2006年11月13日 【広島県】
呉市から南に走ると、いくつもの小さな橋でつながっている小島群がある。
今日は島巡りだ。
海の中を走るような気分で最奥の鹿島にやってきた。
港からせり上がる山の斜面に広がる棚田と穏やかな入江の風景がとてもよくマッチしている。
こんな小さな島にだって人は住んでいる。
美しい島だ。
小島群が合併してできた江田島市の市街地に到着。
町の中を走っていると、いきなりいかつい石の門が現れた。
おおお!!これか!!
これが海上自衛隊の幹部候補生学校!!
アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界三大兵学校といわれたこの場所。
なんと校内の無料見学ができるということで、結構楽しみにしていた場所だ。
自衛隊の施設なんてまず行く機会なんてないもんな。
まず入り口でセーラー服のお兄さんに車の底からなにから細かくチェックされる。
北朝鮮問題で警備が厳しくなってるんだって。
駐車場に車をとめたら受付に行き、書類に記入していく。
「ここに車のナンバーを記入してください。」
「あ、えー…………ナンバー忘れたな。」
「そうですか。ちょっと待ってください。」
スチャッと外に出てきたお兄さん。
何するのかと思ったら双眼鏡を構えて俺の車のナンバーを確認。
すげー。
船乗りって感じだ。
それから待合室で海上自衛隊についてのビデオを観る。
学校での訓練風景や日常生活のビデオだ。
もちろんめっちゃ厳しいんだけど、生徒さんたちは休日に外に出るのにも厳しいチェックをクリアーしないといけないようだ。
「6班!!18名!!」
「ツカツカツカ………………おい。」
「はいっ!!!」
「これなんだ?おい。」
「……………ボタンが真サイドになっていません!!!」
「全員不合格!!30分後に再点検!!!!」
服のボタンがほんのちょこっと斜めになっていただけで不合格。
そんな服装の乱れが心の乱れにつながる。
いついかなる時も引き締まった気持ちでいないといけいないということだ。
50人ほどのジジババが待合所にひしめく中、1人のおじさんがやってきた。
「はい!!今日は私が案内すっかいね!!」
よく通る声、厳しそうな顔、いかにも頑固オヤジって感じのこのおじさん。
筋金入りの自衛官って感じだ。
ジジババをたくみに笑わせながら敷地の見学スタート。
明治21年に東京築地から移動してきたこの兵学校。
戦時中は日本男児のエリートたちしか入れない憧れの地で、ここで知力、体力、気力を養い戦場に送り出していたそうだ。
「えー!!この場所はねー!!顔もよくないと入れんかったとよ!!いやこれホント!!私を見ればわかるでしょ!!」
こてこての九州訛りの案内人さん。
一応ユーモラスに笑わせようとしてくるんだけど、言うことがかなり右翼というかど真ん中の軍人だ。
「ここは軍人を作っとったんじゃなか!!紳士を作っとったと!!紳士っちゅーのは男らしいということ!!男らしいというのは女子供を守ること!!男と女は足りんもんを補いあってうまくいくもんよ。それをイマドキの女は男と肩を並べようとするから子供がおかしいことになる!!そしてこんなことを言ったら怒って帰る女性がたまにいる!!」
足りんもんを補い合うんだったら男も女に勝てないとこがあるのでは……………
「外人とは仲良くしたらいけませんよー!!あいつらは占領軍なんやから!!はい!!そこの後ろの方ー!!急ぎ足!!ばらけない!!」
これってこのおじさんがこういう考えなのか、それとも自衛隊自体がそういう思想をもとに教育をしてるのか。
いずれにしてもなかなかのレベルで国際的じゃない。
幕末の尊王攘夷みたいだ。
それにしてもほんとよく通るいい声してるな、このおじさん。
学校の後ろに岩山があるんだけど、あそこはここの生徒の訓練に昔から使われているようで、ダッシュで駆け登り、頂上で声出しをやらされるという。
「昔はへばったら教官のやさしーいムチが入ったもんよ。現在!!ここでは一切暴力はありません!!ほんっとイマドキの若いやつらは軟弱よ。」
戦艦『大和』の主砲弾頭、戦艦『陸奥』の主砲、ハワイ真珠湾を攻撃した際の5隻の特殊潜航艇のうちの1隻などなど、戦争時代のリアルな大日本帝国軍の姿がありのままにある。
特攻隊員たちの遺書を展示してある教育参考館は残念ながら今日から改修工事ということで、あと2年は入ることができないそうだ。
一通り案内してもらい車に戻るころには、やけに背筋の伸びている俺。
ここって国防のための学校なんだよなぁ。
人同士が戦うための技術を学ぶんだ。
一般社会で生きているとまったく実感のないことだが、国家というもののふちどりをまざまざと見ることができた。
徴兵制もいい部分もあるんだろうな。
アメリカの植民地である今の日本の現状。
なんの疑問もなく英語を使う毎日。
アメリカ人の真似。
そんな時代に生まれた俺たちの世代。
本当の純粋な日本は一体どこにあるんだろう。
日本人は白人にへりくだる。
英語がしゃべれないとカッコ悪いと思う。
しかし中国人や韓国人など他のアジア人に対してはやたらと強気だ。
これはやはり第2時大戦の勝敗が今も深く人々の心に根付いているからなんだろうな。
さー、今日はもっと愛国心を養うぞー。
呉市内に戻り、大和ミュージアムにやってきた。
言わずと知れた当時世界最大・最強といわれた戦艦、大和。
沖縄侵攻が激化してきた戦争末期、大和は沖縄海上に出撃。
しかし、たいした戦果もあげることなく滅多打ちに遭い3056名の命とともに海の藻屑と化した。
やはりアメリカの量的優位には歯が立たなかったが、それでもものすごい火力の戦艦であったことには間違いない。
その大和を造ったのが、当時東洋一の軍港といわれたこの呉だ。
今も巨大な造船場が湾を埋め尽くしており、豆粒のような作業員たちが溶接の火花を散らしている。
おかげで空襲の被害もひどく、何度も何度もめちゃくちゃに爆弾をばらまかれていたそうだ。
神風特攻隊、回天特攻隊の人たちの遺書の数々。
実際にアメリカ軍の戦艦に突っ込んでいく特攻機の映像を見てたらマジで泣きそうになってきた。
ほとんどが戦艦にあたる前に空中で撃ち落とされている。
ぶつかる瞬間、一体何を叫ぶんだろう。
戦争もうやったらいかんよ。っていうか今もやってるか。
みんな笑顔でいたいよな。
広島はホントに戦争について考えさせられる場所だ。
今夜はほんとは呉で歌いたかったんだけど、この前尾道で再会したマエドリンさんが広島の知り合いの店を紹介してくれていて、その約束の日が今日。
車に乗りこんで広島市内へ急いだ。
うおー!!
超都会!!
久しぶりの大都会だ。
向かったのは白島にある欧風レストラン『Spuds』。
アイルランド民謡の流れる店内で、マエドリンさんと昔一緒にバンドをやっていた三上さんとおしゃべりした。
ちょくちょくライブはやっているらしいがほとんど民族音楽メインのようだ。
「最近は上にイカやらホタテやらよーけ乗っかっとるのが多いンじゃが、ほんとの広島焼きは肉たまそば。これ食っときゃあえーんじゃ。」
他にもいろいろと広島情報を教えてもらって、いざ中国・四国地方最大の繁華街、流川へ。
おー!!すげぇ!!
久しぶりにこれだけでかいネオン街見たな。
人通りもかなりのもんだ。
広島は5~6年前の路上ブームのころ、あまりにその数が増えたためヤクザさんがほっとけなくなり、ショバ代をとりはじめた。
それからいざこざが多発するようになり警察が介入。
騒動とともに広島の路上ブームは去ったという。
うん、もちろんやってやりましょう。
そんな危険地帯、流川のど真ん中でギターを抱えて歌った。
ちょこちょこっとおひねりが入る。
しかし残念ながら500円にもならなかった。
まぁ期待はしてなかったが。
しばらくやって移動しようかなとアーケードを歩いていると歌ってるやつを発見した。
話しかけると、歌ってくださいよってことで俺も一緒に3~4曲。
「あー、楽座はそこですよ。」
このあたりにアコースティックのライブバーがあると聞いていたのだが、このお兄さんもやったことのあるお店で、すぐに場所はわかった。
地下への階段を下りて店に入ると、なにやらバンドが練習中だった。
ん?…………めちゃくちゃうまいなこのバンド。
話を聞くとどうやらあのボーカルがこのお店『楽座』のマスターらしい。
そんな演奏を聞きつつ、ママやお客で来ていた他のライブハウスのマスターとお喋りした。
どんどんつながりを広げていかないとな。
2人の話によると、つい先日、1人の女の子が飛びこみでやってきて「神戸から来ました、やらせてください!!」って売り込んできたそう。
気合い入っているやつはたくさんいる。
俺も負けてられんな。
店を出て夜の広島を歩いた。
信号、街路樹、オフィスビル。
どっからどう見ても綺麗な大都会だ。
でもこれがあの日、瓦礫の山になったんだよな。
ここをあのはだしのゲンで見たような体の皮膚がズルズルに溶けた人がゾンビみたいに歩いてたんだよな。
信じらんねぇよな。
人間の復興の力はものすごいよ。
翌日。
安芸高田市の町中からちょっと山手に登ったところにある郡山城へやってきた。
ここが戦国時代の中国地方の覇者、毛利元就の居城だ。
ここから中国地方を制覇したんだなぁ。
しかし時は流れ、元就の孫である照元が広島城を築城し、そちらに移ったことでこの郡山城は廃城となった。
城址の遊歩道を歩き、緑の中にひっそりとたたずむ元就と毛利家一族の墓を見る。
息子3人に言い聞かせた『三矢の訓』で有名な元就。
全世界に平和を訴える広島に、戦国の世をかけぬけた武将の墓。
元就さん、まだまだ人間は戦をやめられんよ。
山を越え西条の町に着いた。
西条といえば、灘、伏見に並ぶ三大酒造地として有名な町。
古い町並みの中にいくつもの赤レンガの煙突がニョキニョキと飛び出している。
多くの著名人が愛する銘酒蔵が軒を連ねる小道を歩けば喉が鳴らないわけがない。
が…………今はマジで金がねぇ。
あと2000円くらいしかない。
純米を買いたいところだが諦めて散策だけして車に戻った。
よっしゃ!!
いくぞーーー!!!!
修学旅行の聖地、ヒロシマ突入だ!!
市街地は大都会でアホみたいにパーキング代が高いので、ちょっと離れたところにある30分100円のところに車を止め、いざ平和公園へ向かう。
昭和20年、8月6日、午前8時15分、人類史上最大の過ちがおかされた。
アメリカ軍戦闘機『エノラ・ゲイ』によりプルトニウム爆弾『リトルボーイ』が広島市に投下。
上空380メートルで爆破すると、すさまじいエネルギーの増幅により空気が圧縮され、台風の1000倍もの衝撃波と爆風で半径2キロの建物が吹っ飛び、2000℃という熱線でありとあらゆるものが焼き尽くされた。
熱線で一瞬にして炭になった人、ガラスや木でザクロになった人、建物に押しつぶされた人、火災で焼け死んだ人、その後の放射能障害により病死した人。
1発の爆弾で20万人もの人間が死んだ。
日本人なら『はだしのゲン』を読んだことのない人はいないだろう。
あの地獄が、今俺が歩いている近代都市でわずか61年前に起きた事実。
街を歩いているといたるところに看板がある。
それはあの破壊からかろうじて残った建物の案内だ。
広島城はやはり倒壊。
旧日本銀行広島支店は鉄筋コンクリートの頑丈な造りだった為に生き残り、被爆の2日後には支払い業務が再開されたという。
まずはそれらの中でも爆心地からわずか350メートルという至近距離にあった本川小学校へ行ってみた。
コンクリート建造物がまだ珍しかった当時だが、この本川小学校もそうで、廃墟と化した旧校舎が平和資料館として無料公開されている。
子供たちのにぎやかな声が響く校庭を通り、資料館へ。
入り口を入ると中は薄暗い。
くすんだ冷たいコンクリートの壁にいくつもの千羽鶴がかけてある。
10名の教職員と400名の児童が犠牲となったこの小学校。
あまりの痛々しさに胸が苦しくなってきた。
白黒の写真パネルには、爆弾で廃墟となった吹きっさらしの校舎の中でイスを寄せ合って授業を受ける子供たちの姿があった。
このころはどこの学校も校舎を失った為、路上などの青空教室で勉強をしていたようだ。
生き残った子供たちで勉強て………………
つらすぎる……………
投下の目標地点となった相生橋を渡り、元安川のほとりにやってきた。
そこには青空にものいわず立ち尽くす、教科書で何度も見た廃墟があった。
これが原爆ドームか。
世界で初めて悪魔の大量破壊兵器、原子爆弾が落とされた象徴として、後世にその過ちを伝えるべく世界遺産に登録されたこのドーム。
廃墟に落書きはつき物だが、さすがにここにはない。
しばらくドームの前に座って目の前に厳然とさらされている人間の罪を見つめていた。
平和公園は緑が生い茂るのどかな憩いの地だ。
そんな公園の脇を流れる元安川沿いを歩く。
この川を溶けたマネキンのようにドロドロになった人間が隙間なく浮いていたんだよな………………
リアル地獄やん……………
それから公園の中心部に向かって歩いた。
きれいに整備された石畳を歩くたくさんの人々。
原爆死没者慰霊碑には、
『安らかに眠ってください 過ちはくり返しませぬから』
の文字。
ここから直線上に原爆ドームとゆらめく炎が見える。
この炎は原爆の残り火。
悪魔の火が今は平和という誰しもが願う聖なる火となっているのだ。
その火の前には今まさに献花に訪れていた外国人グループの姿があった。
他にも6000人の動員学徒を慰霊する塔や、誰でも自由に打ち鳴らせる国境のない世界地図が刻まれた鐘などがある。
なんとも穏やかな尊い気持ちが体を包んでいくようだ。
そして平和公園のメイン、今年で開館50周年の平和祈念資料館にやってきた。
ここぞとばかりにお洒落しまくってるぶりっ子修学旅行生たちが大声で笑いながら展示品の前を素通りしていく中、泣きそうになりながら焼けたモンペや靴、熱で歪んだ弁当箱、8時15分で止まった腕時計などを見ていく。
舞いあがった粉塵、炎のススを含んだ黒い雨に染まった壁。
あまりの強烈な熱線により人間の影がくっきりと焼きついた地面。
生存者の証言では、黒焦げになった赤ん坊を抱えた黒焦げの大人が片足を上げて歩いているそのままの状態で固まっていたり、そこら中にウジだらけの死体が転がっていたり、喉の乾きに耐えきれず傷口の膿をすすったりしていたそう。
もう地獄そのものやん………………
自分の親しい人がそういう姿になっているのを想像してみる。
とてもじゃないけどその後の人生を生きていく自信がない。
今の爺ちゃん婆ちゃんたちはそれを実際に体験したんだよな。
見て、生きて、アメリカの侵略に耐え、昭和の高度経済成長を支えてきたんだよな。
そりゃイマドキの若いもんは軟弱って言われても納得だよ。
原爆の投下予定地は広島、長崎のほかにもたくさんあったそうだ。
大阪、京都、新潟、小倉……………
軍の主要地で、かつ捕虜の収容施設がないことが条件。
その中から選ばれた広島。
終戦後、広島の歴代市長は世界中で核実験があるたびに毎回必ず抗議文を送ってきており、その数は数百枚にものぼるという。
今までに行われた最大の核実験はロシアの水爆だ。
広島原爆の3000倍の威力だというから狂気というほかない。
そんな爆弾を世界中のいくつもの国が保持し、さらに威力を磨いている現代。
かつて水平線の向こうは滝になっていて、この大地はデカい象の背中に乗っていて、さらにその象はデカい亀の上に乗っかっている、なんて考えられていたこの地球。
水平線の向こうは絶対に見ることのできない領域だった。
もはや人間はその地球を破壊し得るだけの力を持ってしまった。
いつか核乱射時代が来るんじゃないだろうか。
偉い人たちは火星かどっかに飛んで行って地球は死の星に。
そして数十万年の歳月をかけ大地は全ての記憶をリセットし、新たな生命体が新化を遂げ、人間の形跡を発見する。
人間は争いたがる生き物。
戦争はなくならない。
だからこそこの平和公園はあまりにも尊い聖地だ。
八丁堀から流川通りを歩き、広島の飲み屋街である薬研掘通りへやってきた。
さて、広島に来たからには絶対に行くべき平和公園はクリアした。
次は名物!!
ならばそう!!
広島焼きだ!
広島お好み焼きの代表格『八昌』にやってきた。
開け放たれた大きな入り口を入ると、威勢のいい『いらっしゃいませー!!』に出迎えられる。
コの字型のカウンターには地元の方と観光客がいっぱいに座り、みなお好み焼きをいじっている。
注文すると20~30分かかるという。
結構長いな。
お兄さんが軽快に焼くのを眺めつつ待っていると、よおやく俺のが出てきた。
おおお、かなり巨大な塊。
もちろん肉たまソバだ。
カリカリのそば、これでもかってくらいのキャベツ、普通の店なら豚玉たのんだよね?豚入ってた?ってくらいちょこっとしか入ってないのに、ここでは豚肉で層ができている。
そして卵、生地。
層ごとに味がはっきりしていて、一気に口に入れるとそれぞれの旨みがまじりあって至福の美味さだ。
こりゃヤバイ。
広島焼きサイコー!!
ただ、めっちゃマヨネーズもらいたかったんだけど、誰ひとりマヨネーズをつけて食ってるやつがいない。
こ、これって広島焼きにはマヨネーズつけるのが邪道ってことなの…………かな?
さらには何人かがお好み焼きをひっくり返す銀色のヘラでお好み焼きを食べている。
あれで一口サイズに切りながら食べてるんだけど、あんな鋭利なもので食べるとか口切りそうだし、口の端にソースがつきそうだよ。
なんかめっちゃ通の人たちのルールとかありそうであんまりくつろげんかった。
車に戻り西条へ向かう。
今夜はここで路上だ。
さぁ今夜稼げなかったら明日はメシ抜きだぞー!!と気合いでギターを鳴らして歌った。
するとそこにサラリーマンの重役っぽいおじさんと若い部下の2人組が立ち止まって聴いてくれた。
上機嫌な重役さん。
歌が終わるとチップを入れてくれたので、ちょっと会話をしようとしたその時だった。
ドンッ!!
いきなり車がバックしてきて重役おじさんにぶつかってきた。
といってもゆっくりバックしてきた車に当たったくらいなので怪我とかはないはず。
ドンっと当たっておっとっと、と2~3歩よろけただけ。
しかしおじさんよりも車のほうがヤバかった。
どっからどう見てもカタギの車じゃない。
おそらく兄貴分を迎えに来たところって感じのフルスモークのベンツ。
ヤバい雰囲気をガンガンに放っている。
う、うん、重役おじさん、早いとこ逃げたほうがいいんじゃないかな……………
「いたーーーーーーたたた!!!!」
え!?
いきなり足を抑えて大声で痛がりだした!!!
ちょ!!え!?
えええ!?!?
めっちゃ時差!!!!
10秒くらい平然としてたやん!?!?
ていうかこのフルスモークベンツ相手にどんな度胸してんだ!?!?
すると車から運転手が降りてきた。
一目でわかる、を通り越して目をつぶってても極道ですよね?ってなるようなジャージ姿のプロレスラーみたいな若い衆がこっちに来る。
何人か埋めてますよね?
「おっちゃん、ごめんな。」
「あ、ああ、ごめんな…………って、いやいや、俺悪くねぇよな。」
思わず謝ってしまう悲哀漂うサラリーマン気質。
しかし部下の手前だからか、威厳を保つためまさかの反撃に出た重役さん。
「なんだね君、その態度は。」
「やけぇ、そがぁに激しくぶつかったわけでもないんじゃけぇ、ごめんな。」
「よし、人身にしよか。」
「おっちゃんなぁ……………」
せっかく若い衆が穏便に済ませようとしてるのに、軽く当たったくらいでゴタゴタ言ってる重役おじさん。
あ、あの…………
とりあえず僕の目の前でやるのやめてもらっていいですか…………?
おじさん、このままじゃ若い衆キレますよ…………とヒヤヒヤしているところに、店の中からゾロゾロと数人の兄貴衆たちが出てきた。
「おいおいおいおい、なんじゃあ、お前ちょっとどいてろ。」
「兄貴すんません。ここは僕が……………」
「どけぇゆうとろうが。」
「はい。」
兄貴分の迫力ヤベェ。
ただの任侠映画っていうか竹内力。
その目の前でギターを抱えて透明人間になろうとする旅の歌うたい。
「おっちゃん、ほんとすまんかったけぇ、こらえてくんさいや。そんな血が出たりアザできるほどでもなかったんじゃろ?」
「しかしじゃなぁ、ぶつけといてその態度はなんじゃと言ったんじゃ。」
「ゴラァアアアアアアア!!!!兄貴にナンじゃあああ!!その口のきき方は!!」
「お前はだまっとれ。」
「はい。」
「のぉ、おっちゃんなぁ。確かにこっちが悪いけどなぁ、そんな言い方しとったらこいつは若くて血気盛んなんじゃわ。ワシ来んかったらやられとるよ?ここは穏便に済ませようや。」
「しかしじゃなぁ、謝り方がなっとら……………」
「もうええ、こいつさらえ。」
「はい。よし、おっさん乗れ。」
いつまでもゴタゴタ言う重役おじさんに我慢の限界が来た兄貴分。
腕まくりして重役を車に詰め込もうとする若い衆。
泣きそうになりながら必死に謝っているサラリーマンの部下。
「おどりゃあ兄貴がぶちやさしー言いよるんにゴタゴタぬかして!!殺すぞ!!おんどりゃー!!あんどりゃー!!!(この辺から聞き取り不能)」
「すんませんです!!すんませんです!!」
手を伸ばしたら届く距離で繰り広げられる仁義なき戦い。
飲み屋街、騒然。
人だかりができ、お店の人たちもなんだなんだとワラワラ通りに出てきた。
ふうううう……………
文武、お前はなんのために四国に行った。
なんのために88ヶ所ものお寺で般若心経を唱えてきた。
そうこの時のためじゃないか。
あの時の感覚を思い出せ。
お経を唱えながら自然のバイブレーションと一体化したあの時の感覚を。
さぁ今こそ感覚を研ぎ澄まして心頭滅却して透明人間に……………
すると兄貴分の仲間が俺を見た。
うえええええ!!!!
ば、バレました!?!?
透明人間してたのに!!!!
なんですか!?
「おいおい、こがぁに目の前でモメられてこの兄ちゃんが1番かわいそうじゃろうが。のぉ?」
「い、い、いえ、大丈夫です!!」
「何か歌うてくれや。尾崎できるか?」
「は、はい!!……………アイラービュー……………広島はーこわーいとこー……………」
一か八かで替え歌をカマすという、今考えたら頭イカれてるギャンブルに出る俺。
ギロリ!!!
ヒイイイイイイイイイイイイイ!!!
じょ、冗談ですごめんなさい!!
2秒でウンコして消えます!!!
「がっはっは!!!兄ちゃん面白いのぉ!!」
鼻の穴1個にされるかと思いきや奇跡的にそれが兄貴衆にウケ、場が和み、これをキッカケに重役おじさんは解放され兄貴衆たちもベンツに乗り込んで去っていった。
ふううううう……………緊張したあああああ……………
やっぱ広島怖いなぁ。
重役おじさん、感謝しなよ!!
というわけで今日のあがりは9000円。
よっしゃ、これで明日もご飯食べられるぞ。
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