こんにちは!神田です。
帰国してから現在まで日本を周っておりまして、なんだかまだ旅の途中のような不思議な気分です。
しかも相変わらずの車旅!!
はい、まだ車の中で寝ています。
でも日本での車旅っていろいろしやすい!!
どこにでも公衆トイレがあるし、ごはんだって自炊しなくても安いものがいっぱい!
何より銭湯がそこらじゅうにあるなんてなんて贅沢なことでしょうか!!!
最近はまだ5月だっていうのに暑くなってきてしまって、暑さで目がさめるのはなかなか辛いですが、快適車旅続けています♪
おわり
「ほらほらほら~~、デッカーの息子がデッカーになってきたよぉぉぉぉぉ~~、こんなにデッカーくなってきちゃったねぇぇぇぇ~~、見てごらん~~~、恥ずかしがらなくていいんだヨォォォおおお~~、すごく固くて太くてデッカーくなってるよオオオオオオオオオ~~。」
横須賀の偉人、デッカー大佐。
さて、小気味よい下ネタによる導入で今回も爽やかブログスタートですね。
デッカー大佐は本当に素晴らしいかただったそうです。
戦後の荒廃した横須賀を立て直すべく、様々なことに取り組んだんだそう。
日本人の性病や結核の治療、女性の地位向上、さらに工場を作り、産業を盛り上げて失業者を減らし、経済を活性化。
4年ほどの任期だったそうだけど、その多大なる功績により、初めて日本人の手によってアメリカ軍人さんの胸像が作られたんだそう。
これが1949年のこと。
すげぇなぁ…………
これってきっとなかなか際どいことなんだろなぁ…………
確かにものすごい横須賀のために働いてくれた人なんだろうけど、彼らは戦勝国の軍人さんであって、日本を統治していくために政策を行っていたんだろうし。
日本には今でもアメリカ人のことを侵略者と呼ぶ人もいるもんなぁ。
は?何言ってんの?当たり前やん?侵略者以外なにがあるの?くらい強く思ってる人にも結構会ってきました。
だったら戦後すぐのころなんてもっともっとそんな国民意識は強かったはずだろうし、そんな時代にアメリカ軍人の胸像が建てられるなんてよほどこのデッカーさんが偉大な人だったのか、日本人にも好かれる人徳者だったのか、横須賀がそういうオープンな場所だったのか、まぁ現代人にはわからんな。
今も横須賀の高台にひっそりとたってるデッカー大佐の像。
その眼下には2万人のアメリカ人が暮らすベースと、飾らない海沿いの港町がある。
この町にも色んな人がいたんだよな。
ちなみにアソコデッカーだったかは知る由もありません。
さて、大好きな横須賀ではブログの読者さんにたまたま路上中にお会いしたりしてすごく楽しく過ごせました。
仲良くしてた中華料理屋さんのリー君に赤ちゃんが産まれていたり、サラリーマンのオジちゃんたちと一緒にフォークを歌ったり、ガラの悪い兄さんに絡まれて、怖がりながらも頑張って歌って、お前やるじゃねぇか!!頑張れよ!!!って味方にもっていくことができたりして、俺ちょっとは成長できてるなぁって思えたりして、やっぱり横須賀は最高でした。
飲み屋街の若松町には、この町で演歌やり続けて56年の流しのサブさんがいるんだけど、まぁ今回もまた軽くバトりました。
昭和レトロなネオン街の中をガットギター片手に歩いてくるパイセンの風格は只者じゃないです。
前回、ここでやっちゃダメだぜぇ、って注意されたことがあったので、今日は遠慮して飲み屋街の端っこのほうでやってたんだけど、やっぱりそこにもやってきて怒ってきました。
パイセンの言い分は、外で演奏したら近所迷惑になるからやっちゃいけねぇ、やるなら俺みたいに店に入ってってやることだ、って感じ。
でも俺はすでにこの若松町で何回かやってるけど注意されたことはないし、なんならお店のかたたちとも仲良くさせていただいてる。
気にせずやりなー!みんな応援してるよー!ってみんな言ってくれている。
「あのなぁ~、わかっちゃいねぇなぁ~、この業界にもルールってもんがあってだなぁ~、そのルールを守らねぇ若えもんが最近はよくいやがんだよ~、外でやると迷惑だろ?うるさいだろ?俺みたいに店の中に入っていって演奏するのが流しってもんだ、それをアンちゃんは外でやってあーたらこーたら、」
「あー!!お兄さんー!!この前はステキな歌をありがとうねー!!これ差し入れ!!頑張ってね!!お店の中から聞いてるからねー!!トイレしたくなったらいつでもきてね!!」
パイセンが力説してると、横のスナックのママがお菓子の差し入れをしてくれる。
動きが止まるパイセン。
「ま、まぁ中にはあんな姉ちゃんもいるけどだなぁ、ルールを守らねぇといけねぇんだよアンちゃん、わかるかい?テキ屋さんとか町を仕切ってる人に挨拶に行ったり、ショバ代を払ったりだなぁ、色々あるんだよおおお~~色々~~~、俺はこの道56年であーたらこーたら、」
「あ、ショバ代払ってらっしゃるんですか?そうなんですね、スナックのママたちからも聞いたことなかったです。僕も払いたいのでどこに払えばいいか教えてもらえますか?テキ屋さんですか?飲食組合ですか?」
「そ、それはオメェあれだよ、あのー、だからなぁ、俺はこの道56年ずっとここで流しやっててだなぁ、可愛い嫁さん大事にしなきゃいけねぇぜ、あーたらこーたら、」
ツッコミどころがありすぎで、ちょっと面白くなってきてしばらくパイセンに食い下がって色々お話きかせてもらいました。
いやぁ、56年間この小さな飲み屋街でギター1本流しやってるって、半端ないことです。
しかも北島三郎オンリーというハートの強さ。
そんなところに知らんよそ者が入ってきて稼いでたら追い出したくなるという気持ちもわからんでもないです。
最終的に、ちょっと動いたところならやっていいというお許しをいただけて、これでパイセンと揉めることはもうこれから無いでしょう。
というかもう横須賀で路上をやることもないんだろうな。
パイセン、どうかお元気で。
若松のネオン街に、今日も渋い北島三郎が流れていますように。
そんな横須賀を出て、東京の日本橋にある三井ホールでのイベントへ。
旅仲間のマサトさんが主催する世界一周学校の文化祭に出演させていただきました。
まぁ楽しいイベントでした。
なんせ旅するにこいちとの再会ですよ。
バリ以来!!ていうか日本で会うの初めて!!!
ていうかノリ君髪切ってる!!!
ユキちゃんがオシャレ意識高い女子になってる!!!!
「久しぶりーー!!!」
「うわー!!久しぶりですーー!!!」
「よっしゃ!!軽くいこうか!!!」
というわけで本番前に外のセンベロでベロベロです。
僕たちらしいです。
日本橋でもいいお店あって良かったああああ。歩いてる人がみんなめっちゃハイソな雰囲気なんやもん。
そこにジャカルタ在住のエリート美人OLアユミちゃんが登場。
アユミちゃん相変わらずウエストが細い!!!!
オリバの腕のほうが余裕で太い!!!
そんでいい気分で会場に戻って、ワイン飲んだり色んなワークショップ見たり、虫を食べて生きてる変な人の作るコオロギラーメンを食べてみたりしてぷらぷら。
コオロギラーメン美味しかったです。
それから本番でマサトさんと旅するにこいちとのトークライブ。
これがめっちゃ面白かった。
マサトさんのリードが上手いから僕もノリ君ユキちゃんもスラスラお話することができて、お客さんの反応もよくてノッてきて、1時間があっという間に終わってしまいました。
もっとこの4人で話したかったなぁ。
それから僕のミニライブで、3曲歌わせていただきました。
ありがたいことにアンコールももらえて、お客さんにもたくさん入ってもらえて、ステージ後には色んなブログの読者さんに声をかけていただけて、本当にすごく嬉しい日になりました。
マサトさん、スタッフのみなさん、本当にお疲れ様でした!!
旅ブームは結構下火になってきていますが、マサトさんの熱くて面白い活動でまたあの頃みたいな盛り上がりを作ってください!!
あ、あれ…………?
この人見たことあるような気が…………
じゅんぺーありがとうね!!
文化祭が終わったら、次の日に漫画家の平松先生のところへ挨拶へ。
柴又にある平松先生のオフィスに遊びに行かせてもらいました。
最近平松先生が連載している漫画、そして僕は外道マンになる。
これがめっちゃ面白い。
自伝漫画なんだけど、平松先生の半生、漫画家としてどうのし上がっていったのかってのがユーモアたっぷりに描かれていてすごく引き込まれる。
それだけじゃなく、ドラゴンボール以前の少年ジャンプの殺伐とした、地獄みたいな現場の様子も描かれていて、読んでるだけで恐ろしくなってくる。
漫画の世界怖ええ…………
読んでる側は楽しいばっかりだけど、裏側はあんなに壮絶な日々なんだよなぁ…………
しかも最前列で戦う週刊連載の漫画家ともなると、マジで命がけでやってるんだよなぁ…………
平松先生も20歳の時から仕事仕事で、睡眠は1日2時間だけ作業机にそのまま突っ伏して仮眠するだけっていう生活をずっと送ってきたんだそう。
ボロボロになりながら連載をあげて、そして鬼みたいな批判の手紙を山ほど送りつけられ、編集さんにズタボロにされ、それでも1週間ごとにやってくる締め切り。
あれ見たら自分がどんだけ甘えながら生きてるか情けなくなる。
一流の人たちはみんな死ぬような努力をしてのし上がってる。
俺ももっと頑張らないと。
そんな平松先生。
お忙しい中、お仕事の手を止めて柴又観光に連れてってくれました。
江戸川の河川敷を散歩して矢切の渡しを見せてくださり、帝釈天題経寺にお参りして見事な彫刻を見学させてくださり、最後には参道で1番美味しいという高木屋さんでお団子をご馳走になりました。
柴又といえば寅さんの団子屋さん。
参道にはいくつもの団子屋さんが並んで、ゴールデンウィークの賑わいでたくさんの人で溢れていました。
いいなぁ、これぞ伝統的な日本の観光地。
素朴で、人情味があって、本当に大好きな場所です。
平松先生、本当にありがとうございました。
外道マンの連載頑張ってください!!
柴又を出たら友人のマッピーさんと上野のアメ横の立ち飲み屋へ。
これぞ下町育ち!!っていう下町丸出しのマッピーさんが連れてってくれるのはいつもめっちゃくちゃローカルなお店ばかりですごく楽しいです。
いつも東京の西側で遊んでるから、こうした東側のどローカル感がたまらないです。
東京も東に来ると昭和の匂いがただよう場所ばっかりだよなぁ。
上野なんか前後の闇市の名残りそのまんまだもんなぁ。
ここで人々が路上で叩き売りしたり、ヤクザさんが歩いたり、東北から出稼ぎの人とか集団就職の人たちがわんさかやってきたりしてたんだろうなあ。
上野、今になって来てみるとめっちゃ面白いですね。
ていうかこのお店の店員のお兄さんが僕のブログの読者でめっちゃビビりました。
高架下の地下にある、ここ日本?っていうめっちゃくちゃディープな中国人まみれのマーケットなんかも見て回り、さらにもう1軒。
最後にはなんかわかんないけど扇風機評論家っていうお兄さんと飲んで大盛り上がりになってました。
上野楽しいいいいいいい。
マッピーさんと飲むの楽しいいいいいいいい。
東京東側ローカルツアーとかやってもらいたいもん。
マッピーさん、また遊んでください!!!
ちなみに扇風機評論家の星野さんは夏になったらテレビに出てくるみたいです。
今年の夏が楽しみ。
さてさて、そんな感じの近況報告だったわけですが、近況よりもお店はどうなってんだというアレです。
いやー、慎重に進めてはいますが、まだ難しいです。
一筋縄ではいきませんね、そして時間もかかります。
まず最初にお話しなければいけないのは、僕らが最初にオープンしようと思っているのは、ゲストハウスではなく飲み屋さんだということです。
え?あれだけゲストハウスゲストハウス言ってたのに飲み屋?なんだそれ?
ってなりますよね。
僕とカンちゃん、2人ともゲストハウスをやるのが夢です。
それは昔から変わりません。
なので旅中にいつもいつも、どんなゲストハウスにする?という構想を話し合っていました。
ゲストハウスはもちろん快適に泊まれることが最優先。
居心地のいい空間作りをしなけれはいけません。
そしてそうしたら居心地のいい宿にはたいてい、居心地のいいカフェスペースやバースペースがあるものです。
宿と飲食店は必ずセットにしたい。
これが僕とカンちゃんの考えとしてありました。
ただ、そうして意見を出し合ってお店のイメージを膨らませていく中で、どんどん飲み屋さんのほうのイメージも大きくなっていきました。
そう、僕の地元の美々津の町中って、おでん屋さんが1軒あるだけで、唐揚げとか揚げ出し豆腐が食べられるような居酒屋さんがないんです。
おじさんたちは公民館にお酒を持って行って飲み会をしたりしてるし、ちゃんと飲むならタクシーで隣町の日向まで出るしかない。
国道沿いまで出れば、車で行くような大きなお店はあるんだけど、歩いて行くにはかなり遠い。
僕も若いころ、友達と飲みに行くっていったら日向の町まで行くしかなくて、タクシー代がもったいないなぁっていつも思ってました。
地元にいい感じの居酒屋があったらいいのになぁって。
そこで、ゲストハウスをやりながらそうした居心地のいい、地元の人たちが集まれる飲み屋を一緒にやりたいと思うようになっていきました。
古民家を改装した雰囲気のある居酒屋。
そこに県外からの人や、いずれは外国人旅行者も遊びに来られたらいい。
でもこの町出身の僕としては地元定着型にしたいので、オシャレにしすぎず、あくまで日本の伝統的な昔ながらのスタイルを残し、それでいてほんの少しモダンな、という場所を作りたいと思っています。
古民家は確実に古民家の良さを残すべきです。
変えすぎたらいけない。
そのままがいいんです。
古びた、昔ながらのタイムスリップしたような風景を求めて旅をして来た僕なので、そこは絶対に残していくつもりです。
中国の観光地とか風情を殺しまくっててひどかったもんなぁ…………
ただ、よくよく考えていくと、ゲストハウスと飲み屋が同じ建物にあるってのはどうなのかなぁと思い始めました。
タイとかヨーロッパのパーティーパーティーした欧米人宿ならば、夜中までズンズンズンズン音楽を流して大騒ぎしていたって誰も文句は言わないです。
言うのは日本人旅行者くらいです。
そうです。
日本人は騒音が嫌いなんです!!!
うるさくて眠れない!!欧米人宿嫌い!!!っていうのが日本人。
だから日本人は感覚が共有できる日本人宿に集まる。
そんな日本で、飲み屋が併設されている宿ってのはいかがなものか。
いくらゲストハウスというラフなスタイルとはいえ、そこはうるさいと苦情になるんじゃないか。
うん、なると思う。
だとしたらゲストハウスと飲み屋を別々の建物にしないといけない。
だとしたらいきなり2軒買うのは金銭的にも仕事量的にも難しいので、どちらかを選ばないといけない。
さぁどっちだ。
答えはそんなに考え込むこともなく、結構あっさり出ました。
飲み屋を最初にやります。
まずは地域に定着すること。
僕はいくら地元出身とはいえ、ずっと外に出ていた人間。
まずは地域の人たちと関わり、キチンとした信頼関係を築いていかないといけない。
なので最初は外からのお客さんを相手にするゲストハウスではなく、地元の中でやる飲み屋を大事にすべきだと考えました。
そしてゲストハウスってのはやはりシーズンもの。
京都とかの大観光地ならまだしも、日向はどうしてもハイシーズンとローシーズンがあるので、そうした波のあるビジネスを最初にやるのは危険だと思います。
なのでまずは飲み屋で基盤を作り、次に別の古民家を使ってゲストハウスをやっていく、という形が理想的な流れだと判断しました。
地元のお客さん、外からのお客さん、どっちかに傾きすぎないようにバランスよくやっていく。
地域を盛り上げる!!という言葉は便利で耳触りはいいけど、変わらないことを望んでいる人も田舎にはいます。
急な変化に戸惑う人もたくさんいるはず。
全てはバランス。
そのバランス感覚、田舎の人たちの気持ちを理解しないとそこに溶け込むことはできない。
そうした、ここにしかない感覚、というものを、ここで生まれ育った僕はそれなりに理解できていると思っています。
理解しているというか、そういうものは育っていく中で培われ、性格の中に形成されているものだと思います。
美々津で飲み屋をやる。
この計画を胸に僕たちは1ヶ月ちょい前に世界旅から帰ってきました。
そして宮崎に到着したら、すぐさま物件探しに取りかかりました。
のんびりしてる暇はありません。
なんせ僕らは無職。
ある程度貯蓄してきたとはいえ、日本に帰ってきたら生活費や税金関係で一気に支出が跳ね上がります。
ぼんやりしてたらソッコーでお金が底をついてしまう。
スピード勝負です。
でも僕らはそんなに焦ってはいませんでした。
なんせ僕は地元。
そして美々津は小さな過疎の町で、古民家の空き家がたくさんあるということは子供のころから知っていました。
美々津に戻って知り合いの神主さんとか同級生の親とか色んなツテをたどって探していけば、すぐにイメージ通りの古民家が見つかると思っていました。
ただ、少し気になっていたのは、ちょっと前にアジア初のサーフィンの世界大会が開催されたこともあって、にわかに美々津の古民家の町並みが都会の人たちに注目されている、という噂です。
都会からサーファーがやってきて、美々津の古民家を買ってカフェにしたり、シェアハウスにしたり、現代的なリノベーションをして賃貸に使っているなんて話も親から聞いていました。
僕が子供のころは、美々津はそんな外からの人が移住してくるような町ではなかったのですが、この数年でそういった動きがよく見られるようになったとお母さんが言うのを旅中に聞いていて、ほんの少し焦る気持ちはありました。
早く帰らないともしかして美々津の古民家の空きがなくなってしまうんじゃないか?
いやいや、そんなことないだろう。
いくらなんでもそこまで買い占められるようなことはないはず。
きっと不動産屋に出されていないような空き家が眠っているはず。
そんな感じで、まずは美々津の町を歩きました。
子供のころから歩いてる町。
親に手を引かれて歩いた町。
祭りの夜に同級生の彼女と歩いた町。
町は相変わらず静かで、人の姿もほとんどなくて、そんな町のあちこちに思い出がこびりついている。
台風の日に遊んだ浜辺。
車を買って友達とたむろしていた駐車場。
川の向こうの中学校。
この町のことは全部分かっているはずだけど、こうして建物をじっくり眺めながら歩いていると、こんなにも新しい発見があるのかと驚きました。
そして、こんなにも味わい深い、趣のある、素晴らしい町だったんだということにも驚きました。
ここで生まれたことが誇らしくなるくらい。
カンちゃんも、いいねー、すごい素敵だわーー、って感動しています。
港まわりの美観地区にはいくつもの歴史的な古民家が並んでいます。
それらを見ていくと、空き家とおぼしきものがいくつかある。
そうした情報を頭の中に叩き込み、それから町のことに詳しい神主さんのところに挨拶に行きました。
この神主さんのおじちゃんは昔音楽をやっていた人で、音楽をやってる僕のことをすごく気に入ってくれてて、法事があるたびに、最近はどこでライブやってるとねー!ってニコニコ話しかけてきてくれていました。
僕が海外に行ってる間も、僕の両親に会うたびに、文武君はいつ帰ってくるとねー?って言っていたそう。
挨拶に行くとおじちゃんはすごく喜んでくれ、家に上げてくれお茶を出してくれ、そこでこれからの計画をお話ししました。
「よっしゃ!!任せとけ!!色々聞いちょくから!!」
「あら!!今聞いちゃるから待っちょきない!!!…………あー!!◯◯さんー!!あそこの家はまだ空き家になっちょるとねー?!今建物を探しちょる人がおるとよー!!」
おじちゃんだけじゃなく、奥さんもものすごい勢いで色んなところに電話をかけまくってくれて本当ありがたくてたまらない…………
もうおばちゃんに至っては、私は一度こういうの火がついたらとことんやるからねー!!よし!!明日市役所の人を呼んで席を設けるかい話したらいいわー!!と猛スピードで市役所の教育委員会の人にアポ取り完了。
「おばさん、ありがとうございます!!」
「いいとよいいとよー。文武君のお爺ちゃんのシノブさんは美々津を守ってきた人じゃかいね。あの人がおらんかったら今の美々津はないから。そしてお婆さんのツヤさんにも私は本当にお世話になったとよ。親みたいにしてくれてねぇ。あの人みたいにならんといかんって、目標にしちょったとよ。あのお孫さんが美々津に住むって言っちょるとになんもせんかったら恥じゃかい!!」
もう涙出るくらい感動しました。
うちのお爺ちゃんは昔、美々津の町並み保存会の初代会長をしていた人でした。
僕は小さかったからそれがどういうものかよく分かってなかったけど、お爺ちゃんが周りの人から尊敬されてる人だということは子供ながらに感じていました。
それからも町の区長さんとか住職さんとか、同級生の親とか色んなところを回りまくって挨拶して、これから美々津に住みたいのでいい空き家があったら教えてくださいとお願いして回ったんだけど、やはりみなさん、いやーシノブさんは本当に美々津のために尽力した人でねー、と言ってくださいました。
改めて、というか初めて爺ちゃんのすごさを知った瞬間でした。
ここは美々津。
ほんの小さな田舎のコミュニティ。
若い時は、広い世界を知りたくて田舎を飛び出し、こんなところに収まらないデカい男になるんだって思っていました。
でも今、こうして世界中を回って帰ってきて、どんな小さなコミュニティの中でも、その中で自分の責任を果たし、信頼を得、立派に生きていくことがどれほどデカいことなのかがよく分かりました。
世界に出ようが出まいが、田舎には世界の縮図がある。
お爺ちゃんみたいになる、なんて軽々しくは言えないけど、高い高い目標がすでにあることは、里帰りしてこの町を盛り上げていきたいと考えている僕にとってとても幸福なことだと思います。
次の日、市役所の人とお話をしました。
いやー、緊張しますね…………
お役人さんと面と向かってお話しとか、職務質問される時くらいのもんですよ…………
あとはイミグレーションで別室送りにされて質問攻めにあうときとか…………
めっちゃビビってしまうんですけど、でも役所のかたはとても丁寧に親身になってお話を聞いてくださいました。
美々津は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、日向市がそれらの建物を管理しています。
なので勝手に外観を工事していじることはできないし、勝手に縁側なんかを付け加えることもできません。
ただ外壁とかの修理だとかシロアリの駆除とか、建物を保存していくことに関するものには国から補助金が出るという形になっています。
市としては古民家が空き家になっているよりも人が住んだほうが建物が悪くならないので、住民を入れたい。
そういうところも、僕らみたいな古民家を探してる若い夫婦に親身になってくれてる理由のひとつなのかなと思いました。
ただ、役所のかたはとても親切なんだけど、お話しの内容はかなりシビアなものでした。
役所の方が言うには、この1年、特にこの半年くらいの間でパタパタパタと古民家が飛ぶように売れてしまっているんだそう。
あと少し早ければここが空いていたんですけどね、と言って教えてもらった古民家は、それはそれは素晴らしい建物。
日向市の建設会社さんが美々津の古民家を2軒、購入していました。
こうした美々津の代表的な古民家がどんどん売れていっている現状を目の当たりにして、今までヨユーヨユーと考えていたのが一気に焦りに変わっていきました。
こりゃマジでヨユーかましてたら本当に物件見つからねぇぞ…………
焦りながら役所の人のお話しを聞き、それから一緒に美々津の町を見て回りました。
そして1軒の空き家にたどり着きました。
飲み屋をするのに程よい大きさ。
美々津らしいこれぞ古民家といった外観。
ここは今現在、売りに出されている建物みたい。
実はこの古民家は不動産屋のサイトに売り物件として数ヶ月前から掲載されていた。
数ヶ月前からずっと出ていて、なかなか買い手が決まらないので、まぁ帰ったら一応見に行ってみようか、という話はしていた。
そうして実際こうして見てみると、インターネットサイトで見るよりもとてもいい感じだった。
角地だし、見た目もいい。
そして不動産屋に掲載されていた値段は400万円。
一軒家がコミコミで400万円。
大阪出身のカンちゃんからしたら考えられない値段だけど、これが田舎の相場なんだと思う。
もしかしたらもっと安くなるかもしれない。
なんだか見れば見るほどいい感じに思えてきて、これは1回不動産屋に電話をかけて内覧させてもらおうということにした。
ぶっちゃけ地元民の僕としては不動産屋を通して買って手数料を払うのではなくて、個人でのやり取りにして安く手に入れたかったんだけど、今回の話し合いでそんなに悠長なことを言ってる場合じゃないという現状がわかってきたので、のんびりなんかできない。
みなさんと別れ、家に帰り、すぐに不動産屋に電話をかけた。
「あ、すみませんー、ホームページを見てお電話させてもらったんですけどもー。」
「あ、どのような物件をお探しですか?」
「美々津の古民家なんですけどもー。400万円の。」
不動産屋さんはとても親切な対応だった。
明日にでも内覧をしよう。
中を見ればさらにお店のイメージも湧くと思う。
いやー、ドキドキする。
家を見にいくってドキドキするなぁ。
が、受話器の向こうから聞こえてきたのは信じられない言葉だった。
「あー、美々津の古民家ですかー、あれ今日決まったんですよー。さっき内覧に行ってまして、もう商談が進んでるところなんです。申し訳ありませんー。」
まぁ、オシッコ軽くちびりましたよね。
さっきてえええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!
なにその奇跡的なタイミングウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!
物件探し、簡単にいかねえええええええええええええええええ!!!!!