こんにちは!神田です。
リアルタイムはインドに来て数日が経ちましたーーーー!
あいわからずのカオス具合は健在で、何にレンズを向けても絵になるインド。
熱々のチャイを飲んで、スパイスの効いたカレーを食べて、水シャワー浴びて。
ヨーロッパとのギャップがすごい!!違う世界にいるみたい。
でも、なんだかんだでインド楽しんでます!
おわり
2017年11月11日(土曜日)
【オーストリア】 シュピッツ ~ クレムス
朝の光の差し込む食卓。
テーブルに並んだパン、ハム、チーズ。
カチャカチャとナイフとフォークを動かす音と一緒に、みんなの喋る声がダイニングに静かに響く。
カツカツッとゆで卵の頭をスプーンの裏で叩いてヒビを入れ、殻をむいたらハーブ塩をかけてすくって食べる。
殻は残したまま容器にして、中をくり抜くように食べるのがオーストリアでのゆで卵の食べかただった。
それを教えてくれたのも、イングリッドおばちゃんとレイモンドパパ。
いつもの4人の朝。
何気ない、普段通りの会話。
でもこれがみんなでの最後のご飯。
紅茶が湯気を立てている。
雨の予報だったのに、窓の外は太陽が出ていた。
おばちゃんは外出するのが大好きだ。
毎週のように何かしらのコンサートに行きまくってるのをフェイスブックに投稿してるし、何もないときでもレイモンドパパと2人で周りの山のハイキングに出かけてる。
そんなアウトドア派のイングリッドおばちゃんだけど、少し前までおばちゃんは家から出ることがほとんどできない人生を送っていた。
それはラルフがいたから。
おばちゃんとレイモンドパパには以前、知的障害を持った息子のラルフがいて、歩くことができないラルフのためにおばちゃんはずっと家にいなければいけなかった。
今もおばちゃんの家では全ての部屋のドアは開けっ放しにしとかないといけないルールがある。
それは這ってでしか移動できないラルフのためだ。
ドアノブに手が届かないラルフのために、扉を閉めてはいけなかった。
幼児の時に高熱を出して障害を持ってしまったラルフは、青年まで成長したが、残念ながら亡くなってしまった。
家の中にはそんなラルフの写真や、おばちゃんが作った似顔絵の刺繍が飾られている。
アミーゴスというドイツ人デュオのミュージシャンにお願いして、ラルフの曲を作ってもらったこともある。
そのCDは今も大事に棚に飾られている。
今おばちゃんがたくさん外出するのは、ラルフと過ごした半生を取り戻そうとしてるかのよう。
おばちゃんが心からラルフを愛していたのは、いつもいつも感じていた。
レイモンドパパの笑顔に少し影があるのも、ラルフのことがあったからなのかなとも思う。
パパがラルフの車椅子を押して、花畑の中で笑っている写真を見ると、いつも胸が締めつけられるようだった。
2人はもちろん今もラルフを愛している。
今こうしてたくさん外出して、楽しんでいるのは、ラルフの分も、という思いがあるのかもしれない。
そんなイングリッドおばちゃんとレイモンドパパと俺が出会ったのは、ラルフが亡くなって間もない頃だった。
おばちゃんは、以前から今みたいにオープンで、誰にでも優しい人だったのか。
それともラルフの死を境に何か変化があったのか。それはわからない。
俺はラルフを失って胸に穴が空いたおばちゃんとパパのところに調子よく転がり込んできた男だったのか、って一瞬思ってしまう。
でもラルフの代わりなんて当たり前だけどどこにもいないし、そんなこと考えるだけでも失礼すぎることだ。
俺は、1人の友人として、イングリッドおばちゃんとレイモンドパパと過ごしたかった。
それが、おばちゃんに抱きしめられるたびに特別な思いを抱かずにはいられなかった。
「フミ…………ナオ…………さようならなのね……………また会いましょうね…………あぁ、これが最後のサヨナラじゃないんだものね。」
「そうだよ。また戻ってくるし、いつでもフェイスブックで電話できるから。」
イングリッドおばちゃんが涙を流している。
玄関で何度も何度も何度もハグをした。
レイモンドパパがカンちゃんをずっと抱きしめて離さない。
カンちゃんのほっぺたをプニプニ触って、その瞳には深い深い優しさがあった。
喉がつまる。
おばちゃんと最後のハグをして家を出た。
そして車のエンジンをかけて窓から手を振った。
サイドミラーに、いつまでも2人が手を振ってくれているのが見える。
でも、坂道をくだっていくと2人がサイドミラーから消えてしまった。
ドナウ川沿いに出て、左に曲がり、シュピッツの町を走っていく。
バッハウのぶどう畑が枯れて色あせている。
ここで色んな思い出ができた。
一生忘れられない日々を過ごした。
まるで生まれるずっと前から来ることが決まっていた場所かのように、今では全ての風景が体と心の一部になっている。
昔、まだ旅に出る前、遠いどこかを夢見て憧れていたころ、宮崎の海の向こうのことをいつも考えていた。
この海の向こうに、世界のどこかに、きっと会うべき人がいる、約束の場所があるような、そんな妄想をしていた。
間違いなくここだったんだと思う。
見つけることができたよ、って、あのころ米の山の展望台から海を眺めていた自分に言ってやりたい。
旅しててよかった。
旅する人生を選んでよかった。
もうこれで日本に帰って、また海の向こうを眺めた時、その水平線は途方もない世界との隔たりじゃない。
その向こうに大好きな人がいるって思うと、世界はなんて小さいんだろう。
イングリッドおばちゃん、レイモンドパパ。
出会ってくれてありがとう!!!
これからの人生、ずっとずっとよろしくね!!!!
バイセンキルヒェン、デュルンシュタインの美しい町を通りすぎていく。
ああ、バッハウ綺麗だなぁって改めて思いながらアクセルを踏み、5年前に初めてヒッチハイクでたどり着いたクレムスに入った。
この橋の上からドナウ川を眺め、とぼとぼ歩いて町で歌ったよな。
あの時はただオーストリアのひとつの町でしかなかったけど、今では完全にヨーロッパのホームだ。
走りなれた道を曲がり、いつものパーキングに車を止めたらすぐにホコ天へ。
今日は土曜日!!
サタデーマーケットで午前中からかなりの人出だ!!
急いでいつものスパー前にやってくると、どこからともなく楽器の音が聞こえてきた。
あ、今日は誰か他のパフォーマーがいるみたい。
近づいていくと、向こうのヒポバンク前でクラリネットのおじさんがいい感じで演奏をしていた。
ふと気づくと、それはニューシネマパラダイスだった。
おいおい、どこまで演出してくれるんだよ。
ヨーロッパ最後の路上の日。
俺たちが大好きで大好きで、結婚式の入場曲にも使ったニューシネマパラダイスを演奏しているストリートミュージシャン。
まるで俺たちを祝ってくれてるみたいだ。
思い出が蘇る。
その時ふと思った。路上ミュージシャンの存在価値を。
受け取る側はどんな受け取りかたをしたって構わない。
どんな形でもいいから、自分のパフォーマンスで町行く人に何かしらのポジティブな感情を与えること。
それこそが俺たちの仕事だよな。
おじちゃんありがとう!!
よっしゃー…………
タバコを吸い、チューニングをして深呼吸。
これが最後のヨーロッパの路上。
雨の日も風の日も、雪の日も、体調の悪い日も、ひたすら歌いまくってきた。
変な奴に絡まれたり、警察に怒られたり、ジプシーと戦ったり、
本当色々あったけど、今心に残っているのは最高の満足感。
北欧、イギリス、バルカン、南欧、そしてオーストリア。
毎日毎日が最高の舞台だった。
これでヨーロッパ歌い納めだ。
オーストリア、クレムス、サタデーマーケット、体調万全、ついでに弦も張り替えた。
申し分ないコンディション!!!
悔いのない歌をうたうぞ!!!
シュタイアーのティムさんエヴァさんご家族にメールを送った。
挨拶に行く時間はあったんだけど、バタバタしているうちに結局行くことができないままここまできてしまった。
するとエヴァさんから返事が返ってきた。
「2人に会えて素晴らしい時間を過ごせました。私たちの家と私たちの心の中に、いつでもフミとナオの居場所があります。」
その言葉に胸が熱くなる。
そうだ、スイスの大好きな夫婦、ザビエルとサラちゃんのところに先日赤ちゃんが生まれた。
あんなに大きなお腹を抱えていたサラちゃんが無事出産することができ、ザビエルからすぐに赤ちゃんの動画が送られてきて、嬉しかった。
もし会えたらオムツを100個くらいプレゼントしたかったけど、それができなかったのは残念だった。
お世話になった大好きな人はオーストリアに、ヨーロッパにたくさんいる。
1人1人に挨拶に行くべきなんだろうけど、それをしなかった俺はズボラなやつだ。
でもきっと、そんなに薄い縁でもないと思う。
挨拶に来なかったから薄情者と思われるような、そんな他人行儀な関係ではないと信じてる。
日が沈み、暗くなってきたころにギターを置いた。
ヨーロッパ最後の路上が終わったな。
3時間、心を込めまくった。
次の路上はインドだ。
切り替えていかんとな。
路上を終えたらすぐにスーパーに行き、明日分の食材を買い込んだ。
明日は日曜日なので今日のうちに色々買っておかないといけない。
そして月曜日の朝にフライトだ。
そしてH&Mにも行ってちょこっとお土産も買った。
うーん、やり残してることはないかな。
きっちり準備万端でオーストリアから出発しなきゃな。
買い物を終えたらとある場所に向かった。
クレムスの町から10分くらいの住宅地に入っていき、1軒のお宅の前に到着。
身だしなみを整え、ちょこっと緊張しながら呼び鈴を押す。
すると玄関のドアが開いて小さな男の子とオーストリア人のお父さんが出てきた。
「よく来たねー。さぁ、入って入って。」
「あー!!いらっしゃいー!!どうぞゆっくりしていってねー。」
お邪魔させていただいたのは1ヶ月ほど前にクレムスで歌ってる時に声をかけてくださったオーストリア人の旦那さんと日本人奥さんのお宅。
クレムスで在住日本人のかたとお会いできたのも驚いたんだけど、この奥さんがまた大阪のご出身。
池田さんにしてもミクちゃんにしても大阪出身の方にご縁がある!!
いつでも泊まりに来てくださいねってメールアドレスを教えてくださっていたんだけど、この最後の最後にお邪魔させていただくことができた。
佐藤さん!!ありがとうございます!!
お邪魔させていただいたお家なんだけど、まぁとにかくデカい!!!
何世帯住めるんだ!?ってくらいめっちゃデカくて、さらにここで寝てくださいーってご案内していただいくと、
2階の全フロアー貸し切り!!!
しかもキッチンもお風呂もトイレも全部2階にあって、完全にホテル!!!!
ぐおおおおおお!!!!いんですか!?!?
そして地下に案内していただくと、そこにもまためっちゃデカい空間があって、物置でヨユーで住めます!!っていうレベル!!!
この前まで一畳ないくらいのスペースで6ヶ月生活しておりました!!どうもです!!!
驚いたのはそんな部屋のあちこちにものすごくたくさんの野生動物たちの剥製が飾ってあったこと。
なにやらこの家の前の持ち主さんがハンターだったらしく、こういった装飾が趣味だったんだそうだ。
いやー、ヨーロッパの家デケエエエエ…………
あ、神田さんがいる。
「うええええい!!アソブウウウ!!ナイーン!!シュペター!!ナイー!!」
人懐っこい息子さんがまた元気いっぱいでめっちゃ可愛くて、さらに小さな赤ちゃんの女の子がもうクリクリのぷにぷにで可愛くてたまらない。
息子さんはすでにドイツ語ペラペラなんだけど、お母さんの影響で日本語もだいたいわかるみたい。
さらにはお父さんが英語ペラッペラなので、機関車トーマスなんかは英語のオリジナル音声で観ているという天才ぶり。
そんなお父さんの方針で、あまりドイツ語のテレビは見せないようにしてるらしい。
オーストリアでやってる番組はだいたいドイツのドイツ語で放送している。
オーストリアのドイツ語は大阪弁みたいな感じでドイツのドイツ語とは少し違う。
お父さんは息子にオーストリアのドイツ語を喋ってもらいたいのでそうしてるんだそうだ。
息子さんとしばらくワイワイ遊び、それから少し歩いてお出かけすることに。
夜の住宅地をみんなで歩き、10分ほどでなにやら大きな建物に到着。
な、なんだ?ここ?
てかただの豪邸なんですけどなにこれ?
貴族がお茶会でもしてそうなめっちゃ豪華な屋敷に到着し、参加費を払って門をくぐる。
すると石段の上にはこの地域の町長さんがいて1人1人に挨拶していた。
テラスの横ではブラスバンドが演奏を奏でており、テーブルでは人々がホットワインをすすりながら談笑していた。
どうやらここはこの地域1番のお金持ちさんの建物らしく、今日はワインの洗礼式というものがここで行われるらしい。
そんなんあるんだなぁ。
俺たちもホットワインをもらい、そしてずっと路上で気になっていながら食べてなかった煎った栗をいただいた。
栗の甘みが口に広がり、あぁ、こりゃ確かに美味しいな。
ヨーロッパの人たちがみんな歩き食べしてる気持ちがわかった。
そして今年もヨーロッパのホットワインにありつけたな。
甘酸っぱいバッハウの白ワインで体が温まる。
もうこれでオーストリアに思い残すことはないか。
お家に戻り、美味しい晩ご飯をいただき、それから少し2階でゆっくりさせてもらった。
寝支度をして1階に降りると、さっきまで破裂しそうなほど元気いっぱいに動き回っていた息子君も眠りについて家の中が静かになってた。
「いやぁ、子供ができることは素晴らしいよ。大変だけどね。家族で日本に行くとして、子供たちと長い時間飛行機に乗ることを考えたら、うーん、想像するだけで地獄だね。ははは。」
小さな子供からしたら10時間以上の飛行機なんてとてもずっと大人しくしてられんよなぁ。
それをひたすら面倒を見るってやっぱりお父さんお母さんは大変な仕事だ。
寝静まった家の中、佐藤さんと旦那さん、俺とカンちゃん4人で静かにビールを飲んだ。
最初は緊張してしまっていたけど、徐々に話せるようになっていき、楽しくていつの間にかたくさんのビールが空いていた。
そして旦那さんが沖縄が好きなんだというのを聞いて、この前ノリ君からもらった泡盛を車から持ってきた。
「わー!!いいなぁ!!泡盛かぁ。でも私は飲めないなぁ。」
現在授乳期の佐藤さん。
本当はお酒が大好きらしく、以前はバックパッカースタイルでたくさんの国に旅しに行っては色んな地域のお酒を楽しんでたそう。
先進国よりも冒険を感じられる途上国のほうがお好きみたいで、インドやネパールには何度も行かれてるみたい。
「私インド料理が世界で1番好きな料理なんですよね。いいなー、お2人は明後日にはインドなんですねー。」
次はインドって言うと、結構色んな人からいいなーって言われる。
でも俺たちはそこまで興奮してない。ていうかあのカオスが若干怖い。
今回のインドは、前回ストリートチルドレンに対して何もできなかったあのリベンジのために行くと言ってもいい。
ていうかほぼそれが目的だ。
このままでは日本に帰れない。
そうしたプレッシャーが、インドとの距離を作ってるのかも。
でもこれは俺が始めたこと。
そして人を巻き込んだ。
たくさんの人にリコーダーをいただき、その優しいお気持ちを託してもらったんだ。
結果を残す、なんて今は何が結果なのかもわからなくなってきてるけど、少なくとも自分が何をすべきか、インドのストリートチルドレンが本当は何を必要としているのかくらいは見つけないとな。
そこから先は俺のライフワークだ。
いつかインドを心底から楽しめる日が来るといいな。
たのしいお話をしながらたくさんお酒を飲み、いい感じに酔ってベッドに入らせてもらった。
ヨーロッパでの夜、あともう1日。