8月30日 土曜日
【台湾】 台南
「おはよーございまーす。」
ノリさんの声で目を覚ました。
カヤの中から外をのぞくと車椅子に乗ったノリさんの笑顔が見える。
しかしやっぱり表情はすごく疲れている。
ゆうべもまた公園で野宿したんだけど、ノリさんは蚊帳を持っていないため寝ることが出来ず、夜通し町を散歩したり24時間のモスバーガーに行ったりして時間を潰していたみたい。
まったく寝てないようだ。
俺はまぁ蚊帳の中で寝ていたわけだけど、寝たとは言っても30℃以上の熱帯夜だと風が入ってこない蚊帳の中は熱気がこもって汗でびしょびしょになってほとんど眠れない。
まぁ横になれただけノリさんよりはマシだけど。
いい加減2人とも疲れているので今日は宿に泊まろう。
ノリさんが知ってる宿に行くことに。
木漏れ日の下で荷物をまとめる。
太極拳やストレッチ、ゆらゆらただ揺れてる人など、朝の公園にはクラゲみたいな不思議な動きをしている爺ちゃん婆ちゃんがわんさかいる。
本当にクラゲみたい。
台湾に住んでいるのは中国人だ。
元々住んでいた先住民もいるみたいだけど、ほとんどが大陸から入植してきた中国人で占められている。
もちろん今は台湾人として生活しているんだけど、そんな台湾人にも種類があるみたい。
第二次大戦の戦前から住んでいた人々と、戦後に蒋介石とともに移り住んできた人々。
このふたつには大きな対立があるみたいで、戦前から住んでいた台湾人たちには中国人をシナ人と呼んでいた人もいたそうだ。
日本統治時代を経験してきたグループと、日本撤退後に大陸から入ってきた中国人ではきっと様々な意識の違いがあったんだろうな。
ヨーロッパでたくさん見てきた侵略と解放の歴史。
それは世界中で繰り広げられたことだし、もちろんアジアも例外ではなく、日本は特にその先頭に立ってた国だ。
今こうして目の前でクラゲみたいにゆらゆらと太極拳を踊っている老人たちはきっとほとんどが日本語を喋れる。
若者世代でさえ英語よりも日本語のほうがポピュラーだ。
日本食屋さんがあちこちにあり、日式カレーとか日式ラーメンとか書かれた台湾のお店もわんさか。
コンビニに行けば日本語の商品だらけだし、オシャレな台湾のファッション雑誌のタイトルがカタカナだったりする。
まるで日本がアメリカを崇拝しているその姿ととても重なる。
日本という国を外から見つめるには台湾はとてもいい国なのかもしれないな。
ただ、旅の面白みは今のところ皆無だが。
台南までくれば田舎になるかと思ったが、ここもそうでもなかった。
本当に台湾って国はどこの町もそれなりに活気があって人やお店がひしめいている。
駅前には三越なんかのデパートがそそり立ち、オシャレな屋台村やカフェからは日本のポップスが大音量で流れている。
国内4番目の町でもまだまだ都会だ。
ノリさんはすでに台南に結構滞在していたので勝手知ったる様子で町の中を進んでいく。
そして大通りから路地裏に入り、かなり奥まった生活路地の先にある、1人では確実にたどり着けない謎の宿に連れてきてくれた。
こ、こんなところにあるってどんな宿だ……?
「おー!ノリピー!!元気にしてかいー!?」
「おー!ノリさん戻ってきたんですねー!」
宿の中から出てきたのはめちゃテンションの高い陽気なおじさん。
そして宿泊者なのか宿のスタッフなのかわからないけどたくさんの人がいて、みんなノリさんと顔見知りのようだった。
以前泊まった時にみんな仲良くなったメンバーなんだそう。
ここははむ屋という宿。
台湾でも有名な日本人宿みたい。
この日もたくさんの日本人が宿泊していた。
が、今まで訪れてきた各国の日本人宿みたいな安宿然としたところがない。
宿泊者もボロを着込んだ旅人のような人はおらず、みんな爽やかな青年が多い。
これもやはり台湾という国だから。
観光旅行者は多いが、世界を長期で周るような旅人はあまり台湾には来ない。
宿の値段はかなり高い。
ドミトリーで500台湾ドル。1500円。
しかしこれが台湾の安宿の相場だ。むしろ安いほう。
600台湾ドルとかが普通みたい。
日本ではビジネスホテルなんかはだいたい6千円~7千円するがそういった感覚の旅行が一般的なので、1500円なんて普通の旅行者にはタダみたいなもんだ。
バッグパッカーが台湾を避けるのはその辺の物価の問題もあるのかな。
とにかく今夜くらいは宿に泊まってシャワーを浴びて服を洗濯してゆっくり寝たい。
部屋に入るとエアコンが効いていて一気に眠気が襲ってきて、そのままベッドに倒れて仮眠した。
16時ごろになってノリさんに起こしてもらった。
ノリさんは俺が寝ている間にひと歌い行ってきたみたいで、スパッと1200台湾ドルほど稼いできたそう。
「ここは俺のホームグランドだからねー。歌えそうな場所もいろいろ教えてあげられるよ!」
台北ではあの都会っぷりに圧倒されてほとんど歌うことができなかったノリさん。
慣れ親しんだ台南に戻ってきて嬉しそうにニコニコしている。
この2日間ほとんど寝てないというのにパワフルな人だ。
よーし、じゃあ俺もそんな稼げる町でやらせてもらうぞ。
まずはノリさんオススメの羊肉屋さんで美味しい羊肉と野菜の炒め物で白飯をかきこんで腹ごしらえ。
うめぇ!!
台南は食の町ということなので美味いものいっぱい食べるぞ!!
そんでもってやってきたのが台南駅。
田舎の小さな駅って雰囲気で好感がわくな。
ノリさんはいつもこの駅前の地下通路で歌っていたそう。
毎日コンスタントに2000台湾ドルくらい稼げるそうで、バッチリだから!!とオススメしてくれる。
しかし残念なことに地下に降りると先客がいた。
地元の高校生の男の子がギターの弾き語りをしていた。
何時に終わる?と時間交渉をして19時半に交代してもらうことにして、少し周りを歩いてみた。
地下通路の上には学生たちが集まって10人くらいでワイワイとギターを弾いて歌っていたり、駅舎の前の方にもやはり歌ってるやつがいる。
許可をとってるような雰囲気はなく、みんな自由にやってるみたいだ。
他にも三越デパートの前もたくさん人がいるし、屋台村の広場ではすでにギターで歌ってるやつがいた。
いいポイントではすでに地元の若者たちがお小遣い稼ぎに歌ってるって状況だ。
そこでこの中華圏の平均的な収入なんだが、
中国は5万円
香港は18万円
台湾は8万円
といった具合。
つまり台湾では日給3500円、1000台湾ドルも稼げば上出来な仕事というわけだ。
ちなみに俺やノリさんはいつも2000台湾ドルくらいは簡単に稼いでいる。
俺はいい時は3000台湾ドルを超える。
ほんの2~3時間の仕事で。
ぶっちゃけ路上演奏はどこの国に行ってもかなり稼げる。
その国のエリートクラスの給料くらいはいく。
もちろん下手くそだったらほとんど稼げないけど、俺はいつもある程度の収入を目標にして頑張ってきた。
千円~2千円のために路上やってるわけではない。
目標を高く設定しなければ何事も上達しない。
下手だったら稼げない、サボれば収入はない。
でもだからこそ楽しい。
んで、約束の交代の時間になり、高校生の兄ちゃんとバトンタッチ。
早速地下通路に声を響かせた。
さーて、2000台湾ドル、スパッとゲットするぞ!!
と意気込んだものの、なんだか反応が悪い。
ほとんどの人が見向きもしない。
足早に通り過ぎて行くのみ。
コインはパラパラ入る。しかし100ドル紙幣が入らない。
パラパラとコインがまかれて、誰もが通り過ぎていく。
足を止めて歌を聴いてくれる人はほんの数人。
さっきの高校生の兄ちゃんでもそこそこ稼いでいた。
テキトーにコードを弾きながらカラオケレベルの歌だったのに。
確かにお金は入る。
でも休憩がてら曲作りをしている時にお金が入ってしまい、ギターを置いた。
歌わなくてもお金が入る。
ここでギターを持って立ってるというだけで最低時給があるみたいだ。
俺だってそれなりに意地はある。歌を聴いてもらってからお金を入れてもらいたい。
しかし台中にしてもそうだったけど、どうやらあまりにも路上パフォーマンスをやってる人口が多すぎて、もはやギターの弾き語りという時点で風景の一部になってしまって誰も目も止めない。
1人誰かが足を止めると一気にワラワラと集まるし、1人写真を撮りはじめると大撮影会が始まるというシャイなところは先進国ではよくある反応。
なんだか手応えが感じられなくて荷物を片付けた。
愚痴ってもしょうがねぇな。
あがりは1時間で710台湾ドル。2千円。
宿に戻ると中庭にたくさんの人が集まって大盛り上がりでパーティーをやっていた。
みんなお酒が入ってかなり出来上がっている。
今日は台南に住む日本人の1人が台湾を離れるということで送別会をやるといっていたが、宿泊客、現地に住む日本人も、そして友達の台湾人、入り乱れてのパーティーだ。
「どうぞビール飲んでくださいー!!」
「はい!ここに座ってください!」
台湾人と日本人がいるはずなんだけど、顔に違いがないし、みんな日本語がうますぎるので誰が日本人で台湾人かまったくわからん。
アイドル並みに可愛い子もいたりして!若い宿泊客の男の子たちはその子のFacebookを聞き出すのに夢中になっている。
「ノリピー!!元気にしてたー!!早くうちに戻ってきてよー!!」
元気よく話かけてきたのは高雄にあるゲストハウス、あひる屋のオーナー佐々木さん。
高雄はここから30分ほど南にある台湾第2の都市で、ノリさんは台湾に入ってすぐにこのあひる屋に何日か泊まっていたそうだ。
オールバリアフリー設計の宿で、とにかく至れり尽くせりの内容だったそう。
台湾は日本人経営の宿が多い。それだけ日本人旅行者が多いんだろうな。
高雄といえば先日、大規模なガス爆発事故が起きた場所として話題になった。
あの時多くの世帯が危険区域に指定されて避難生活を強いられたわけだが、このあひる屋はいち早く地域の人たちの受け入れを開始し、宿の半数以上の部屋を被災者たちに提供したんだそうだ。
その時、市内のホテルはまったく動かなかったんだって。
そんで土曜、日曜のかきいれどきが終わって平日になってから受け入れを始めたらしい。
それでも200部屋もあるような大ホテルのくせに5部屋くらいしか解放しなかったりと、とてもケチな内容だったそうだ。
まぁ、そこはいいとして気になるのはあひる屋に寄せられた日本人からの批判。
この偽善者め!!
売名行為だろ?
というメールがいっぱい来たそうだ。
本当、こういうこと書くやつって人のやることにいちいちケチをつけないと生きていけないんだろうな。
どうにかして会いたいもんだ。小さいことは気にしない、とかそんなこと知ったこっちゃない。
会って引きずり回したい。
言われたほうはそこそこ気にするんだぞこの野郎。
まぁこんなの書くやつは悲しい人生を生きてるゴミ野郎だから仕方ないか。
ギターを持ってきてノリさんが歌を披露したりしてパーティーは遅くまで盛り上がった。
みんな笑顔が素敵で、嘘のない言葉ばかり。
こうして目の前の人と心からの話ができることを楽しもう。
裏表のない気持ちで話ができることを幸福と思おう。
みなさん、楽しい夜をありがとうございました!