2005年 6月22日 【北海道一周】
抜海でお世話になったライダーハウス『遊心館』のマスターは、稚内のシティFMラジオのコーディネーターでもある。
そんなB.Bイシイさんの口利きで稚内ラジオ『FMわっぴー』の生番組に出させてもらうことに。
道に迷ってしまい6分遅れでスタジオに到着。
すると俺の出演する生番組はすでにスタートしており、オンエアー中だった。
や、ヤバ…………
入って入ってと手招きされ、なんの打ち合わせもなく、音を立てないようにスタジオに入る。
ぶち殺されるかなと焦っていたんだけど、もちろんそんなこともなく、いつものように旅の話しを10分ほど喋る。
そして1曲自分の曲をかけてもらったところで、視聴者さんからメッセージが届いた。
「メッセージが届いてますねー。『土曜の夜の路上ライブ感動しました!!頑張ってください!!』。タカオさんからいただきましたー。」
おお!!タカオさんがメッセージくれた!!
タカオさん。
マジで最初から最後までお世話なってありがとうございました。
さぁ、これで稚内出発だ。
あとは下るのみ!!!
もうここより北はないぞ!!!
牧草ロールは十勝、というけれども、このあたりのほうが数、カラーバリエーション、共に勝ってると思う。
そんなことを思いながら一面どこまでも牧草ロールが散ばる畑の中をトコトコ走り、幌延町のトナカイ牧場へやってきた。
入場料500円を払って中に入り、トナカイとたわむれる。
角に毛が生えてる。
角ってもっとツルツルしてるもんかと思ってた。
面白がって角を掴むとぶるんぶるん首を振って嫌がるのがすごく可愛かった。
幻の花、青ケシを見て先を急ぐ。
広大な森林地帯をどこまでも奥地に突き進んでいくと、やがて音威子府村というところに入ってきた。
木霊が目に見えそうなほどに幽玄とした森以外何にもない村なのだが、ひとつだけ気になる情報がある。
この村には有名なアイヌ木彫りの芸術家さんがいるとかいないとか。
かなりぼやけた情報を頼りにやってきたんだけど、探しているとすぐに見つけることが出来た。
寂しい駅選手権があったら間違いなく日本トップ3に入るであろう筬島駅のすぐ近くに、砂澤ビッキさんの記念館はあった。
アイヌの血を引くビッキさん。
残念ながらすでに故人だったんだけど、かつて北海道を点々と移動しながら活動をし、最後に移り住んだこの音威子府村で10年間創作を続け、1989年に亡くなったのだという。
アイヌ木彫りといえば熊の置き物だけど、ここにはそんな土産物屋にあるようなものはない。
どの作品も前衛的で精巧だ。
ダイナミックなものから繊細なもの、生き物だけでなく抽象的なものも。
最後の部屋に入ると、薄暗い空間にポツンと枝のない木が立っていた。
そしてその木の幹に別の木が直角に突き刺さっている。
なんだこれ?
無音の空間に俺とそのいびつに交差した木があるのみ。
木ってなんだろう?
どうして地面から生えるのか。
頼んでもいないのに生えてきた木を使って人は家を建てる。
なんて不思議なことだろう。
どの作品もビッキさんの生命力と、深い思考が凝縮され、形になっているようだった。
芸術は魂をさらけ出すことだと思う。
生々しさがなければ人の心に触れることはできない。
木が持つ大地のエネルギーと人間の業が融合していたな。
ビッキさんマジですげぇ。
275号線で中頓別、浜頓別と進み、クッチャロ湖で夕日を見てからさらに南下。
一気に紋別までやってきた。
まだ知床半島や日本最東のノシャップ岬、阿寒湖などめちゃめちゃ回らなきゃいけない場所があるというのに、全然時間が足りない。
というのも、あと4日後に富良野のヒロちゃんが初めてステージに立って本格的なライブをやることになっている。
可愛い妹の初舞台。
なんとしても見に行きたい。
そうなるとあと3日で道東を終わらせないといけない。
1秒も無駄にできないペースで動かないと。
車内灯を消して布団にくるまる。
暗闇のオホーツク海は静寂に包まれていた。
翌日、目を覚ましてサロマ湖をぐるっと見て網走に向かって車を走らせた。
オホーツク海側って冬の流氷以外は特になんもないね。
能取湖岸にサンゴ草という色も形も珊瑚そっくりという草の自生地があったが、草がサンゴのように真赤に色づくのは秋口。
今の時期はくすんだ色の草が生えてるのみ。
とっとと通過して今日のメイン、網走刑務所にやってきた。
きたぞー!!!!
健さんーーーーーーー!!!!!
お母さんは生きてたよーーーーーーー!!!!!!!
映画見てる人しかわからんな。
天都山の中にある日本最北の刑務所だった網走刑務所。
網走番外地なんかの映画などで馴染み深いあのボロくて寒そうな建物は昭和59年まで使用した後、山を降りたところに新築されて役目を終えたが、それからこの場所は博物館として一般公開されている。
出来たのは明治23年。
開拓もほとんど進んでない、ろくな暖房設備もなかった時代、この刑務所は受刑者たちに最も恐れられていた場所だった。
交通の便は最悪なので面会にも来れない。
極寒の冬を布団1枚でしのがなければいけない。
ジャングルを切り拓き、岩だらけの地面をおこす過酷な労働。
受刑者たちは未開の北海道を開拓するための労働力としても使われていたのだ。
そんな地獄のような環境なので相当な数の犠牲者が出ていたらしい。
展示されているマネキンを見ていると、こんな最果ての刑務所に送られた人間のそれまでの人生が胸に迫る。
人間、塀の中に入るもんじゃない。
そんなこと思いながら実際の受刑者が食べていたという500円の獄内食を食べたけど、なかなかうまい。
俺が普段食べてるものよりよっぽど豪華。
受刑者たちが耕していた畑、ぶ厚い木の扉で閉ざされた質素な獄舎などを見て回っていると、
ん?あれはなんだ?
誰かが梁をよじ登ってる。
あれはかつて日本一脱走が困難といわれていた網走監獄から脱走した昭和の脱獄王、白鳥由栄の脱獄シーンを再現したマネキンだ。
監視孔の鉄に毎日みそ汁を吹きかけ、錆びつかせて格子を抜き取り、狭い穴から体の関節を外して脱走。
そんな逸話がまたロマンをかきたてる。
広い施設はかなり見ごたえがあり、1000円の入場料分はたっぷり満喫できた。
うん、やっぱり塀の中なんて入るもんじゃない。
旅人がなぜか名刺やメッセージを残していくという北浜駅の駅舎を見て、知床半島、ウトロへ向かう。
日本最後の秘境といわれる知床半島。
ジャングルと断崖絶壁、ヒグマや様々な動植物が人間を寄せ付けない、世界自然遺産登録目前の地だ。
この知床半島、途中までしか道がなく一周することはできない。
が、それを気合いで歩いて一周してやる!!とみんなに豪語していた俺。
まずは半島北側の最奥の町、ウトロで情報収集をすることに。
『馬車道』という居酒屋でかなりうまい焼きそばを食べながらマスターに話しかける。
「あー、手前で工事してるからねー。行けないよ。まず追い返されるだろうね。」
なんてこった…………
まだ山が開かれていないらしい。
まずここウトロからバスで山に入ると知床五湖という美しい湖があり、そこからさらに奥地に入ったところにカムイワッカ湯の滝という秘湯中の秘湯が存在する。
知床半島一周はムリかもしれないが、このカムイワッカ湯の滝には絶対行きたい。
でもそこにさえもゲートが閉まっていて行くことができないらしい。
なんてこった……………
まぁ、そんなことで引き返す俺じゃないが。
とりあえず今日のうちに車で近くまで行っておくことにした。
森の中をゆっくり走っていると、ヘッドライトに浮かび上がる鹿。
ていうかそこらじゅう鹿だらけ。
おいおい、キツネもいるぞー。
ってよそ見してると道路の真ん中に鹿の大群!!
ここはサファリパークか!!
10キロほど行くと、確かに知床五湖のところでゲートが堅く閉ざされていた。
この奥にある秘湯、カムイワッカ湯の滝までは絶対に行きたい。
が、そこまででもまだ11キロある。
夏場の7月中旬になるとゲートが開き、カムイワッカまでのバスが出ているというが、こうなったら歩いてなんとか行くしかない。
そしてそのまま海沿いを歩いて知床半島一周。
ここまで来て指くわえて帰ってたまるか。
知床は世界でも指折りのヒグマ生息地。
生きて帰れるかな…………
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