9月19日 金曜日
【韓国】 プサン
韓国のミニお国情報
★首都………ソウル
★人口………5000万人
★言語………朝鮮語
★宗教………無宗教が多数、あとクリスチャン
★通貨………ウォン
★レート………1ドル=1000ウォン
★世界遺産………文化10件、自然1件
目を覚ました時に、あれ?と今いる場所がわからなくなる時ってのがある。
あれ?ここどこだったっけ?としばらく考えてから、あーここはどこどこだったとぼんやりと納得する。
日本にいる時はこの状況がよくあった。
でも海外ではまったくなかった気がする。
逆なんじゃないかと思ってしまうが、不思議とそんなもんだった。
めまぐるしく編み上げられた国境線のタペストリー。
2年4ヶ月の世界放浪、最後の日。
「俺来年からオーストラリアに住みます。それでプロのミュージシャンになります。オーストラリアでバリバリ勝負してからそれから世界の厳しいとこだけ回ります。ヨーロッパとかアメリカの南部とか。マジ日本帰るころにはバリバリですよ。もう公民館とか鼻毛出しながら歌っちゃいますよ。ヤバくないっすか?」
朝から大笑いさせてくれるイクゾー。
ジェニファーさんの目が面白いオモチャを見つけたような無邪気で残酷な目になってるのが怖い………
そんな2人の絡みが面白すぎて最後の日だというのにこれといって特別な感情も湧いてこない。
そんなもんなのかな。
それはそれで寂しいが。
昨日の路上でフェリーのチケット代は稼いだはずだったのに、あれから焼肉に行ったり飲んだりしたせいで2千円くらいお金が足りなくなっていた。
今夜のフェリーには乗ろう。
19時に乗船開始ということなので、それまでに稼いでしまえばいい。
イクゾーの路上も久しぶりに見たかったしな。
「いやー、マジでずっと弦がひどいことになってて。どうしてこんなに切れるんですかね?何が悪いんだろう?存在かな。」
「これあげるよ。友達からもらったものだけど、イクゾーが持ってたほうがいいやろ。」
「え!?いいんすか!!?うわ!!ありがとうございます!!マジでありがてぇ!!」
この前、カッピーがソウルに来てくれた時に川田君から預かってきたギター弦、3セットをイクゾーに渡した。
川田君ごめんね。でも本当にありがとう。
その他にも野宿マットや蚊帳、風邪薬、虫除けスプレーなど、これまでの旅の中で使ってきたものを全部イクゾーに渡した。
こんなものも。
「あははははは!!!それウチがオーストラリアであげたものやんか!!まだ使ってへんかったん!?イクちゃん、それホンマええらしいから楽しみにしときー。」
「マジっすか、俺もうずっとそんなことしてる場合じゃなかったからつま先までたまってますよ、ヤバいっすよ。」
あんなにデカいキャリーバッグだったのに野宿用品を抜いたらほとんどなくなってしまい、残りのものは全部バッグパックの中に収まった。
でも旅に出たときに比べたらやはり少しは捨てられないものも増えたな。
ナンポーの街の中は昼間だというのにたくさんの人が歩いていた。
地元の人だけじゃなく観光客も多く、どのストリートも人で溢れて活気に沸いている。
しかしそれは決して浮かれたパーティーの雰囲気ではなく、日本の観光地のような落ち着いた上品な賑わいだ。
お土産物屋さんのおばちゃんたちもニコニコしていらっしゃいと声をかけてくれるし、クラクションを鳴らしまくるバイクももちろんいない。
どこで歌っても良さそうだ。
いい街だ。
ビビンパと冷麺という韓国料理の定番のランチを食べ、早速目をつけていた路上場所へ向かった。
イクゾーの演奏はかなり上達していた。
ギターのリズムが良くなり、ストロークも綺麗に音が鳴っている。
ボーカルも以前に比べて悪い癖がなくなり、音程をはずさないように心がけているのが分かる。
まぁ元がだいぶ下手だったので上達したといってもまだまだなんだけど。
技術は置いといて、1番は見た目の雰囲気が出てき始めてるなと思った。
苦労したから出るというものではないだろうけど、イクゾーの生活は毎日が修羅場みたいなもんだからな。
今100円稼げなかったら飯食えないっていう地獄みたいな日々は確実にイクゾーの歌う姿に重みをつけていた。
ちょ、でもやっぱり貧相すぎる(´Д` )
「今~、私の~、願~いごとが~、」
「ああああ!!!翼をくださいや!!!ホンモンの翼をくださいやーー!!!あははははははは!!!」
小林イクゾーの代名詞といえば翼をください。
生の翼をくださいに涙が出るほど興奮してるジェニファーさん。
そしてここで驚くべき事態が起こった。
翼をくださいを懸命に歌うイクゾーの声に引かれて、ちらほらと人が足を止め始め、数人の人たちがイクゾーの周りに立って歌を聴きだしたじゃないか。
人だかりとまでは言えないが確実に歌の力のみでイクゾーは人の足を止めたのだ。
自分でも驚いたような顔で俺の方をチラリと見るイクゾー。
そして歌が終わると、人々は拍手とともに近寄っていきギターケースにお金を入れていく。
「ああ、か、カムサハムニダ、あー!カムサハムニダアアア、」
イクゾーの感謝の言葉の気持ちの入りようったらない。
嬉しさが顔全体に現れている。見てるこっちが泣けてくるよ。
こりゃ成長しなかったら嘘だよな。
でもやっぱり貧相すぎてただのムンクにしか見えない(´Д` )
それからもハイペースでお金は入り、30分の間でそこそこ稼いだイクゾー。
満足げに交代しましょうとギターを置いた。
自分のギターを取り出し、チューニングをする。
俺に憧れてギターを持って世界に出てきたというイクゾー。
おそらくこれがイクゾーに見せる最後の路上だ。
持ってるものを全部出そう。
そして俺にとっても、これが世界一周最後の路上。
ロシアのウラジオストクで怖くてなかなかギターをケースから取り出せなかったあの日から始まり、雨の日も風の日も雪の日も病気の日も、灼熱の太陽の下で、極寒の街灯の下で、ずっと歌い続けてきた。
旅の資金、そして無数の出会いをもたらしてくれた路上パフォーマンス。路上ライブ。バスキング。
歌わなければ帰れない、歌わなければ死ぬという状況でいつも活路を切り開いてきた路上。
これが最後。
悔いのない歌を。
悔いのないギターを。
これからも長い道を進んでいくイクゾーへのはなむけの路上を。
ペース配分関係なく、フルパワーで歌った。
いろんな思いが頭をよぎる。
世界中の街で何回歌っただろう。
歌を聴いてくれた人で、今も俺のことを覚えてくれている人は何人いるだろう。
何人の人の人生に参加することができただろう。
俺は少しは上手くなっただろうか。
少しは人の心に届くような歌が歌えるようになっただろうか。
でも今はそれらのナイーブな懐疑よりも、目の前でたくさんの人たちが聴いてくれていることよりも、純粋に演奏していることが楽しかった。
我ながらいい路上だった。
最後の最後、世界一周最後の歌はべサメムーチョを歌った。
あがりはわずかに40分ほどで6万ウォン、6千円。
最後の折り鶴。
ちょ、おばちゃん(´Д` )
「金丸さん、マジで勉強させてもらいました………いいもの見させてもらいました………あー!!俺マジでやります!!路上で7万人くらい集めてみせます!!」
真面目な顔でそう言ってくるイクゾーだけど俺は大笑い。
ジェニファーさんも涙をふきながら、それただの暴動やんけと大笑い。
楽しかったな。
フェリーターミナルに行き船のチケットを買った。
危ないことに9千円以外に燃油サーチャージとターミナル使用料で他に1500円がプラスされた。ギリギリしか持ってなかったらヤバいところだったな。
なにはともあれついに日本への切符を手に入れてしまい、そして渡された日本の入国カードに記入をした。
自分の国の入国カードなんてどこか変な気分だった。
ホテルに戻り、荷物を置いてから、惜しむように周りを散歩した。
あと2時間。外国で過ごせる時間はもうそれしか残っておらず、しかし特にやることもないので、イクゾーと2人でのんびり歩いた。
入り組む路地を何度も曲がり、そのたびに新しく広がる通りの景色の中をぶらついた。
コーヒーを飲み、のんびり寝転がってる犬をなでなでしているとおばちゃんたちがニコニコと微笑んでいる。
電線が空にのび、その上を鳥が飛んでいく。
ふと急に鼓動が早くなる。
何気ない光景は、何気ないままなのに、残酷に俺を突き放しているようだった。
これで終わりなんだ……
そうか………
荷物をとってフェリーターミナルにやってきた。
19時前のターミナルはこれから日本に向かう人たちで溢れかえっていた。
船の出港時間は22時半だというのに、なぜか乗船時間は19時から19時半の間という限られたもので、その間ずっと船に乗り込んで待っとかないといけないそうだ。
喫煙スペースでタバコを吸いながらもドキドキは止まらない。
これに乗り込んだらもう日本に向かうしかない。
わかんないっすよ?船が着いたらブラジルかもしれないですよ、とかってイクゾーは茶化す。
そうだったらどうだろう。
嬉しくなるのか、嫌になるのか。
「はい、イクゾー、これ余ったお金。全部あげる。」
「ま、マジっすか………わかりました。俺がプロになったら返します。あー、俺もこっからスタートだなぁ。もう僕旅人じゃないですよ、ミュージシャンの卵です。孵化したらとんでもない怪物が生まれますよ。金丸さんが産み落としたんですからね。楽しみにしててください。」
搭乗者通路にやってきた。
ここからはもう俺1人だ。
先の方に職員が立って俺のことを待っている。
「ミゲル、ほんまありがとうな。ありがとう。」
「金丸さん、お疲れ様でした。」
イクゾーと握手し、ジェニファーさんとハグをした。
帰りを見送られてるというのに、まるでここから出発のような雰囲気だ。
うー、行きたくない………
これで終わり……なん……だよなぁ………
あー!!もういいや!!
ギターを抱え上げて2人に背を向けて通路を歩いた。
そしてドアを超えたあたりでイクゾーが叫んだ。
「金丸さん!!俺金丸さん越えますよ!!」
おう、と言って歩いた。
荷物チェックゲートに向かって歩きながらふと気付いた。そして笑いがこみ上げてきた。
そうか、これがあいつが俺に言いたかったことだったのか。
このことを言うためにシンガポールからプサンまで来たんだ。
バカ野郎、越えられるもんなら越えてみろ。
いつでもかかってきやがれ。
船に乗り込み、すぐに甲板を探した。
陸を離れていく様子を見たかった。
海風に吹かれて、感傷にひたりながら出港を待とう。
と思って甲板のベンチに座っていたら、いきなり韓国人の男の子たちが俺に話しかけてきた。
韓国人には珍しくうっとおしいくらいのフレンドリーなお調子者だった。
これから福岡に家族でツアー旅行に行くということでテンションも上がってるんだろう。
めちゃくちゃな英語だけど、これが最後の外国人との触れ合いかなと思って話していたら、そのお調子者はちょっと待って、と言ってどこかに歩いて行った。
そしてしばらくして彼は手に缶ビールとツマミを持って戻ってきた。
ぶわっと記憶が蘇った。
そういえば日本を出た時も、船の中で調子に乗って6千円しかお金持ってないのにビール買って韓国人たちと飲んだよな。
所持金が5千円になってマジヤベェって思いながらも、世界一周への不安を紛らわすためにビールを煽って雑に韓国人たちに絡んでいたような気がする。
そしてもう1人、あの日同じ船の中でイギリス人のおじさんと少し会話をした。
あの時、甲板で風に吹かれていた初老のおじさんは、これが私のラストジャーニーなんだよと言って遠くを見つめていた。
あのおじさんの横顔がふと浮かんだ。
いろんなことが2年前のあの日と重なり合うようだった。
その時、ドン……ドン、という低い音がどこからか聞こえてきた。
甲板の端で人々がカメラを構えて何かの写真を撮っていた。
なんだろう?と思い、俺たちも手すり際まで行き、体を乗り出してプサンの街の方を見てみた。
「マジかよ………」
一瞬、目を疑った。
プサンのきらびやかな夜景の上で花火が光っていた。
いくつもの鮮やかな花火がドン、ドンという音とともに光っては消え、開いては散っていた。
これもだ。
これもそうだ。
初めての海外、世界一周の初日、ウラジオストクの街でたまたまやっていた花火を見て、あーこれは俺のこれからの旅への祝砲なんだと不安に押し潰されそうになりながら無理やり思った。
出来すぎたあの日の演出。
まさかこんなに重なるなんて。
この日の花火もまた、あの日と同様、俺にとって旅の終わりへの祝砲にしか思えなかった。