2005年9月9日 【山形県】
雲ひとつない秋晴れの下、山形県の日本海側、庄内平野を走っていく。
酒田の殿様が治めていたこの庄内藩は米どころで酒どころ。
北前船で賑わい、最上川は荷積みの小船でひしめいていたという旅情溢れる地方だ。
そうした歴史から商人の町としても知られており、『西の堺、東の酒田』といわれるまでに栄えたのが酒田。
それとは反対に武家の町として栄えたお隣の鶴岡市。
今日はまずは庄内の歴史や文化を学べる致道博物館に行ってみた。
目を引いたのは釣竿。
江戸時代からの古い釣竿がたくさん展示してある。
なんでもここの藩では武士の精神鍛錬のため釣りを奨励していたそうだ。
の、のんびり屋さんのお侍たちだなぁ…………
各自、苦竹から竿を作り、名刀を自慢するかのように見せびらかしあってたという。
うーん、平和だ。
『たそがれ清兵衛』はこの地が舞台だけど、内職ばっかりしてたもんな。
山形の風土なのかな。
次に南岳寺へ。
300円払って中に入ると、ガラス張りの祭壇に人形みたいな影があった。
これはミイラだ。
拝んで拝んで拝み続けてそのままミイラになって死ぬという究極の修行が仏教にあり、そうやってミイラになった仏のことを即身佛という。
つまりマジの人間が仏像になっているのだ。
1000日間の決められた日数、食を制限し、体中の肉をそぎ落とし、腐敗しない体を作り上げてから生命を終わらせる。
すげすぎ。
世間の救われない人たちのために命を捧げた、というが、人間はすごい生き物だよ。
想像を絶する苦しみだろうな。
全ての煩悩に打ち勝ち、死ぬまで祈り続けるなんて。
1日2日食えないくらいでヒーヒー言ってるのが恥ずかしくなる。
俺ももっと追い込まないとな。
ちなみにこの修行は県内にある湯殿山という山で行われていたという。
あとで絶対行くぞ。
『東北の灘』といわれた大山は最盛期には40軒あまりの酒蔵がひしめき合っていた酒どころ。
そんな大山で『栄光富士』の蔵元にやってきた。
「おー、どうぞどうぞ。遠いところご苦労様です。」
レトロで立派な屋敷の奥の間に通され社長と向かい合って座る。
白髪のおじいさんなのだがジーンズをさらりと履きこなすお洒落な加藤社長。
落ち着いた物腰、隠し切れない教養のオーラ、ユーモラスでダンディの塊のような方だ。
「『積善の家、必ず余慶あり』といいますが僕が余慶を使い切っちゃいまして、今は息子がまた積んでくれてます。はっはっは。」
金丸家でも僕がそうです…………
そんな息子さんである、専務の有慶さんに蔵を案内してもらった。
『暦酒』というものを実施しており、これは契約すると毎月様々な種類の酒が解説付きの冊子とともに自宅に届けられるというワクワクの内容だ。
帰りに『庄内平野』の純米を頂いた。
とても紳士的で気持ちのいい蔵だった。
酒田に戻り銭湯を探してぶらつき、ふらりと入った酒屋で店主さんとおしゃべりしていると、店内になんか見覚えのある字を見つけた。
ん……………?
あれ!!?
『極楽鳥海人』!?
この前飲んだ人たちのグループだ!!!
「え?私もメンバーですよ。」
先日路上やってるところでお世話になった人たちが参加している会のメンバーさんだった。
すげえ…………もう何人目だ?
しかも今日行った『栄光富士』の富士酒造の息子さん、有慶さんもメンバーだという。
この『極楽鳥海人』という会の名前を冠した酒を作っている鯉川酒造にも明日見学に行く予定。
一体あと何人の鳥海人と会うんだろう。
不思議な縁を感じずにはいられない。
今日も酒田の路上にくりだし、いつもの雑居ビルの前で歌った。
よっしゃああああああああ!!!
久しぶりの大フィーバー!!!
500円玉で3000円入れてくれたタクシーのおばちゃん、店スッカラカンにして女の子全員で聴きに来てくれた『プチアスカ』のみんな、『ブルーローズ』のかわいいママ、みんなありがとう!!!
15000円くらいになったとこで、声をかけてくれたヒダさん・ナガタさんっていうパンクなお兄さんたち飲みに行くことに。
隠れ家のようなバーに入ると、ストーンズのニューアルバムが流れている。
「んでのー、ミックがのー、」
「のー!!あーあー、のー。」
「のーのー。」
店中、庄内弁のノーノー。
庄内人がアメリカ行ったらイエスって言ってるのにノーやん。
楽しい時間を過ごし、お店を出たのは3時半だった。
駐車場まで送ってくれたヒダさんにお礼を言って別れた。
「へばの。がんばんだでやぁ。」
庄内、みんないい人ばっかりだよ。
翌日。
ゆうべあれから寝たのは4時半くらいだった。
8時に起き、寝不足のまま急いで鯉川酒造へ。
「どうぞ。このあと用事がありまして1時間くらいしかご案内できませんが。」
奥の間で社長の佐藤一良さんと向き合い世間話。
「うん、喋り方を見ててもきれいな腹式をしてるから、いい歌を歌われるんでしょう。」
う、うおおお…………
音楽やってる人とは聞いていたが、そこまで見てるのかよ…………
佐藤社長は山形でも有名な歌い手だと、この前鳥海人の理事長が言ってたな。
「それじゃ外行きますか。」
蔵の裏手に行くと自社栽培の『亀の尾』の田んぼが広がっていた。
今やメジャーとなった酒造好適米『亀の尾』は、その昔この余目町で作られたもの。
この米から交配でササニシキや五百万石、美山錦がつくられたのだが、亀の尾自体は農薬に弱くしだいに作られなくなった。
その伝説の米に目をつけて復活させたのがこの鯉川酒造。
あの『夏子の酒』に出てくる幻の米『龍錦』のモデルだ。
昭和56年、亀の尾を生んだ阿部亀治さんのひこ孫さんから代々伝わっていた種籾をゆずってもらい、杜氏みずからが慎重に栽培し、見事その米で酒を仕込むことに成功。
ほぼ同時期に新潟の蔵が醸造試験場から米を入手し、鯉川酒蔵よりも1シーズン早く酒を作ったために、夏子の酒の尾瀬明さんはそっちの蔵に行ってしまった。
しかし種籾から苦労して作り上げたという面では鯉川をモデルにしているのかな。
「田んぼを見せる蔵なんてなかなかないでしょ。」
今までの酒に関する経験値をすべて見透かされているような要所をついた説明。
「お土産に。」と亀の尾の本、純米大吟醸、さらに佐藤社長が鳥海人の理事長のスタジオで録音したオリジナルCDまで持たせてくれた。
車に戻るとジャスト1時間。
いつも思うのだが酒造りをしてる人って立派な人が多い。
俺なんか足元にも及ばない覚悟や情熱を持っている。
俺もこんな大人にならんとな。
近くのラーメン屋『八千代食堂』でうまいと評判の中華そばを食べた。
相席してまで食う価値は……………ある!!
美味い!!!!
それから佐藤社長にオススメしてもらった酒屋さんで色々県内のお酒の話も聞かせてもらえて大満足。
あー、庄内めちゃくちゃいいとこ。
さて!!良い人たちと出会えて温かい気持ちになったところで修験道の聖地、羽黒山へ向かった。
庄内地方には他に月山、湯殿山という霊峰があり、これらを会わせて出羽三山と称されている。
羽黒山の開山は593年。
平安時代には三山信仰が確立し、以後霊場として多くの修行者が登るようになったとのこと。
さっきまでもっていた天気が崩れ、ひどいどしゃ降りになってきた。
外はビカビカと雷が光り、轟音が山にこだましている。
ビジターセンターで避難していると、びしょ濡れの白装束の人たちがぞろぞろ入ってきた。
山伏体験塾の参加者たちだ。
1泊2日で22000円も払って精進料理を食べ、滝に打たれ、焚き火を飛び越えて新たに生まれ変わるという。
なんじゃそりゃ?
しばらく待っていたら雨も止んできたので、いざ境内に向かった。
本堂のある山頂への道は2446段の石段。
どってことないやろーと思ったのが大間違い。
どこまでも続く目のくらむような超きつい石段で、相当しんどい。
途中、国宝の五重塔を見て、さらに登っていくと茶屋が見えた。
やっと到着か…………
「はーい、今半分だっきゃー。」
なんだとおおおおおおお!!!
マジかああああああああああああああああ!!!!
気合で1時間かけて頂上の三神合祭殿に着いたころにはめっちゃヘトヘトになっていた。
しかしそこで出迎えてくれたのはスーパー巨大な茅葺き屋根の神殿。
こ、こりゃすげぇ…………
しかし、中で祈祷をやっていたので見ていると、ウィーーーンとブラインドが下りてきて外から見えんようになりやがった。
なんだよ、このハイテクな設備は?
巫女さんも冷たくあしらうような態度。
ここまで来たのになんかめっちゃ違和感。
釈然としないままお参りを済ませ、もと来た石段を駆け下りる。
まったく宗教ってのは自分たちだけわかってりゃいいって感じの、まるで政治家みたいな集団だ。
この石段は登らなくても400円で有料道路がある。
周辺には宿坊だらけなのでまったくもって便利な観光地って感じだな。
なんか納得いかないまま湯野浜温泉ってとこに行き、90円の共同浴場に入ったら信じられないほどの熱湯に飛び上がった。
俺が一瞬でのぼせ上がってしまうのを見て笑ってる地元の古老。
爺ちゃん強ええええ。
さて、1日動きまくって最後は路上だ。
酒田の町にやってきて、ギターを取って飲み屋街に向かう。
今日はどんな物語に潜り込もうか。
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