2004年 7月12日
平泉の郷土館にやってきた。
そこで千葉さんというかたを探す。
昨日、駅前の観光案内所のおばちゃんと喋ってたら「あそこの千葉さんが東北の歴史や宗教に詳しいがらー!!」って紹介してくれたという流れ。
千葉さんからしたら、いきなりわけのわからん変なやつがやって来て、なんの用?って感じだろうな。
でもそんな俺にすごく丁寧に教えてくれる千葉さん。
「蝦夷の酋長の悪路王の存在というのは私はあまり信じてません。田村麿の伝説には尾ひれのついたもの、でっちあげたものが多いんです。」
「慈覚大師の名前というのはブランドですからね。空海にしてもそう。この人たちが呼びかけて行ったことには、全てこのブランドが使われているんですよ。」
「エゾというのは朝廷に従わない北の人々のことを差別的な意味合いで呼んでいたときの呼称。エミシとは逆に当人たちが自分たちのことを呼ぶ時に誇りを持って使っていた呼称。」
「神仏分離は明治からのことなんだから、統一されていた期間のほうがもっともっと長いんです。ですから、寺になんで鳥居があるの?なんていう現代的な考えかたでは真実には歩み寄れませんよ。」
千葉さんの話めっちゃ面白い。
目を輝かせて話を聞いていると、
「まぁ、ストーンズの言ってることが真実ですよ。」
ニヤリと笑う千葉さん。
今日俺はローリングストーンズのベロTシャツを着ている。
千葉さんかっこよすぎ!!
いやぁ、それにしても歴史って教科書で習うことが全てじゃなさすぎて奥深すぎるやん。
1+1=2みたいなわかりやすい答えの裏側に色んなストーリーが存在している。
結局は人間なんだもんな。
物事を一面的に捉えず、そこに感情を持って考察すると違う見えかたができてくる。
長い長い時間の中でどういった変化をしていったのか、吟味しないといけない。
人を学べば歴史がわかる。
歴史を学べば人がもっと見えてくる。
てなわけで歴史ヤベーーって感動しながらやってきたぞー。
平泉中尊寺だー!!!
850年に慈覚大師によって開山され、その後、平安後期、藤原氏三代が数々の堂塔を造営した一大史跡。
広大な境内のいたるところに国宝級のお堂が点在している。
宝物館と目玉の金色堂は800円払わないといけなかったけど、ここはさすがに喜んで券を買う。
もう宝物館、国宝だらけ。
そして金色堂。
1300年代に大火事でほとんどが消失したけど、唯一火を免れて創建当時の姿を残しているのはこの金色堂だけ。
夜光貝の螺鈿細工から金の蒔絵、しかも屋根以外全面金箔押し。
豪華すぎ。
老朽化によって崩れかけていたので昭和に大改修が施されたそうだが、場所によって金箔の種類が違ったり、磨きは津軽の炭を使ったりと、忠実に作業を進めたので6年もかかったそうだ。
今では湿度まで快適な環境にするためにガラス越しにしか見ることはできない。
この山だらけの東北で黄金文化を開花させた奥州藤原氏。
その栄華を垣間見ることができた。
但馬牛と島根牛の交配で生まれた全国でも有名な前沢牛の里を素通り。
この旅の中で牛のお世話になるってったら吉野家くらいのもんだ。
しかももう吉野家牛丼ないし。
豚丼しかない。
水沢市羽田町は鉄瓶で有名な南部鉄器の町。
いたるところに鋳物屋があり、工場前の道路は錆で茶色く染まっている。
伝統産業会館で南部鉄器の歴史や作業工程などを勉強し、実際に見学のできる工房にお邪魔することに。
やってきたのは手作りにこだわる小さな工場、成龍堂。
最近はコスト削減と大量生産でこういった手作りにこだわっているところは少ないという。
「夏場は1400℃の溶けた鉄を扱うし、冬場は水にずっと手をつける作業もあるので相当きつい仕事ですよ。煤でいつも身体中真っ黒です。」
表面につぶつぶの模様を入れる『あられ』は、正確にひとつひとつ穴を押していく根気勝負の作業。
想像しただけでキツそう。
「ホーローっていうガラスの膜を表面に張ってるもの。色付けのために色んな不純物を混ぜてるとこ。鉄器にも色々あります。でもホントに良い手作りのものは、湯を注いだ時に口から垂れないし、風鈴のような綺麗な音がします。」
科学的にもわかってることらしいけど、鉄瓶で沸かすとお茶に最適な湯ができるんだそうだ。
当然昔って科学なんかなかったわけだけど、知らず知らずに体にいいもの食べたり飲んだり作ったりしてる昔の人ってマジすごいよな。
昔のものが絶えずに伝わっているということは、必ずそれなりの理由があるんだよな。
東北の文化って今までとなんか違う。
すべてが興味深い。
翌日。
俺の大好きな漫画『うしおととら』では、西の妖怪の本拠地が宮崎県高千穂、そして東の妖怪の本拠地が遠野ということになっている。
柳田國男の遠野物語に出てくる、数々の伝説や民話が息づく遠野は、岩手の中でもかなり楽しみにしていた場所。
一体どんな面白いところだろう。
周りを山に囲まれ田んぼが広がり、曲り屋が当たり前のように建っているのどかな田舎の町に入ると、通りのいたるところにカッパの絵や像が見られる。
早速いい感じやん。
とりあえず道の駅で情報収集。
ここの駅長は寒戸のババらしい。
行方不明なんだって。
シャレがきいてる。
行きたいとこありすぎで1日じゃ回れそうにないなぁと思いながら、まずはとおの昔話村へ。
ここでは遠野に伝わる民話を、遠野の方言で聞かせてくれる語り部の部屋がある。
この部屋で語れるのはプロの語り部さんだけで、現在修行中の人は駅の横にある土産物屋さんで語っているらしい。
ドキドキで部屋に入る。
「オラこの前は宮城で語って、その前は四国の方さ行って…………」
今日の語りはその道ではかなりの有名人と言う83歳のおばあちゃん。
全国各地を回っており、NHKにも出ており、なんと皇太子夫妻にも語ったことがあるらしい。
「何か語って欲しいのあればやんだども。」
「寒戸のババが聞きたいです。」
日本大好きセンジ君情報。
寒戸のババがお勧めだと昨日言っていた。
色んなこと知ってるよなぁ。
「むがすあったずもな……………」
語り始めるお婆ちゃん。
でも方言すぎて何言ってるか全然わがんね。
表情とかニュアンスでかろうじてストーリーが分かる程度。
マジでそんくらいほぼ理解できない言語。
「……………………どんどはれ。」
この語り出しとシメの文句だけはわかった。
この文句は地域によってそれぞれ微妙に違っているが、昔話の世界ではこの2つは絶対に言わなければいけない決まりごとなんだそうだ。
内容もアレンジしてはいけない。
アレンジして語る人もいるけど、それはもう昔話とは言わないみたい。
決まった形を土地の言葉で一言一句正確に語る。
これが極意だという。
ちなみに寒戸のババのストーリーはこう。
この遠野の里にある山の近くの集落で、明治の初め、若い娘がかみかくしに遭った。
そして30年後の吹雪の晩に突然みすぼらしい婆さんがその家を訪ねる。
誰だと聞くと、ここの娘ですと言い残し、風とともに消えたという。
それ以来、寒い風の日は寒戸のババが来るぞと子供をビビらせ早く帰ってこさせるようになったんだそうだ。
どんどはれ。
かなり立派な千葉家の曲り屋、平泉で死んだと言われているあの弁慶が持ち上げて作ったといわれる続石などを見て、道の駅で腹ごしらえに天ぷら蕎麦。
東北は全体的に味付けが濃いとは聞いていたが、確かに濃くてすごく美味しい。
それから里の奥にある山口という地区へ。
ここはまさに日本昔話状態。
緑の田んぼにぽつぽつと散らばる農家。
水車小屋は今でも脱穀や製粉に利用されているらしい。
こののどかな集落には悲しい歴史がある。
姥捨てだ。
60歳を過ぎた老人は、口減らしのためにここらに捨てられていたらしい。
捨てられるというと、野原に放置される、みたいなイメージだけど、そういうわけではなく、一応捨てられた老人たちのコミュニティがあったようで、老人たちは昼は村へ降りて農作業を手伝い、わずかな食料を得て山に戻り、ここらにあった小屋で寄り添うように余生を送っていたという。
寒冷地の山村では働けなくなった者を養うほどの余裕はなかったんだろうなぁ。
リアルな民話は結構ブラックなものが多い。
今日はこの辺にしてどこで寝ようかなーと思っていたんだが、せっかく遠野にいるんなら普通のとこでは寝たくない。
道の駅で得た情報によると、山をかなり登った峠近くに恩徳という民家が数軒あるだけの集落があり、そこにマジもんのお化け屋敷があるという。
なんでも女盗賊がその家に住み、宿を求めてやってきた旅人を殺して身包みを剥いでは周辺に埋めていたという逸話。
さすがは民話の宝庫、遠野。
何年か前にテレビの取材でスタッフが何人かそこで寝たらしいが、夜中に枕をひっくり返されて全員一睡もできなかったんだそうだ。
普通に怖い。
というわけで外灯なんてひとつもない真っ暗闇の霧雨の中、山を登っていく。
今夜はその家の前に車を止めて寝てやる。
とはいったもののかなりビビってる。
車内にエアロスミスをガンガンにかけて怖さを紛らわす。
しかし………………なんもねぇじゃねぇか。
この真っ暗闇の森の中、何度もUターンしたが結局民家一軒見つけられなかった。
懐中電灯持って外を歩くまでの勇気はない。
しょうがなく里に降り、昔カッパがたくさん住んでいた小川の近くにファントムを止め寝転がった。
さぁ河童さんたち、そう簡単には尻子玉とられんぞ。
かかってこんかい。
リアルタイムの双子との日常はこちらから