2006年10月15日 【兵庫県】
四国には戻ってきたんだけど、一旦兵庫県に行こう。
また関西!?
いやいや、関西といっても淡路島なんだけど。
兵庫回ってる時に淡路島行ってなかったんだよな。
淡路島に渡るものこれまた高い。
マジ一瞬の距離なのに渡るだけで1000円もしやがる。
もったいないので鳴門インターの近くのコンビニに車を止め、ヒッチハイク開始!!
開始から20分。
スーっと目の前に止まったのはフルスモークのマジェスタだった。
げ……………あからさまに怖いオーラ……………
ウィーンと窓が開くと、そこにはプロレスラーの天山みたいな恐ろしい人が座っていた。
どの角度から見てもカタギじゃないやん……………
ジロリと睨んできて一瞬躊躇。
はいーどうぞー!!行ってくださいー!!なんて今さら交通整理に変身するのは無謀すぎる。
1ミリでも車に傷をつけようもんなら鼻からウンコ詰め込まれそうなのでめっちゃ慎重にドアを開けて乗車。
しかしこれが乗ってみるとものすっごく優しかった。
そりゃそうだ、ヒッチハイカーに止まってくれる人は基本みんな優しいよな。
橋の上で鳴門名物の渦潮に驚きつつお話を聞いていると、このおじさん、徳島、淡路でも有数のテキヤの親分さんだという。
今日はこれから若い衆が店を出している祭り会場に様子を見に行くところらしい。
「何の店を出すかどうやって決めるか?そうやなぁ、売り物は格上の親分さんたちからとっていくんやが、まずみんながやりたがるのはベビーカステラやなぁ。あれが1番売れるんですわ。」
テキヤさん裏話が面白くて質問をしまくってるうちに、車は淡路島の鳥飼という小さな集落に着いた。
「お疲れ様です!!」
「ごうろうさまです!!」
「おう。どうや。売れとるか?」
賑わっている祭り会場の中に入っていくと、怖そうな若い衆たちが親分に群がってきて挨拶をする。
その横にいる謎の若造、その名も俺。
子供のころから見ていたちょっと怖そうな祭りの1シーンの中に自分がいるのがちょっと誇らしいような、いや普通に怖い。
「兄さん、ワシたちまた夜になったら徳島に帰るからのー、夜になったらまたここに来ればいい。」
親分ありがとうございます!!
よし!!
22時までに島一周だ!!
と、出発する前に境内をのぞいてみる。
この鳥飼お祭りは淡路島でもその勇壮さで有名なものなんだそうだ。
お、やってるやってる。
人だかりの真ん中に大きな船がある。
その上にフンドシ姿の凛々しい男衆。
太鼓の音が鳴り響き、車輪のついた船が曳かれはじめた。
境内入り口の門のところに近づくと、男たちの掛け声が勢いを増していく。
そして、一気に階段を滑り降りた!!
おおお!!!すごい迫力!!!
これだけの重量物だ。
一段落ちるたびに乗っている男たちの体が跳ねあがる!!
船の舳先の部分が1番激しいようで、男が振り落とされないように宙ぶらりんになって必死にしがみついている。
きっとあの舳先につかまれるのはこの祭りの花形で、ステータスなんだろう。
船を曳くのは中高年のおじさんたち。
若い男が祭りの主役のようだ。
若者に主役を譲ってあげるその光景がすごく素敵だと思った。
つーかヒッチつかまらねーーーー!!!!
1時間経っても2時間経っても全然止まらない!!!
ぬああああああああ!!!
このままじゃ夜までに回りきれないいいいいいいい!!!!
ああああ!!!
止まった!!!
よっしゃあ!!!!
やっとこさ乗せてくれた人は、なんとついさっき88ヵ所の結願を済ませたという関東から来てるおじさんだった。
これぞ弘法大師のお導き!!!
今から帰るところだけど急ぎじゃないから行きたいとこあったら言いなよといってくれたので、遠慮しないで早速寄ってもらったのは淡路市の北淡町震災記念公園。
平成7年、1月17日、午前5時46分に発生した阪神淡路大震災。
マグニチュード7.3で、死者6433人は戦後最大の自然災害だったという。
淡路島でも相当な被害を受けたようで、その事実を後世に伝えるために造られたこの施設。
入場料500円で中に入る。
施設の中ではクリリンの気円斬でぶったぎったように地面がズリッとずれてる断層の様子を見ることができる。
まっすぐだった側溝がぐにゃっとズレ、さらに上下にも50センチほど段が出来ている。
その断層の真上に家を建てていた人はたまらない。
家の中に入ることが出来たが、グニャグニャに歪みまくっている。
さらにマグニチュード7.3の揺れを実際に体験できるコーナーもあった。
ものすごい揺れで立ってられんほど。
寝てるとこにこんな揺れがきたらもうパニックだよ。
ニュースでは伝わってこない被害がたくさんあったんだろうな。
記念館を出ておじさんとお喋りしながら海岸沿いを走っていると、夕日に染まる明石大橋が見えてきた。
橋が行き着く先には神戸と明石の街並みが広がっている。
やがて夕日が沈み、島に夜が訪れ、道路脇でおじさんの車を見送った。
静かな田舎の道。
暗い瀬戸内海には無数の漁火が光っている。
島が田舎すぎて海のほうが灯りが多いくらいだ。
そんな真っ暗な道をトボトボ歩く。
ヒッチしようにもまず車が通らない。
そしてまったく止まらない。
江崎の集落まで行きバスを調べるが、鳥飼までのバスはもうない。
ヤッベェなぁ………………
これじゃ親分さんたちが帰る時間に間にあわねぇ。
って、あ!!
車来た!!
うおーーーい!!
いやトマラネエエエエエエエエエエエエエエ!!!
こんな真っ暗な夜道を1人歩いてる不審者なんて誰も乗せねええええええええ!!!!
まぁ、こんな独りぼっちのシチュエーションも、心細くてたまらなく美しい孤独を味わえる。
その後、奇跡的に乗っけてくれた兄さんに祭り会場の八幡宮まで送ってもらったんだけど、夜になってますます熱気を帯びているようだった。
熱気を通り越して異常な殺気と怒号が渦巻いている。
「ウヴオオオオオオオ!!」
「イギャアアアアアア!!」
乗せてくれたお兄さんを見送り、急いで境内に走る。
なにやら巨大な太鼓が何個も動き回っており、異様な雰囲気だ。
いつくかのグループがあり、それぞれに大きな太鼓。
そしてその上に代表の若い男がフンドシ一丁で堂々と立っている。
何か始まるぞ、と思っていると、急に太鼓たちがすごい勢いで走り始めた!!
「うおおおおおおおおおお!!!!!」
「いげええええええええああああ!!!!!」
男たちが一斉に本殿の中に突進!!
それぞれが自分のところの太鼓を本殿の中に押し込もうとするんだが、一斉に群がったもんだから入り口のところでギュウギュウになってもみくちゃ。
叫び声と怒声。
太鼓の上の男がハンテンを振り回して、引き役を煽りたてる。
すごい迫力だ!!!!!
出店のほうに行ってみるとすでに片付け中だった。
親分のところは4軒出しており、俺もたたむ手伝いをする。
それらをバンに積み込み、親分の家に戻ってバケツなんかを洗う。
全部終わるのは深夜の1時くらいだという。
そして片付けが終わったら親分が経営する夜のお店に出勤というハードなスケジュール。
こりゃ疲れるよ。
テキヤさんが1番忙しいのは正月。
もう何年も紅白なんて見てないそうだ。
他にも、寅さんみたいな口上が言える人っているんですかと聞いたら、もう今はほとんどいないという。
かなり年季の入った爺ちゃんならたまに口上混じりに商売していたりするらしいが、関西ではほとんど聞かないってさ。
橋を渡って四国に戻り、若い衆のみんなに送っていただき、車に戻ったのは1時を過ぎた頃。
あー、朝から動きまわって疲れたあああ。
翌日。
徳島市内に行き、市役所のすぐ隣にある喫茶店『ドミナス』のドアを開ける。
「あら、いつかのお遍路さんやない。」
遍路中、徳島でお世話になったおばさまだ。
挨拶をしにきただけだったのにコーヒーをご馳走していただいた。
四国の人は周りの人に何かしたときに見返りを求めない。
お遍路に対するお接待の心が日常の人付き合いの中に定着しているんだな。
お接待をすることによって己自身の徳を積むことができる、これこそが無償の心の教えだよな。
よし、それじゃあ四国攻略開始!!
お遍路中に海沿いの道はほとんど歩いているので今日から山攻めだ。
日本三大河川の1つである吉野川を上流にさかのぼり、桜岡にある土柱という天然記念物を見に寄ってみる。
130万年前の地層が風雨によって削られてできた巨大な土の柱群。
アメリカのロッキー山脈、イタリアのチロル地方とならぶ規模なんだそうだ。
うだつが見事な穴吹を素通りして、一気に三好市までやってきた。
ここまでくると吉野川の悠々とした流れも次第に川幅を狭め岩場が目立つようになる。
ここから先は荒々しい源流となる名勝、大歩危・小歩危となるが、今から行くには時間が少ない。
明日にすることにして今日は三好でストップだ。
旧池田町のさびれた商店街の中のお好み焼き屋ではらごしらえして、コンビニの駐車場に寝床を決めた。
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