7月1日 火曜日
【ラオス】 どっかの山奥 ~ ルアンパバーン
昨日たどり着いた川沿いの宿場町は本当に宿しかない小さな集落だった。
深い山の中を蛇行するメコン川の岸辺にある名もなき集落。
よくこんなところに人が住んでるもんだと思わされる。
日本にも昔は街道沿いに宿場町がたくさんあったけれど、まさにその時代にタイムスリップしたかのような雰囲気で、文明から隔絶された静かな寂しさが漂っていた。
小さな船着場から荷物を抱えてボロボロの階段を上がるとそこには宿の客引きが待ち構えており、バッグパッカーたちをつかまえては軽トラに荷物を放り込んで連れて行く。
俺たちにももちろん客引きは群がってくるんだけど、値段は驚きの200バーツ。650円。
1人じゃなくて、2人で。
ツインの部屋がこの値段。
やはりラオスの物価は噂通りハイパー安いようだ。
あ、ちなみにこの辺りはまだタイのバーツが普通に使える。
ゆうべはそんな江戸時代みたいな集落の中で適当にご飯を食べ、早めに眠った。
朝8時。
荷物を抱えて宿を出る。
ボートが出発するのは9時半くらい。
朝の集落には船着場へ向かう欧米人バッグパッカーたちの姿。
みんな食料を求めて屋台や商店でサンドイッチや水を買っている。
はるか昔からこうしてこの集落は旅人を迎え続けてきたのか。
それとも欧米人旅行者たちが増えてきたことで彼らは生活を変え、片言の英語を喋るようになったのか。
ラオスもまた貧しい途上国。
しかしやはりここにも芳醇な歴史とアジアらしい美しい景色がある。
旅人はもっとその国のありのままの姿を見たいと思うが、それがその国の人々を変えることになっているんだから矛盾した望みだよな。
話では今から目指すルアンパバーンはラオスの拠点となる町で、ほとんどの旅行者たちが次に向かうのが少し南にあるバンビエンという町。
大自然に抱かれた素朴な町ということだが、ここは昔から伝統的な欧米人たちのパーティータウンとなってるらしい。
チュービングの川下りが有名らしいんだけどこれがまたイかれたもので、大自然の川沿いに爆音を流すクラブやバーが並び、みんなそこで酒を飲みながら川を下り、バンジージャンプをするんだそう。
大麻が激安なことでも有名で、ほとんどの欧米人バッグパッカーはこのバンビエンでやりたい放題の大騒ぎをするためにラオスにやってくるみたい。
まるでこの豊かな自然のある途上国全体がアウトドアアトラクションのテーマパークみたいだ。
そう考えると、日本って国はクラブで大騒ぎって習慣もほとんどないし、物価も高いし、色々と規則も厳しいし、欧米人たちにとってまったく面白い国ではないだろうな。
最上川の川下りで船頭さんが舟歌を浪々と歌って感動する人がどれだけいるかな。
日本に来たなら是非行ってもらいところだけど。
欧米人たちの他に地元の人をたくさん乗せたボートはメコン川を下っていく。
周りはひたすらどこまでも森が続くのみで、たまにどこに住んでるのかわからない子供たちが水辺で裸で遊んでるのが見えて、こちらに手を振ってくる。
舟歌のかわりに地元の人たちが楽しそうにご飯を食べながらラオスの歌を歌っている。
その東南アジア独特の小節と、メロディラインがどこか懐かしい気持ちにさせてくれる。
おとといドイツ人のバートンとバトルしていたヒッピーの女の子は、顔と体にヒッピーらしいペイントを塗って地元の人たちに自分のウクレレを渡して交流をはかっている。
相変わらずあのニコニコとした微笑みを浮かべ、愛とは素晴らしいわってな具合。
みんなトランプをしたり本を読んだり、のんびりとした時間がボートに流れる。
時間はかかるけど、このボートの旅も悪くないな。
このラオスで楽しみにしているのは、そう、
そうだな、
えーっと、
なんもねぇ(´Д` )
ラオスに何しにきたんだろ?
これからアンコールワットのあるカンボジアに下っていくんだけど、ラオスって一体何があるんだろ。
森と仏教寺院と…………うーん、わからない………
ヒッピー仲間からは、安い物価、タダ同然のマリファナがあり、自然の中でひたすらゆっくりして最高だよという話は聞いている。
しかし今の俺にゆっくりしてる時間なんてない。
これからインドを目指すのならば、猛ダッシュでカンボジアへと向かう。
インドを諦めるのならばベトナムへ向かう。
そして今俺の目に映っているのは、
インド。
そんな何の情報もないラオスだけど、ひとつだけ大きな目的がある。
とある人と会う約束をしている。
約束といってもラフなもので、7月の頭にラオスに行くから会おう、くらいのテキトーなもの。
その相手は、かつてモロッコのシャウエンという美しい町で出会った筋金入りの旅人だった。
数日前までサハラ砂漠でベルベル人たちとラクダ引きの仕事してたんだーと、アラビアンナイトみたいな格好をして笑っていたあの変人が、今中国を旅している。
何日か前にメールをチェックしてから見ていないので今はどこにいるのか。
縁があればきっと会えるだろう。
それがラオスの唯一のやるべきこと。
突然の雨が川面を叩き、土砂降りになったころにナイスタイミングでルアンパバーンの船着場に到着した。
これだけ観光客たちが毎日毎日たくさんやってくる船着場なのに、階段もない急坂の土手をよじ登っていかないといけないって無駄なアトラクションやめてもえませんか………
しかも雨で足元べちょべちょで滑りまくり。
こんなところを重い荷物かついで上がるとかなんの試練だよ。
おかげでサンダルがぶっ壊れたのでゴミ箱にダンクシュートして、ドロドロになりながら裸足で坂を登り、さぁ早いとこ宿を見つけるぞと思ったら、みんなが何かの行列を作っている。
聞くと、トゥクトゥクのチケットを買っているらしい。
え?ここルアンパバーンじゃないの?と思ったら、ここからトゥクトゥクに乗らないといけない距離らしい。
「歩いて行ったらどれくらいかかりますか?」
「10kmだよ。」
遠すぎ。
ていうかもはやここルアンパバーンじゃねぇじゃねぇか。
ルアンパバーンは川沿いの町。
もちろん船着場もあるそう。
なのに10km手前に降ろしてトゥクトゥクに乗らせるというナイス商売。
ちなみにトゥクトゥクの値段、20000バーツ。ゼロ多すぎてなんかすげーボラれてる気がするけど250円。やしい!!ラオスありがとう!!
トゥクトゥクはバラック小屋が並び、バイクが砂埃を巻き上げて走る小さな町に入っていき、そのささやかな町の中心部らしき場所に止まった。
歩道には果物や仏教のお供え物を売る人たちが道売りをしておりそれなりに活気があるが、町自体は小さな田舎町。
山奥の小さな田舎町であるルアンパバーンがどうしてこんなに観光客を呼んでいるのかというと、ユネスコの世界遺産があるからだろう。
ルアンパバーンはいくつもの古い寺院が残された、町そのものが世界遺産に登録されている古都。
仏教が人々の日常生活と密接な関係を持ち、独特な風習が残っているんだそうだ。
ここもまたアジア巡りでは外せない町のひとつなんだろうな。
トゥクトゥクが止まると、すぐに宿の客引きが声をかけてくる。
値段はツインで50000キップ。
1人3ドル。うおう!!やしい!!!
ちなみに日本人はみんな地球の歩き方に乗ってるなんとかって宿に泊まってるそう。
そっちはシングルで40000キップ、500円。
しかし俺たちが連れて来られたこの路地裏の小さな宿にも、ところどころに日本語の注意書きがあった。
ラオス語表記、中国語表記、日本語表記はあるのに英語表記はない。
それはここが日本人宿だからとかそういったことではなく、日本の田舎のホテルに英語表記がないように、このラオスでは一般的に欧米人よりもアジア人の客の方が重要視されているというか、アジアではまだ日本のほうがメジャーでいられてるんだと感じた。
ロビーで無料のインスタントコーヒーを飲みながらiPhoneをいじるが、めちゃくちゃ遅くてイライラしてきたのでコーヒーがぶ飲みしてギターを持って宿を出た。
さっきトゥクトゥクで町に着いたとき、メインストリートが歩行者天国のマーケットになっていたのだ。
あそこで歌えるはず。
いや、なんとしても歌う。
稼がないとインドに行けない。
そしてメインストリートにやってくると、そこには無数の露店が並ぶナイトマーケットがあった。
アジアっぽい服、アクセサリー、絵画や置物など、様々なものが売られているんだけど、そのどれもが素朴な美しさがあり、アート的で可愛く、つい手にとりたくなるものばかり。
ラオスの土産ってすごくオシャレだな。
あー!!なんかテンション上がってきた!!
なんか買うううううう!!!
カンちゃんなんか買うううううう!!!
「ええけど、お金あるん?大丈夫?インド行かれへんちゃうん?」
「歌わせていただきます。」
ああ、シンガポールのころは良かった………無印とか………
はうぅ!!!
印、が無し、になると書いて無印!!!
無印なんかで買い物したらインドが無しになってしまう!!
歌わねば!!
というわけで超強引にナイトマーケットの入り口の歩道のど真ん中で路上強行。
歩いているのは95パーセント観光客。
5パーセントはお店の人たち。
最初はチラチラと見ていた観光客たちだけど、次第にお金が入り始め、やがて周りの縁石に座って聞き始める人たちが出てきて、さらに目の前のアスファルトに座る人たちまで。
欧米人たちもみんなナイスだぜ!とお金を入れてくれるが、この欧米人たちからの1ドル札がでかい。
なんたって飯が1.2ドルで宿が3ドルの国だもん。
この前日本行ってたのよ!というアメリカ人の女の子が千円を入れてくれた。
そして欧米人の次に多いのが中国人観光客。
ラオスと中国は国境を接しているので、比較的簡単に旅行に来られるみたいで、ラフな感じの中国人たちが多い。
そしてみんなやはりめちゃくちゃフレンドリーにカタコトの日本語で話しかけてくれる。
若者からおじさんおばさんまで、みんな優しい。
あんなに憧れた中国がもうすぐそこにあるということにすごくドキドキしてくる。
この旅最高の国になってくれる予感しかないよ。
喉の調子もよく、汗だくになりながらリービングオンアジェットプレーンを歌い切ったその時だった。
1人の男性がお金を入れてくれた。
サンキューと言い、コップチャイライライと言い、最後にありがとうと言った。
顔を見合わせて2人でニヤリと笑った。
「会えるもんだねぇ。」
「本当にね。うおー!!久しぶりー!!」
そこにはアラビアンナイトではなくアジア仕様になったあの変人がいた。
不思議なもんやね。
あれから1年と3ヶ月か。
久しぶり、コータ君。
この夜は安食堂で飯を食いながらビアラオというラオスのビールを飲み、お互いのこれまでの道を大いに語り合った。
バラック屋根の下で裸電球の明かりに照らされて、まるで旧友に会ったみたいだった。
今日のあがりは、
タイバーツ120バーツ
日本円千円
シンガポール5ドル
アメリカ3ドル
中国4元
韓国1000なんとか
150000キップ
1時間半歌って計40ドル。