2006年4月16日【滋賀県】
さぁ、どんどん進むぞ!!!
次の県は奈良県なんだけど、その前にライブやらなんやらで行かんといけないところがたくさんある。
ただ旅するだけじゃなく、縁を大事にして、チャレンジできることは全部やるまくって進んでいくぞ。
関ヶ原から滋賀県に入り、長浜にやってきた。
かすかな記憶では、今日、確か長浜でお祭りをやってるはず。
日本三大曳山祭りの1つとかって書いてたような気がするけども………………
……………お!!
やってるやってる!!
動く美術館とまで言われる山車の彫刻の見事さといったら、飛騨高山の屋台にも負けず劣らずの優美さ。
でも高山みたいな極彩色の派手なものではない。
落ち着いた品格のあるたたずまいだ。
ゆうべが本祭だったようで、今日はそこまで人はごった返していないが、今日はこの祭りのメインの見世物、子供歌舞伎が行われるようで、時間が迫るとアーケード内は一瞬で押し合いへし合いになった。
狭いアーケードの中に期待がうずまく中、山車の舞台の上で小学校低学年くらいだろうな、小さな子供たちの歌舞伎が始まった。
凛々しいお殿様もしとやかな女中もみんな男の子。
みんなこの日のためにすごい稽古をしてきているんだろうな。
感動的だった。
長浜を出発して南下してやってきたのは焼き物の里、信楽。
来た理由はもちろん2年越しの念願だった『畑の枝垂れ桜』をついに見るため!!
でももう今日は遅いので明日朝からゆっくり見るぞ。
記憶をたどって、前回来た時にユウキと食べに行った親切なおばちゃんのいる串カツ屋さんを探す。
お、あったった。
串カツの『武蔵』。
ここだ。
「あー!!店閉めとるときに入ってきたあの2人組ねー!!覚えとるわー!!」
かろうじて覚えてくれていたおばちゃん。
旦那さんとかわいらしい看板娘のさとちゃんも店にいて、みんなとても暖かい。
いいわぁここ。
「よし!!好きなの頼み!!おごったる!!」
隣に座っていた鹿児島出身というおじさんにご馳走になり、おいしい串カツをほおばる。
うますぎるーーーー!!!!!!
「ほら!!コーヒーサービス!!」
旦那さんの笑顔最高。
さとちゃんめちゃかわいい。
ママはすっごく甘えたくなるようなお袋さん。
大阪出身のこの3人のやり取りがまた面白くて、カウンターの中で新喜劇やっているようだ。
人情味溢れる本当にいいお店だわー。
ご飯を食べ、『武蔵』をあとにしたら今回は信楽を出ることに。
どうやら話では桜はまだ3分咲きで来週末がベストらしい。
どうせ見るなら最高の状態を見たい。
先に他のところを回っておくか。
夜の山道をとばし、暗い田舎の集落を抜け、しばらくすると街の明かりが見えてきた。
奈良県に突入だ。
京都まではいかないが無数の仏教遺跡を擁する古代日本の中心地だった場所、奈良。
こここそが大和の国の真ん中。
金と時間かかるだろうなぁ。
うわー、俺どんどん進んでるなぁ。
休まずいくぞ!!
と、気合を入れているところにいつもの憂鬱な電話。
田辺のマユミさんだ。
ゆうべようやく逃亡していたミキさんを見つけてひっとらえたらしい。
夜の店の客のところに転がり込んでいたそう。
飲んだくれて、そこでも目を覆いたくなるような生活をしていたみたい。
店の店長やスタッフたちで部屋を包囲すると、閉じこもって中からわめき散らしたり1人ずつ睨みつけたりと、まるでキチガイだったとのこと。
その張本人、ミキさんに電話をかわった。
「ごめんなぁ……………ヒック……………ホンマ自分のことしか…………ウグッ……………考えられやんで……………うぅぅ……………」
泣きながら謝ってきたが、もう知らん。
あー、一度は楽しく遊んだ仲だったのにもうめちゃくちゃだ。
元凶となった人間は逃げ続けてるし、世話しているマユミさんがかわいそうだよ。
あまりの悲惨な電話にげんなりしながら布団に潜り込んだ。
翌日。
さぁ、気を取り直して奈良県スタートだ。
いつものようにマップルを買い、カップラーメンを食べながら奈良県の情報を頭に叩き込んでいく。
この県の地域を大別すると、
東大寺エリア
法隆寺エリア
平城京エリア
明日香エリア
吉野エリア
といったところかな。
もちろんこの他にも県内全域にワンサカと史跡が散在している。
うわー、こりゃ何日かかるかなぁ。
よっしゃ!!
とにかく動くぞ!!
まず初日の今日は平城京エリアからだ。
710年、藤原京(現・橿原市)から遷都して開かれた平城京にやってきた。
この頃はまだ国としての基盤があまり整っていなかったのでこまごまとした遷都を何度か繰り返していた。
この平城京の時代もそうで、歴史の授業では平城京の次がすぐ平安京というふうに習うが、実はこの間に10何年単位とかで都が動いていたようだ。
平城京は784年に長岡京に遷都するまでは古代日本の中心地として10万20万といわれる人々が暮らす都市だったわけだが、794年に京都の平安京に遷都してからは完全に機能がそちらに移った。
人口の少なかった時代、都以外の地はどんどんすたれていっていたようで、平城京もまたやがて廃墟と化し、土の中に消えた。
奈良市街地からほど近い、コンクリートの建物が並ぶその中に、不自然なほど広大な草原が広がっていた。
パーキングに車を止め跡地を歩くと、ほんのわずかだが門や建物の一部が復元されている。
家族づれやカップルがのんびりと歩いていたり犬の散歩をしている人影がちらほら。
こ、ここが平城京の跡か…………
どこからともなく吹く暖かい春の風の中に、1300年前の人間の暮らしがふっと香る。
地球の歴史を知っている動物って人間だけなんだよなぁ……………
俺が過ごしているこの時代も近い将来に時の流れの中で風化し、いつの日か遥か未来の青年が想いを馳せてくれることだろう。
奈良県1発目のお寺は、ここからそう遠くない場所にある秋篠寺にすることにした。
国宝・重文の仏像がひしめく奈良県でひときわ有名な仏像がここに安置されているという。
寺に到着し、500円払って境内に入る。
鬱蒼と繁る木々や絨毯のような苔のむした小道を歩き、国宝指定の本堂に到着。
豪壮なものが多い鎌倉時代の建物しては小ぶりで、控えめだけど美しい造りだ。
中に入るとズラリと並んだ美術館顔負けの立派な仏像群。
あれもこれも重文。
そしてその中に発見した。
日本にある国宝の最高峰といわれる仏像、伎芸天立像だ。
もう、仏像ってなんなんだろう。
ただの木の彫り物だぞ?
それがこんなにも何百年も信仰の対象になるなんて。
半開きの目、けだるそうにかしげた首、引いた右足。
これだけナチュラルな動きのある仏像は初めて見たな。
芸能を主宰する神様か。
こいつは曲が作れそうだ。
次に海龍王寺へ。
731年に建てられた古寺で、写経発祥のお寺だという。
旅行・留学の安全祈願にご利益があるようで、あの空海も中国に渡る前、この寺に来て修行をしていたのだという。
崩れそうな土壁の門をくぐり、寂れた小路をいき、400円払って境内へ。
わずか3棟のボロボロの伽藍があるのみの境内。
柱や骨組みが折れてきているんだろう、屋根のいたるところが歪んで今にもブッ潰れそうだ。
重文の西金堂の中をのぞくと、精緻な五重塔のミニサイズ模型が安置してある。
寸法や手法が奈良時代の意匠をよく残しおり、国宝に指定されているそうだ。
本堂の仏像もなかなかのもん。
本尊で重文の十一面観世音菩薩立像は、秘仏だったために保存状態がよく、その華麗な装飾に息を飲む。
神々しいとはまさにこのことだ。
奈良を回る上でお寺は外せないが、どのお寺さんも16時半にはたいがい閉まる。
そしてほとんどが有料なので、どの寺がマストなのかチョイスも間違わないようにしなきゃな。
短い時間の中でひたすら回りまくってやる。
いやー、仏教ってすごい!!!
この国の源泉が見えてくるようだ。
「はぁ、ウチもうアカンわ……………」
さて夜。
電話をとるなり死にそうな声で話してくるのはいつものマユミさん。
今日は何ですか……………
先日まで逃亡していて周りにさんざん迷惑をかけまくっていたミキさんなんだけど、無断欠勤なんかの色んな罰金、病院なんかの諸費用でさぁ心を入れ替えて働かなきゃいけない、という今。
なのに仕事に行かずにグデーっとひっくり返って全然準備をしないのでマユミさんも呆れてほったらかしていたら、やっと起きて30分遅刻で店に出かけていったんだそうだ。
「昨日の今日やで?……………もう人間としてアカンやろ…………………私が気が狂ってまう!!」
いやマユミさん、よくやったよ。
もう充分だよ。
見きりをつけたら逆に次何をしでかすのだろうと楽しみにさえ感じてきた。
一体どこであんな風に歪んでしまうんだろう。
楽な方楽な方ばっかりに流されて努力一切せずに口だけ達者とかひどすぎる。
ああ、毎日この話聞いてて俺も心が乱れるわ…………