2005年 7月30日 【北海道一周】
旭川の道の駅で目を覚ますと身体中が汗でベトついていた。
うー、あちぃなぁ。
去年の夏、東北で干からびそうになってた思い出が蘇る。
あれからもう1年か。
北海道も残すところあとわずか。
よーし!!道南いくぞ!!
旭川から深川、妹背牛に抜け、北竜町にやってきた。
目当てはここ!!
ひまわりの里!!
北竜といえばひまわり。
7月下旬~8月上旬くらいのシーズンに、広大な公園がひまわりで埋め尽くされるのだ。
目がちかちかするほどの黄色一色の丘を歩いていく。
向日性といわれる習性で、太陽に一斉に顔を向けているひまわりたち。
不思議な形をしてるよなぁ。
まさに太陽の花だな。
ひまわりには捨てるところがないらしく、種、花、葉、茎、全てに用途があり、それぞれ加工され商品になる。
ひまわりワインなんてのもある。
『テディーベア』、『ジュークボックス』など、さまざまな種類のひまわりを観察して回り、次へ。
日本一の直線道路を走り、岩見沢にやってきた。
ごちゃごちゃした街中を抜け、駅裏の総合体育館に到着。
なんでこんな地元の人しか来ないようなところに来たのかと言うと、お、いたいた。
裏手の喫煙所でユニフォームに身をつつんで汗を拭いている中田のおじさんがいた。
今日はここで卓球の試合があったのだ。
「おじさんの試合はもう終わったんだぁ。まぁ、頑張って行ってこい。一生の別れってんじゃないんだべし。なんか飲むか?」
挨拶を終えて車に乗りこんでアクセルを踏んだ。
やたら暑い日差し。
おじさんに最後におごってもらったCCレモンのペットボトルがジュースホルダーですぐに汗をかいている。
おじさん、行ってきます!!!
この前富良野で似顔絵を描いてもらった画家の黒田さん。
先日連絡をとって、今日札幌で会う予定だ。
待ち合わせまでちょっと時間があるので街の中を歩いた。
大通公園は相変わらずすごい人の数。
というか今、大通公園はシーズンの巨大ビアガーデンに変身していて、スミからスミまでテーブルが並べられており、うじゃうじゃと人だらけ。
各テーブルに6リッター入りの煙突みたいなビールサーバーが置かれていて、みんな狂ったようにビールをかっくらっている。
ここだけで何千人いるんだろう?
何千人がビール飲みまくって、北海道中でビール飲みまくって、日本中でビール飲みまくって、世界中でビール飲みまくって、こんだけ飲まれてるのに毎日よく生産が間に合うもんだ。
札幌に来たなら味噌ラーメン食べなきゃと思い、どうせなら1番有名なとこに行こうと、味噌ラーメン発祥のお店ってのがあったから行ってみた。
デパートの中という、老舗とは思えない立地にあるそのお店は「味の三平」ってとこ。
どれどれ、味噌ラーメン発祥ってどれほどのもんでしょうかねー。
はい、スーパー美味い。
美味えええええええええええええええええええ!!!!!
今まで食べてた味噌ラーメンなんだったの!?!?
おい!!サッポロ一番!!!
全然違うじゃねぇかコノヤロウ!!!!
いやぁぁぁ、まろやかで濃厚で、マジで美味かった。
宮崎にもこんな美味しい味噌ラーメン屋さんがあったらなぁ。
「おーい、久しぶり。後ついてきてよ。」
19時に黒田さんと合流し、彼の車の後について街の中を走っていく。
一体どこに行くんだろう?と思っていると、閑静な住宅街の一角にある薄暗い廃墟の前で車が止まった。
「やぁ、ここが前言ってたアトリエだよ。」
相変わらずボサボサの髪の毛にヒゲを生やした黒田さんに続いて廃墟の中に入る。
無機質な真っ白い空間。
ボードをぶちぬいてダクトが剥き出しになってる天井。
鉄骨の柱に白いペンキが塗られていて、芸術家が好きそうな奇抜な感じになっている。
「ここのスペースがギャラリーになっててね、みんながそれぞれここで個展するんだ。」
シェアアトリエという言葉を始めて知った。
ヨーロッパなんかじゃこういう下積みの芸術家たちが共同生活をして作品を作っていくコミュニティがたくさんあり、それに国が援助を出したりもしているという。
それほどアートというものが一般的なものらしい。
『プラハ』
と名づけられたこの場所。
昔は病院だったららしく、ここの所有者がシェアアトリエにするために19年前に芸術家志望の若者たちに建物を提供したのが始まりとのこと。
病室を改装した部屋にそれぞれ住みこみ、創作活動に明け暮れ、たくさんの人たちがここで自分と見つめ合い、巣立っていったという。
屋久島にもこういう芸術家のコミュニティがあったよな。
現在も活躍している芸術家を何人も輩出してきたこの『プラハ』。
残念なことに様々な理由から運営できなくなり、みんな出て行かねばならなくなったようで、今まさにそれぞれ部屋の引越し作業をしていた。
国がもっと芸術という文化に力を入れていればこんなことにもならなかったのかもしれないが、仕方のないこと。
日本では売れなければ食えない。
わかりやすい原理だ。
黒田さんの部屋も見せてもらった。
今にも外れそうなドアノブを引くと、いきなり3段の階段になっていて、冷たそうなコンクリの壁とおそらく開かない窓があり、まるで監獄のような雰囲気の中に絵の道具が所狭しと並んでいる。
少し前に抜けた床、垂れ下がりながら光っている蛍光灯、壁に貼られた誰かの似顔絵。
それにしても……………住んでる他の芸術家たち。
変わった人たちだわぁ…………
めっちゃ愛想が悪い。
挨拶してもろくに返事してくれない。
岡本太郎を始め芸術家は人付き合いを屁とも思ってない人種なのか。
そーじゃないといけない理由でもあるのか?とすら思えてくる。
常識を打ち破るものを創造する人ってのは、どっかで常識が欠けてるものなのかな。
まぁ、なんにしてもこういう場所が生活の身近にあるんだという事実に驚いた。
人生を「表現」に捧げている人たち。
人生を賭してうちこむ何か。
もちろん俺は音楽をやり続ける。
でもまだわからない。
音楽以外の何かが俺にはあるかもしれない。
もっと人生ってすごいもんじゃないか?っていつも思っている。
もっとこの20数年の浅い考えが覆るようなすごい出来事があるはず。
この道でいっかー、なんて無難なところで手を打つような人生、絶対にいやだ。
黒田さんと再会を約束して札幌を出発し、小樽へ向けひた走る。
海岸線を走っていると、海に面した山の斜面に街の明りがうねりながら光っている。
別府の夜景に似てると思った。
街に入ると、もーーーすごい人ごみ。
夜の22時だというのにまだ土産物屋さんが開いていて人が群がっている。
みんなハッピや浴衣を着ている。
あー、今日お祭りだったのかな。
路地裏に飲み屋街を見つけて入っていくと、あっちにもこっちにも細い路地が枝分かれしてネオンがひしめいている。
ぐるぐる歩いていると、まるで迷路のように元の道に戻ってきたりして、なんかもうわくわくしてくる。
こういう町大好きだ。
ジャケット姿の腰の曲がったおじいちゃんがガットギターをポロンポロンやりがらスナックをのぞいて回っている。
風鈴売りの行商の郷愁を誘う音色。
盛り場ほどその土地のディープな場所はない。
そんな昭和の風景の中、ギターを抱え歌った。
反応は上々。
ロース保育園のママさんたち、みんないい方だったな。
それにしても歌ってる場所の背景やシチュエーションがあまりにキマっているので、通りすがりのお兄さんに写真を撮ってもらった。
「あ、あの、僕歌ってるとこ写真撮ってもらえませんか?」
「おー、いいぞ!!…………これでいいか?」
「あ、いや、もっと…………こんな感じでお願いします。」
「注文多いなぁ。よっしゃ!!…………ホラ!!これでどうだ!?」
うおー、かっこいい写真が撮れた。
タカアンドツネさん、これなんかに使わせてもらいますね!!
ありがとうございます!!
それからものんびり歌った。
小樽の人たちは遊びが上手ってイメージだな。
ウダウダしないでみんなサッと小銭置いていく粋な人たちばかり。
おかげでそこまで伸びず5000円でフィニッシュだったが、久しぶりに充実感を感じられる路上だった。
夜中の小樽を寝床を探して走る。
さっきの飲み屋街と一緒でこの町はやたらと小路が多い。
北海道の町はたいてい碁盤の目のようになっているのだが、小樽はまったく違っていて、曲がりくねった道が多い。
坂が多く、斜面に張り付くように並ぶ家々。
そんな家の間に人1人分くらいの隙間があり、そこに細く急な石段なんかがあったりしてすごく郷愁を誘う。
いいなぁ。
小樽、いい町だ。
翌日。
一晩で大好きになった小樽。
今日はそんな小樽の散策だ。
小樽駅裏の少し離れたところにあるスーパーに車を止め、歩き始める。
まずは駅で情報収集をして、船見坂へと向かう。
坂の町、小樽。
町中坂だらけで、アーケードをカニの試食をしながら通り抜け、住宅街の中の坂を登っていく。
港から一直線に山手に伸びた道。
急な坂に汗がダラダラふきでる。
こんな斜面に住宅地があるもんだから、家ごと転がり落ちそうだ。
ある程度登ったところで振りかえると、坂の下に港と海が広がっていた。
坂の町小樽を象徴するこの風景。
昔の人たちは、港に入ってくる船を見ながらこの坂を降りていたそうだ。
なんて旅情と生活観が同居した風景なんだろう。
消火栓がマンホールではなく昔ながらの柱型のままというのもレトロな港町の雰囲気をひきたたせている。
古い木造の教会やレンガの倉庫。
見飽きない町並みを歩き、酒蔵にも見学へ。
小樽には『宝川』をはじめ、『北の誉』など4つの蔵元があり、どこも観光用に開放しており試飲をすることができる。
おかげでほろ酔いになり、いい気分で今度は日本郵船の倉庫群へ。
レンガ作りの倉庫が並ぶこの一帯は、港に着いた荷をストックする日本郵船の敷地だ。
今でもかなり巨大だが、昔はこの4倍の敷地があったっていうから小樽がどれだけ水運で栄えていたかがわかる。
有名な小樽運河は、波を防ぐために海を埋め立てて作られた水路。
港に着けた北前船にハシケと呼ばれる小船を寄せ、荷を小分けにして積んで倉庫に運んでいたんだそう。
そのため、運河の両側には巨大な倉庫が並んでおり、当時の賑やかな様子が目に浮かぶ。
ゆうべからやっていた『潮祭り』という小樽最大の祭り会場を見て回り、メインストリートの土産物通りを歩いた。
使われなくなったレンガ倉庫がレストラン・博物館などに再利用されており、どこも観光客ですし詰めだ。
レンガ倉庫のカラオケ屋まである。
小樽名物の北一ガラスのギャラリーも見学。
漁で使うガラスのブイやランプから始まり、今ではその技術をいかし、食器、アクセサリーなどがかなりの規模で生産されている。
ま、別にいらないけど。
ところでユージローってどう見ても不細工だよなぁって思いながら石原裕次郎記念館へ。
なんで裕次郎ってこんなに人気あったんだろ?
『タフガイ』、『ナイスガイ』の裕次郎はエピソードが豊富すぎて、面白くてゆっくり見てたら閉館時間の20時をすぎてしまい締め出されてしまった。
すでに陽の沈んだ真っ暗な外に出ると、瞬間、夜空が赤く染まった。
あ!!
花火だ!!
ものすごい人と車の列が花火の明かりに照らし出された。
近くに行こうと俺もすぐ車に乗りこんで渋滞の列に加わったが、全然前に進まない。
あああ、こりゃダメだぁ、とフロントガラス越しに花火を見上げた。
昔から花火大会っていうと時間ぎりぎりに行くもんだから、毎回こうして渋滞の車の中で花火の音を聞いてたよな。
でも、これはこれでいいもんだ。
一向に進まないテールランプ、歩道を歩いている浴衣のカップル。
ドンッ!!
ドーンッ!!
花火が光るたびに照らされる車内には俺1人。
助手席に美香がいれば最高の観覧席なのにな。
きっと来年の花火は…………
もういいやと路肩に寄せ、サイドブレーキを引いて花火を見上げた。
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