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地震の多い国

5月4日 日曜日
【ニュージーランド】 クライストチャーチ






午前11時のコンテナストリートにはポツポツと人が歩いていた。

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枯れた街路樹が寒空に手を伸ばし、落ち葉がカラカラと舞う通りをコートをきた人たちがまばらに行き交う。

灰色の空にコンテナのカラフルな色彩が映えるが、それがまた応急的に作られたショッピングストリートの悲しみを際立たせてしまう。


とはいってもここが現在のクライストチャーチの心臓であることには間違いない。

ギターを持って通りに足を進めた。






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結構早めに来たのでまだライバルはいないだろうと思っていたが、通りの入り口で毎日歌っているオペラ歌手のおじさんはもうすでにいつもの場所で張りのある歌声を響かせていた。

見た目はホームレスのような貧しい格好をしているが、おじさんの歌声には素人にはない訓練を積んだ様子があり、かなりの声量で伸びやかに歌い上げている。

まるで劇場の舞台に立っているかのごとく、快活に、派手に、感情を込めて演じるおじさんの路上は真に入っており、それがあまりに熱っぽくて逆に滑稽に見えさえする。

おじさんの声が落ち葉とともにアスファルトの上を流れ、寂しく反響するのは、人通りの雑踏や賑わいがないから。

おじさんのバケツにコインが入れられるチャリンという音がかなり遠くまで聞こえる。

それくらい通りはしんと静まり、寒々しさすらある。








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バスキングをしているのはオペラおじさんだけだったので、遠慮なく1番人が行き交うファストフードの屋台が並ぶ広場の前に陣取らせてもらった。

コンテナストリートはほんの短い通りなので、向こうの方からおじさんの元気な歌が聞こえてくるが、これくらい離れていれば大丈夫だろう。



「あらー、来たわねー!寒いけど頑張ってね!!」


昨日会ったセキュリティのおばちゃんが笑顔で声をかけてくれた。
周りのカフェの店員さんたちやマーケットの露店のおばちゃんたちも、みんな笑顔で迎えてくれる。

さぁ、この灰色の街のために俺に何ができるだろう。

いつものように全力で歌うのみ。









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みんな笑顔。

いい声だね、歌ってくれてありがとう、と一言を添えてお金を置いてくれる。
小さな子供がたたたっと走ってきてギターケースにぽとりとコインを落として、また走ってお父さんの元に戻っていく。

周りのベンチにすわって談話しながら歌を聴いてくれる人たち。

現地の人たちの笑顔を見ていると、ふと思い出す。








東北の地震の後、1年が経ったころに福島と宮城の友達のところに会いに行った。

街は惨憺たる状況だったが、友達を含め現地の人たちはとても明るい表情をしていたのをよく覚えている。

被害の特にひどかった雄勝の町では友達が口をきいてくれて避難所というか集会場になっている小学校の音楽室で地元のおばちゃんたちに歌を聞いていただいた。

みんなどこにでもいる陽気なおばちゃんたちで、冗談を言ったりしてお話したのを覚えている。


うつむいていたって何も始まらない。
みんな前を向いていた。


その夜に石巻の飲み屋街の中で路上をした。
かつて何度も流しに来ていた大好きな石巻のスナック街は津波の影響でほとんどのお店が廃墟のままだったけど、営業を始めたお店にはポツポツと人が集まっていた。

みんなお酒を飲んで気持ち良く歌を聴いてくれていた。


しかしひょんなことからおじさん同士が喧嘩を始めた。

俺の目の前で大声で怒鳴り合いながら取っ組み合いをするおじさんたち。
飲み屋街の路上ではよくあること。

でもその喧嘩の内容はとても胸に突き刺さるものだった。


俺が真夏の昼に汗かきながらドブさらいしてるときにお前は何してたよー!!あああー!!
家族を置いてこの町のために一生懸命頑張ってるだけだろうがー!!

と叫ぶおじさんは涙を流していた。
どうしていいかわからず、突っ立ってることしか出来なかった。

しばらくしておじさんたちは仲直りしてどこかに飲みに行った。





みんな笑顔。
でも全員が深い悲しみの渦中に未だ逃れられないままなんだと痛感しつつ、その悲痛なまでの熱い心が復興の原動力なんだと思った。







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少しすると人通りが増えて来はじめ、たくさんの人が行き交いだした。

すると向こうの方からたくさんのバケツを抱えたおじさんがやってきて、俺に笑顔で親指を立ててキョロキョロしながら通り過ぎて行ったかと思うと、少しして後ろの方からドラミングのリズムが聞こえてきた。

様々な種類のバケツや身の回りの物を利用して鳴り物のパフォーマンスをするバスカーだった。


さらにはすぐ向こうの方から声がしだしたなと思ったら、大道芸人のお兄さんがヘッドマイクをつけてジャグリングやファイヤーパフォーマンスを始めた。

軽快なお喋りに人だかりが出来ている。

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日曜日の人出を見込んでこの短い通りに4組のパフォーマーが現れ、それぞれに芸を披露している。

まだ廃墟だらけの街だというのに、バスカーたちはそれが使命でもあるかのように熱の入ったパフォーマンスをして、行き交う人たちは自由に足を止め、それらの表現を楽しんでいる。

街がパッと明るくなったような気がした。


大道芸人の兄さんが火のついたバトンを放り投げてそれを上手くキャッチして頭をさげると、ささやかな歓声が通りにわき起こった。











まる子さんが迎えに来てくれると言っていた15時にギターを置いた。

ギターケースの中にはたくさんのお金。
観光客もたくさんいるので色んな国のお金が入っている。


あがりは、

93ニュージーランドドル
3アメリカドル
5オーストラリアドル
50タイなんとか


少しはこの街に元気を与えられただろうか。
そうだとしても、お金をバッグに入れる時に違和感がなかったわけではないが。











「すごい!そんなに稼げたんですね!!よかったよかった。」


迎えに来てくださったまる子さんと少し帰りにドライブした。

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「まる子さん、あれなんですか?」


ビルが取り壊されて更地が広がる一帯の中に、ポツリと妙な形をした三角形の建物が見えた。


「あれは壊れた大聖堂の代わりとして作られた応急の教会。大聖堂には誰も入れないからね。」


「寄ってもらっていいですか?」



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車を止めて近づいて行くと、その簡易教会の奇妙さは外観だけでないことが分かった。

なにやらたくさんの丸い筒のようなもので骨組みが作られ、そこにトタンが貼られてとても簡素だけれども美しいまとまりを見せている。

きっととても低予算で作られているんだろうな。

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「これ、日本人が設計したものなんですよ。坂茂さんて知ってます?」



あ、と思い出した。
東北の震災の時、避難所生活をしてる人たちのために紙で作った建具でもって間仕切りを設け、プライベートな生活ができるようにした日本人の建築家がいた。

どうやら当たりだったみたいで、なんとこの教会もまた彼の設計によるものだったのだ。



坂さんのことはまったく知らないが、紙でエコノミックに建物を作る人なんだということは分かる。

そしてこの簡易教会もまた、紙で作られたものだった。

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土台部分はしっかり鉄骨で出来てはいるが、屋根に何本も通されている大きな筒はおそらくかなり頑丈なパルプでできているんだろう。

気づけば神父さんが説教するテーブルも、そして正面に高々と架けられている十字架もまたパルプで出来ていた。

そんな日本人が設計した教会の中でたくさんの現地の白人の人たちが祈りを捧げ、談話をしていた。

トタン屋根から透けて照らされる教会の中はとても奇妙な神々しさが満ちているように思えた。

単純に誇りに思えるのと同時に、この地震でかなりの人数の日本人が亡くなり、異国の地の悲劇で片付けられる問題ではないことがズシリと胸にのしかかった。






ここでニュージーランドのミニお国情報。

★首都………ウェリントン
★人口………440万人
★言語………英語、マオリ語
★独立………1907年、イギリスから
★通貨………ニュージーランドドル
★レート………1アメリカドル=1.15ニュージーランドドル
★世界遺産………自然2件、複合1件




オーストラリア人がニュージーランド人のことをキィウィと呼んでいたので、何か差別的な意味があるのかな?キィウィばっかり食べてる国民みたいな意味なのかな?と思っていたけど、これはまったく違って、ニュージーランドにはキィウィという長いくちばしを持った可愛い鳥がいるんだが、これに由来してニュージーランドおよびニュージーランド人のことをキィウィと言う。

800年代にポリネシアから島の民たちがやってきてニュージーランドに定着。
彼らのことをマオリという。
今ももちろんマオリの人たちはたくさんおり、後からやってきたイギリス人開拓者の子孫たちと共生して社会生活を送っている。
オーストラリアにおけるアボリジニーとは同じに考えてはいけないみたい。
ニュージーランドではマオリの市民権は当たり前に存在しているようだ。



日本から北海道を抜いたくらいの国土面積なのだが、人口はたったの400万人ちょい。

いかに日本って国が人口密度の高い国かがよくわかるな。


そんな広い国土にまばらに街が点在するだけのニュージーランドなのに、クライストチャーチはピンポイントで震災に遭ってしまったという不運。

しかしこれが不運といえるのか。


何が言いたいかというと、日本もニュージーランドも地震を引き起こす原因となる大陸プレートの上に位置しているということ。

環太平洋プレートという地震頻繁地帯の上に国を持っているのだからある程度の地震は覚悟しなければいけない。
危険といつも隣り合わせという自覚は必要だと思う。



しかし日本と大きく違うところがある。

ニュージーランドには原子力発電所がない。



クライストチャーチの街はひどい破壊ぶりだけども、日本と違うのは、再建すればまた住めるというところだ。

見えない毒におびえなくてもいいのだ。

そう思うと、日本よりもはるかに希望の光は大きいと思える。




ニュージーランドの人口はたった400万人。なのでエネルギーは水力や風力の発電でほぼまかなえているそう。

では1億3千万人もいる日本は原子力発電がなければ電力が供給できないのか?

そんなことないんじゃないか?

実際、震災の後に原子力発電所が停止している状態で夏を迎えたとき、計画停電などである程度の不便さはあったかもしれないがなんとか乗り切っていたんじゃないか。

計画停電による経済への打撃はもちろんあるだろうが、上手くやりくりをし、さらに代替えの発電方法を推進していけば原発に頼りきることもなくなるんじゃないだろうか。


とまぁ、言うのは簡単。
色んな絡みがあるだろうから俺みたいな無知な末端の人間は理想論の枠でしか話せない。


でもやっぱり、俺たちが環太平洋プレートの上にいるということは確実な事実。

いつ割れてもおかしくない薄氷の上を歩いているということをクライストチャーチの街を見てまざまざと思い知らせた。


原発のないニュージーランド。
原発が54基ある日本。

同じ地震大国なのに。

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まる子さんとお買い物をして家に帰り、今日は少し料理させてもらった。

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グアテマラで習得したかき揚げを作り、まる子さんは餃子のスープとチキンのオーブン焼き。


和太鼓の練習を終えて汗だくで帰ってきたトミーさんと3人で食卓を囲んだ。

ビールを飲んで音楽を聴き、たくさんお話をした。

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暖かすぎる家庭に潜り込ませてもらったこの3日間。

明日この街を出発しよう。

俺には俺のやるべきことがある。
前を向かないとな。

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