5月13日 火曜日
【ニュージーランド】 クイーンズタウン ~ フォックスグレイシア
ガヤガヤ…………
ガヤガヤガヤガヤ……………
寝袋の中でパッと目を覚ます。
しまった、起きるのが遅かった。
すでにバス待ちの人たちがこのバス停の中にやってきており、俺を取り囲んでいた。
ね、寝袋から出られない…………
どうしよう…………
俺の足元にドンと座っている人がいる。
ど、どうやって出ればいい……?
オッハヨウ!!と言ってワンダイレクション並みに爽やかに飛び出すか?
仏陀のごとく心頭滅却して何も言わずに無表情でスッと起き上がるか?
外の状況を確認するために潜望鏡のように寝袋からそっとiPhoneの先っぽを出して写真を撮ってみた。
ガクガクガクガクガクガク!!!!
今彼らの1番の興味はこの寝袋の中でどんな不幸そうな奴が寝ているのか確認することだろう。
寝袋の中で親指の爪を噛みながら頭をフル回転させてる間にも次から次へとバスがやってきては新しい人が降りてきて人が途絶えない。
ダメだ、これじゃいつまで経っても起きられない。
もうここはワンダイレクション作戦で………!!!!!
と決断しようとしたところで、ふと外のガヤガヤがなくなった。
誰もいなくなった!!
今しかねぇ!!
勢いよく寝袋から飛び出したら、高校生くらいの可愛い女の子が隣でフナムシを見る目でこっちを眺めている。
「グッドモーニング。」
「グッドモーニング、よく眠れた?」
マジ最高だったよと言いながら優雅に寝袋とマットをたたんでバッグに詰め込んでハバグッデイと歩き出す。
さ、1日の始まりだ。
雨は完全に止んではいないが、ぱらついてるくらいなのでこれならヒッチハイクできそう。
ジャンクションの先まで歩き、北へ向かう道の脇で親指を立てる。
通り過ぎるのは大半が観光客の車で、みんな中から親指を立てたり手を振ったりしてくれるがなかなか止まらな、止まった。
3分。
「ハーイ、すぐそこまでだけど、分かれ道のところまで乗せてくわよー。」
今日最初の車は可愛らしい若い女の子。
オーストラリアのメルボルンに住んでいるそうだけど、両親がここから近くのアロータウンという町に住んでおり、そこを訪ねに行くところだそう。
アロータウンといえば何人かがクイーンズタウンの近くにとても小さくて美しい町があると言っていた。
金鉱山でかつて栄えた場所らしく、その当時の面影を残した歴史的な町だそう。
鉱山町とか好きなので言ってみたいところなんだけど、
時間がない。
そう、さっき日付を見てみて愕然としたんだけど、俺の飛行機は5月の18日にオークランド発。今日13日。
前日には着いてないといけないので、実質あと5日しかない。
こんな南島の下の方から、オークランドのある北島の最北エリアまでたった5日で行けるか?
フェリーにも乗らないといけないし、おそらくほぼノンストップでヒッチハイクをつかまえていかないとヤバい距離。
余裕かましすぎたかな………
いや、諦めなければなんとかなる。
なんとか……なる……!!
女の子に北へ向かう道と内陸へ向かう道の分岐で降ろしてもらい、そこからまたすぐに親指を立てる。
天気はまだギリギリ持ちこたえてる。
頼むぞ、ここで雨が降ったらマジで絶望だぞ。
うがああああああ!!!!
親指で人殺せるくらいの気を込めて道路に差し出す!!
止まってくれえええええええ!!!
止まる。
「ハーイ、ワナカまで行くぜー。乗ってきなー。」
めちゃめちゃフレンドリーな白人のカップルはまたもやワーキングホリデーでやってきてるドイツ人だった。
ニュージーランドって本当にドイツ人から人気があるんだな。
「クイーンズタウンにいたんだ。フェルグバーガーは食べたかい?」
「もちろん!ドイツ人のヒッチハイカーから教えてもらったんだ。」
「アハハ、ドイツ人多いからねー。ところでそのバッグについてるベルってアルプスのカウベルじゃない?」
「あ、分かる?ケンプテンでドイツ人の友達にもらったんだ。」
大好きなドイツ。
ケンプテンのマイケルとエミリーにもらったプレゼントはいつもドイツ人たちとのコミュニケーションツールとして役立っている。
ていうか羊多すぎ。
おだやかな牧草地の中を快調に走っていると、しばらくして向こうに大きな湖が見えてきた。
ここがクイーンズタウンと並ぶフィヨルドの保養地であるワナカだ。
これからちょっとワナカを観光して回るという2人にお礼を言って車を降りた。
鮮やかな紅葉の木がポツポツと並ぶ湖畔の道を歩いていく。
幽玄とした湖の向こうには雪をかぶった厳しい山が霧にけぶってそびえている。
やはりここもまた息を飲むような美しい場所だ。
湖沿いにささやかな町が形成されており、お金持ちの保養地らしくオシャレなカフェとレストランが並び、上品そうな人たちが歩いている。
クイーンズタウンよりも落ち着いたとても静かなメインストリート。
1日くらいゆっくりと湖を眺めて過ごしたいところだけど、もはやそんな時間はない。
町がという町がほとんどない西海岸沿いは日が沈めば車の通りがまったくなくなるということは地図を見ればすぐに分かるほど寂しい場所だ。
まだ明るいうちに行けるところまで進まないと。
町を抜けて歩き続け、建物がなくなったあたりから一本道に変わる。
ここから先はひたすらに北上していくのみ。
車の数は少ないが、通るのはみんなラウンドトリップをしている観光客ばかりなので一発長距離が狙える。
相変わらず小雨がぱらつく中、道路脇で親指を立てる。
タバコを吸いたい。
3日前にオーストラリアから持ってきたタバコが切れてしまい、それからずっと吸えていない。
この前テアナウの町でタバコの値段を聞いたらボックスが15ドル、巻きタバコが34ドルという恐ろしい金額だったのでシンガポールまで我慢することに決めたのだが、あと5日も禁煙かと思うとゲンナリする。
タバコがあるとないとでは心の余裕が全然違うし、何かをする時にさぁ一本吸ってから始めるぞというメリハリがつかない。
気合いが入らない。
今も車が通りすぎていく中、手持ち無沙汰だし早く吸いたくてたまらない。
そのせいかどうかは分からないが車も全然止まらず、久しぶりに1時間が経過してしまった。
雨は以前として降り続いているし、濡れねずみになってしまったら余計ドライバーは乗せたいとは思わなくなる。
あー!!早くー!!
今日まだ全然進んでねぇよー!!
こんなペースじゃあオークランドまでなんて絶対たどり着けないよー!!
と焦りまくりながら左手をくるくる回してアピールしていると………
止まった。
「ヘーイブロー、西海岸まで出るぜー。乗ってきなー。」
一撃150kmオーバー。
よっしゃあ!!!!
トヨタのエスティマに乗った兄さん。
車の後部座席を改造してベッドにしており、中で寝泊まりしながらニュージーランド中を見て回ってるところだそう。
「あ、何も言わなくていいです。お兄さんドイツ人でしょ?」
「え?どうしてわかったの?英語しか喋ってないのに!」
もうここってドイツだっけ?
2時間以上も車という密室に2人きりになるわけだからお喋りをしないわけにはいかないんだけど、気が合う人とは会話がいつまでも途切れないもの。
エスティマは幻想のフィヨルドの中をかけぬけ、その間ずっと楽しくお話をしていた。
「最初はミルクファームで働いたんだ。それからグレープのピッキングもしたよ。給料はだいたい時給14.5ドル。これがニュージーランドの最低賃金かな。」
世界中から来ているワーキングホリデーの仲間と異文化交流を楽しみながら時給1200円ももらえるんだから悪くないよな。
「俺ドイツ語の発音が好きなんだ。カッコイイよね。」
「そうかい?日本語も難しいだろ?」
というわけでお互いの国の早口言葉を教えあった。
「ディカツトゥリットディトゥレッポンコムウ。言える?もうひとつあるよ。シガイセンショウシャソウチィィイイイイ!!」
「無理です。」
「日本語のは?」
「赤パジャマ、黄パジャマ、茶パジャマ。」
「アカパジャマ、キレンパジャマ……ンドゥムンパジャマ……」
ドイツ人が日本語喋ると舌足らずみたいになってとても可愛い^_^
「ほらほら、向こうの山すごく綺麗だよ!!」
「うん、そうだね、アカパジャマカッツォパジャマ……我が国の科学力は世界一………」
やがて車は山間部のフィヨルド地帯を抜け出し、広々とした荒野が広がる海沿いに出てきた。
いくつかの川が荒野の中を静かに流れ、それに架かる橋はどれもとても小さく車一台分のスペースしかない。
高い木がほとんどなく、荒涼とした風景の中に道路だけが伸びている。
車はほとんど通らない。
民家もなにもなく、完全なるネイチャーゾーンの中だった。
兄さんと一緒に橋の下のスペースで果物を食べながら美しい空を眺め、それから近くにあったインフォメーションセンターで降ろしてもらった。
ここはハースというエリアで、少し海沿いに入ったところにビーチと集落があるんだそう。
兄さんはそこに向かい、俺は先へと進む。
すでに太陽が海に沈もうとしており、木々の影が寂しげなアスファルトに細長く伸び始めていた。
そんな道路脇にポツリと立った。車はまったく通らない。
さっきの兄さんの話では、ワナカからこの西海岸に抜ける山路は崖崩れの頻発地帯であり、夕方の16時半以降は通行が規制されているらしく、そのためこの時間になると誰もここを通らなくなる。
つまり、すでにここから先に進むことは不可能だった。
人間の気配のなくなった大自然の中、孤立したことへの不安よりもこのシチュエーションがむしろ心を解放してくれるようだった。
とりあえず缶詰めと食パンはある。
飯さえあれば困ることはない。
どこでだって眠れる。
空に散らばる雲の形がとても奇妙で、ずっとそれに見とれながらこの1人を楽しんでいた。
すると集落のほうからやってきた1台のボロいトラックが俺の前に止まった。
「ヘイメーン、北へ行くのかい?乗ってきなー。」
荷物を荷台に放りこんだ。
「この辺りは1年のうち200日は雨の日なんだぜ?今日はとても素晴らしい天気だ。お前はラッキーだよ。」
乗せてくれたのはここから2時間ほど北にのぼったところにあるフォックスグレイシアという地図で見てもなかなか発見できないほどの小さな集落の兄さんだった。
アイルランド人で、もう2年この南島で生活しているという。
車はかなりのスピードで海沿いの荒野の中をかっ飛ばしていく。
草原が広がり、枯れ木が立ち尽くす原野の中に羊の姿が散らばっている。
真っ赤な夕焼けが空を染め上げ、遠くに見える雪をかぶった山々を照らし出して、その上にぽっかりと月が浮かんでいた。
「え?フォックスグレイシアに行くつもりじゃなかったのかい?おいおい、ここまで来てフォックスグレイシアに行かないなんてあり得ないぜ?グレイシアを見たくないのかい?」
「グレイシアって何?」
「氷だよ、ヒュージアイスさ。山の上にある。」
山の上にあるヒュージなアイス?
………ああ、氷河のことか。
って、氷河!?
「氷河を見られるの?!」
「あたぼうよ、俺はグレイシアガイドなんだよ。フォックスグレイシアは世界でも有名な氷河だぜ。たくさんの観光客が世界中からやってくる。今はローシーズンだからほとんど人はいないけどな。」
なんてこった。確かにこのマウントクックの裏側の道のどこかで氷河が見られるという話はどこかで聞いていた。
しかし氷河なんてそう簡単には見られないものだろうし、どうやってそこまで行くかもまったく知らなかった。
それがこんなにも偶然に氷河探索の切符を手に入れてしまうとは。
「フォックスグレイシアの集落から歩いて2時間くらいで展望台まで行けるぜ。チケットも要らないし、ここまで来たなら是非行ってみなよ。それに今から夜になるけど、森の中に入って行って森の真ん中で明かりを消してみな。不思議な生物たちが光ってマジで神秘的だぜ。あ、ほらそこの小さな獣道があるだろ?あそこを入って行くとペンギンのいるビーチだけどこれは誰も知らない場所さ。」
さすがはこんな何もない山の中で氷河ガイドをやってるだけあって、かなりのネイチャーマニアの兄さん。
マウントクックをはじめニュージーランド中の山に登り、この国の自然をくまなく満喫している達人だった。
「このあたりの藪の中には水蛇がいるんだけど、捕まえてスモークにして食べるとなかなかいけるんだぜ。」
夕日が完全に沈み、町のない西海岸は闇に閉ざされた。
対向車はまったくなく、この果てしない一本道に俺たちのヘッドライトだけが動いている。
月がこうこうと山の上に輝き、それを見ているとニュージーランドの自然の壮大さにまるで不思議な夢を見ているような気になった。
2時間が経ち、19時を過ぎたころにほんの小さな集落の中に入ってきた。
外灯がポツポツと並び、何軒かの建物の明かりが見える。
ここがフォックスグレイシアか。
兄さんにお礼を言って車を降りる。
やはりそれなりの観光地らしく、カフェやレストランが2~3軒あり、小さなマーケットにはハイキングファッションの人たちが買い物をしている。
こんな最果てみたいなところだけど、やはりここにもたくさんの中国人の姿。
さっきの兄さんの話では、ガイドのお客さんの40%が中国人というから驚きだ。
せっかくここまで来たんだ。
オークランドからの飛行機の日にちは差し迫ってはいるが、明日早起きして展望台に登って氷河を見る時間くらいは取れるだろう。
昼に山から戻ってきてヒッチハイクを開始すれば、ここから200kmくらい北にあるグレイマウスという町には行けるはず。
明後日にピクトンという南島の1番上の町に行き、そこからフェリーに乗る。
北島に渡ってから2日でオークランドまで行くことができればなんとかギリギリ飛行機には間に合うか。
最悪の時は夜通しでヒッチをかませばいい。
きっとなんとかなるさ。
あまりの寒さに手がいうことをきかないが、息を吹きかけながらベンチで缶詰めと食パンを食べた。
外灯の明かりの下で食べるチキン缶はなんとも味気なかったので、もうひとつあったテリヤキチキン缶も開けて食べたが、やはり味気ない。
キンキンに冷えたご飯なんて美味しくないもんだ。
通りの向こうではログハウス風のレストランの中で暖かいディナーを食べている欧米人と中国人たち。
缶詰めのスープまで飲み、食パンを口に詰め込んで寝床を探した。
ほんの小さな集落なので、周りは手つかずの森が広がるのみ。
どこででも眠れるが、月がこうこうと光っており夜露がひどい。
風も強く、心底震えながら歩いていると、廃墟のような建物があった。
ホテルのようだが、エントランスに貼ってある紙をiPhoneで照らしながら見てみると、冬期はローシーズンなので閉館しています、とのことだった。
ひと気のないホテルの駐車場に入ると上手い具合に壁と屋根に囲まれた暗がりがあった。
助かった。
ここなら夜露も風もしのげる。
荷物をそこに隠して、iPhoneだけを持って歩いた。
早く寝袋にくるまった方がいいんだけど、ちょっと気になるものがある。
さっきのヒッチハイクの兄さんが言っていた、森の中の光る生物のこと。
暗闇の森の中で明かりをパッと消したら、周りに不思議な光が散らばる………その神秘的な光景を見てみたいと思った。
山の夜が早くて、まだ時間が21時前でやることがないというのも理由のひとつだった。
極寒の森の中に足を踏み入れた。
一応遊歩道になっており、その上を歩いていく。
真っ暗闇をiPhoneで照らし、足元の土を踏みしめる。
iPhoneの頼りない明かりで浮かび上がる森はかなりの原生林らしく、苔むした老木やシダ類の怪しげな植物が無言で俺のことを見つめていた。
湿気に潤んだ空気に、どこからか聞こえる鳥の声が滲む。
凄まじい冷気で顔がしばれて鼻が痛くなる。
そりゃそうだ。
すぐそこの山には氷河なんてものが横たわっているんだ。
何万年もの月日が作り上げた大自然の営みの中に迷いこんだ感覚がとても生きている実感をくれる。
朝までクイーンズタウンのバス停にいたのに、今俺は真っ暗闇の太古の原生林の中を彷徨っている。
本当、どう転ぶかまったくわからない。
旅ってなんて面白いんだろうな。
ここまで来ればいいだろうと森の中で立ち止まった。
そしてiPhoneの明かりを消した。
完全なる暗闇となり、足元も見えない。
しかし期待していたような神秘的な光はどこにも見られなかった。
月光が木々の間から漏れこんで、しじまを濃くしていた。