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ボスニアヘルツェゴビナの臭い



2017年2月23日(木曜日)
【クロアチア】 スプリト
~ 【ボスニアヘルツェゴビナ】 モスタル





朝、荷物を抱えて宿を出て大好きなスプリトの町を歩いた。


今日も朝から活気に溢れるフィッシュマーケット。

ホコ天にはたくさんの人が溢れ、世界中からやってきた観光客たちがこの美しい町を楽しそうに歩いている。

今でもこんなに賑やかなのに、夏場のシーズンになるとこの何倍もの観光客たちが押し寄せ、道では肩が触れ合うほどの混雑になり、小さな海辺の町は毎日がカーニバルのように沸き立つんだそうだ。



そうだろうなぁ。

夏場の太陽は今よりもさらに力強く輝き、水は透明に透き通り、この世の楽園のように光に満ち溢れるんだろうなぁ。

本当にこのアドリア海は地球の宝だよ。



4年ぶりに再確認したけど、これから日本で生活していく中でも、たまに旅行に来てのんびりしたい場所のひとつだ。

必ず戻ってきたいと思える。


さて、次の町に行くぞ。



















スプリトの駅の横にあるバスターミナルから乗り込んだのはサラエボ行きの国際バス。

お隣の国、ボスニアヘルツェゴビナの首都だ。




前回はそのままサラエボまで行ったんだけど、今回はその途中にあるモスタルが目的地。


移動時間は5時間。
値段は1人132クーナ、2100円。
このローシーズンでも1日に7~8本くらい出てるので時間は選びたい放題。


バスはヨーロッパにあるピカピカの豪華なものではなく、小さなボロいミニバスだ。

結構王道ルートのはずだけど俺たちの他に外国人観光客の姿はなく、地元の人たちの日常的な交通手段って感じ。


大きな荷物をトランクに入れてもらうと、ドライバーのおじさんがお金を要求してきた。



おお………ひ、久しぶりだなこの感じ。


これってキチンと別料金として決まってる国と、観光客だからってぼったくってきて地元の人からは取らないって国とあるのでどうしても身構えてしまうけど、このバスは荷物を預ける人全員から徴収しているようなので正規のものみたいだ。

荷物ひとつにつき10クーナ、160円。俺たちはふたつ預けたので320円。

ギターは絶対持ち込みだ。
















スプリトの町を出て快調に走っていくのは海沿いの道。

右手にアドリア海、左手に連なる岩山という豪快な風景の中、一本道を駆け抜けていく。









海沿いにいくつも散らばる小さな町はどれもアドリア海の写真集に出てきそうなものばかり。

赤い屋根とクリーム色の壁の民家が斜面に密集し海に向かっている。


アドリア海の風景とは、と言われた時にパッと思う浮かぶあの麗しい海岸線がまさに目の前に過ぎていく。


雲間から差し込む太陽の光は神々しくさえあり、この美しい人々の暮らしを照らしていた。






きっと、何気ない暮らし。

宮崎の港町の人となんら変わらない毎日があるはず。


それが余計に胸に迫る。


















しばらくしてバスは海岸線を離れて内陸に入っていく。

そしてすぐにボスニアヘルツェゴビナとの国境に到着し、ドライバーさんが乗客のIDとパスポートを回収してまとめてカスタムに持って行ってくれる。


そうしてほぼなんのチェックもなくバスはクロアチアを抜けてボスニアヘルツェゴビナに入国。





久しぶりだなぁ、またここに戻ってくるなんてなぁとワクワクしながら窓の外を眺めていたんだけど、すぐに違和感を覚えた。


さっきまで窓の外に広がっていた美しい楽園のような風景がガラリと変わり、暗い陰鬱な景色がそこにあった。




至る所に散らばる廃墟、破れたフェンス、荒れ地と瓦礫の山。


クロアチアにもこうした荒んだ風景は確かにあったけど、比べものにならないほど廃れている。

4年ぶりに訪れたこの国は相変わらずズタボロの姿のままだった。






ボスニアヘルツェゴビナといえば1番印象に残ってるのは第一次世界大戦の引き金となった場所であり、ユーゴスラビア紛争の舞台として生々しい傷跡が残る土地というもの。

サラエボの町は首都でありながら未だ弾痕の残るビルがあちこちにあったり、砲弾の炸裂による穴が地面をえぐっていたりと、とてもショッキングなものだった。



そのユーゴスラビア紛争の中でもボスニアが戦禍の中心となったサラエボ包囲があったのはわずかに21年前の1992年から1996年。

12000人の死者を出した無差別な殺戮が、俺が20歳前後の頃に起きていたことを、この土地に来て初めて実感したのを覚えている。


あの時、サラエボで仲良くなった若者と数日一緒に過ごしていたけど、あいつから聞いたムスリム住民とセルビア系住民のリアルな紛争の実体験はあまりにも重いものだった。




たったの21年。

今やユーゴスラビアは解体し、それぞれの国が独立し、先進地域ヨーロッパの一員としてやっているが、未だにユーゴスラビアの歴史はバルカンに濃い影を落としている。


窓の外の廃墟を見ながら改めて思った。


またこの場所に戻ってきたんだ。

















やがて山々の間に広がる大きな町が見えてきた。




山の斜面にびっしりと建物がへばりつき、盆地のように丸くなった地形がどこか南米の町を思い出させる。


建物が密集する町の中心に教会の高い尖塔がそそりたち、その後ろの山の頂上に巨大な十字架が見えた。


しかしそれだけではなく、町の中には鉛筆のように尖った尖塔もある。



あれはミナレットだ。

イスラムのモスクのシンボルであるミナレット。



オルトドクスとイスラムが共存するこの風景こそがボスニアのイメージとして頭の中にこびりついていたもの。


ひとつの町の中にありながら油と水のように決して相容れないそのふたつのシンボルは、同時に人々の間にそそりたつ壁でもある。


ここがモスタルだ。

















バスはそんな盆地の中にあるバスステーションに到着した。

降りた瞬間、まず思ったのは建物がめっちゃボロいこと。




おお………最近ずっと超先進国にいたから、このボロさがかなりカルチャーショックだ………



トイレの壁には1マルクと代金が書かれているんだけど、それはキチンと制作された看板ではなく、壁に直接スプレーで書かれた乱雑なもの。

こりゃ久しぶりの貧しい国だな。







そして宿に向かって歩き始めたんだけど、まぁどんどん気分が暗くなっていく。
















アドリア海から内陸に入って急に天気がどんよりしてきたのもあるだろうけど、とにかく落書きが多い。

ありとあらゆるところにグラフィティーが書き殴られており、建物のボロさもあって全てが廃墟みたいだ。



しかも本物の廃墟の数も尋常じゃない。













半壊、全壊した建物がそこらじゅうに放置されており、まるで津波のあとに訪れた石巻のよう。


落ちた天井、むき出しのレンガ、ズタズタになったコンクリートから鉄筋が哀れに歪んで飛び出した廃墟の横に幼稚園がある。


民家レベルの廃墟ばかりではなく、巨大なビルの廃墟も無数にある。


おそらくデパートかなにかだったであろうコンクリートのビルが、町の真ん中でおどろおどろしく立ち尽くしている。








こりゃ半端じゃねぇ…………


サラエボもひどかったけど、やっぱりあそこは首都なだけあってある程度復興していたんだなというのがよくわかった。

地方都市はまっだまだズタボロのままなんだ。











ホテルエロて…………






これは日本からの援助品のバスみたい。














そんな凄惨な町の中を歩いていると、4年前の記憶をスコップで掘り起こしてくるものがあった。


それは臭い。


おそらく民家の暖炉の臭いなんだろうけど、タールか何かのような、燻されたものの臭いが町の中に充満している。

そのせいなのか、空気は白くかすみ、ぼんやりとおぼろげに沈んでいる。




過去の記憶を覆い隠すように、ぼやけた空気。
その向こうに立つ壁のえぐれた廃墟。


この臭いを嗅ぐと全てを思い出す。



野宿の夜、外灯に照らされた雪、お土産にもらった銃弾、正教会とムスリムの尖塔。


人々はみんな優しかった。

ムスリムも、正教会の人も、みんなこの旅人に笑顔で温かく接してくれた。


しかし紛争の話になると、あいつらは悪いやつだからあっちには行ってはいけないと俺に教えた。

話す時の人々の目はとても深い感情を内包していた。



傷の癒えぬ人々の中をひとりぼっちで旅したバルカン半島。

そして迎えたその年のクリスマス。


森の中で寒さに震えながら野宿したあの夜、柄にもなく世界平和ってやつを願ってみたりした。



初めての海外、初めての貧しい地域、初めてのリアルな紛争地帯に、そう思ってしまうのは自然なことだったと思う。

初めて世界平和ってやつを実感したのがこのバルカンだった。




この町に立ちこめる臭いがあの時の記憶をスコップでザクザクと掘り起こしてくる。


横にカンちゃんがいてくれてよかった。

今ならもっと心乱れずにこのボスニアを旅できるはずだ。


















そんなズタボロの町の中を歩き、ローカルなお店が並ぶ細い裏通りに入っていき、さらに路地に曲がって奥のほうへ進み、マジか?とグーグルマップを疑い始めたところで予約している宿の住所に着いた。


そこには超ローカルな雰囲気しかない田舎のボロい建物があったんだけど、宿の看板など何もなく、営業している気配もない。


さすがにグーグルマップもボスニアでは正確ではないのかなと思ったところで、建物の中から男の人が顔を出して手を振ってきた。


おお、本当にここなんだな。









宿の名前はゲストハウスbajricという、なんて読めばいいのかわからないもの。こっちの発音ではJはYの読みかただ。

レセプションなんてものはなく、ただスタッフらしき男性にお金を払って鍵を受け取るだけという簡易的なものだったけど、まぁこういうののほうが気が楽だ。

部屋も小ぢんまりしているが悪くはない。




値段は個室で1泊1560円。

クロアチアよりもだいぶ下がったな。


タバコはどこで吸えばいい?と兄さんに聞くと、え?どこでも吸っていいよ、とあっさり言って階段を降りていった。












荷物を置いてふぅとひと息つき、窓を開けると山に囲まれたモスタルの町があった。

山の斜面に建物が密集する様子がクロアチアならば風光明媚に見えたはずなのに、ここではどこか暗く、そして冒険的なものに見えた。



タバコに火をつけてそんな町を見渡す。



バルカンに入ってグッとタバコの値段が下がり、逆にプエブロを見かけなくなってしまったので、しばらくは巻きはおあずけでポールモールになりそうだ。


その時、町の空に不思議な音が響いた。


ゴーンゴーン、という正教会の鐘の音と同時に、あのイスラムのアザーンがかぶさって流れた。


なんとも違和感のあるアンサンブルだったけど、でもこれ以上ないボスニアらしい音だった。


















さぁさぁ、とにかくモスタルといえばあの石の橋だ。

川にかかる不思議な形をした石橋を見に行こう。


そしてこの辺りから少し気をつけて、宿に貴重品を置いていくことはやめて持ち歩くことにした。

お金やカード類を俺とカンちゃんで分散して持っておくことが大事。

何かあった時に全て失ってたらどうしようもない。

ボスニアはそこまで治安は悪くないとは頭で理解してても、どうしても町の雰囲気で警戒せざるをえない。










そうこうして宿を出発。

廃墟と落書きまみれの町を歩いていくと、ほんのすぐのところからオールドシティーエリアが始まる。




モスクのミナレット、石畳、原始的な古い石の建物が並び、味わいのある町並みだ。

ボスニアの昔の町はどこもこんなだったんだろうな。



ただそのほとんど全ての建物がお土産物屋さんかカフェかレストランになっており、こいつは稀に見るウルトラ観光地って様相。

まるで猛獣の檻に入っていく羊のような気分でその通りを歩く。













ていうか観光客ビビるくらいおらんやん…………

ビビるくらい閑散期やん…………




おそらく夏のシーズンにはものすごい人出でごった返すんだろうけど、この冬場は切ないほどまったく観光客がいない。

さ、寂しいなぁ…………



























そんな寂しい土産物通りを歩いていくと、あの有名な石の橋が現れた。

おお、こいつか。




オールドブリッジと呼ばれているこの橋。

ちゃんとした名前はスタリモスト。


どうでもいいけど、こうやって外国の観光地の名前が英語でつけられてるとクソチャらく感じられて違和感覚えるの俺だけかな。


ブルーモスクとかエンジェルフォールとか。

まぁ俺も使うけども。












この石橋。

見た目通りなかなかの角度があり、しかも材質がツルツルの石なので地面に滑り止めの凸凹がついてはしごみたいな感じになっている。


橋の下を流れるネレトバ川は深い緑色をしており、周りに広がる旧市街の石の町とのコントラストが絶妙な怪しさを醸し出している。






昨日、スプリトのクレアにこんな話を聞いた。


モスタルの町はこのネレトバ川を挟んでイスラム系住民地域とクロアチア系住民地域に分かれているんだそうだ。


東がイスラム、西がクロアチアといった具合に。


そんな相容れないふたつの地域をつないでいるのが、モスタルの象徴であるこのスタリモストなわけなんだけど、実はこの橋は復元されたもの。

1500年代に作られたこの美しい石橋も、ユーゴスラビア紛争中に破壊され、今あるものは2代目なんだそうだ。


橋のたもとに置かれている1993年を忘れないという石。

この橋が破壊された年だ。







現在はこうしてまた両民族をつなぐ橋が再建され、平和の象徴のように観光客を集めてはいるが、未だお互いの溝は深い。


なんだか異様な町だなぁ。


銃弾や砲撃の痕が残る廃墟があちこちにあり、その真ん中に平和を象徴する橋が、いやに立派に、あからさまに立っている。

でもそれが戦争ってことなんだろうなぁ。



































橋を渡り旧市街を抜けて歩いていき、一応ホコ天の通りを見つけたことは見つけたんだけど、とにかくボロい…………








思いっきり道路工事をしており、地面をほじくり返して穴が空きまくっている。

いたるところフェンスまみれで配管まみれで、マジで戦後か?ここは。

うん、思いっきり戦後か。





ホコ天自体にも人はほとんど歩いておらず、路上なんてとてもやれる状態ではない。








え………?



終わり?



モスタルでやるべきこと3時間で終了?



宿3泊とってるんですけど…………







ボスニア好きだし、前のサラエボで路上も結構稼げたから期待してきたのに、到着して数時間でやることコンプリート。



おお………モスタル観光、日帰りでオーケーだわ…………






イスクリーム。おしい……………












まぁまぁ、でもせっかくこんな興味深い町に来たんだ。

観光だけでなく、もっと面白いものをこの3日の間に探して回ろう。





よおおおおおおおおおし!!!!!

もうこうなったら美味いもん食ってやるあああああああうううええええええええいいい!!!!!


ボスニアといえば肉!!


肉喰い散らかしてやるぞおおおうううう!!!!!




というわけで町の小さな食堂に入ってオッちゃんにミックスグリルを注文!!

英語が喋れないオッちゃん、ドーブレドーブレ言いながら厨房に入っていった。


この東欧・バルカン地域はやっぱり東寄りのエリアなので、言葉やいろいろな文化がロシアと似通ってる。





いやー、それにしてもミックスグリルといったらジョイフルですよね、西日本のみなさん。

本当、九州と四国だけで2億店舗くらいあるんですけど、なんでも安くてそれなりに美味しくてみんな大好きです。

僕はジャンチーとカレーハンバーグドリアを食べてました。


いやー、ジョイフルのミックスグリルが好きすぎてミックスグリルという歌を作って歌ってるおじちゃんがいたけど、あの人元気にしてるかなぁ。


やっぱりジョイフルのミックスグリルを超えるミックスグリルはこの世に存在しませんよね!!














す、すげぇ…………




なんて肉肉しさだ……………






どれ……………とりあえずひとくち……………















ジョイフルと張りやがる…………




ニンニクが半端なくて久しぶりにこんなスタミナ系のご飯食べた気がする!!


お会計は23マルク!!1350円!!


やっぱり激安!!












いやー、それにしても、










明日からなにしよ……………















~~~~~~~~~~~~~~~~~~


インドネシアの宿をアゴダでとってくださったかたがいました!!


金正男殺害の実行犯ってインドネシアの女の人がいましたよね。
今アジアどんななってるんだろ…………
怖い………


どうもありがとうございます!!

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