2016年3月18日(金曜日)
【インド】 ベロール
朝、目がさめると顔の痛みが薄らいでいた。
体のダルさもだいぶマシになっている。
やっぱりエアコンなしで寝ると調子がいい。
インドでエアコンガンガンで寝てるって状況はすさまじく贅沢でありがたいことだけど。
ベッドの上から見上げると、カデルの家みたいに綺麗な天井ではなく、竹で作られた天井が目に入る。
壁は土でできていて、牛糞を混ぜ合わせて固めたものだ。
作りはかなり雑で、隙間どころかほとんど穴が空いている。
そんな部屋の中、蚊帳から出てドアを開けた。
目の前に広がる茶色い原野に、一瞬ここがどこだったか頭が混乱する。
南国の植物が生い茂り、ギラギラした太陽がすでに大地を焼いている。
向こうの方で子供たちの声が聞こえた。
聞き慣れたこの歌はインドの国家だ。
ジャヤヘ~~、ジャヤヘ~~ジャヤジャヤジャヤヘジャヤヘ~~
歌の最後のこのフレーズはビクトリーという意味らしい。
相変わらずここでも子供たちの音程は仏教の念仏みたいに一定だ。
タンクの水で歯を磨いていたら、ギラギラの太陽の下、インドのカラフルな服装に身を包んだコズエさんが歩いてきた。
「金丸さーん、よく眠れましたかー?」
この原野の中の遺跡みたいな学校に1人ぼっちで1年以上滞在しているコズエさん。
一応、一軒家を用意してもらって生活しているようだけど、こんなところに2年任期で派遣されてるなんて同情しかない。
「今日も暑いですねー。」
「そうですねー。でもこれが5月になったら45℃まで気温が上がるんですよ…………夜でも43℃とかなんです………まったく眠れないから今年はエアコンを買おうかなって思ってるんですけど、室外機が外にあると贅沢してるって町の人に噂をたてられるから悩んでるんですよね…………」
おお、そういう地域の目も気にしながら活動しないといけないのか……………
マジで同情するわ……………
「暑い日とかアスファルトが溶けるんですよ?本当人間が暮らせる気温じゃないです…………でもここでみんな生きてるから我慢して慣れるしかないんですよね。」
JICAのバックは外務相だ。
外務相の国際協力機関のひとつとしてJICAは活動している。
つまり活動資金は税金だ。
この前、安倍首相とインドのモディ首相が会談したときにインドに対してもっと国際協力活動に力を入れるという取り決めを交わしたんだそう。
それでコズエさんは新しい活動ジャンルである、青少年教育という部門のメンバーとしてインドに派遣された。
みんな苦労しながら活動されてるみたい。
派遣先にも色々あるみたいで、日本語教師とか柔道教師として派遣される人ってだいたい都会にある大学とかに行くらしい。
おそらくそうした都会だったら日本食や欧米のご飯のお店も見つけられるだろうし、現地に住んでいる日本人とも仲良くなれるはず。
しかしコズエさんが派遣されているこの村は、最寄りの都会であるチェンナイまで電車で4時間くらいかかるし、英語喋れる人ほとんどいないし、村だから人の目も気にしないといけないし、マジで相当きついと思う。
まぁみんなそれぞれに色んな苦労を抱えて滞在してるんだろうけど、そうした派遣先の環境によって精神的なストレスは確実に変わってくるだろうなぁ。
こんな僻地の村に1人ぼっちで2年とか、俺だったら3ヶ月目の夜にカレー食べてるときに発狂してインド人かき分けながら空港にダッシュして宮崎帰って爛漫でチキン南蛮食べてそのまま地鶏でビール飲みまくってキャバクラ行ってオッパイ揉みながら霧島飲んで店員さんにオッパイ揉むな!!って殴られて泣きながらきっちょううどん食べてネットカフェでベルセルク1巻から読破。
コズエさん、心中お察しします…………
そこらの森を歩いてるオッさんとかギリで使徒だもん………………
道端でボロボロの服で寝てるオバさんとか余裕で真紅のベヘリット持ってるもん…………
さて、そんなインドの片田舎にあるこの学校に俺がやってきたのは、リコーダーの寄付のためだ。
ストリートチルドレンのために持ってきたこのリコーダーだけど、この前コルカタの路上で物売りの子供たちにリコーダーを配った感じでは、とても練習してくれるような雰囲気ではなかった。
あれをなんとか練習させて、しかも物乞いに見られないようにまで技術を高めさせてパフォーマンスして稼ぐってのはマジでハンパなく難しい。
そしてそれがベストの使い道かどうか悩んでるところがある。
現時点では、コズエさんがいるこの学校のように、貧しくて物資が足りていない学校に寄付して授業の中で使ってもらったほうが有意義なような気がしてる。
日本から持ってきた102本のリコーダーと4つの鍵盤ハーモニカ、そして3つのタンバリン。
お金もかかっているし、なにより僕に託してくださったたくさんの、本当にたくさんの人たちの想いが詰まったこれらの楽器をひとつも無駄にすることはできない。
例えば路上で物乞いをしてる子供にリコーダーをあげたとして、それを親がぶんどってメイドインジャパンだよー!と売りさばいて金に換える。
これがその家族の生活の足しになるんだったら、それはそれでひとつの有意義な使い道と考えてもいいと思う。
実際、そう言ってリコーダーを渡してくださった人もいる。
でも当たり前だけど、できるならキチンと吹いて演奏してもらいたい。
そして一緒に演奏できたら最高だ。
そのためには路上で配るよりも学校でキチンと管理してもらって使ってもらったほうが確実だと思う。
「金丸さん、次の授業で私のクラスがあるのでよかったら参加してもらえませんか?」
というわけでコズエさんの授業を見学させてもらうことに。
教室にゾロゾロとやってきたのは9歳の子供たちだ。
みんな元気いっぱいで、コズエさんの周りにものすごい勢いで集まった。
元気いっぱいっていうか、もうそれぞれが口々に言いたいこと叫びまくっており、コズエさんが静かにー!!って大声で怒っても全然いうこときかない。
この日のコズエさんのプログラムは、日本の文化体験。
コズエさんが持ってる日本のオモチャで遊んぶというもの。
取り出されたのはけん玉、だるま落とし、お手玉、輪投げなどの日本の伝統的なオモチャだ。
「ハーイ!!ちゃんと聞いてー!!ちゃんとみんなでシェアして使うんだよー!!わかったー!?」
「イエーーーース!!!!!!」
そしてオモチャを与えた瞬間。
戦争。
「ヒョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
「オポオポオポオポオポオポ!!!!!!コケキペパピヒェエエエエエエエウウウウウウウウイイイイイイイ!!!!!」
「うぎゃあああああああああああああああアアアア!!!!!!!」
やりたい放題。
略奪。
食糧不足の世紀末系の映画で、食べ物を奪い合ってるあの感じ。
「オラァアアアア!!!!それよこせ!!!」
「うるせぇボケ!!どっか行け!!!」
「キエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!」
無秩序とはまさにこれ、という戦争が繰り広げられ、誰も順番を待たず、誰も譲り合いの心を持たず、誰も先生の言うことをきかず、狂ったように暴れまわって人をなぎ倒す。
そしてしばらく経ってコズエさんが、ハイー!!!!時間だよー!!終わりー!!と叫ぶと、遊んでいたオモチャをぶん投げてダッシュで教室から逃げていき、2秒で誰もいなくなった。
後に残ったのはゴミだらけの床だけ。
俺ポカーン。
「いつもこんな感じです。誰も片付けてくれないんです。何度言ってもダメです。片付けるっていう感覚がないんだと思います。」
そりゃ大人があれだもんなぁ…………
チケット売り場でも割り込みしまくりで順番待たないし、道路では対向車線とか関係なしに走りたいように走ってクラクション鳴らしまくりだし、ゴミはそこらへんに捨てるのが正しいことだと思ってるし。
カデルの学校の子供たちも結構やりたい放題なところあるけど、ここの子供に比べたらかなりキチンと躾けられてるってのがよくわかった。
「体育も教えたくてサッカーボールを与えたんですけど、この状況を見てもらったらわかると思います。めっちゃくちゃでどうしようもなくて終わりです。私がもっとタミル語をキチンと話せたら少しは違うんでしょうけどね……………」
そんな笑顔もひきつるこの学校で音楽の授業をすることになった。
敷地の中にある円形の建物に行くと、砂まみれの床に子供たちが座って目をキラキラさせて俺のことを見てる。
ギターなんて実在するものなの?ってくらいの存在なので、みんな興味が溢れ出して今にも爆発しそうだ。
でもギターには触らせない。
1人に触らせたら一瞬にして全員が突進してきて乱暴に触ってくる。
触ってこようとするやつがいるので、思いっきりノー!!と怖い顔をして言うと、ニヤニヤしながら後ろに下がる。
絶対に触ったらダメだからなってドスをきかせて言う。
その瞬間、後ろから手を伸ばしてギターをタッチしてきたガキがいた。
思いっきりその手を掴んで引き寄せ、お前今触ったな?って聞くと、ノー!!と嘘をつく。
マジでムカつく。
この嘘の言い逃れ。
嘘つくなコラ?とマジ顔で問い詰めてると、他の子供たちが耐えきれずに、ソングソングー!!シングー!!ギャアアアア!!!とわめきだす。
うおおおおお!!!
牛にくくりつけて引き回すぞこのガキどもがああああ!!!!!
はぁはぁ、落ち着け、落ち着いて素数を数えよう。
何も空から何万匹もの毒カエルが降ってきてるわけじゃない。落ち着いて歌のレッスン行こう。
「はい、いくよー!!サレガマパダニサ~~!!はい!!」
「サレガマパダニサ~~~~~~!!!!」
音程正しい子、ゼロ。
見事なまでにゼロ。
サレガマパダニサ~って音程が上がっていくのに、途中で音程が止まるのはまだマシで、下がっていく子がいる。
何度やっても結果は同じ。
音程という概念がまったくない。
でももうこの状況にはカデルの学校で慣れている。
根気よく一緒に発声していくしかない。
「こ、これが現実なんですね……………うわぁ……あと10ヶ月の任期でちゃんと教えられるかな…………」
コズエさんは情操教育の担当でここに派遣されてきている。
音楽を教えて感情を発育させ、他との協調性を学ばせることが彼女の課題だ。
「でもリコーダーがあったら、自分で音を出して音の違いをずっと聞いていけるので、もしかしたらちゃんと覚えられるかもしれないですね!!」
おお、確かに。それはそうだ。
楽器をやるやつってのは音感が自然と身についていく。
そうだよな、楽器に触れさせて音感を養うことってすごく大事なことなんだよな。
「サー!!シングー!!シングー!!」
「シングタミルソングー!!ギャアアアア!!」
「オペポケコパペピ!!!!!」
いくら黙れやあああ!!!と叫んでも静かになるのは1秒だけですぐに落ち着きがなくなって暴れ出す子供たち。
この子供たちにリコーダーを渡してちゃんと大事に使ってくれるか心配すぎるわ……………
教室にはテーブルなし。
床に座ってお勉強。
この子お気に入り。可愛い。
今日はそんな子供たち2クラスに歌のレッスンをし、学校はおしまい。
ヘトヘトになってやることを終え、コズエさんと村の中心部にジュースを飲みに行くことにした。
「金丸さん、じゃあオートリキシャーで行きましょう。子供たちが乗って帰るのでそれに便乗して。」
ここの学校にはカデルのところのようなスクールバスはない。
オートリキシャーが子供たちの送迎の足だ。
こんなにたくさんの子供がいたら何往復もしないといけないから大変だろうなぁ。
と、オートリキシャーを見てみると………………
子供たちがめっちゃ群がってる。
「コズエさん、これ何人乗るんですか?」
「え?これ全員ですよ。こんなの少ないほうです。」
軽く15人はいる子供たちが次から次へとオートリキシャーの中に吸い込まれていく。
はい?マジで?
さらには先生である大人まで4人も中に入っていく。
う、嘘だろ?
オートリキシャーの実力の底知れなさを発揮。
人をしこたま詰め込んでアクセルをふかして走り出した。
村の中心部でオートリキシャーを降り、騒々しいクラクションの嵐の中、やってきたのはコズエさんお気に入りのジューススタンド。
ボロボロの小屋だけど、新鮮な果物をシェーカーにかけて冷えたジュースを作ってくれた。
甘くて美味しい。
コズエさんはここに来るのが楽しみで、2日に1回は来ているそうだ。
こんな小さなことがこの村での生活では大きな楽しみになるんだろうなぁ。
それから少し村の中を歩いたんだけど、コズエさんの生活の大変さをほんの少しだけど垣間見る出来事があった。
ひとつめが、俺が裏路地の細い道をのぞいて、ローカルの風景を見たいからこっち行ってもいいですか?と聞いた時。
なにやら、その方向はカーストの低い人達が住んでいるエリアなので、コズエが1人であそこを歩いていた、と町の人に噂されてはいけないので行けないんですと言われた。
さらには、木陰でインドのローカルなテーブルゲームをやってる兄ちゃんたちがいたので、面白そうだから近づいていって話しかけ、輪の中に加わって一緒にゲームをしようとした時。
コズエさんが遠くからこっちを見てて近づいてこないので、どうしたんですか?と聞いたら、むやみに若い男性と口を聞いたら変な噂をたてられるから控えないといけないんですと言われた。
確かに分かるけど…………………
そこまで生活に気を配らないといけないなんて厳しすぎる。
おそらく他にも色んな縛りがあるはず。
マジで大変だなぁ。
コズエさんとはまた明日会いましょうとここでお別れして、俺は1人でのんびりと学校まで歩いて帰った。
歩きながらだと、さらに色んな細かい風景が見えてくる。
草で作られたあばら家で暮らしてる人。
牛やヤギを連れて歩いてる農民。
ゴミにまみれた未舗装の道を、トラクターが砂煙をあげて走っていく。
ここに住んでいる、学校に来ている子供たちの家庭の収入なんだけど、朝から工事現場や小作人として働きに行って、夜まで働いてなんと100ルピーとかしかもらえないらしい。
180円くらいだ。
マジで信じられない。
コズエさんのいる学校は学費が無料だ。
お昼ご飯も出る。
そんなこの学校に入るには、ひとつの条件がある。
それは、子供の家庭がある一定の収入以下だということ。
完全に貧しい子供たちのための学校というわけだ。
おそらく、インドにはこうした貧しい地域の学校がいくつも存在するはず。
人材や物資が足りず、音楽の授業なんてほとんど行われていないだろう。
人間の感情が音楽によって確実に豊かになるものかは俺もわからない。
その他の生活の中でも培われるものかもしれない。
でも音楽にはきっと様々なパワーがあるはず。
それを俺ほど実感できてる人間もそうはいないはずだ。
なんせ音楽だけで世界を一周してきたんだ。
俺が音楽のパワーを信じられなくてどうする。
夕日に染まる池のほとりを歩く。
水草が生い茂り、汚れた水が静かに太陽をうつしている。
暑くて汗が首をつたい、そこに砂煙がくっついている。
道の脇に何人かの人だかりができてるの見つけた。
近づいていくと、その人だかりの真ん中に細長いガラスケースが置いてあった。
よく見るとそのガラスケースの中に人が横たわっていた。
死体だ、と驚いていると、その周りで泣き崩れて嗚咽をあげている女の人たちがいた。
周りの男たちは静かにうつむいていた。
女の人たちの感情がそのままに池の水面に流れる。
その横を歩いて通り過ぎると、池のほとりで釣りをしてる少年を見つけた。
近づいていって少年の横にしゃがむと、目が合ったのでニコッと笑うと、少年も少しニコッとしてすぐに竿を振った。
竿といってもただの木の枝で、その先に糸がつけられ、針にミミズをつけていた。
わずか1.5メートル先にポチョンと針を落とし、少年は水面を見つめていた。
夕日が沈む。
この世界の果ては一体どこにあるんだろう。
あの山のふもとに誰が住んでいるだろう。
そこにいる人たちはどんな歌を歌うんだろう。
あの太陽が沈んだら、またどこかの町に日が昇る。
この不思議な世界は、きっととてもシンプルで、誰にだって平等に時間が流れている。
傾かないシーソーゲーム
音楽のない椅子取りゲーム
いつになったら交われるだろう
果てしなく続く君との国境線と
少年が竿を上げると、そこには意外にも大きな魚がついていた。
少年はそれを手につかんで自慢げに俺に見せてきた。
よかったね。
俺もそんな笑顔を見つけるよ。