2006年11月2日 【島根県】
ああああああ!!!
島めんどくせええええ!!!
でもここはさすがに行かないと!!
あの有名な隠岐諸島だもんな。
隠岐諸島へ渡るフェリーが出ている港は2ヶ所。
その1つ、七類港へやってきたのは10時30分。
もちろん寝坊。
ぎええええ!!!
次の便はここから10分ほど走ったところにある妖怪の町、境港発の14時30分だった。
くそぅ…………
時間ロスしすぎ……………
仕方ないので時間までこの周辺を回るか。
平成4年、この七類の近くの集落にある民家に隕石が墜落した。
ラグビーボールくらいの岩が宇宙から降ってきたんだから保険屋もどうしたらいいか困っただろうな。
隕石は2階の屋根を突き破って地面まで貫通。
おかげでこののどかな集落は隕石の町として世界中から注目されることになった。
日本海に面したリアス式海岸の入江。
貝殻が打ち寄せられたように群がっている集落が、一躍有名になったってわけだ。
透明度の高い海と、赤瓦のコントラストが見事なまでに美しい。
そんな町並みを眺めながら走っていると、バス停のあたりで1人の婆ちゃんが目に入った。
こっちに手を振っている。
なんだ?
もちろんこんな集落に知り合いなんかいるわけない。
もしかしてボケてきてるお婆ちゃんなのかな、と思いつつ通りすぎたが、どうにも気になるのでバックしてみると、婆ちゃんいきなり助手席のドアを開けた。
「いやー、バスに乗り遅れてしもうたけん乗せてってくだせぇ。」
気づいた時にはすでにシートに落ちついている婆ちゃん。
強引すぎる……………
のどかな昼下がり、ゆきずりの女性と思いがけないドライブデート。
彼女を野波の町まで送っていき、その次の集落、加賀の景勝地、潜戸鼻にやってきた。
あまり人が来ない名所なのだろう。
道は荒れ、雑草が道路を狭めている。
車を止め、遊歩道を草をかきわけて進むと、やがて日本海の水平線が広がった。
風雨にさらされ立ち枯れた木々。
荒々しく削られた絶壁。
白亜の灯台が寂しく海に向かっている。
ここいいな。
1人で物思いに耽りに来るには絶好の岬だ。
次に松江方面に抜け、枕木山華蔵寺へ。
柿が乱れ実る長い坂を登ったところにある臨済宗の古刹で、参道には慶長年間に作られた巨大な不動明王像や運慶作の仁王像、薬師堂に奉られている重文の本尊など、目を引く文化財が多い。
しかし何よりの目当ては、境内から望む山陰一といわれるその絶景。
美保湾、内海、その間に伸びる境港の町並み、内海の中央に浮かぶ大根島、思わず声をあげてしまうほどの絶景だった。
なぜか写真ないけど。
周辺の散策はここまでにして、急いで境港へ向かった。
車を駐車場に止め、2840円の乗船券を買ってフェリーに乗りこむ。
とりあえず情報収集しておこうと、船の中で船員さんにしつこく話を聞きまくった。
まず隠岐諸島は、大きく島前、島後の2つに分けられる。
隠岐1番の名所である国賀海岸がある西ノ島、後鳥羽上皇の配流の地である中の島、赤壁という断崖絶壁がある知夫里島、この3つが島前。
その北東にある大きい島が島後。
こっちもそれぞれに名所があり結構でかい。
1泊2日で回る予定だが、今日はもう島に着いた時点で夜だ。
明日1日で全部回れるだろうか。
「んー、島前と島後を1日で生きてくるのは無理だわー。」
「え?………い、生きて………?そ、そんな死ぬような島なんですか…………?」
「まず島後に生きたら昼のフェリーに間に合わねーしなぁ。そんで島前生きてくって……………」
あぁ、『行って』が『行きて』ってなまってるのか。
島回るだけで生きて帰れないってどんな島だよ。
「よし、ほなら俺の原付貸してやるけんの。」
きょおおおおおおおおおおお!!!!!!
マジでえええええええええ!!!!!
「今日一緒にメシ食いいくぞ。」
びえええええええええええええええ!!!!!
レンタサイクルが高いとごねていたら優しい2人の船員さんがカブを貸してやると言ってくれた。
しかももう1人の男前な兄さん、ユウさんのおごりで島に着いたら3人でメシを食べに行くことに!!
展開がヤベェ!!!!
そんな感じで18時30分に島後の港、西郷に到着した。
1等船室で2人のお仕事が終わるのを待って下船。
3人で向かったのは広島風お好み焼きの『てっちゃん』という店。
観光客らしき人はおらず、島の人々で賑わう店内でお好み焼きを頬張る。
うまいすぎ!!
「この前家族でUSJ行きてきたんだけどなー、家族5人で大阪まで飛行機乗って16万だけんの。島は移動が大変なんだわ。最近じゃフェリー乗るにも船員割引とかねーしな。」
「島後の時間があんまりねーんだったら、最低でも白島は行かねーとな。俺らも若い頃はよく夜にたまりに行ってたわ。」
島の若者の話をたくさん聞きながら腹いっぱいごちそうしてもらった。
今日はこれから常角さんのカブで島の反対側、白島展望台の近くまで行き、そこらのバス停で寝て、朝8時30分のフェリーまでに港に戻ってくるというプランだ。
いつの間にか11月。
日本海での野宿はなかなか寒いだろうだろうけど根性だ。
「いいよいいよ。もう今夜はうちの婆ちゃんとこで寝ていきなが。ゆっくり寝て朝起きて走ればいいだろ。」
マジでー!!
ありがたい!!!
そういうわけで西郷の古びた路地裏の中、かなり年季の入った家に着いた。
中に入ると土間が台所とつながっており、いかにも婆ちゃんちって感じ。
お婆ちゃん夜遅くにごめんなさいー………………
って………………
え?
仏壇の上で笑ってるお婆ちゃん。
こ、これがお婆ちゃんということですか?
「誰もおらんけんここの布団好きに使っていいから。じゃ、おやすみ。フェリー遅れんようにな。」
………………2人が帰ると急に静まり返る家。
えーーっと……………
この布団って………婆ちゃんが使ってたやつ…………ですよね?
怖すぎなんですけど………………
とりあえず使わせてもらう前に仏壇に線香焚いて、般若心経をこの上なく丁寧にお供えする。
うん、お遍路で年季入ってるのでまぁまぁの般若心経イケてると思います。
本土から遠く離れた島の、小さな家の中で死を待ちながらほそぼそと暮らしていたその心境とはどんなものだったのか。
人生の輝ける時、この島はどんなふうに栄えていたのか。
人は死に、家は抜け殻になった。
そこに俺がいる。
電気を消して布団に入る。
ずっと押入れの中にあったような、お婆ちゃんちの布団の匂いがする。
うぅ、頭上にかけられた代々のご先祖様のモノクロ写真がめっちゃこっち見てる。
怖いよ………………
その時だった。
どこからかバイクのマフラー音が聞こえてきた。
あ、あれ?
こんな島にも暴走族がいるのかよ。
こんな全員知り合いみたいな島で。
なんだかそのマフラー音に変に安心感を覚えた。
不思議な夜だった。
翌日。
朝5時。
うぅ…………眠い……………
寒い………………
怖い…………………
気持ちを奮い起こして布団から出て、仏壇にお礼を言って外に出た。
夜明け前の島はまだ静寂に閉ざされており、冷え込んだ空気で体の震えが止まらない。
防寒着をしこたま着こんで常角さんのカブにまたがる。
カブなんて高校以来だ。
アクセルを回す。
うおー!!楽しいー!!
真っ暗な山道を走りぬけ、島の反対側の地区、中村に出た頃には空はうっすらと白みかけていた。
ここが常角さんたちがおススメしてくれた島後最大の観光ポイント、白島展望台だ。
すげー………………
明け方の展望台ってのもなかなか来れるもんじゃねぇ。
早起きはするもんだな。
静まり返っている空と海。
こんな離れ小島の夜明けに、こんな崖の上で海を眺めている俺。
なんて荘厳な時間帯なんだ。
まだまだ8時30分のフェリーまで時間はある。
国分寺や水若酢神社、百名瀑の壇鏡の滝など見るべきものはたくさんある。
いくぞー!!と4地区のうちの1つ、五箇の町を水若酢神社に向かって順調に飛ばす。
2車線アスファルトの快適な道だ。
が、その時、なんかいきなりバランスを崩した。
えっ!!
パンクしてる!!
うそ!!
なんで!?
ウソだろー……………せっかく常角さんが貸してくれたカブなのに……………
そんな変な走り方もしてねーやん。
つーか………………スピードが出ない………………
やばい!!!これじゃフェリーに間に合わん!!
ズリリ、ズリリとタイヤがスライドしてこけそうになるのを必死にこらえ、時速15キロくらいでとろとろと走っていく。
さすがに島でも朝は交通量が多く、車が後ろからビュンビュン抜かしていくのが怖くてしょうがない。
仕方ないので大幅に見所をカットし、港に向けて一直線。
うわ!!
チューブみたいなゴムがタイヤからはみ出してホイールに巻きついてぶちぶちになっている。
もうこのタイヤだめだ………………
途中、1ヵ所だけ道沿いにある隠岐の総社、玉若酢命神社にお参りし、境内にある樹齢2000年の八百杉を見上げ、またカブにまたがる。
やっとこさ港に着き、急いで船に乗りこんだ。
案内所にいる常角さんとユウさんにものすごい勢いで頭を下げた。
「すみません!!カブ、パンクさせちゃいました!!」
「あ?なんだそげなことかい。気にすんなー。ホレ、コーヒー飲みな。」
めっちゃ優しい……………
けどマジで申し訳ありませんでした……………
1時間チョイでフェリーは島前・西ノ島にある別府港に着岸。
早起きしたから時間はまだたっぷりあるぞ。
やっぱり早起きはするもんだ。
まずは港の端の小高い丘の上にある黒木御所へ。
ここは1332年、幕府により配流された後醍醐天皇が、島を脱出するまでの1年間住んでいた場所だ。
時は1331年。
鎌倉幕府による武家政権により、朝廷は完全にお飾りの存在になってしまっていた。
そこで、日本は神の国だ!!天皇家が代々支配してきたんだぞー!!と怒ったのが後醍醐天皇。
倒幕を試みるが、向こうは戦が本職。
あえなく返り討ち。
天皇に刑を課すという現代では考えられない決定で後醍醐さん、隠岐に島流し。
この100年前にも同じように後鳥羽上皇が幕府をやっつけようと承久の乱を起こしたが負けてしまい、隠岐の島前・中ノ島に流され、島で生涯を終えている。
後醍醐さんもこれでしまいだなと思われたが、彼は違った。
1年間この島で暮らす中で着々と脱出計画を練り、本土で倒幕派が勢いにのってきたところでタイミングを見計らって村上水軍の協力を得て脱出。
鳥取に上陸し、京にのぼり、楠木正成らの軍とともに幕府をボコボコ。
幕府は解体。
ここに天皇親政の『建武の中興』を成し遂げたわけだ。
まぁ、すぐに足利尊氏に権力横取りされて室町時代と南北朝時代が訪れることになるんだけど、とにかく隠岐はそういった歴史の深い地だ。
なので明治・昭和のそれぞれの天皇、さらに皇太子もその兄弟もみなここを訪れている。
天皇家にとって後醍醐天皇とは特別な存在らしい。
ていうか天皇家ってすごいよなぁ。
宮崎の高千穂峰に降臨したニニギノミコトから始まって現代まで、同じ人間なのに伝説上は神の末裔なんだよな。
今日はじめて知ったけど南北朝時代から現代でも、天皇は南朝と北朝で交代ごうたい即位しいているらしい。
南朝がジミョウ院、北朝がダイトウ院とかいうみたいだが何のことかさっぱりだ。
ものすごく古くからの形式、掟が脈々と続いているんだろうなぁ。
レンタサイクルはもう1つある港、浦郷まで行かないとないということなので、ヒッチで1発、浦郷行きゲット。
地元の兄さんに聞いたオススメの中華料理屋『さわの』で腹ごしらえ。
やっべ!!うまっ!!
腹ごしらえしたらレンタサイクルをぶっ飛ばして隠岐諸島、最大の見所、国賀海岸へ。
放牧の牛、馬がプラプラと歩いている中、ものすごく急な登り坂道をかけあがり、頂上の摩天崖に到着した。
のびやかな草原、うねる丘陵の向こうはすぐ日本海の水平線。
海面から一気に275メートルも垂直にそそり立つ摩天崖の先端に立ってみると、まるで空を飛んでいる海鳥のような感覚だ。
荒々しい絶壁のダイナミックさに地球の巨大さを目の当たりにする。
俺の一生なんて泣きそうなくらい砂粒以下だ。
そこから坂道をマッハで駆け下り、今度は海岸へ。
天上界と呼ばれる奇岩の密集地の中を歩いていくと、出た。
チョースーパー巨大な岩の架け橋、通天橋。
まさに天と通じているかのごとき大迫力!!
剥き出しになった地層の何段もの色がさらに荘厳さを放っている。
こいつはスゲエ。
自然の芸術にめちゃくちゃ感動しながらチャリンコをこいで港に戻った。
15時45分のフェリーに乗り、七類の港に着岸したのが18時。
バスに揺られること5~6分で境港に到着し、ファントム号にたどりついたころにはもう真っ暗になっていた。
日もすっかり短くなった。
もうすぐ冬だ。
よーし、隠岐諸島、制覇!!
山陰最古といわれる玉造温泉は、町の真ん中に川が流れており、その両側に立派な老舗旅館がズラッと並んでいた。
何本も架かっている橋の上を歩く浴衣姿の人々。
ちょいと高いが他に入るところもないので大きな浴場で汗を流した。
身を清めて服を着替えて、さぁ、松江で路上だ。
うー!!寒い!!
夜に外を出歩くのが億劫になり始めるこの季節。
あー、これからどんどん指がかじかむほど寒くなっていくんだろうなぁ。
松江の繁華街、伊勢宮の路上でギターを鳴らす。
夜の繁華街には日本人の他に、韓国人、中国人、フィリピン人なんかの人種が多い。
その中で日本人はもちろんだが、韓国人はものすごく優しい。
これはどこの町でもそう。
すぐに飲み物を差し入れしてくれるし、チップにしても気前がいい。
外国人さんがチップをくれると、つられて周りの日本人も財布を出し、その金額に負けない額を入れていく。
日本人は慎重な人種。
それにくらべて同じアジアでも韓国人はすごくフレンドリーで、一旦顔見知りになったりお礼なんかしたもんなら、もうカンペキに仲間だ。
日本人よりもはるかに恩に厚いんだよな。
それにしても鳥取でもそうだったが、山陰の人はみんなシャイだ。
1人立ち止まるとワラワラ集まってくるが、1人帰るとワラワラ離れていく。
周りにつられる人が多い感じ。
そんな中、声をかけてくれたおじさんと飲みに行くことになり、スナック『ヴィヴィ』へ。
店は営業はしていないが、仲のいい人たちだけで飲んでいるところだったようで、ギターを出してみんなで歌った。
マスター、ママ、かわいい息子のミツ、みんな元気でな。
そのまま2時まで飲みまくり、誘ってくれたおじさんと、さらにスナックで仲良くなったヒゲさんって人と3人でシメの中華料理屋へ。
話も弾み、車に戻ったのは4時だった。
「俺、どうやって帰ろうかのー。眠いのー。」
そうぼやくヒゲさんもファントムにやってきて、車の中で話しつつ彼は助手席、俺は後ろで眠った。
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