2005年11月29日 【関東後半 群馬県】
目を開けると、リアガラス越しに真っ青な空が見えた。
車の中、布団をかぶりながら見上げる空が好きだ。
さぁ、今日も行くぞ。
草津白根山、四阿山、浅間山といった百名山に囲まれた高原の村、嬬恋村。
しばらく山を登っていくと、ペンション村とホテルとスキー場が現れ、いかにも高原の観光地って感じだ。
まだ雪は降っていないので閑散としており人影もないが、これがスキーシーズンになったらたくさんの人で賑わうんだろうな。
丘陵地帯の中、牧草ロールを作るトラクターがポツンと取り残されている。
広大な草原にパッチワークの畑が伸びやかに広がっている。
背後にそびえる雪化粧の四阿山。
富良野にそっくりなその景色の中、しばらく外で高原の澄んだ空気を吸いこんだ。
六里ヶ原の落ち葉舞う広大な森林地帯を駆け抜けていく。
この辺りは北軽井沢という別荘地で、木々の中に隠れるようにいくつものログハウスが建っている。
まるで迷路だ。
そんな迷路の別荘地を抜け、鬼押出し園というところにやってきた。
世界3大奇勝の1つといわれるこの名所の実態は、1783年に浅間山が大爆発して流れ出た溶岩が固まって出来たギザギザの岩海。
見上げると雪をかぶった浅間山が太陽に照りつけられ蒸気を上げている。
まるで生きてるみたいだ。
500円の入場料を払って園内を歩く。
歩道が整備されていて、だいたい30分で一周できるくらいの広さだ。
園外は森で覆われているが、よく見ればこの辺り一帯全てが岩石地帯。
あの山からドロドロと真赤な液体が流れ出てきたなんて信じられないなぁ。
自然は人間のことなんてまったく気にかけてくれない。
自然の気まぐれに合わせて生きていくしかないんだよな。
ていうか何より驚いたのは、昔この鬼押出し園に、ジョンレノンとオノヨーコとまだヨチヨチのショーンレノンが観光に来たことがあるということ。
奥さんが日本人とはいえ、めっちゃ昭和のこんな観光地で、あのジョンが普通の家族写真撮ってるところを見ると、ジョンも普通の人間だったんだなって、なんか不思議な感じだった。
峠を2つ越えて旧中山道で山に入り、荒々しい渓谷の横の今にも崩れ落ちそうなボロボロの道を10キロも走り、やってきたのは秘湯、霧積温泉。
700円はちょっと高いが、せっかくここまで来たので払って入浴。
…………うーん、普通。
六角風呂と銘打ってやっているようだが、こんなの町場の銭湯とかによくありそうなもんだ。
建物も新しくて風情が感じられないし。
残念賞。
中仙道沿いの越中屋食堂ってとこで腹ごしらえして、今日は高崎市の路上にやってきた。
高崎のネオン街はアーケード分布だ。
昼は商店街で、夜はネオン街って感じに様変わりするのだが、このアーケード分布って路上ミュージシャンには結構やっかいなんだよな。
屋根があるので声がめっちゃ響くのはいいんだけど、商店がそのまま民家だったりするので、歌うと苦情がくることがよくある。
というわけで30分ほど慎重に路地を歩き回って歌える場所を探す。
ようやく落ち着いたのがさびれた映画館『オリオン座』の前。
1曲目を歌い終えると、いきなり呼び込みのおじさんが声をかけてきた。
「お兄ちゃん、腕試しに行くかい?」
腕試し…………
なにその誘い方、怖すぎるんですけど…………
そう言われるとかなり緊張してしまうけど、言われたからには断るわけにはいかない。
おじさんに連れられクラブを2軒。
若い女の子の多い店でやるのはとても緊張する。
ほとんど聴いてくれないからだ。
それでもアンコールがかかったのは救いだった。
盛りあがってもらえてよかった。
クラブ『ゼロ』のマスターの「君なら充分いけるよ。」の言葉にすごくホッとした。
本当に励みになる。
マスターありがとうございました。
それからも路上に戻って歌ってると、深夜2時くらいにまたさっきの呼びこみのおじさんがやってきた。
街中の人がおじさんに挨拶している。
この盛り場の有名人だな。
「よし、ラーメン食いにいくか。俺ヨーダおじさん。そう言えばこの街で知らない人間いないから。」
マウントポジションでタコ殴りにしている喧嘩の横を通り、最後に連れてこられたのがラーメン屋『時々』。
ヨーダおじさんにたらふく飲み食いさせてもらった。
「男として親として、何も残さないままじゃ絶対終われないからね。そうやって必死に頑張ってるんだよ。」
ここの大将、22歳でラーメン屋を開き、家族を養い立派な家を建てた。
しかし離婚することになり家は競売、子供は向こう。
その後は公園での行水生活。
もう死のうと人生を諦めかけたが、子供のことを思い、大勢の人に助けてもらいなんとか這いあがり、今こうしてラーメン屋をやっていけるまでに立ち直したんだそうだ。
「人生は辛いことのほうが多いんだよ。それを乗り越えていくんだ。」
ものすごく波乱万丈な人生を送ってきている大将。
俺なんか想像もつかない苦しみを乗り越えてきたんだろうな。
悲しい、優しい目をしてた。
暗い夜道を車に戻りながら考える。
様々な人生がある。
先を考えれば考えるほど、俺なんかがこの長い人生をやっていけるかどうか不安になる。
世の中にはくじけたり、諦めたり、ダメになったりする人が山ほどいる。
落ちぶれて、生活保護もらって酒飲んで、亡霊みたいに生きてる人にたくさん会ってきた。
それほどキツくて、難しいもんだってことだよな、人生は。
そんな人生を俺は踏み外さないで生きていけるのか?
でも、「流されるままに」「なるようになる」「ぼんやりしてて」なんていう自分の心のない人生なんて絶対送らないぞ。
『そう、確かに時には己の力以上のことも試みた、しかし迷いがあっても、もがき苦しみ立ち向かい、誇りを失わず、自分なりのやり方で生きてきたんだ』
エルビスのマイウェイを口ずさみながら歩いた。
翌日。
縁起ものの代表格といえばダルマ。
そのダルマの発祥の地、少林山達磨寺にやってきた。
紅葉で真っ赤に染まった境内。
達磨堂には日本中の達磨の名品珍品が所狭しと並んでいる。
ダルマのモデルは南インドの王子様。
禅宗の基礎を固め、初祖とまで言われるようになり、壁面九年の行をやったのが有名。
その姿を描いた『一筆達磨座禅像』を見て、この少林山の坊さんがダルマを考案。
浅間山の噴火で大飢饉が起きていた周辺の飢えた農民たちに作り方を伝授し、農業の副業として作らせたのが大ヒット。
今も寺の周辺で約100軒の生産者が年間200万個近くもダルマを作ってるんだそうだ。
眉は鶴、ヒゲは亀、重心が低いのは心の置き所を示し、まろやかな形は心のあり方を表しているのだそうだ。
周辺にあるダルマ工房で、まだ色付けしていない張子丸出しのダルマを見学させてもらい、次に碓氷峠へ向けて走った。
江戸時代からの主要街道、中山道で信州に抜けるこの峠は、昔は箱根の関と同様に『入り鉄砲・出女』を取り締まる江戸の重要な関所だった。
近年になってからはJR信越線が開通。
現在この区間は廃線となったのだが、明治時代の古いトンネルや廃線橋としては日本一の大きさのメガネ橋など、歴史を感じる見所が満載だ。
レトロな退役車両が並ぶ鉄道文化村なんてのもあり、鉄道マニアには垂涎もののスポットだな。
日本三大奇勝の妙義山は、中国の水墨画に出てくるような切り立った岩山。
約1500年の歴史を持つ妙義神社の黒漆塗りの本殿も荘厳さが際立っている。
196号線でそんな岩山の下をかけぬけていく。
今にもポキッと折れてしまいそうなほど鋭く切り立った岩がはるか頭上にそびえていて、なるほど、こりゃ、まさに奇勝。
絶好のドライブコースだ。
連なる山々の稜線のうねりの中を駆け抜け、下仁田を過ぎ、さらに走って鬼石町の桜山公園へ。
7000本の冬桜が咲き乱れる夕焼けの園内を歩き、丘の上のベンチで真っ暗になるまでぼーっとしていた。
最近になり歌をけなされることが少なくなってきた。
前はひどいもんだった。
飲み屋街の路上ではみんな酔っ払ってるから遠慮ゼロで言いたいことバンバン言ってきやがる。
死ねだの、無駄だの、お前が歌ってるのが信じられんとか。
マジで何度歌をやめようと思ったことか。
それでも諦めずに歌い続け、少しずつ自信もついてきた。
表現することの喜びも『わんずほうむ』で学んだ。
そして今、悩んでいる。
俺はメジャーにならなくていいのか。
周りの人たちはみんな俺がテレビに出ることを期待している。
でも俺はそこには興味がない。
じゃぁ、何がしたいって……………俺歌いたいから歌ってるんだよな……………
そこにめんどくさい金の計算を持ってきたくない。
自由に好きな場所で歌いたいし、自分の作りたい曲を作りたい。
でもそれがどこに向かうのか、まだわからない。
メジャーになることだけが幸せっていう考えも、もしかしたら正しいのかも知れないし。
歌ってなんなんだろうな。
とにかく、一生懸命やるだけ。
その時その時に全力でやってれば、いつか俺だけの道が見えるはず。
どんな形になるかはわからないけど、旅と音楽を追求していくんだ。
さぁ、次の県だ。
【関東後半 群馬県編】
完!!!!
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