9月22日 月曜日
【日本】 宮崎
昼前の家の中には誰もいなかった。
お父さんもお母さんも仕事に出かけている。
台風が近づいてきており、天気は相変わらず悪いがまだ雨は降っていない。
シャワーを浴び、家にあった新しい服から旅中の古い服に着替えた。
全財産の6千円をポケットに入れ、トロールを持って家を出た。
家のすぐ裏手が国道10号線になっており、その脇に立って親指を立てた。
中学生のころからどこかへ行く時はよくヒッチハイクをしていた。
美々津は電車が1時間おきにしか来ないし、切符代を節約できるのは子供にとっては嬉しいもの。
親指を立てているだけで行きたい場所に行けるなんて魔法みたいなものだと、あの時いつも興奮しながらヒッチハイクしていた。
あれからずいぶん遠くまで行った。
今も魔法は解けないまま。
1台目のおじさんが、少しだけだけど、と10kmほど走った都農町まで乗せてくれた。
最近は山の中に高速道路が通ったので、日向から宮崎までとても早く行けるようになったそうだ。
おかげで国道を走っているのは農家の軽トラックか田舎ヤンキーの車高の低い車ばかり。
なかなか乗せてもらえない。
のんびりと歩いた。
歩きながら車が来たら親指を立てた。
風景は全てあの頃のままで、変わったことといえば俺が歳をとったくらいだ。
時間が止まったように静まっており、その中をポツポツと歩く。
田んぼの中の一本道、トムウェイツの歌をうたった。
焦りが胸の奥底で疼いている。
この穏やかな空気の中にいると、全てのことが一瞬にして過去になっていくように感じる。
何もなかったかのように。
俺が経験したことではないみたいに。
すぐに消えてしまうのか。
あの苛烈な日々が薄れてしまうのか。
想像を遥かに超える毎日の中、死と隣り合わせで、出会いと別れに彩られた、あの鮮烈な記憶。
俺はこんなに元気で、まだ何だってできる体があるし、素早く思考することができる頭がある。
もっともっと、自分の限界に挑戦し続けることができる。
この焦燥感は、まるで知らない町に着いたときのあの不安に似ている。
何も知らない、何もわからない、でもここからゼロのスタートができる。この町でどんな出来事に出会えるだろう。
そう思って、大きい荷物を引きずって町の中へと歩きいった。
体はキツかったけど、気力は充実していた。
それが今、はやる気持ちはあるのに気力はそんなに湧いてこない。
秋の風が吹いて、ふわりとさらっていってしまう。
日本の、故郷の、このぬるま湯の中に浸かっているなんてとても耐え難い。
慣れてしまうことが怖い。忘れてしまうことが怖い。
どうしてこんなに焦るんだろう。
まだこれからなのに。
1台の車が俺の前に止まった。
「あ、宮崎ですか?いいですよ、どうぞ乗ってください。」
宮崎駅にはあっという間に着いた。
病院でレントゲンを撮っているというお兄さんはなんと同じ日向高校の出身で、歳も近く、たくさんの話で盛り上がった。
兄さんの車を見送り、見慣れた宮崎の街の中を歩く。
こうして見ると、それなりに高いビルもあるように見えるが、やはり人の姿はまったくなく、暗い空の下にどんよりと沈んでいる。
経済だとか、政治だとか、戦争だとか、世界を周っていて色んな話を聞いた。
海外の人は日本人よりもよほど世界の情勢や歴史というものに詳しい。
それで結構恥ずかしい思いもしたし、おかげで多少は賢くなったかもしれない。
世界一周をしたら世界についてどう思うか、世界から帰ってきて日本の腐敗ぶりはどう見える、とかそんなことはまったく考えていない。
なのでここに書くこともない。
感じたことは日々の日記の中に書いてきた。
差別のくだらなさとか、愛の重要さとか、そういったことはとてもしっかり胸に刻まれた。
臭い行動を恥ずかしがらずにできるようになったと思う。
世界一周して変わること。
なんだろう。でもすごく面白い疑問だよな。
アーケード街を抜け、いつものコンビニの角を曲がり、信号を渡る。
住宅エリアの中に入って行き、美容室の裏にある路地を進む。
ひとつのアパートの前に着いた。
階段を上がって通路を歩く。
ふう、とひとつ深呼吸をして玄関のピンポンを押す。
「いやあああああああああああ!!!!!!!!!!!バカバカバカバカバカ!!!!!!フミフミフミーーーーーーー!!!!!!!」
彼女が飛び出してきて抱きついてきた。
ゴメンね、こんなに遅くなって。
「はい、これ花………」
「くっせ!!!うわクッセ!!!ちょ待て!!入るな!!」
そう言って部屋の中に走っていった彼女。
手に消臭スプレーみたいなやつを持って戻ってきてゴミのように吹きかけられた。
お、俺そんなに臭いかな(´Д` )
まぁいいや。これ旅中の服だしな。
今度一緒に服買いに行こうね。