8月18日 月曜日
【中国】 ラルンガルゴンパ
昨日バスのチケットが売り切れていたおかげでもう1日この町に滞在しないといけなくなった。
ウェイウェイやタンタンたちの4人組はチケットを買えていたので予定通り早朝に部屋を出ていって、宿に俺1人になってしまった。
いや、嬉しいんだけどね。
この奇跡の町にもう1日いられるんだ。あの緑の高原とあずき色の谷の絶景は何日いても飽きることはない。
心配していたのは天気。
初日は曇りで、昨日は1日雨だった。
今アジアは雨季のシーズン。ずっとぐずついた天気が続いており、たまに雲の隙間から青空がのぞくくらいだ。
せっかくもう1日滞在するんだから、なんかいいことないかなぁ。
これ以上ない快晴になって、そして若干諦めていたチベットの鳥葬を見ることができる、とかそんな出来すぎたことにならないかなぁ。
って、淡い期待をしていたら本当にその通りになった。
窓の外を眺めると空は絵の具で塗ったような青が広がっていた。
昨日はあんなに暗い雨だったのに、まさかこんなにうまいこと晴れてくれるなんて。
こいつはいい1日になるんじゃないかと思った。
そんなチベット最後の1日。
宿を出て近所の食堂でご飯を食べる。
もういい加減中華の油っこさに胸焼けをおこしており、お店の前を通る時に匂いをかぐだけで食欲がなくなってしまう。
中華は確かに美味しいけど、今はサンドイッチとかハンバーガーとかウェスタンフードが恋しくてたまらない。
パサッとしたあっさり味のものが食べたい。
トーストとバターと卵とサラミとコーヒーが欲しいー。
お腹にも優しそうだし。
油を飲むような中華料理のせいでこんなに下痢の治りも悪いんじゃないかな………
ラオスから始まってすでに1ヶ月半も下痢が続いている。
尋常じゃない。
もはや1時間おきにトイレに行く、という生活にも若干慣れてきている自分が怖い。
ふと、この下痢というかお腹のゆるい体質のまま一生過ごさないといけないんじゃないかと不安になる。
油と辛いものを避け、卵とトマトの炒め物でご飯を食べた。
もうずいぶんビールも飲んでいない。
7元、110円の乗り合いバンに乗ってラルンガルゴンパへ。
ガタガタの道が高原の緑の中を砂埃をあげて走っていく。
空はまだ少し雲が散らばっているが、それが真っ青な晴天に鮮やかなコントラストを与えている。
手が届きそうなほどに空が近く、ここが4000mという日本のどこよりも高い場所なんだということを実感できる。
バンに乗っているのは地元の人たちで、チベット独特のモコモコした毛皮の上着や、きらびやかな刺繍の着物をまとっている。
面白いことになぜかみんな上着に右手を通しておらず、ダラリと袖を背中に垂らしている。
これが正しい着方かのようにみんな右手を袖に通さない。
若者が上着の下からカラフルな服をのぞかせているのを見ると、このスタイルがどこか粋なものにさえ見えてくる。
みんなよく日焼けしており、子供はもれなく頬がリンゴのように赤く染まっている。紫外線がモロに肌を焼くんだろうな。
そんな博物館の中から飛び出て来たような民族衣装の人たちとバンに揺られていると、ラルンガルゴンパの手前の何にもない道の途中でバンが止まった。
そしてドライバーさんが振り返って俺に降りろと言った。
今日、できることなら鳥葬を見たいと思っていたので前もってドライバーに鳥葬の文字を書いて見せていた。
ドライバーさんは漢字がよくわからないらしく、周りの乗客にたずねながらようやく理解してくれたみたいで、この場所に車を止めたようだ。
しかし止まった場所は民家のひとつも見えない草原の中。見渡す限り何もない。
こんなところのどこで鳥葬をやってるんだ?
するとドライバーは遠くの山の上を指差してチベット語で何かを言った。
指さされた方を見ると、うねる緑の山の中腹のあたりを示している。
あそこ……でやってるのか……?
ど、どうやってあんな山の上に行けっていうんだよ?
ていうか車であそこまで行ってくれないのか?
道を聞こうとなんとかジェスチャーしてみるが、ドライバーはあそこだからと指さすばかりで、そしてアクセルをふかしてまた砂埃を上げながら走り去って行った。
ポツンと取り残された俺。
………いいよいいよ、とにかくあそこを目指せばいいんだな。
木のない緑の丘の斜面を滑り落ちそうになりながら登った。
ヤックたちがそこらじゅうで草を食べている。
そんな彼らの糞がいたるところに落ちている丘の斜面をハァハァ言いながら登っていく。
木がないのっぺりとした斜面のせいで大した距離には見えないが、いざ登ってみると一向に頂上に近づかない。
まるで空に続いているかのような緑の丘は波打ちながらどこまでも広がっている。
その中をゆっくりゆっくりと肩で息をしながら這い上がった。
空気が薄くて体が重いが、澄みきった酸素の清潔さに体内が洗われるようでもある。
しばらくすると丘の中腹で道に出た。
凸凹の泥道を何台かの車が降りてくる。
どうやらこの先から降りてきているみたいだ。
もしかしたらもう終わってしまったのか?と焦りながら足を泥水でぐちゃぐちゃにしながら急いで歩いていくと、向こうのほうに何かのモニュメント広場が見えてきた。
あそこか?
数人の観光客らしき人の姿と地元のチベット人たちの姿が見えるほうに歩いていく。
斜面を滑りながら登り、モニュメントの裏手に回っていくと、ふいに異臭が鼻をついた。
なんだこの獣の臭い………
昔仕事で家畜の屠殺場に行ったことがあるが、まさにあのアンモニアと血と肉の臭いが混ざり合った強烈な空気が立ち込めていた。
上の丘の斜面に何かの丸い塊が散らばっているのが見えた。
目を凝らしてみるとそれは鳥だった。遠くからでもわかる巨大なハゲワシが空に続く丘の斜面に群がっていた。
そしてそこに近づいていった時、広場の裏に出た。
そこには無数のハゲワシがうじゃうじゃとひしめいていた。
一層激しい臭いが鼻をつく。
かなりの数のハゲワシが密集しており、何をしているのか理解するのに時間がかかった。
彼らは何かをついばんでいた。
それは赤い肉だった。
1羽のハゲワシがそれをくわえて振り上げると、骨の白い部分が見えた。
あばら骨のような形に見える。
ハゲワシに混じって1人のおじさんがカゴを持って何かを拾い上げた。
それは太い骨だった。
おじさんはハゲワシの群れの中から骨を拾い上げてカゴに入れていく。
目の前で起きていることが信じられなかった。
ここで人間がハゲワシに食べられて骨になっただなんて。
ギラギラとした太陽が照りつけ、全ての色彩を鮮烈に染め上げている。
頭がぼーっとしてきて、肌が痛くなるほどの太陽。
横に座って様子をじっと見ていたチベット人のおじさんが歌を歌っている。
そのチベット語の歌は日本の歌謡曲のような節回しでどこか懐かしく、ふと頭の中のものが崩れ落ちる。
ハゲワシが丸いものに中に頭を突っ込んで中身をついばんでいる。
コロリと転がったそれは完全な形の頭蓋骨で、目と鼻の穴がくっきりと見えた。
顎は取り外れており、ハゲワシは大きなくちばしを根元まで突っ込むことができていた。
今まさに顔や頭皮が全て食べ尽くされ、模型で見るようなしゃれこうべになったのか。
やがて骨拾いのおじさんがその頭蓋骨を拾い上げて、他の骨と別の袋に放り込むと、カポンというプラスチックのボールみたいな乾いた音がした。
骨が全て拾われると、横のあばら家の中の削岩機に放り込まれ、ゴワンゴワンと骨が粉砕され、骨髄でドロドロになった塊が出来上がり、おじさんはそれをまた地面にまいた。
ハゲワシたちはお腹いっぱいになっているのか、それとも残りカスは口に合わないのか、あまりその骨髄シェイクを食べようとはしない。
おじさんは年季の入った血垢のついたステンレスの容器をあばら家の中にしまい、慣れた様子で後片付けをして帰っていった。
草原にのびるあぜ道をとぼとぼと歩いた。
あちこちの丘の上にタルチョの布がからみついており、緑が覆い尽くされている。
太陽はギラギラと照りつけているが、高地の風は冷たく汗はかかない。
馬やヤックがのんびりと歩き、雲がまばらに浮かび、絵画の中にいるように遠近感がなくなってしまう。
何もない。
ただ風と草原だけ。
坂の上に1人で座っていた少年が歩く俺を見て微笑んでくる。
お腹が鳴りはじめ、何もない草の上にしゃがんだ。
目の前にはうねる山並みと広がる空があった。
開放感にすべてがさらわれそうになる。
どうしてここにいるんだろう。
命とはなんだろう。
俺の体も肉を剥けば白い骨だけになる。肉がくっついているだけ。
なのにこうして色んなことを考え、悩み、迷うことができる。
こんなにも複雑な思考を持つことができる。
手のひらを握ると確かな力を感じる。
この手に何を掴めるだろう。
誰を優しく抱きしめられるだろう。
この足でどこまで行けるだろう。
乾いた土を力強く踏みしめてみる。
あの丘の頂上まで行こうと斜面を登っていく。
空気が薄くてすぐにへたりこんでしまう。
下痢のせいで体力が落ち込んでおり、一歩一歩に全力を使うようだ。
斜面はとても急で、なんでこんなところ登ってるんだろうと不思議になってくる。
緑の谷に仏僧たちの暮らしが密集している光景は何度見ても目を疑うような絶景だ。
なんて現実離れしているんだろう。
草原の中で若い女の子の僧侶たちが踊っている。
タルチョがはためいて心を通り過ぎていく。
あまりにもファンタジーの世界。
そこにポツンと座り込む。
風が気持ちよかった。
生きてると思った。
俺は生きている。どこにでも行ける。
今俺は旅をしているぞ。