2006年2月4日 【静岡県】
実は静岡には名うての銘醸蔵がたくさんある。
『開運』
『磯自慢』
『初亀』
『志太泉』
などなど。
なんだけど、かたっぱしから電話しまくった結果、見学を受けてくれたのは『志太泉』だけだった。
まぁ、電話で断られたくらいじゃ諦めんけど。
とりあえず後で行くだけ行ってみるか。
蔵見学をルートに組み込みつつ、今日はまず由比町の宿場の散策からかなぁと車のエンジンをかける。
さああああ!!!!
先に進むぞおおおおおおお!!!!!
そして富士宮に到着!!!!
あ、あれ…………?
な、なぜ戻ってるんだろう……………
だってヤキソバ美味すぎるうううううううううううううううううううう!!!!!
いやぁ、富士宮のヤキソバうますぎるわ………………
さてさて、腹ごしらえしたらいざ目的地へ。
東京日本橋から京都三条大橋へ続く東海道五十三次の宿場街のひとつ、由比。
富士や松林、美しい海岸線、とまさに日本の原風景と呼ぶにふさわしい風光明媚な町だ。
トラックがビュンビュン走る国道1号線から旧道に入ると、そこには宿場町の名残が香る旧家が整然と並んでいた。
こりゃいいなぁと思いながら、ひとつ手前の蒲原宿から由比宿を歩いてみた。
江戸時代の大名や旅人の往来が偲ばれる古い木格子の家々。
今は閑静な通りだが、こうして町並みを見ながら歩けば、当時の賑わう雑踏が聞えてくるようだ。
ちなみに由比は桜えびの産地。
4月5月11月12月の漁期には、桜えびの天日干しで町中が真赤に染まるという。
海辺の町らしい、潮の匂いのする風物詩。
由比の町から奥の山側に入っていき、細い細いミカン畑の道を登っていくと、富士眺望の名所、薩埵峠に至る。
駿河湾にそびえる富士と海沿いに走る国道と高速道路の車の列を一望できるのだが、残念ながら今日は雲がかかっていて見えなかった。
清水市に入り、次郎長の晩年の家にやってきた。
清水の次郎長といえば幕末から明治初期にかけて活躍したヤクザの大親分であり、実業家。
いろんな作品の題材に取り上げられたりしている有名人なんだけど、ホントはまったく知らないので家を見たところでなんとも思わない。
どんな人なんだろうな。
昔のヤクザってなんかロマンあるよな。
清水といえば寿司。
そしてサッカーのエスパルス。
あとはちびまる子ちゃんの舞台。
以前だったらこれら全部回るところだが、先を急がないといけない今はそんな悠長なことはいってられない。
細かいところまで全部回ってたらまだあと何年かかるかわからん。
とりあえず日本三大松原の三保の松原には行っといた。
ここの松の間から見る富士山は格別という情報なのだが、相変わらず雲がかかっているのでとっとと先へ。
静岡名物といえば、おでん!!
てなわけでやってきたのは静岡市青葉のおでん街。
大都会の静岡市の中にあってここだけ戦後の闇市みたいなボロボロの横丁になっており、昭和感漂う通りに入ると、両側に小さなおでん屋の暖簾が隙間なく並んでいる。
迷わず向かったのは『みよしの』というお店。
ゆうべの路上で地元の人にオススメのお店を聞いていたのだ。
「らっしゃい!!なに?宮崎?わしゃ博多ばい!!」
偶然にも大将が九州の出身で、同郷ということで盛りあがりつつ、適当におでんを選んでもらう。
「あの、すんません。1000円くらいでおさめてください。」
「あー?九州モンが銭の勘定ばして飲むもんやなか。まぁサービスしとったるけん。」
20年間注ぎ足しつづけてきた究極のダシでとろけそうなほど煮込まれたスジ、大根、玉子、キンチャク、そして静岡おでん名物の黒ハンペン。
それらをつまみながらビール。
あー、うまいよー。
たまらんよー。
ちょうど居合わせた上品な老夫婦とお話も盛り上がり、楽しくて楽しくてもっといたかったのだが、路上を休むことはできない。
1400円払って店を出た。
あー、ホントもっとゆっくり飲みたかったな。
しばらく日記を書いたりして酔いを覚まし、この日は清水の街にやってきた。
今日はここで歌うぞーと町中を走り回る。
静かな町の中、やっとこさ路地裏に寂しいネオン街を見つけだし、雑居ビルの前でギターを鳴らす。
1時間後。
ギターケースの中には2000円くらい
んんん……………こりゃいかんなぁと思っているところに、いかにも極道ですみたいなイカついベンツが2台やってきて、目の前のクラブの入り口に止まった。
おお、ど、どっからどう見てもヤクザやん。
黒スーツの若い衆が出てきて車を取り囲むと、降りてきたのは白いスーツで貫禄たっぷりのおじさん。
どっからどう見ても組長やん。
その組長が俺を見つけるなりこっちに向かって歩いてきた。
や、ヤバい…………
ウチのシマで何勝手にシノギやってんだ?って怒られる………………
怒られるだけならいいけど攫われたらどうしよ………………
うわ、め、目の前まで来て立ち止まってしまった………………
「おう、何やってんだお前。」
「た、旅をしながら歌ってます!!すみません!!クラウチングで消えます!!!!」
「おう、そうか…………よしお前ら、こいつがここでやってるのに文句言うなよ。」
そう言ってクラブの中に入っていった組長。
よ、よかったあああああああああ………………
マジで車に乗せられるかと思ったわ………………
するとクラブの呼び込みの兄さんがこっちに歩いてきた。
「すまんな兄さん。驚いただろ。うちのオヤジ(組長)が応援してやれって言ってたぞ。」
というわけで清水の次郎長さんの鶴の一声で誰もいちゃもんをつけてくるやつもいず、街の人にチヤホヤされっぱなしで快適な路上。
やっぱりヤクザさんのいる街って実際治安が良かったりするのかなぁ。
快適快適。
が、肝心の人があんまり歩いてなくて、チップは伸び悩み6000円でフィニッシュ。
でも次郎長さんありがとうございました。
あー、明日頑張らんとケータイ止まっちまうよ………………
翌日。
よーし!!
休まずどんどん進むぞーー!!
今日はまず富士山の代表的なビューポイントである日本平へ。
茶畑、ミカン畑、そして三保の松原の向こうにそびえる富士山を拝むことができるこのスポット。
いやー、何回見てもぎょっとするほどきれいな山だなぁ。
富士山が日本一の山でよかったよ。
天気のいい中、海岸線を通るイチゴロードを走っていく。
観光農園のイチゴ狩りの看板が道沿いにどこまでも並んでいて、呼びこみのおばさんが各駐車場ごとに立っていて、手にイチゴちゃん風船を持ち、それを慣れた手つきでくるくる回しながら客を引いている。
そんなイチゴ農園の広がる海岸線に面した小高い山の上に、久能山東照宮はある。
駐車場に車を止め、長い階段を登っていく。
日光の東照宮はいわずと知れた徳川家康の魂を祭った神社で、3代目将軍の家元が作ったもの。
そして遺体を祭るため2代目将軍の秀忠が作ったのがこの久能山の東照宮だ。
日光と同じく絢爛豪華な彫刻美や総漆塗りの極彩色が美しい。
ここはもともと西暦600年ごろに久能寺という寺のお山として開かれていた場所。
そこを室町時代に武田信玄が城として利用。
その後、江戸時代になり今の家康を祭る神社となったわけだ。
寺が城になり、神社になる。
はるかな時代の流れと歴史を変えた大人物たちの人生を垣間見れる、とてもいい場所だった。
それから清水の次郎長について知ろうと思い菩提寺である梅蔭禅寺に行ってみたが、年をくってからの善行や事業での功績などにしか触れておらず、ろくなことを学べなかった。
もっと切った張ったのエピソードを知りたかったんだけどな。
次に東海道の宿場町、丸子宿へ。
町のシンボルである萱葺き屋根の茶屋『丁子屋』では、江戸時代からの名物とろろ汁を食べられるが、ご飯、みそ汁、漬物、とろろ汁、の4品で1380円というふざけた値段なので、とっとと次へ。
宇津ノ谷宿の町並みを満喫し、岡部では『初亀』の酒蔵に行ってみる。
が、いつのまにかもう17時すぎ。
残念ながらすでに閉まっていた。
あぁ、日が長くなったもんだ。
さぁ、今夜も路上だぞ。
今日3000円以上稼がないと問答無用でケータイが止まる。
早めに静岡の街にくりだし、両替町の1番にぎやかな交差点に陣取り、ギターを鳴らす。
まぁ3000円なんて正直楽勝なんだけどね。
1時間そこそこで無事3000円をクリアーし、さらにそこに声をかけてくれたのが、結婚式の2次会で飲みに出ていた『キタコー軍団』のみんな。
ガヤガヤとみんなに取り囲まれながら1曲歌うと、ちょうどそこに小料理屋のママが通りかかった。
「よし!!!あんたたち祝ったげる!!1人1000円でいいから!!」
とみんなを店に引き連れていった。
祝うけどお金はとるのね!!!
軍団がいなくなってからも歌っていると、しばらくしてさっきのキタコーの1人が戻ってきた。
「みんな待ってますから行きましょう!!静岡の温かさを感じてもらいたいじゃないですかー!!」
というわけで小料理屋『すがお』で貸し切り飲み会スタート。
名前覚えてないけどご両人、結婚おめでとう!!
そしてさわやかイケメンのナオト。
俳優なれるといいな。
みんなと楽しく飲み、お祝いの歌を歌い、夜中に1人静岡の街を歩いて車に戻った。
帰りのポケットの中には7000円の現金。
日曜で7000円ならバンバンザイだ。
明日もガンガン動くぞー!!
リアルタイムの双子との日常はこちらから