとんど行われておらず江戸時代の地図がそのまま使えるんだって!!
武家屋敷や商家が当時の姿のまま並んでおり、維新三傑の木戸孝允の家や、誰よりも熱く討幕派で戦い抜いた高杉晋作の家などが普通にある。
向こうからちょんまげの人が歩いてきてもなんの違和感もないな。
まさに町そのものが博物館。
さて、時計を見るとそろそろ約束の時間だ。
もうすぐあいつと会う約束をしている。
4年ぶりの再会をしたのは……………
「うおーい、久しぶりー。」
「きゃー!!久しぶりー!!いやー、よー生きとったねー。」
そこに現れたのはあのエミコだ。
旅を始めた最初のころ、福岡で世話になったエミコ。
あの時家にしばらく泊めてくれ、カレーを作ってくれたあのエミコが今、大きくなったお腹を抱えていた。
4年前の12月の寒い日々が懐かしく思い出される。
彼氏が出来ん彼氏が出来んと呪文のように言っていたあのエミコが結婚・妊娠か。
ケラケラよく笑うところもあの頃のままだ。
結婚してても泊めてやるけんね!!と言っていたけど、本当に結婚したんだな。
俺、本当に日本一周やったよ。
いやまだ終わってないけど。
「まぁ、元気でやりんさいよー。美香ちゃんとも仲良くねー。」
エミコと別れ、18時になって昨日の韓国料理屋『慶州』へ向かった。
店のドアを開けるとすでににぎやかな笑い声が聞こえてくる。
「おう!!金丸君。こいつが今度プロゴルファーになったタイゲンや。」
宮崎出身の20歳のタイゲン君。
今日は彼のプロテスト合格を祝した宴会なのだ。
地元のおっちゃんおばちゃんたちの笑い声。
和やかな雰囲気の中、景気づけに5~6曲歌った。
喜んでくれるみんな。
そのときだった。
ケータイ電話が鳴って画面を見ると美香だった。
美香から電話なんて珍しい。
なんだ?
賑やかな宴席を外し、急いで外に出て通話ボタンを押す。
泣きじゃくってる声。
「今日ね、お父さん、入院した…………うう………………ううう……………今年中の命だって……………ううー…………私何にも親孝行してないのにー……………あうぅ………………」
嘘だろ。
嘘だろ!!!!
お父さんが体調が悪いとは聞いていたけど、そんなにひどかったのか。
なんでこんなことに………………
今年中って、もう11月の後半だよ……………
急すぎる……………
よし、日曜日に宮崎に戻ろう。
そして美香と一緒におじさんと話さなければ。
世界を旅したいことを正直に言うか?
ウソを言って、もうどこにも行かず宮崎で働きますと言うか?
といっても俺たちがまだ付き合っていると演じること自体すでにウソ。
どっちにしてもおばさんには恨まれるだろうな。
美香はどう思ってるのか。
おじさん………………マジかよ……………
すると店の中からドヤドヤとみんなが出てきた。
「おう!!金丸!!次の店行くぞ!!」
「あ、は、はい!!」
それからも何軒かハシゴし、だいぶ酔っ払ったくらいでみんなと別れ、真っ暗な迷路の町をフラフラと歩いた。
美香と11ヶ月ぶりの再会になる。
それがこんな形になるなんて。
やりたいことを我慢して、安定した道を選び、家族を養い義務を全うすることが、社会に生きる男の立派な姿なのはわかる。
でも…………俺は行きたい。
もっと遠くまで行ってみたい。
俺は元気だ。
怪我をしてもすぐに傷口は塞がるし、どんなに走ったってまたすぐに走れる。
おじさんと話して、そして必ず来る別れを経ても、俺はまだ海外を旅したいと想っているだろうか。
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