スポンサーリンク アテネ観光は相当ヘビー 2017/3/23 2017/03/06~ ギリシャ, ■彼女と世界二周目■ 2017年3月12日(日曜日)【ギリシャ】 アテネ昔々、ポセイドンとアテナがひとつの町をめぐって勝負をしたんだそう。ポセイドンが矛で地面を突いて海水を湧かせたのに対し、アテナはオリーブの木を生み出した。市民たちはどっちのほうが有益か考え、オリーブのほうを選択。勝負に勝ち、その町はアテナが領有することになった。ギリシャの首都、アテネの名前はそんな神話に由来している。3400年の歴史を持つ古代都市アテネ。ペルシャ帝国やスパルタたちとの戦いをモデルにした映画はもう何本見たかわからない。世界でも屈指の超有名な町に今いるということがちょっと現実味がない。アテネって神話の中に出てくる町であって本当に現実に存在する町なのか?もちろん、れっきとしたギリシャの首都であり経済の中心地だ。歴史と逸話においてはエルサレムや長安とかそんなレベルの地球の生き証人。こんな古い都市が今現在も存在していることを思うだけで地球の壮大さに震えがくるわ。今日はそんなアテネの町を1日かけてゆっくり探検するぞ。宿を出たらいきなりすさまじい落書き。古代都市の威厳!!この町自体が遺跡といっても過言ではないアテネなのに、信じられない量の落書きの数。マジで半端なさすぎてビビる。マジで世界最強の落書きシティーだ。こんな由緒ある町なのに………って外国人は思うけど、ここに暮らしてる人からしたら、は?ポセイドンとかそんな昔話興味ねぇしって感じなのかなぁ。そんなもんだよなぁ。そんなガラの悪い町を歩いていると、何やら道端でカタカタと体を揺らしている人がいた。地べたに座って、壁にもたれて、カタカタカタカタと揺れている。それが物乞いだというのはすぐに分かったんだけど、横を通り過ぎる時にすさまじいものが目に入った。投げ出した足のスネの部分が深くエグれて、赤い肉がむき出しになっていた。マジで目を疑った。戦争映画で爆撃をくらったヤツがエグれた足をおさえて痙攣する、まさにあのままだった。彼は15歳くらいの若者で、汚れて黒い肌をしており、絶えず体が痙攣している。痙攣しながら手を差し出して物乞いをしていた。信じられん!!今すぐ病院に行かないといけないレベルなんじゃないのか!?しかし人々はいつものことといった感じで無関心に通り過ぎていく。そして俺たちもショックを受けながら怖くて足を止めなかった。マジかよ…………これまで世界中で悲惨な物乞いはたくさん見てきたけど、今のはマジでビビった………その先にも、火傷のケロイドみたいな感じで顔が歪んだ女の人、病気で髪の毛が抜け落ちた婆さん、奇形の人などがいて、アテネの物乞いはとても先進地域ヨーロッパとは思えないハードなものだった。アテネの闇、深すぎるぞ……………そしてゆうべもやってきた中心部にある広場に到着。ゆうべもガラの悪さに驚いたけど昼間でも相当なもんで、すぐに草の臭いが鼻をつく。ものすごい数の観光客が蠢いており、その人ゴミに混じって黒人の兄ちゃんたちが強引にミサンガを売っていた。歩道の狭くなってるところに5~6人で立っており、観光客にヘーイ!いい天気だねブロー!!お!君の帽子マジイカしてるなぁ!と軽いノリで声をかけながらミサンガを売りつけている。まるで通行料でも請求するかのように歩道に立ちふさがっており、いきなり目の前で通せんぼされた時は、あ、これフレンドリーにボディータッチしてくるスリ系のやつか!と一緒体が硬くなった。黒人たちを過ぎると、今度は地べたを引きずるようなロングスカートにジャージを着たジプシーの女が花を持って近づいてくる。そして一輪の花をフォーフリー、タダよ、と言って差し出してくる。フォーフリーからこっちが受け取ったらどんな戦法で金を要求してくるのか少し見てみたい気もしたけどやめといた。ジプシーの女はしつこく顔の前まで花を突き出してきたけど、諦めてまた次の観光客に寄っていった。周りにはたくさんのレストランとその客引き、土産物屋さん、世界中の人種、騒々しい渦の中見上げると空にそびえるアクロポリスの丘。これがアテネだ。ギュロスを食べ、広場を抜けてアクロポリスへと続く坂道を登っていく。途中に早速ギリシャらしい遺跡が現れ、思わず足を止めた。崩れた神殿か寺院の一部がいびつに取り残されており、その後ろには建物があったであろう基礎が草むらの中に散らばっている。これは廃墟。数千年前に作られた。でもまるでこれで完成形かのような不思議な美しさがある。坂道を登っていくと、やがて見晴らしが良くなっていき、頭上にそびえるアクロポリスが近づいてきた。近づくほどにその巨大さと異様なまでの神聖な空気を肌で感じる。マジで空に続いているかのような壮大な石段と門が見え、神話の世界に迷い込んだかのようだ。これまで訪れてきた遺跡とはまるで別物のオーラに満ちている。途中にあった岩場から町を見渡し、さらに進んでいくと長い行列ができている建物がある。ここがチケットオフィスだ。パルテノン神殿など、4つの主要遺跡が見られるこのアクロポリスの丘への入場料は10ユーロ、1200円。ただしこれは冬場のローシーズン価格で、4月から秋までは20ユーロと倍になる。2400円。高っ!さすがにパルテノン神殿はいくら高くても入ろうと決めていたので、今がローシーズンの価格でよかった。アクロポリスの丘以外の市内に散らばる6~7ヶ所の遺跡全てに入れる共通チケットも売られており、これは30ユーロ。3600円。チケットを買って歩いていくと、まず目に飛び込んでくるのが巨大な劇場跡。これはディオニューソス劇場といい、よくローマ遺跡とかで見る半円形のオープンエアーシアターだ。さすがは本場。早速の遺跡の保存状態に興奮しつつ、岩場を登っていく。そしてとうとうやってきた。目の前にのびる壮大すぎる大理石の石段と門!!!!!もう完全に天国への入り口くらいの雰囲気!!!!でも当たり前に観光客ハイパーおる!!!!すげぇ数の観光客だなぁ。これが夏場のハイシーズンだったらもはや修羅場だろうなぁ。1人平均15ユーロで年間100万人が訪れると言われてるので、単純計算1500万ユーロ。パルテノン神殿の入場料だけで年間18億か…………その他の経済効果を併せたら莫大な観光収入だよなぁ。すげぇ資源を持ってる国ってのはそれだけでラッキーだ。いざ、天国への階段を登って門をくぐると、だだっ広い丘の上に、あの教科書やテレビで何度も見たことのある建造物が目に飛び込んだ。うおおおおおお!!!!!パルテノン神殿工事ハンパない!!!!!!もうすっごい工事。足場どころかクレーンまであって遺跡感ゼロ!!!仕方ないので裏から!!!うおおおおおおお………………パルテノン神殿だーーーー……………約2500年前、守護神アテナを祀るために作られたこのパルテノン神殿。日本がまだ弥生時代のころの建物がこうして残ってるなんて話のスケールが壮大すぎてただひたすら立ち尽くした。パルテノン神殿はアテネの衰退とともに数奇な運命を辿り、ローマ帝国時代にはキリスト教の教会へ姿を変え、さらにオスマン帝国時代にはモスクとしてミナレットも作られたんだそう。そして1600年代にはオスマン帝国が弾薬庫として使用していたことでヴェネチアに攻撃されて大ダメージを負ったらしい。戦争は遺跡の大敵だけれども、それでもまだこれだけの姿を残しているのはすごいことだ。その後、1800年代にイギリス人が神殿の貴重な彫刻類をイギリスに持ち帰っており、近年になってギリシャが返還を求めてはいるがまだ実現には至っていない。そう、この前実際にロンドンの大英博物館で見たギリシャ彫刻たちは、まさにこのパルテノン神殿から持ち帰られた物だったってわけだ。これが大英博物館が泥棒博物館って言われてる理由なんだよなぁ。パルテノン神殿の隣にはエレクチオンという、小池一夫好きが聞いたら牛乳吹き出す名前の神殿がある。知らない人は漫画読んでみてください。ビビるくらいエレクチオンしてます。エレクチオンには6体の少女像が柱に彫り込まれており、ここもまたとても貴重な遺跡だ。丘の上からはアテネの町を見下ろすことができ、市内に散らばるいくつかの遺跡が当時の様子をわずかにとどめている。白い建物が広域に敷き詰められた大都会アテネ。その中心に立つこのアクロポリスの神殿群。丘の上に吹きすさぶ古代の風。マジで震えるわ。パルテノン神殿マジですげぇ。マチュピチュだとか、モアイだとか、ピラミッドだとか、そんな世界を代表するザ・遺跡をこの目で見ると、人類の営みの力強さと儚さをひしひしと感じる。当時の人たちの築き上げた文化は、きっと現代にも大きく影響する礎になっているんだろうな。いやー、人間ってすっごい昔から生きてきたんだなぁ。俺はこの命のうちに何を残せるかなぁ。パルテノン神殿、一生に一度は見るべき地球の宝!!アクロポリスを降りて行くと、丘の周りを囲う道に出るんだけど、そこがまたすっごく面白かった。ホコ天の遊歩道の両側にどこまでもズラリと露店が出ていた。手作りのアクセサリーや置物を売ってる個人の小さな屋台が通りに並んでおり、その間を観光客たちが行き交っている。皮むき器の実演販売でひたすらキャベツを削いでるおじさん。オシャレで気の利いた小物が多く、目を引かれながらのんびり歩いていると、エリアによって売られているものが変わることに気づいた。黒人さんたちが靴や服を地面に並べて売ってるエリア、手作りアクセサリーのエリア、古銭屋台エリア、さらに進むと古書のエリアもあり、その奥には衣類のエリアも。混雑、活気、迷路みたいな路地にこれでもかと品物が並んでいる感じはまさにイスラム地域のバザールに似ている。これが日曜日だけの限定のマーケットなのかはわからないけど、とにかく広いエリアに様々な物が売っていて歩いてるだけで楽しくてしょうがない。露店の中にはシルバーアクセサリーに名前を彫り込みますよーというサービスをやってるところもあり、なんだか昔の修学旅行で行った長崎のことを思い出した。確かに観光客の中には若い学生のグループがすごく多くて、きっとヨーロッパの色んなところからやってきている修学旅行生たちなんだろうな。懐かしいなぁ、修学旅行で長崎に行った時、グラバー邸の下にお土産物通りがあって、おばちゃんたちが客引きをしていた。カステラはもちろん、面白い言葉が書いたTシャツとか、ドッグタグに名前彫り込むやつとか、福山雅治やジャニーズなんかの下じきなんかが売ってたりしたよなぁ。ヨーロッパの学生たちからしたら、あぁ、パルテノン神殿ねー、修学旅行の時に行ったけど覚えてねぇわって感じのところなのかもな。レストランの呼び込みのオッちゃんたちに、チョットマッテー、ヤマモトヤマー、とかって声をかけられながらこの沸き立つ町を歩き回ったんだけど、観光エリアのいたるところで目に入るのが路上パフォーマー。もうとにかくいっぱいいる!!ギターの弾き語りはもちろん、様々な音楽系、銅像、クラウン、定番の南米フォルクローレなどなど。アテネは名所が散らばってて、どこの通りにも観光客がわんさか歩いているので、メインストリート以外の色んな小径でもパフォーマーを見つけることができる。中にはこんな人たちも。バイクで世界一周してますっていうカップルが地面に世界地図と各地で撮った写真を並べており、横でミサンガを売っている。確かに世界中から観光客が来るアテネだったら、あら、私たちの国にも行ってるわねーってことになりそうだ。本当、なんでもパフォーマンスになるなぁ。中でも面白かったのがこれ。最初遠くから見た時、あんなところに変な銅像あるなぁ、と思ったんだけど、なんと気合いの入った銅像パフォーマーだった。全身金色にして海賊服みたいなのを着たおじさんが柵の柱の上に立っており、頭に何か大きな丸いものを乗せている。よく見るとそれは地球だ。軽そうなので中身は風船なんだろうけど、これはウルトラ目を引く。看板を見ると、この人も世界を旅してて各地でこのパフォーマンスをして回ってるみたい。地球を背負って地球って旅してるわけだ。ナイスパフォーマンス!!俺もちょっとやろうかなとは思ったんだけど、アテネは今日1日しかないので残念ながら路上する時間はない。夜になったら行かないといけない場所もあるので、ちゃんと今日やるべきことをクリアーするぞ。次にやってきたのはアゴラと呼ばれる当時の市場跡。アクロポリスを見上げる位置にあるこの場所には公共施設がいくつもあったようで、ソクラテスもここで活動していたらしい。ソクラテスて。ソクラテスがここにいたてビビるー。無知の知とか教科書で習ったし!!現在は敷地の中に柱や基礎の跡が残されており、ミニパルテノン神殿みたいな建物がメインの見所。博物館もあり、貴重な出土品の数々を見ることができる。すげぇよなぁ。石像を見れば、こんな顔でこんな服を着た人たちが2500年も前に文明を持って生きていたってのが明確に想像できる。キリストが生まれる400年以上も前なんだもんなぁ。いやぁ、お茶目な人だったのかなぁ。昔からこのあたりの人はお肉を刺して食べてたのかな。アゴラ遺跡の入場料は3ユーロ。360円。ここも夏場は倍の値段。他にも遺跡は腐るほどあるんだけど、とりあえずメインの場所はこんなもんになるのかな。大迫力のパルテノン神殿を見られただけでもアテネはかなり満足できると思う。遺跡巡りはこの辺にして、最後にお買い物へ行こう!!アテネに来るにあたって必ず手に入れなければいけないものがあったんだけど、果たしてちゃんと手に入れられるだろうかなー。もう俺もカンちゃんも禁断症状が出始めてて、ヤクくれよー、ヤクくれよおおおって目がうつろになってきてる。そうしてやってきたのは!!!!!!アジア食材店!!!!!!!さすがはアテネ!!!!アジア食材店がほぼないバルカンで初めて見つけたわ!!!!何を買ったかは僕らのこと知ってるかたならお分り!!そう!!辛ラーメン12袋買い!!!ふぅうううううう……………ダハブ着いたら辛ラーメン祭りだぜ…………買い物を終えてご機嫌で歩いているその時だった。なんだか不穏な空気を感じた。あれ………?なんだここ………?急に人通りが減り、ゴミが増え、ガラの悪いこの町の中でもなにかこの辺りだけ別格のヤバそうな空気が漂っている。歩いてる人たちの目がリアルにうつろになってて怖い。ゴミだらけの一応ホコ天の通り。両側にボロボロの建物があるんだけど、なぜか入り口が開いており、中を覗くと奥の階段のところにカーテンがかかっている。通りの建物が全部そんな様子で、それぞれのドアに小さくオープンという光が見えた。こ、これはチョンの間か……………しかしアムステルダムの飾り窓とかみたいな明るくてファッショナブルな雰囲気は微塵もなく、本気のヤバい売春街の匂いがプンプン漂ってた。建物の前に立ってる男たちがこっちをジーっと見ている。やばいやばい、変なところ入りこんじまった。後から知った話だけど、この町の売春って10ユーロとからしい。1200円。いってもここは天下のEU加盟国だぞ?ギリシャの経済、国民の所得、そのエグい実情が如実に表れてやがる。そそくさとヤバいエリアを抜けて宿を目指して歩いていくと、今度はまたなんだか別の怪しい雰囲気が漂う地域に入ってきた。落書きまみれの建物の上から水がボタボタと落ちてきており、なんとも湿った嫌な空気だ。おいおい、またかよ。どうやら安宿が固まってるこのオモニア駅周辺はなかなかのスラム地域みたいだ。こっちの通りはさっきと違って人通りは多いんだけど、気づいたのはそこらへんの人たちがみんなギリシャ人ではないこと。浅黒い肌に濃い黒い眉毛、どうやらアラブ系の人たちだ。そんなアラブ系の人たちが路面に服や古びた携帯電話を並べており、イスラム地域でよく見ていた雑な露天市を行っていた。周りにあるファストフード屋さんの店員さんもやはりアラブ系であったり、中にはもっと東の顔もある。お店の中にはサモサやビリヤニの文字が混じっており、どうやらバングラデシュの人たちがやってるお店みたいだ。一目でわかるほど誰もが貧しそうな服装をしており、地面に並んだ服の山に群がり、パチモノっぽいスマホをやりとりしている。異様だったのはこのエリア全体がそうなのではなく、本当に十数メートル半径のわずかな一角だけに人が集まって異文化を形成している。完全に隅に追いやられた人たちが限られた場所でコミュニティを作っているような感じだ。これは…………おそらく難民の人たちじゃないのか…………2016年、ギリシャに入った難民たちは80万人を超えると言われているらしく、シリアなどの紛争地域で住処を追われた人たちが豊かなヨーロッパに逃げ込むため大挙してきている。紛争地域だけではなく、その他の諸国からも仕事を求める人や密航者が後を絶たず、陸路・海路ともにヨーロッパの玄関口であるこのギリシャはまさに移民のるつぼと化していた。町のいたるところにいるジャンキーたち、凄惨な物乞い、尋常じゃない数のホームレス、町を埋め尽くす落書き、北欧やドイツやオーストリアにもジプシーたちはいたけれど、ここまでカオスなものではない。あ、とグレベナの町でヒッチハイクをしている時にお巡りさんに言われた言葉を思い出した。「20年前なら誰もが車を止めて乗せてくれたよ。でも今は難民がいてみんな警戒してるんだよ。」難民が悪さをして治安を悪化させる直接的な要因になっているのかはわからない。でも尋常じゃない数の難民がギリシャに押し寄せて、その処理に莫大な費用がかかり、ギリシャの財政を圧迫しているのは紛れもない事実。経済破綻から間もないこのヨーロッパの弱国にそれら難民を全て受け入れられる余裕などあるはずもないが、EUからは援助金を送る代わりにキチンと対処しろと押しつけられ、言ってるEUの強国たちは国境警備を強化して難民の流入を阻止している。スケープゴートとなり泥沼化している難民問題を抱えるギリシャでは、失業、ドラッグの蔓延、他のEU諸国に対する鬱憤などで、ギリシャは今まさに全てをブチ込んだ闇鍋のようにグツグツと沸騰しているような雰囲気だ。パルテノン神殿がそびえる世界屈指の大観光地、神話のふるさとであるこのアテネ。古代の遺跡に見下ろされた町が、今こんなにも不穏な空気に満ちているなんてショックを受けずにはいられなかった。「ヘーイ!!マイフレンドー!!カモンカモン!!」ファストフード屋さんの前にいると、店員のバングラデシュ人らしき兄さんが陽気に声をかけてきた。みんなたくましいなぁ。故郷から遠く離れた土地で必死に生きる道を探して人生にしがみついている。俺はなんて恵まれてんだろ。日本に生まれて本当にラッキーだよ。ちょっとサモサでも食べようかなと思ったけどあんまりサモサ好きじゃないからやめといた。アテネの光と闇を垣間見て複雑な気分になりながら宿に戻り、荷物を取って空港に向かった。そう、明日飛行機に乗ってギリシャのとある場所に行く。せっかくギリシャに来たんだから、ザ・ギリシャを見ないとね!とカンちゃんと話して行き先を決めたんだけど、まぁ数日前から待ち遠しかった。アテネには若干凹まされたけど、気持ちを入れ替えて楽しまないとな。活気に沸き立つ夜のアテネの町を歩き、シンタグマ広場という場所にやってきた。空港行きのバスはこの広場の横から出ており、1人6ユーロ。730円。X95というナンバーのバスが24時間頻発してるようなのでいつ行っても問題なし。夜中や朝方はわからんけど。走り出したバスの中から見るアテネの町には、EUの意地みたいにきらびやかでオシャレなレストランが光っている。遺跡に群がる観光客と、その観光客の金を狙って群がる移民たち。かつて古代ギリシャは世界の中心だったはず。そして今も、ある意味人々が世界中から集まる人類の交差点だ。