2005年8月20日 【青森県 後半】
最近、朝日記というのが定着している。
夜、疲れた状態で薄暗い車内灯の中、文字を書くのはなかなか辛い。
朝、頭のすっきりした状態だとよく書ける。
日記を書き終えたら弘前市役所の駐車場に車をとめ、お気に入りの食堂、桜屋でご飯を食べた。
オフィス街や役所街の周りには安くておいしい食堂が多いってのを最近発見した。
お小遣いが少ないサラリーマンのためのお手頃なお店が有難がられるんだろうな。
この桜屋も日替わりランチが650円とお手ごろだ。
うまいし、おばちゃんが優しいしとてもいいお店。
今日は弘前巡りからスタート。
まずは弘前城に向かい、重厚な木材が威圧感を与える巨大な城門をくぐり、ワクワクしながら公園を歩く。
どこもかしこも桜の木。
巨木や古木、枝垂れ桜が緑の葉をしげらせている。
全国でも名高い桜の名所、弘前公園。
シーズンは桜の海になるんだろうな。
入り組んだ迷路、三重の堀で、簡単に本丸に攻めこませてくれないこの弘前城。
蓮の葉がおおいつくす堀、そそりたつ石垣、
上に見える本丸は日本七名城のひとつに数えられる。
津軽藩の居城で、復元ではなく江戸初期の築城当時のままという城は東北ではここだけだ。
入城料300円で城内部の見学も出来る。
こりゃ良いお城だ。
公園を出てすぐ門前にある古いお屋敷、石場屋へ。
ここもやはり雪国ならではの軒先がせり出した『こみせ』造りになっており、建物内もすごく古めかしい。
かつては荒物や雑貨などを扱う庄屋だったようで、時代劇で見るような番頭さんの座る場所なんかがあったりして200年の歴史を感じずにはいられない。
店のすぐ目の前はお城の門。
お侍さんが出たり入ったりするのをこの店はずっと見てきたんだな。
少し歩いたところにある紺屋、川崎屋は藍染めの老舗。
200円で見学させてもらえる。
紺屋とは藍染めのお店のことで、昔は虫が寄ってこない、肌荒れや冷え性によいとのことで、庶民から武士までみんなが藍染めの衣類を着用していたそうだ。
それが明治になり外国から科学染料が入ってきて、天然の染物は姿を消した。
しかし昨今の自然ブームでまた藍染めが注目され、今では趣味でやってる方なんかもよく見かける。
では天然の藍染めとは何か。
まず藍の葉をとってくる。
これは大量に栽培している農家から買いつける。
それを砕いて水をかけ醗酵させる。
この水をかけるという作業に熟練の勘が必要となり、とても難しいそうな。
そしてそれを乾燥させた状態のものをスクモといい、水と一緒に甕に入れ、ハチミツや日本酒を加えてさらに醗酵。
こうして生きた菌のいる状態を作り上げる。
でないと染まらないのだという。
醗酵し、ボコボコと泡が立ち始めたところに、ねじったりつまんだり色んな細工をした布をつけこむ。
甕によって醗酵の進み具合を調整しておき、使い分けることで藍の濃淡を操りグラデーションをつけるんだと。
これがその道の作家さんの作品ともなるとかなりの値段になり、暖簾で5万とかするんだそうだ。
まぁ、安くて本当にいいものだったらみんな使うんだろうけど、今や伝統工芸品は高級品。
中国製の安いものに慣れた庶民にはなかなか手の出せないものだ。
それにしても日本人って『醗酵』が好きだよなぁ。
自然を上手くあやつり、自然と力を合わせて物を作る文化。
勉強になるなぁ。
よっしゃ、というわけで発酵の最たるもの、久しぶりの酒蔵見学は…………ここ!!
『豊杯』の三浦酒造!!
銘酒の多い青森県でメキメキと頭角を現している蔵で、酒好きの間では今かなりアツイ注目を浴びている三浦酒造。
一体どんな蔵なんだろう。
「あー、いらっしゃいませー。お待つスておりまスたぁ。」
お話をうかがわせてもらったのは蔵を切り盛りする三浦兄弟の兄、剛史さん。
ここの特徴のひとつは杜氏をたてないところ。
杜氏の高年齢化、それに伴う杜氏とっかえひっかえという実情。
それを憂いて、酒質の安定のため蔵元の三浦兄弟が中心となり、蔵人全員で意見を出し合いながら造っていくという方針をとっているんだそうだ。
むつの鈴木さんがしきりに、今年の豊杯はクルよ!!と言っていたのを思い出す。
「いやー、この新築した方の蔵、凝った造りになっているんですけど、どのスイッチがどの電気かよくわかんないんですよねー。はははー。」
三浦さん、気さくでとても面白い方。
まだ商品化されていない特別純米のワンカップをお土産にいただいた。
力強いんだけど、花火のように一瞬の瞬きを残しすぐに消える。
そんなお酒だ。
弘前を出て北上していく。
今日は夏をしめくくるかのような蒸し暑い土曜の夜。
いたるところで花火大会が催されていてすごい車の量だ。
板柳という町の花火大会で完全に渋滞にはまってしまい、しょうがないので俺も路駐の列に車をとめ、人波にまぎれて川原へ歩いた。
すごい人の数だ。
土手に座ると、目の前の黒いキャンパスにでかい花火が描き出された。
ごろんと後ろに寝転がり、両手は頭の下に。
べたついた肌に草の感触が気持ちいい。
花火が開くたびに人々の歓声が沸き立つ。
「は・な・び・フォォォォーーー!!」
「ぎゃははは!!」
やんちゃなやつらがはしゃいでいる。
俺もあんなだったんだろうな。
思いもよらず2時間近く上がり続けた花火。
渋滞を抜け五所川原に入った頃には22時を回っていた。
奇跡的に開いていた銭湯に飛びこみ、もう閉めると言うのを無理やり入らせてもらい、繁華街へ向かう。
路地にたくさんの飲み屋がひしめくエリアを発見し、急いで路上ポイントを探して歩き回る。
路上はやっぱり場所が大事。
目立つ場所でいて、お店の人に怒られない場所を選ばないといけない。
そうして、外国人パブの入っているでかいビルがあるT字路がこの街のベストポジションと判断。
よっしゃいくぞ。
歌うとすぐに噴き出す汗。
たくさんの人が聴いてくれては去っていく。
吉田拓郎とムッシュかまやつの『竜飛崎』を歌うとみんなで合唱だ。
お金も予想以上に入り2万円ほどに。
そこに現れたちょっと怖めのお兄さんたち。
「おら!!兄ちゃん、行くぞ!!」
強引にギターを持たれ、飲みに行くことになりスナック『星の金貨』へ。
みんなすでに泥酔状態で、ろくに飲まないうちにグロッキーになっている。
五所川原の裏ボスというママとたくさんおしゃべりして、結局店の中でも歌わせてもらい2万5千円ほどにもなってしまった。
「よし、オメ今日ウチさ泊まれ!!」
1番怖そうなお兄さんの家に行くことになり、ちょっと気まずいなぁ…………と思いつつ、タクシーでお兄さんの家に到着。
すると、家の前でお兄さんが言ってきた。
「オメ、大丈夫だべな。強盗したりしねーべ?」
ちょっと冷静になって考えたみたいだ。
そりゃ今道端で会ったばかりのやつを家にあげるのって普通怖いよ。
でも向こうもいまさらやっぱりダメとも言えないし、俺もここまで言ってくれてるのに車で寝るからいいですなんて言いづらい。
立派な一軒家にあがらせてもらい、リビングでポカリスウェットを飲みながらしばし談話。
最新のドラム式洗濯機で汗まみれの服を洗わせてもらい、シャワーを浴び、2階の部屋へ案内してもらった。
布団ないからここで我慢してくれ、ということで、小さな娘さんの部屋を貸してもらう。
娘さんは奥さんの寝室で一緒に寝ているようだ。
おやすみなさいと挨拶し、ゴロンとベッドに横になる。
んんん……………
ベッドが……………オシッコがくさい…………
めっちゃおねしょしてるやん…………
あんまりくさいのでベッドから降りてカーペットの上に横になり電気を消した。
もう外が青くなってきたころだった。
ドタドタドタ!!
………………バタン!!
ドタドタ!!!
うう…………
うるさい……………
朝方に寝たのでまだほとんど寝てないうちに子供たちが走りまわりはじめ、その音で目をさました。
うう………めっちゃ寝不足………
でも起きなきゃ…………
ドアを開けてそっと廊下を見てみる。
お兄さんはいない…………
ど、どうしよう…………
みんなが寝ている夜中に帰ってきたので、まだ家族は俺のこと知らないはず。
朝起きたら家に知らない人がいたら絶対びっくりするよ……………
どうしようもなくて部屋の中をうろうろしてお兄さんが起こしに来てくれるのを待つ。
「お、起きてだが。おはよう」
しばらくして何事もないかのように入ってきたお兄さん。
1階に降りるとご両親がいて、挨拶をして外に出た。
ああああああ!!!!
息苦しかったぁぁぁあああああああああああ!!!!
泊めてもらえるのはありがたいんだけど、この気まずさは耐え難いよなぁ………
ファントムで寝てるほうが気楽だわ。
まぁ最後には子供たちもお見送りに出てきてくれて、みんなにお礼を行って車に戻った。
お兄さん、ありがとうございました!!
さぁ、今日は津軽半島だ!!
車をかっ飛ばして北上し、まずは金木町へやってきた。
吉幾三の家を無視してやってきたのは津軽三味線会館。
実演をやってるみたいで大ホールに急ぐ。
「んだらぁ、このなまりっこさでやっでいぐはんで、最後まで聴いでっで下さいぃ。」
うん、理解できる。
こいつを聞き取れるようになったんだから俺もまぁまぁ青森に慣れてきたよな。
津軽特有の叩き三味線の迫力ある演奏が始まった。
三味線はもともと目の見えない人の芸。
按摩もそうだ。
かつて日本には盲目の人たちの組織があったようで、その中でも位がいくつも分かれていたという。
有名な座頭市の『座頭』も位の呼び名だ。
しかし明治維新によりその組織は解体。
行き場をなくした演者たちは、出家し、托鉢という形で三味線を続けた。
金木出身の仁太坊も幼少のころに失明、三味線に生きる糧を見出し追求していく。
当時、三味線は歌の伴奏でしかなかったが、仁太坊は歌に負けない派手で魂を揺さぶるような演奏スタイルを確立していき、次第に三味線の独奏という形になる。
ここに今日の津軽三味線があるわけだ。
仁太坊はいつも、人まねではない自分だけの奏法を見つけろ、と弟子に言っていたという。
うーん、仁太坊さん、勉強になります。
津軽三味線は迫力のあるでかい音を出すために普通の三味線に比べ大型。
そして何よりの違いは太鼓の皮が猫じゃなくて犬というとこ。
理由は犬の皮のほうがぶ厚いから。
津軽の激しい奏法では猫の薄皮だとすぐに破けてしまうんだって。
あともう1つの特徴に『あづまさわり』というものがある。
ギターに例えるといわゆる『ビビリ』で、弦が指板に触れることによって出る、ビーンという不快音をわざと作り出す為の仕掛けだ。
邦楽ではこの音をあえてだすことに粋を見つけているようで、琵琶にも同じ『あづまさわり』がついているという。
んー、奥が深い…………
津軽三味線会館のすぐ隣には、太宰治の生家であり、今は記念館となっている斜陽館があった。
明治の大地主だった父ちゃんが建てたこの豪壮な屋敷を太宰治はこう見た。
『…………この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情もなにもない、ただ大きいのである。』
これだけでもう暗い。
太宰治はあまり読んだことないんだけど、とても自嘲的で排他的な人だという印象だ。
明治の大使館みたいなこのでっかい屋敷の中を歩いていると、あきらめムードに感染してしまいそうになる。
生まれてすみません、なんてあんまりだよ。
芦野公園を軽く散策し、山を越えるルートで津軽半島の東海岸へ出てきた。
一気に北上し、美しい海岸線を眺めながら今別までやってきた。
いつも思うけどこんな何もないところにホントよく人が住んでるもんだ。
冬はすごい雪に閉ざされるんだろうし。
でも考えれば北海道の松前まではここからが1番近いんだし、きっと藩政時代は北海道との交易の拠点だったんだろう。
時代は移り変わっている。
夜になり、ご飯を食べられるところを探してまわり、ようやくバイパスにポツリと一軒の中華料理屋さんを発見した。
うおう!!!
ここのマーボー豆腐めちゃうまい!!
「がっはっはっは!!まぁ田舎の食堂だはんでぇ、こんなもんダァ!!」
マジでうまかった。
量も多いし、安いし。
中華料理の『栄太郎』。
竜飛に行く時のご飯はここで決まりだ。
満腹になって大満足したところで今夜はここでストップ。
明日は竜飛崎だ。
泥運びのおばちゃん、待ってなよ。
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