最初はしんどかったタイ米積み下ろしのバイトも、コツを覚えたらほとんど体力を使わずにスピーディーにできるようになった。
しかし予定より作業が早く進んだみたいで、たった4日で明日からもういいよと言われてしまった。
結局もらえて3万2千円か…………
やばいなぁ…………
そしてあっという間に1週間が経ち、宿を出る日が来てしまった。
作業服を実家から送ってもらったのでさらに荷物が増え、こんな状態じゃとてもじゃないけど観光なんてできないので、こっちにたくさん友達がいるというボンボンに地元の友達を無理矢理紹介してもらい、その友達が勤めている土産物屋の物置に荷物を置かせてもらった。
さぁここからどうしよう。
とりあえずどこかに行こうと、波の上ビーチってとこに向かった。
ビーチの近くに慰霊碑があった。
激化する戦争から逃れるために、疎開先である九州に船で脱出した沖縄県民。
しかしアメリカ軍の潜水艦の攻撃により沈没。
約1500名が死に、その中には約780名の児童がいたという。
夏の日差しが照りつける午後。
柔らかい風に乗って、丘の向こうからビーチではしゃぐ人たちの声が聞こえて来る。
ここで戦争が起きていたんだよな。
俺が今立ってる足元にも、倒れ果てた人々がいたんだろうな。
泣き叫ぶ子供たちの顔が浮かぶ。
780人も。
なんて悲しいんだ。
その夜は宿で出会った群馬のタカシ君とクラブに行った。
暗い店内に爆音が響き、チカチカとライトが光る中、ノリノリで踊りまくってるタカシ君。
でも俺はやっぱりこのクラブってものの雰囲気に馴染めなくて、椅子に座ってタバコを吸っていた。
女の子を捕まえようと必死に声をかけまくってたタカシ君も、朝の5時になるとさすがに諦めたようで、帰ることに。
タカシ君のレンタルバイクに2ケツして明け方の58号線をかっ飛ばした。
見つかったらヤバいよな、と思いつつも、スクーターは自由に夜風を切る。
そうしてタカシ君の泊まってる宿の近くまで来て、俺はスクーターを降りた。
タカシ君の宿、ビーチロックハウスは高橋歩っていう人がやってるところなんだそう。
最近安宿で話してると、やたらと高橋歩っていう名前を聞く。
なにやら旅人のカリスマって呼ばれてる人らしい。
タカシ君と別れてサンセットビーチという浜にたどり着いた。
誰もいない静寂が心地よかった。
薄暗いビーチの砂まみれの階段に寝転がった。
暑い…………
熱い…………
うわあああああああ暑いいいいいいい!!!
太陽に焼かれてたまらず目を覚ますと、すでにビーチは海水浴を楽しむ人たちで賑わっていた。
暑くて朝方にシャツを脱いでまた寝たのをうっすら覚えてる。
身体中真っ赤になってて、ものすごくヒリヒリする。
ジーパンの破れた部分だけが綺麗に日焼けしていて、改めて沖縄の太陽の威力ハンパじゃねぇ。
所持金200円の中から110円でコーラを買い、一気に飲み干した。
体の砂を落として服を着て、ヒッチハイク用の段ボールをもらうために北谷(チャタン)という街の中をコンビニを探して歩いた。
大きな観覧車を中心に、若者が好むような奇抜でオシャレな建物が立ち並んぶ街並みには那覇のようなゴミゴミした雰囲気はなく、すべてがスタイリッシュ。
現在は那覇よりも人口が増え、夜の沖縄はここが1番盛り上がるんだそうだ。
勝連町には1時間ほどで着いた。
今日はここでお祭りがあるという情報を入手している。
でもヒッチハイクで乗せてくれたお兄さんが言うには、お祭りが始まるのは16時からみたいだった。
「まだ14時だし、島周ってやるよ。」
優しいお兄さんの車で勝連町にある3つの島を周った。
これらの島はすべて橋で繋がってるらしく、その橋のひとつから海に飛び込むことができるみたい。
高さが20mもあるんだそう。
絶対帰るまでに飛び込んでやる。
15時頃にお祭り会場まで送ってもらい、そこでしばらく待っていると続々と人が集まってきた。
16時になると司会の声が運動場に響き渡る。
色とりどりの民族衣装を身にまとった精悍な若者たちが、隊列を組んで移動しながら、独特な踊りを踊っている。
三線と民謡、パーランクーと呼ばれるタンバリンのような小太鼓、帯で体にくくりつけたかなり大きな太鼓。
エイサーと呼ばれるその踊りは沖縄の盆踊りにあたるものらしく、色んな流派があるんだそう。
各地区の青年会により、様々な流派のエイサーが披露されていく。
日が沈み、ライトアップされた運動場で60人以上の人々が一糸乱れぬ動きでエイサーを踊る。
キツネにつままれたような不思議な感覚でそれを見つめていた。
踊りが終わると司会の声が響く。
「一本締めで終わりたいと思います。よーーーおっ、」
パンッと会場内のお客さんたちが同時に手を叩いた瞬間、後ろの夜空に花火が光った。
数もあまりなく、そんなにお金もかかっていないであろう花火だったけど、こんな片田舎の歴史ある祭りで見る花火は格別だった。
遮る建物はひとつもなく、散っていく火花の最後の最後まで確認できた。
「永遠の平和を祈って。」
そう司会が言った途端、またもや三線による民謡が始まり、今度はお客さんもなだれ込んでみんなで好きなように踊り始めた。
オジイ、オバア、若者まで、みんな踊っている。
伝統を伝えようとする人たち、伝統を受け継ごうとする若者たち。
絶滅してしまった、絶滅しようとしている伝統が今の日本にどれくらいあるだろう。
特技何?って聞かれて、カラオケって言うよりも、エイサーって答えたほうが絶対カッコいいよな。
何百人もの人たちが入り乱れて踊る。
キツネにつままれたまま、夜はふけていった。
リアルタイムの双子との日常はこちらから