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史上最強のお遍路さんとの出会い








2006年5月18日 【徳島県】


 

はぁ………………日記帳なくしたからなんとか思い出しながら書いていくか………………


この日は『お遍路ころがし』といわれる遍路中最大の難関、12番焼山寺へ向かった。


まぁここはきつかった。

今思い出してもほんとここが1番のハードコースだったな。





泥まみれになりながら山をのぼり、死に物狂いで12番に到着。


映ってる人たちはみんなバスとかマイカーお遍路さん。






そこから一気に山を下り、途中で出会った若いお遍路さんたちと仲良くなった。


長谷君とアナイ君。





アナイ君は遍路宿に泊まりながら回っていたので、この夜は長谷君と一緒に公園の東屋で野宿した。


真っ暗な公園で長谷君のアウトドア用のかっちょいいランタンをつけて飲んだビール。


1日山の中を歩いてズタボロになった体にビールが染み渡って、あのうまさはマジで極限だった。










翌日。







ベンチの上で目を覚まし、荷造りしながら長谷君の装備を見せてもらったんだけど、まぁハンパじゃない。


そんなの要らんやろ?ってもんまでめちゃくちゃコンパクトに持ち歩いている。



それに比べて俺の装備。


ギターセット以外だと銭湯にでも行くんですか?って格好だ。



地図も一応持ってる(途中でもらった)けど、まったく実用的じゃない。


漫画の宝探しみたいなめっちゃテキトーなやつ。


みんなのは宿や、野宿スポット、接待小屋なんかの情報がこと細かく載った3000円くらいする立派なやつ。


しかも雨に濡れないようにビニールのブックカバーをきちんとかけて濡れないようにしてる。


みんなお遍路に向けてしっかり装備を整えてきていた。







5日目の今日は13番・大日寺、14番・常楽寺、15番・国分寺、16番・観音寺、17番・井戸寺と立て続けにお参りした。


















そんな中、15番のお寺ですごい遍路さんと遭遇したのを覚えている。



太子堂でお経を上げ終え、ふと後ろを見ると小雨の中に幽鬼のようなオーラを放ってる爺ちゃんがブツブツと皺くちゃの唇を動かしていた。



あまりのオーラに何者だろう?と思い、話しかけてしばらく喋ってると、これをあげましょうと1枚の札を差し出してきた。


お遍路には納め札という、各寺にお参りの際に名前・住所・願を書いてお供えするものがあるんだけど、遍路の回数によってその色が分けられている。



1~4回は白。

5~6回は緑。

7~24回は赤。

25~49回は銀。

50~99回は金。


という具合。


俺は初めてなので初心者用のペラペラの白。


ていうか30回も50回も回る人間なんているのか?と不思議に思えてくるけど、お遍路には先達という初心者たちを率いてガイドのように回る人がいるので、そういう人なら確かに何十回も回る人もいるってわけだ。



しかし実はお札の色はこれだけではなく、金のさらに上がある。



それが錦の札。



100周目以上というとてつもない記録を持つ人だけが使用することが許される幻の札。



この日、お爺ちゃんが差し出してきたのはその錦の札だった。





ぬおおおお!!!

す、すげえ!!!



噂にしか聞いたことのなかった幻の錦の札の裏を見ると、そこにはなんと324回目と書いてあった。




人間じゃねぇ…………………




お遍路ってどんなに早くても1ヶ月はかかるので、324回ろうと思ったら27年かかる。


ノンストップで回り続けても27年。



人間じゃねぇ………………



「これを持っていれば道中、災難や悪い霊に憑かれんですむから。」



偉大な先達からいただいた錦の札を、楽譜ノートのファイルに挟んだ。


こいつは大切に持ち歩こう。


お爺さん、ありがとうございました。

















この日は徳島市内まで気合で歩き、お遍路をスタートして6日目で最初の銭湯に行った。


山登りの後で体がドロドロになっており、さすがに汚すぎる。


お金がないのでなるべく節約するために入ってなかったんだけど、この徳島市の飲み屋街の近くにあるなんとかって銭湯は、お遍路さんの接待でなんと無料。


ありがたやー。



しかし風呂ってなんて疲れがとれる行為なんだろうとめっちゃビビった。


お湯に浸かるってだけのことなのに、これほどまでに体が軽くなるなんて。


久しぶりに清潔になったし、これからもちゃんとお風呂入らないとな。






しかし洗濯は出来ないのでまた汚い白装束をまとって徳島のネオン街に行って路上。












演奏を聞いてくれた人が誘ってくれ、焼肉バー『カルネ屋』ってとこでたらふく食べさせてくれた。













この日ももちろん街角で野宿した。










翌日。









6日目。



地図が頼りにならないので、そこらに立っている道標に従って歩いていく。


このお遍路の道標、江戸時代から立っている石標なんかもあり、風雨にさらされていて文字がほとんど読み取れなかったりする。


四国ってホントお遍路が古くから根付いている土地だ。














1日だいたい30キロ。


起きては歩き、疲れ果ててはそこら辺で寝る。


服もそのまま、靴も脱がない。


ただ歩くだけの生物。


余計なことを何も考えなくていい分、自分を見つめる時間は有り余るほどある。


色んなことに思いを馳せつつブツブツと1人言を言いながら歩き続ける。



















18番・恩山寺、19番・立江寺とお参りをすませ、20番に向かう途中で小さな商店に立ち寄ると、ビールやら刺身やら色々とお接待してもらった。


店の人はこのことは他のお遍路さんには内緒よ、と言っていた。


口コミで、あそこは接待してくれる、という情報が知れ渡ると、当たり前のように食べ物をもらいにくるやつがいるからなんだそうだ。


なるほどなぁ。


ここまで歩いてきて分かったけど、お遍路にはちゃんと一周するために歩いてる人の他に、色んなところから流れ流れてやってきたコジキまがいの人もいる。


お遍路をやってれば接待を受けられて食うに困らないし、お遍路さんということで信仰の対象としてある程度丁寧に扱われる。


そうした人々の気持ちを利用してただひたすらにウロウロしてる人がいる。



俺も金ないけど、人の親切にたかりながら回るんじゃなくて、ちゃんとプライドと感謝を持って歩き切ろう。












しばらく歩くと、道の脇にプレハブ小屋があり、そこが歩きお遍路専用の無料宿泊所になっていた。



こうした場所は善根宿と呼ばれている。



中に入ると先客が1人。

おじさん遍路さんが手馴れた様子で白衣を洗濯していた。



彼は歩き遍路25回目という達人。


しかもゴールしても休むことなくそのままスタートするエンドレス遍路。


世の中いろんな人がいるもんだ。



あまり清潔ではなかったけど、久しぶりの布団はこの世のものとは思えない気持ちよさで、体に食いついてきたみたいだった。





リアルタイムの双子との日常はこちら





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