2006年9月9日 【新潟県】
ついに、ついに、
金丸文武、宮崎到着ライブの会場・日時が決まった。
日本一周が完了し、宮崎に到着した時に記念ライブをやろうと、このところずっと地元のお世話になってる人たちと計画を進めていた。
共演は俺の師匠であるテディーさんのバンド『スピードウェイ』にお願いした。
会場はライブハウスの『シークレットギグ』。
ぎちぎちでキャパ80人くらいかな。
1月6日、土曜の夜。
チケットは色々のからみで3000円という話だったんだけど、テディーさんと相談し、やはり高すぎるということで2500円に。
プロモーションは宮崎のイベンターであるディッキー綾部さんにお願いしている。
これからチラシをばらまいてもらって、メディアにものっけてもらう手筈だ。
旅前は宮崎で何度もライブをしていた俺。
たまに街でも声をかけられたりしたもんだ。
しかしそこから空白の4年4ヵ月。
いきなり俺の名前をいろんなところで見る同級生や昔の知り合いは、まだ旅してたんだとびっくりするだろうな。
あれから俺も日本中で揉まれてきた。
日本中の猛者たちと共演して、どんな過酷なシチュエーションでも歌い続けてきた。
成長した俺の集大成をぶちまけてやるぞ。
そのために残りの4ヵ月も全力疾走だ。
今日はまず新潟県第2の都市、長岡市に向かう。
現在日本で最も有名なお酒、『久保田』の蔵はこの長岡にある。
しかしながら蔵見学は不可、さらに土日祝日は閉まっているということなので残念ながらお邪魔することは出来なかった。
うーん……………残念だ。
つーか暑すぎる!!!!!
ファントム号はもういつ止まってもおかしくない解体寸前のボロボロ状態なので、エアコンなんて立派なものは当然きかない。
こんな暑い日の味方が図書館だ。
汗だくで図書館に逃げ込み、パソコンでいろいろとホームページや旅情報をチェックし、ウロウロしていたらAVコーナーでいいものを見つけたので視聴ブースに入った。
そのDVDは『ウッドストック』。
1969年に行われた言わずと知れたロック史上でもっとも有名な野外フェスだ。
ニューヨーク郊外のヤスガーズパークに集まった若者の数は45万人。
あまりの人ごみに収集がつかなくなり、3日間の野外フェスは途中から柵が取り除かれ無料コンサートになり、恐ろしい赤字になったわけだが、全ての観衆が音楽とマリファナで魂を開放した。
丸裸で走り回り、そこら中でセックスして、そしてライブ中に出産まであったらしい。
リッチー・ヘブンスのアコギプレイなんて最高すぎる!!
このころのミュージシャンは本当にすごい。
なんて創作意欲に溢れていて、革新的で情熱的なことか。
今の音楽なんてフォーマットに完全にのっかってるだけで創作の欠片もないもんな。
ロックはこのウッドストックフェスティバルで爆発し、そして60年代で死んだと言われているが、この映像を見ると本当にそう思う。
3日間のトリで登場したジミヘンのアメリカ国家ソロギター。
このプレイの途中、ジミヘンはアーミングを駆使して人々の悲鳴と戦闘機の爆撃音を表現した。
時はベトナム戦争真っ只中。
音楽が民衆に与える影響力はハンパじゃない。
そしてミュージシャンたちは社会を本当によくする為に楽器をにぎっていたんだ。
今の音楽業界、Jポップ界には何かを心の底から訴えようという音楽がほとんどないように思える。
いや、どこかにあるんだろうけど、それらが表に出てこないし、出させてもらえない世の中なんだろうな。
薄っぺらな慰めや励ましなんて聴いてても何も心が動かない。
心をえぐるような痛み、怒りをぶちまけないで何がロックだ。
今夜は長岡の街からすぐ近くの片見というところの花火大会。
メインでは世界最大の花火、正4尺玉が打ち上げられるらしい。
近くまで行くと混雑にまきこまれそうだから、少し離れた川を挟んだ土手の上から見るとするか。
日本で1番長い川、信濃川の土手が人気スポットのようで、行ってみると細い土手の道の片側にどこまでも車が並んでいた。
俺もなんとかその列に入りこみ、遠くでパッ、パッ、と光る花火を眺めた。
迫力こそないけど、こうして遠くから見る花火も悪くないもんだ。
うまく写真は撮れなかったけど、正4尺玉の真径800メートルという超巨大花火は圧巻だったな。
新潟は花火天国。
特に全国的にも有名な長岡の花火で見られる『フェニックス』は6ヵ所同時打ち上げという狂気の乱舞らしい。
それにしてもこのところ災害続きだったんだから、何千万円も花火に金を費やすくらいなら、もっと復興や被災者の支援に回してもいいんじゃないかともちょっと思う。
日本国中、年間何百回という花火大会ってあるけど、その何億、何十億って金をもっと困っている部分に流したらどうなるんだろう。
不景気、格差社会といっても毎晩ビール飲む金があるんだったら貧しくなんてないよな。
日記を書き終えて顔を上げたら、土手の車の列もほとんどいなくなっていた。
さて、寝床を探しにいくか。
翌日。
朝すぐに直津江の港に向かった。
佐渡島行きのフェリーは9時40分の出港だ。
さすが人気の島なので、ターミナルはすでにたくさんの人と車でにぎわっていた。
フェリー乗り場に駐車場はあるのだが、1時間100円と結構高い。
島で1泊する予定なので3000円くらいかかってしまうぞ。
他に止められそうな場所を探してウロウロしていると、少し離れたところに公園を発見。
放置駐車で紙貼られませんようにと祈りを込めてサイドブレーキを引く。
荷物をまとめ、20分ほど歩いてフェリー乗り場に行き、2190円の片道乗船券を買って船に乗り込んだ。
船は昼前に小木の港に入港した。
ここは金鉱山と遠流の島、佐渡。
日本一でかい島なので限られた時間で全部回るのはきつそうだ。
もたもたしてる時間はない。
早速道路で親指を立てる。
1台目でまずは島南部の名所、宿根木集落へやってきた。
小木をはじめこの辺りの集落は、今でこそ寂れているが中世には廻船業により全国へ商いに出かける人々と船大工たちが住み、佐渡の3分の1の富を集めていたといわれるほどに栄えていたという。
入江の小さな窪みに、屋根が全部1枚板じゃないのか?ってくらい密集してる民家群。
規則的に屋根に石を並べて木っ端を抑えている漁村らしい独特な景観を見ることができる。
集落の中を歩くと石畳の小路が歴史をうかがわせる。
雨の中、民家の軒下に隠れながら親指を立て2台目ゲット。
「飯食ってねーのか?」
「はい。」
「そーかー。うめーとこはなぁ……………」
乗せてくれたのは島のアイドル、高瀬さん。
買い物に行くのにわざわざ30分も離れた佐和田の町まで行かなきゃいけないらしい。
それにしてもこんなに美人なのに島言葉のぶっきらぼうな喋り方がとてもかわいらしい。
佐和田の町は結構にぎわっていた。
そんな中でヒッチ続行。
しかしまったくつかまらず1時間半経過。
15時30分になり、金鉱山をなかば諦めかけていた時、奇跡のスポーツカーゲット!!!
20分ほどで金山に到着した。
1601年に開山された佐渡金山は、その潤沢な産出量から江戸幕府の財政を支え、平成元年まで採掘が続けられた日本最大の金山。
山の中をアリの巣のように掘り進み、最深部は800メートルにも達する。
坑道の総延長は400キロ。
佐渡から東京までの距離がこの山の中に迷路のように掘られているというわけだ。
最盛期のこの相川町の人口は10万人。
当時江戸が80万人、大阪が40万人、長崎が20万人というからどれほど賑わっていたかが想像できる。
それでも人手不足だったために戸籍のない浮浪者、無宿人や罪を犯した島流しの罪人なども作業に当たっていたんだと。
あちこちに入坑口があるが一般公開されているのはそのごく一部のようで、700円払って入坑。
鉱山はいくつも入ったが、何度来てもその圧迫感は耐え難い。
ランプの灯りをたよりにひたすら水をかき、タガネを叩く。
鉱石をたくさん含んだ富鉱帯を見つけた時は、お祓いをし、山の神に感謝と作業の無事を祈願する。
ここの売店であのジェンキンスさんが働いているという噂を聞いていたのだが、残念ながら今日はお休みをとっていた。
最近では金山よりもジェンキンスさん目当てでやってくる観光客も多いんだって。
売店を出てあたりを散策してみた。
比較的新しい、といっても昭和期のものだろうが、蔦がからまった廃墟がそこらじゅうにあり、なんとも寂しげだ。
寂寞が栄華を極めた時代にタイムスリップさせてくれる。
佐渡金山!!
満喫!!!!
雨の中、次のヒッチをしていると賢そうなおじさんに乗せてもらえて、島の風土や文化について色々教えてもらった。
佐渡は罪人といっても政治犯、思想犯が流されていた島らしく、世阿弥が流されてきたおかげで、現在、佐渡にはいくつもの能舞台が残っており町ごとに能が伝承されているそうだ。
それからラストヒッチで両津市の繁華街まで行くおじさんゲット。
このおじさん、佐渡の大きな会社の社長さんらしく、今から飲みに行くところらしい。
佐渡の飲み屋街は両津っていう町にあるんだそうだ。
「兄ちゃん、今夜何するちゃ?」
「今夜は路上で歌います。」
「ん?歌やってるのか。よし、お前今から俺と来て歌え。」
お、楽しそうな展開になってきたぞ。
これから古い同級生と飲み方らしい。
よーし、気合入れて歌うぞーとワクワクしていると、やがて町中の飲み屋に到着。
「おう!!ちょっとこの兄ちゃん拾ってきたからよ。後で歌わせるから食わせてやってくれ!!」
「ああ、いいよ。さぁお客人、気を遣わないでガンガンやってください。」
お客人?
な、なんか任侠映画とかで聞くような言葉……………
その時、ふと目に入ったもの。
こ、小指が……………
シャツの胸元から……………
「こいつ佐渡の親分でよ。今日俺が出所祝いしてやるんだわ。ヘタな歌うたうんじゃねーぞ!!ははは!!!」
…………………………………
おおおおおおおおおおおおおいいいいい!!!!
先言ってくれえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!
「なぁ、中に入るなんてつまらんぞ?もう行くなよ。」
「つまらんなんてのはわかってるよ。でも男として譲れん時ってのがあるだろう。」
や、やべぇ……………
どうしよう……………
俺の歌が死ぬほど気に食わんくて男として譲れんかったらどうしよう………………
吐きそうなほど緊張しながらも、とりあえず食うもんは食って余計吐きそうになったところで次の店へ。
若い衆の車で飲み屋街にあるスナックに到着。
「お客人!!どうぞ!!」
車が止まると運転席から走り出てきてドアを開けてくれる若い衆。
マジのダッシュ。
運転席から後部ドアまでなのに全力のダッシュ。
めっちゃ怖そうなゴツい兄さんが鬼みたいな顔で、必死にペコペコしてくれてる。
すみません!!僕ただの旅の小僧です!!!
それからスナックを3軒。
もちろんどこのお店でもVIP待遇で、緊張しながらチビリチビリ。
「さぁ、そろそろ歌ってもらおうか。」
ひいいいいいい!!!!!
ですよねえええええ!!!!
なんとかこのまま歌わずに逃げられないかとうっすら期待していたけど、もちろんそんなわけにはいかない。
刺青だらけの人たちに囲まれながらギターを構える。
そして気合いで歌った。
数曲やったんだけど、なんとか叩き回されずに済んだ。
まぁみなさんとても優しかったんだけどね。
でもそれは俺が社長の客人だからだよな。
なんでこんなクソガキにへこへこしないといけねぇんだボケ殺すぞ?って若い衆のみんな思ってただろうけど、それを態度に出したらズタボロにされる世界なんだろうな。
ホント、マジで周りの兄さんたちの反応早すぎだもん。
酒注ぎにしてもタバコの火にしても親分さんへの対応が店の女よりもはるかに早い。
これが男を勉強するってことなんだろうなぁ。
さんざん酔っ払い、そろそろ帰ることに。
今日は社長の別荘に泊めてもらえることになった。
若い衆2人に代行してもらい夜中の島を走る。
「おう!!いつもご苦労さん!!ホラ!!」
若い衆2人に2万円ずつポンと渡す社長。
「いや!!いけませんよ!!オヤジに怒られます!!」
「いーから!!ホラ、もっとけ!!」
町からだいぶ離れ、脇道に入り、森の中の細い道を登っていくと、坂の終わりでパッと視界が開けた。
ヘッドライトに映し出された広大な芝生。
その中を走っていくと奥に豪邸が現れた。
ビバリーヒルズですか?
玄関を入ると広くてきれいなリビングに大画面テレビ、アンティーク家具、ペルシャ絨毯、15人分のゲストルーム………………
す、すげすぎる………………
しかも離れにはフルバンドのレコーディングができるくらいの機材が揃ったスタジオまである。
「まぁ大人の遊び場だ。ゆっくりしていけ。」
そう言って社長は俺を残して帰って行った。
巨大なビバリーヒルズ豪邸に俺1人ぽつん。
もうなんかよくわからん。
あー、エキサイティングな夜だったああああああ………………
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