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岡山の婆ちゃんちで年越し







リアルタイムの双子との日常はこちらから







金丸家の正月はほぼ毎年、お母さんの実家がある岡山に帰ることになってる。


子供の頃からずーっと慣例。


今俺は旅中だけど、それほど遠くまで来ていないし、年越しは岡山で過ごすことにしよう。




それにしても毎年親と一緒に行ってた岡山県。


昔はすごくすごく遠い場所で、1人でなんか絶対に行ける場所ではなかったのに、今こうして自分で車を走らせているのがものすごく新鮮な気持ちだ。








小倉から門司に行き、関門トンネルをくぐったらついに本州に突入。


うおおお、九州を出てしまった。


なんだか大きな関所を越えたような感覚だ。


ここから先はほとんどまったく未知の世界。

一体どんな旅が待ち受けているんだろう。



山口県は旅の後半にとっておくとして、一路岡山を目指した。












ガソリン千円分で行けるだろうと思ってたのに、結局3千円もかかって倉敷市に到着し、そこからズンズン山奥へと向かう。


お母さんの実家は中国山地の中にある川上町という場所。


オーガデッケンという、古い地層と新しい地層がひっくり返ってるっていう珍しい地形があったりする。


マンガの町とも言われていて、マンガ美術館っていうものすごい量のマンガが読み放題の建物もあり、小さい頃はそこによく行ったもんだった。




川上町の中心地からさらに相当離れた山まで行き、日本昔話みたいな茅葺きの大きな屋根の民家がまばらに散らばる道路を走り、そこからイノシシの罠があちこちに設置された未舗装の林道みたいなところに入って、どう考えてもこの先に民家なんてないだろうっていう谷にお母さんの家はポツンとある。



ケータイの電波なんかもちろん1ミリも届かないスーパー山の中だ。


子供のころはここに来るのが結構怖かったのを覚えてる。


トイレが家の外にあるので、夜に行くのが怖くてお母さんについて来てもらったりしていた。



お母さんってこんな場所で生まれ育ったんだよな。




今はお爺ちゃんお婆ちゃんはあの古い家から舗装道路沿いの新しい家に引っ越してる。


それでももちろん電波は1ミリも届かない。












20時頃にやっとのことで爺ちゃん婆ちゃんの家に辿り着き、思いっきりくつろいだ。


親戚のおじちゃん家族も来ていて、みんなで鍋や刺身を食べながらビールを飲み、年の瀬の特番を見る。


そしてみんな俺の旅の話を聞いてくれる。



「みじめかろぉ?」



俺が今、食うや食わずで外で寝たり車で寝たりしてると話すと婆ちゃんがそう言う。


お婆ちゃんからしたらそういう生活をしてるなんて哀れでしかないのかな。



でも全然みじめなんかじゃない。


俺らはまだ若い。


そう簡単に死にゃあしないんだから、もっといっぱいいっぱいやりたいことをやって無茶しなきゃ。



それにはっきり言って、普通に生きるのって簡単なことだと思う。


一生懸命仕事をすれば生きていくのは簡単なことだ。


社長にだって頑張りゃあなれるんだし、嫁さん養うのなんて楽勝なんだから、今はやりたいことやるためにがむしゃらにならなきゃ。





旅の話でみんなを楽しませ、久しぶりに肩の力が抜けた。


熱い風呂に、フカフカの布団。最高だーー。


















翌日は昼まで爆睡していた。


ブリが入ってる大好きな岡山のお雑煮を食べ、色んなご馳走を食べ、ひたすらゴロゴロした。


これからまたしんどい旅が続くんだから英気を養わないと。




昔のお婆ちゃんちに墓参り。












夜になり、何もせずに用意されるごちそうをパクパク食べる。


テレビではK1 VS 猪木軍の格闘技番組をやってる。


佐竹には笑わせてもらったけど、やっぱミルコは強い。

やっぱサップは怪物。

紅白では中島みゆきが出てた。

ちょー美人。












みんなでテレビを見ていたが、紅白が終わる前に除夜の鐘も聞かずに親たちは寝てしまった。



よし、出かけよう。


こんな時間から出かけるなんて昔からしたら考えられなかったことだけど、今はもう子供じゃない。



兄貴を誘って外に出た。


今日、昼間にドライブに行ったときに近くの福山市の郊外にライブハウスを見かけていた。


お店の看板に、今夜カウントダウンライブをやってる、と書いてあったんだよな。


飛び入りもできるかもしれない。



車のエンジンをかけ、深い山の中を駆け抜けた。











周りに何もない畑だらけの国道の脇に、ハイダウェイというそのライブハウスはあった。


ふん、こんな町はずれのライブハウスなんてそんな大したことないだろうと、ボブマーリーのポスターの貼られたドアを開けると、結構たくさん人が来ていた。


カウンターで飲み物をもらい、一番後ろのテーブルへ。





ステージでは子どもを連れた若いお母さんがマイクを握っている。


ちょうど準備が終わったところみたいで、曲が始まった。


どれどれ、どんなもんかな。





いきなりクリスクリストファーソンの『ミーアンドボギーマギー』。


子連れのお母さんがジャニスジョプリンのように迫力のある声で歌い上げる。




か、カッコ良すぎる!!!!!


な、なんだめっちゃすげぇ!!!!





その後もレベルの高い人たち続出。


1人がやり始めると、飲んでた人たちがのそのそとステージに行き、バックに加わる。


もうステージに乗りきらなくて、そこら中でウッドベース弾いたり、サックス吹いたりしてる。

ほとんどもうセッションみたいに、みんながやりたいようにやってる。


でもみんなレベルが高いもんだから、めちゃくちゃカッコいい。


なんだこのライブハウス、みんなプロ級だ。


舐めててごめなさい…………










そこからもすごいライブが続いたんだけど、あんまり遅くなると親が心配するのでそろそろ帰らないといけない。



えーっと、このまま帰る?



せっかくギター持ってその気で来たのに?



でもみんな上手すぎるから…………



みんな仲間って感じで場違いな雰囲気だし…………








いやいや、歌うしかない。



年が明けて1年の始まりにいきなりビビってたら、今年1年ずっとビビって過ごすことになっちまう。








演奏が一段落したところで車からギターを持ってきて、店員さんに声をかけた。
      


「おーいみんな、この兄ちゃんが歌いたいって。」



「おー!!やれやれー!!」
 


「えーと、宮崎からやって来ました、金丸文武といいます。」



「おー!!宮崎かよー!!やるなー!!」





暖かく迎えてくれる人たち。


初歌いはこれ!!と決めていた、トムウェイツの『シヴァーミーティンバーズ』を歌うと、客の中の2人がドラムとパーカッションで入ってくれた。


それから2曲歌い、ステージを下りた。



「やるねー兄ちゃん。」



「なかなかいい歌じゃない。」



「ありがとうございました。みなさん、よいお年を!!」



拍手で送られ、店を出た。


はぁぁぁ!!!緊張したああああ!!!












「お前、あんな中でよく歌えるよなー。」



「いつもあんな中でやってたからねー。」



「ふーん、あんな中であんなどフォークどうかと思ったけど、まぁ、なかなか良かったわ。」



帰りの車の中で兄貴がそう言う。


滅多に俺のことを褒めない兄貴。


昔はケンカばかりしてた。



「来年俺23だぜー。」




と、兄貴が将来への不安をこぼすのを聞いていると、お互い大人になっちまったんだと実感する。



もう明け方の4時。


年が明けて2003年。




今頃、俺の知らないところで、世界中の人間がニューイヤーを祝って大騒ぎしてるんだろな。


兄貴と初めて腹を割った話をしながら、除夜の鐘も届かない真っ暗な山道を走り抜けた。




















それから数日、のんびりと過ごした。


お父さんお母さんと兄貴は元旦の次の日には宮崎に帰って行き、親戚のおじさん家族も帰って、お婆ちゃんちはもとの静かな家に戻った。



周りの家々もそんな感じなんだろうな。



お婆ちゃんちの周りには日本昔話に出てくるようなお屋敷が、山間の畑の中にポツンポツンと立っている。


青や白の屋根をしてて、その屋根の下にはそれぞれお婆ちゃんが1人ずつ住んでるのだという。


旦那さんを亡くして、こんな山奥のあんな大きな家で一人暮らすお婆ちゃん。



正月で子ども達は帰ってきたのかな。


新しい年を迎えたことを知ってるのかな。


昔話を聞かせて欲しい。









英気を英気を、とか言いながら暖かい部屋でくつろいでいたらどんどん時間は過ぎていってしまう。


早く出発しなきゃと重い腰を上げようと思ったらこのタイミングで吹雪になった。


一面の白の中、ファントムが雪をかぶってうずくまっている。










マジかぁ…………こりゃさすがに危ねえか。
  


「こんなボッコー降っとんのやけぇ、行ったらいかんー。」



雪の中でもなんとか行けるんじゃないかと迷っていると、お婆ちゃんが引き止めてくる。



宮崎の方のお婆ちゃんが昔こんなことを言ってた。



「私たち年寄りから見るとねぇ、若者っていうのはあぶなっかしく見えるもんなんよ。」



特に俺のやってることなんて、お年寄りたちには到底理解できないことなんだろうなぁ。


なんでそんなことしてるの?という質問を何度されたことか。






色々考えてると16時くらいになり、雪も相変わらず降ってるので、もう1日だけぐーたらしていく事にした。


正月ぐらいっていうけど、俺にとっちゃぁ別に正月とかあんま関係ないしなぁ。



ケータイもずーっと圏外で、うざい電話もかかってこない。






そういえば親戚のおじちゃんがこんなこと言ってた。



「仕事したかったら俺に電話しろよ。」



お母さんの弟にあたるこの叔父さんは、耐震工事やトンネル工事の補修工事などをやってる会社の社長らしく、中国・四国地方だったらどこでも大丈夫だからな!!って言ってた。


福岡でお金をほとんど使い果たしてしまってるので、ここらでしっかり旅費を稼いどいてもいいかもしれないな。





















そして年が明けて4日後。


朝のうちは降っていた雪も昼頃になると止み、少しずつ溶け始めている。


そろそろ行くよと言う俺に、爺ちゃん婆ちゃんは寂しそうな顔をして、俺を引き止める言葉を探している。


外に出て、雪をかぶったファントムに火をつける。



「気をつけて行かんばぁー。」



家が小さくなり、見えなくなるまで玄関のところに立っていてくれた。


どうか元気で。


また旅の戻りで会いに来るから。















さぁ、本州最初の県、岡山の旅のスタートだ。



まずは井原市の嫁入らず観音へ。


嫁入らず観音とは、お参りすると無病息災で、嫁の手を煩わせることがないという話が由来の観音様。


「聖観音菩薩」の本体は高さ7.7m、重さ38tで、一本の石づくりの仏像としては国内で最大級らしい。


とにかく超でかい。











それを見た後、大河ドラマ「武蔵」のロケがあったという美星町の中世夢ヶ原へ。


閉まってたけど、隣の通路から入ってロケ地を見て周った。











6日に倉敷で祭がある、という美香の情報を得て、今夜は倉敷で寝ることにした。


夜の2号線を飛ばす。



たどり着いた倉敷は、駅は大っきいくせにこれといった繁華街がなかった。


おそろしく寒い街中を歩き回ったが飲み屋が中途半端に散らばっていて、ここが飲み屋街ってとこがない。




駅ビルの隅っこの暗がりでギターを抱えて震えてるお兄ちゃんがいたんだけど、あまりにも寒いんでもう引き上げるところだった。


兄ちゃんに倉敷来たからにはこれ食っとけってものって何?って聞き、ぶっかけ屋っていううどん屋に入った。


でも、うどんは来ても手がかじかんで箸が持てない。



友達のユウキからの電話によると、今日は宮崎でも雪が降ってるらしい。


全国的に寒いみたいだな。













路面凍結を心配しながら車を走らせ、小さい頃に親と一緒に行った鷲羽山へ向かった。



途中、水島工業地帯の明かりが見えた。


あんなでっかい工業地帯初めてだった。





ヘタな夜景なんて比べものにならないくらいのまばゆい光。


ズゴンズゴンとあちこちに何本も立ってる煙突から、もくもくと煙がのぼっている。





あまりにすごいから、車を止めて外に出て、広大に広がる明かりを見ていた。



まるで猿の惑星の禁断地帯みたいだ。


絶対に一般人が立ち入れないエリアなんだと思う。



よーく見ると、遠くの建物の隙間からものすごく巨大な炎がゴーゴーと揺らめいていた。












鷲羽山展望台の駐車場には、他の車は1台も止まってなかった。


エンジンを切り、真っ暗な中で車内灯をつけると、外は暗闇で何も見えなくなり、まるで宇宙船のコクピットみたいになる。



たった1人。

たった1人。



山の上にいるので風が強く、ビュワーン!!という音とともに車体が揺れる。


ヘッドライトをつけると、吹雪の瀬戸内海が見えた。




車の中、今日買ったビギンのベストアルバムに入ってる『ロンリーナイト』という曲が静かに流れる。


昔の女の顔がフワッフワッとぼやけて浮かんでは雪にかき消される。



寒くて寒くて毛布にくるまった。






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