スポンサーリンク コトルめっちゃいいところ 2017/3/12 2017/02/28~ モンテネグロ, ■彼女と世界二周目■ 2017年3月1日(水曜日)【モンテネグロ】 コトルベッドの真上に天窓がついている。おかげで朝になって光が入ってきてまぶしかった。仕方なく目を開けると、天窓に雨が降りしきっているのが見える。かなり激しく降っており、これじゃ町歩きもままならないな。ベッドの中で寝転がりながら前回のモンテネグロでの日々を思い出した。豪雪でマイナス20°Cとかになっていた極寒のサラエボからバスに乗ってモンテネグロの首都、ポドゴリツァに行き、その足で町をさまよって大きな森林公園の中で野宿をしたのが初日だった。気温は相変わらず凍てつく寒さで、今思えばよくあんな中で野宿できていたなと思う。体も鍛えられていたはず。そうして朝にポドゴリツァの町に降り、中心市街地に向かったんだけど、人がほとんどおらず、バルカン特有の白い空気にかすんでいた。とにかく歌ってみようとそこらへんでギターを鳴らして歌ったけど、ジプシーの子供たちに群がられてすぐにやめたのを覚えている。そうしてやることもなくなり、町を歩きまわり、テキトーに見つけたバーに入ってなんとなくビールを飲んだ。ローカルな酒場に大きい荷物を抱えて入ってきた珍しいアジア人を、昼間から飲んでいたおじさんたちがジロジロ見てきた。するといきなり俺の前にワインだったかラキアだったか、新しいお酒が置かれた。え?と驚くと、それは地元のオッちゃんたちからのおごりの酒だった。オッちゃんたちはこの珍しいアジア人に陽気に話しかけてきてくれ、どんどん酒をおごってくれ、意気投合し、1人のガタイのいいおじさんが今夜はウチに泊まればいい!!と豪快に誘ってくれた。そうしておじさんの家に行くとおじさんは地元でも有名な土建会社の社長さんで、家もかなり豪邸だった。子供たちも人懐こくて元気で、その夜はさらに町のバーに繰り出し、記憶がなくなるほど飲みまくるという、まるで展開の読めない怒涛の1日になった。謎だったモンテネグロという小国。たった3日しか滞在しなかったけど、強烈に覚えている。そんな中でとても印象に残っているのは、地元の人たちの言葉だった。モンテネグロの前はどこにいたんだ?という質問に対して、サラエボからですと答えると、おじさんたちは顔をしかめ、どうしてそんなところに行っていたんだ?とシリアスな声になった。あそこは悪い国で、あんなところには行くべきではないと。正直戸惑ってしまい、悲しかった。どうしてそんなことを言うんだろう?と悲しくなったのは、サラエボで俺があまりにもたくさんの人たちに優しくしてもらったからだった。ボスニアの人たちはみな人懐こく、たくさん一緒に飲み、ホステルに無料で泊めてもらったりして、すごく大好きになっていた。それなのに、なんであの人たちのことを悪く言うんだろうって思った。それはもちろんユーゴスラビア紛争の名残だ。モンテネグロはオルトドクスの国。ユーゴスラビアの盟主だったセルビアとべったりの国で、つまり敵対していたムスリムの多いボスニアのことを未だに悪く思っていた。その時俺は、でもボスニアの人たちもみんな優しくて大好きなのでそんなこと言わないでください、と反論できなかった。わずか20年前まで戦争をしていて、NATOに爆撃をされて撤退したセルビアは今でもバルカンの強国だけど、きっとまだ遺恨を持った人たちは多いはず。それを俺みたいな無知な外国人が薄っぺらい正義感で平和を語っていいのかわからなかった。怖くて、言葉を濁していた。おじさんは俺にマリア様の絵と、そしてカラシニコフの弾丸をお土産にと持たせてくれた。そのあまりにも対極にあるふたつの信仰の象徴にとても複雑な気分になったもんだった。みんな優しい。ボスニアの人もセルビアの人もクロアチアの人も、モンテネグロの人も。みんなこの旅人を暖かく迎えてくれ、手厚くもてなしてくれた。なのに人々の間にはこんなにも深い溝がある。モンテネグロの思い出は、そうした暗いものとして心の中に残っている。ベッドの中から見上げる天窓。雨がガラスを濡らしている。カンちゃんの作ってくれた朝昼ご飯を食べ、そろそろ歌いに行きたいところだけど雨は変わらず降り続いている。うーん、これじゃあ路上どころか町歩きもできないなぁ。まぁとりあえず新しい国に入ったのでモンテネグロ語の路上看板を作ろうかなと、レセプションの綺麗なお姉さんに書いてもらえませんか?とお願いしに行った。「あらー!!素敵ね!!もちろんいいわよー!!あ、コーヒー飲む?」「えー!!クールやしー!!私書くわ!!」妹なのか娘なのかわからないけど、レセプションにはもう1人女の子がいて、これが2人ともめっちゃ美人。バルカンって本当美人率高いよなぁ。しかもみんなバッチリメイクで目鼻立ちをクッキリさせてとてもエキゾチックな美しさだ。ねぇ!色んなカラーを使ってもいい!?と娘ちゃんがウキウキしながら看板文字を書いてくれるんだけど、やっぱりこういうのは若い女の子にお願いするのが間違いない。すっごくオシャレで可愛らしくデコレーションした看板を書き上げてくれた。これってお願いする人によっても本当変わるし、世界中の人たちのセンスや美意識が垣間見られてすごくいいお土産になる。現地語路上看板を始めて本当良かったな。ヤナがいれてくれたコーヒーはギリシャやトルコが近づいてきたことで、あの粉っぽいドロドロのトルキッシュコーヒーになった。口に残る粉の香りが懐かしい記憶を蘇らせる。ここはまだヨーロッパだけど、この先どんどん文化の混ざり合いが出てくる。もうちょっとで中東地域が始まるんだよなぁ。午後になって雨が小雨になってきて、よっしゃとギターを持って宿を出た。雨上がりの旧市街はどんよりしており、迷路の路地が怪しい雰囲気を醸し出している。ショッピングモールの中でタバコ吸ってる。なんか建物の中でタバコ吸ってるのを見ると、途上国ってイメージになってしまうな。小さな町なので人通りは悲しいほど少ないけど、とにかくやれるだけやってみようと、旧市街の入り口のゲート下でギターを出した。必ず人が通る城門なので、ここがこのコトルのベストスポットで間違いない。歌い始めるとすぐにコインが入った。拍手をくれる人、笑顔で親指を立ててくれる人、面白かったのはなかなかの確率で、あなたのことスプリトで見たわ!!と言ってもらえたこと。観光客はだいたいみんな同じルートでバルカンを回っているんだよな。地味ながらも楽しい路上。でもめっちゃ気になるのが…………物乞いの人たち。小さな赤ちゃんを抱いた女の人、小学校低学年くらいの男の子たちがさっきからずっとこの旧市街の門の周りをウロウロしながら歩いている人に手当たり次第に手を差し出しまくっている。イギリス、クロアチアではまったく見なかった物乞いたちのアグレッシブな姿にグッと心が重くなる。そう、ここはバルカン。ヨーロッパを渡り歩くジプシーたちのホームだ。北欧やドイツ、オーストリアで毎日見ていたあのジプシーたちと同じ顔つきをしている人が多い。先進国で彼らを見ている分には流れてきたたくましさを感じていたけど、この貧しい地域で物乞いをしている姿を見ると救いようのない悲壮感がある。こうした、自分から寄っていって金をせびるという強引な物乞いを見るのがあまりに久しぶりだったのでかなり驚いてしまった。ふぅ、心乱されるな。俺は俺のパフォーマンスをすることだ。と、自分に言い聞かせながらもどうしても感情の波が立つ。同じ人間なのに、野良犬みたいに追い払われてる哀れさを見ると、もはや俺たちは本当に平等な命を持つ人間なのかと頭がこんがらがってくる。くそー、なんかできんかな。世の中を変えることなんてできんかもしれんけど、彼らがもっと感謝されて稼ぐ道を少しは示せないかな。何か考えないと。同じ路上に生きる人間なんだから、何かしないと。この日の路上は1時間経ったところでお巡りさんがやってきて旧市街の中ではパフォーマンスは禁止だよーと注意されて終了。明日は天気が良くなる予報だ。1日延泊して明日もう一度旧市街の外で路上やってみるか。あがりは1時間で30ユーロ。3600円。日が沈むと、崖に囲まれた湾は影の中に姿を消した。旧市街の後ろにそびえる崖にへばりついた城門とお城がライトアップされ、神秘的な雰囲気だった。コトル、いいところだな。食材を買い込んで宿に戻ると、宿のママがあなたたちにプレゼントがあるからレセプションに来てと言ってきた。なんだ?と思いながらレセプションに行くと、お昼に路上看板を書いてくれたヤナとティヤナの2人がニコニコしながら何かを差し出してきた。それはお昼にみんなで撮った写真だった。写真の裏にはモンテネグロの言葉で、「モンテネグロから愛を込めて」と書いてあった。あまりにも素敵なプレゼントにカンちゃんと2人で感動していると、ヤナたちは小さなギフトよ!!アハハ!!と笑った。コトル、本当にいいところだ。