5月2日 金曜日
【ニュージーランド】 クライストチャーチ
空港の中にいるというのに寒さがしんしんと手足を冷やしてきたので、ベンチに座りながら寝袋に体を入れた。
このまま床にマットを敷いて寝てしまいたいところなんだけど、周りを見ても誰も寝転がってる人はいない。
みんな椅子に座った姿勢のまま首をのけぞらせて眠っている。
誰もやってないってことはそういうことなんだろうなぁと思いつつも、さすがに深夜3時くらいになってまぶたが勝手に閉まりだし、眠気が限界になってきた。
まぁ空港だしいいだろうと端っこのほうで寝てしまおうと、マットを敷いてそこに寝転がった。
そして寝転がってわずか10秒で警備員登場。
優しくダメだよと言われ、またベンチに座る。
唯一の救いはWi-Fiが飛んでることか………
頭がカクンカクンとなるが、まぶたをこすりながらYouTubeを見たりしてなんとか夜を………すご………す………
目が覚めたらガラスの外はもう明るくなっていた。
いつの間にかバッグによたれて眠っていた。
ぼちぼちと人通りも増えており、日本人と中国人のツアーの団体さんがワイワイと到着してくる。
日本人と中国人の違いってすぐわかる。
中国人の声でかすぎ。
ロビーに響き渡るような大声で喋る感覚って日本人にはないな。
そんな中国人の人たちが寝袋にくるまって椅子に座っている俺を遠慮なく舐めまわすように見てくる。
クライストチャーチってそんなに観光するような街なのかな。
中国人って本当旅行好きだな。まぁ人口多いもんな。
まだぼーっとする頭のまま、ニュージーランドの周り方を考えていく。
観光情報はまだまったくわからないけど、地図を見る限り南西部のフィヨルドがうにょうにょしているところにきっと何かあるはず。
ていうかフィヨルドを見たい。
あのノルウェーの素晴らしく美しかった険しい断崖と静かな湖のコントラスト。
あの景色は今もまぶたに焼きついている。
そしてもうひとつの大きなターゲットは星。
あの世界中の星を見てきた星マニア旅人のユウタ君が世界一ですと言っていたのがニュージーランドの星。
どこで見るのがベストなのかはわからないけど、多分どこで見ても綺麗だろう。
ここクライストチャーチから最南端まで下ってグルリと西海岸を北上し、フェリーで北島に渡ってオークランドから飛行機に乗る。
飛行機は5月18日。
それまでにこのルートを周り切る。
もちろん移動は、オールヒッチハイクだ。
ロードオブザリングのモデル。
星が世界一美しい。
このふたつの情報だけでもこの国はどんなロマンに彩られているんだろうと胸が震えてくる。
神秘の大自然、そして南極のすぐ近くという地の果て具合。
やり甲斐あるぜ。攻めまくってやる。
そしてもちろん稼ぐ!!
スキージャケット、活躍してくれよ!!
気合いが入って頭がスッキリしてきたところで、とりあえず街に向かうことに。
そのためにはお金の換金。
ニュージーランドドルは1ドルがだいたい88円。
0.93オーストラリアドルってところ。
空港の中にある換金オフィスで45オーストラリアドル分両替することに。
えーっと、45オーストラリアドルなので正規では54ニュージーランドドルになるけども、空港なのでレートも悪いだろうから47ドルくらいになればいいかな。
「はいー、40ドルよー。」
よし高え。
オーストラリアドルってニュージーランドドルより高いんですよ?なんで減ってるんですか?
頭悪いんですか?ラグビーしすぎですか?
ニュージーランドも物価高そうだ。
とにかく金をゲットしてそのまま外のバス停から中心部行きのバスに乗る。
8ラグビー。700円。
地味に高えなぁと思っていると、空港を出たすぐの交差点のところにあるバス停で、さっき空港で見かけた兄ちゃんたちが大きなバッグを持って乗ってきた。
なんでこんなとこから乗るんだろ?と思ったら、バス料金が3.5ラグビーだった。300円。
後から知ったけど、空港からバスに乗ると空港に使用料を払わないといけないので高いけども、一旦空港から出て一般道から乗ればそれはただの市バスなので普通料金でいいんだそう。
たった5分くらい歩いただけで半額以下になるという地元の人のみ知る秘密ってわけか。
バスは空港からまっすぐのびる街路樹の道を走っていく。
街路樹はすべて茶色に染まり、枝があらわになった寂しげな木々が灰色の空に立ちすくんでいる。
風が強く、落ち葉がアスファルトの上を舞い、道路脇に吹きだめられている。
5月の晩秋の中、人々はコートを着て首をすぼめて歩いている。
街はすっかり冬の気配が漂っていた。
カリフォルニアドリーミンを口ずさみながらバスを降り、テキトーに街のメインストリートを目指して歩いてみた。
クライストチャーチって名前がかっこいいしどんなとこだろう。
少し前に地震があったってのは知ってるけど、今も被害の跡って残ってるのかな。
歩き始めてすぐにあるものが目に入った。
美しいヨーロッパ調の大きな石のアーチが空にそびえていた。
へー、こりゃ綺麗だなぁと思いながらiPhoneのカメラを構えて気づいた。
アーチの周りに厳重にフェンスが張り巡らされており、近づけてないようになっていた。
そしてこんな看板が。
え、もしかしてこれって地震の影響でまだ修理が必要ってことなのかな。
倒れるかもしれないからこうして近づけないように立ち入り禁止がしてあるってことだよな?
まだこんな観光客が喜びそうな歴史的建築物の修復も終わっていないんだ、と能天気に歩き始めた。
この街のことをまだ何も知らずに。
街は完璧に廃墟のゴーストタウンだった。
ほぼ全ての建物がフェンスで囲われ、窓が割れ、ベニヤ板で塞がれ、雑草がアスファルトを覆っていた。
ホテル、バー、オフィスビル、あらゆる建物という建物が暗く押し黙り、瓦礫の山があちこちに積み上げられている。
街の中心部だというのに、そこらじゅうが空き地だらけなのは、おそらく倒壊した建物を取り壊して更地にしたからだろう。
まるで開発の進んでいない埋立地の端っこのようにだだっ広い空き地が広がり、その中にポツポツと廃墟のビルが立ち尽くしている。
サブウェイもスターバックスも看板だけが取り残され、店内はぐちゃぐちゃに散らかり埃が積もり、もうずっと手がつけられていない様子。
開いてるお店はないのかと歩き回ってみたが見事なまでにほぼ全ての店がそんな放置された廃墟のままになっていた。
呆然と立ち尽くす。
え、な、なんだこれ……?
地震って3年前だよな?
街の中心部がゴーストタウンって一体どういうことだ。
あの光景が目の前の惨状と重なる。
地震の後に訪れた宮城の光景。
全てが破壊され尽くし、まるで魂までもが根こそぎ持っていかれたような虚無がそこにあった。
言葉では表現できないあの悲惨さにいつまでも立ち尽くすことしかできなかった。
胸が苦しくなる。
重いバッグの上に暗い空が重くのしかかる。
枯れた木々が不気味に手を伸ばしている。
気持ちがどんどん沈んでいく。
な、なんか、なんか活気のある場所はないのか?
復興のエネルギーに満ちているような場所はないのか?
笑顔の人々はいないのか?
息が苦しい。
どっか明るい場所に行きたい。
そして目の前に現れたのは、この街のシンボルだった。
クライストチャーチの名前の通りの立派な大聖堂。
しかしそのシンボルは崩れ落ちてズタズタに骨組みがむき出しになっていた。
雑草が生い茂り風にさらされ、ステンドグラスがはめ込まれていたであろう窓にはベニヤ板が貼ってある。
この世の終わりのような、あまりにも異様すぎる光景の中、聖像が空を悲しげに睨みつけていた。
逃げ出すように背を向けた。
行くあてもなく廃墟の街を彷徨う。
寒くて手がかじかみ、体が震える。
しばらくすると少しだけ人が歩いている通りを見つけた。
最初に見たあの立派な石のアーチからまっすぐに伸びるホコ天の通りに、ささやかなマーケットがたち、古着やアクセサリーなどのちょっとしたものが売られていた。
周りには簡易的なコンテナで出来たショップが並び、屋台のファストフード店に人が集まっている。
簡易トイレが一角に設けられ、それなりに賑やかで、コンテナで作られたショッピングエリアが今この街の1番のメインストリートだった。
寒風の中、寒そうに歩く人々。
ベビーカーを押す家族連れ。
学生もアジア人もいる。
人々の足元を落ち葉がカラカラと動いている。
ベンチに座り込んでポツポツと歩く人々を見るともなく見る。
ギターは足元にある。
でもここで歌うエネルギーはこれっぽっちも残っていなかった。
今夜どうする。
この曇天模様。いつ雨が降ってもおかしくない。なにより寒さが半端じゃない。
ちょうどWi-Fiが飛んでいたので接続して街の地図を見てみた。
たくさんの公園が周りにあるし、おそらくこのゴーストタウン状態ならどこででも眠れるだろうな。
もうあまりに悲しくて、どうしようもなくて、ベンチに座って体の芯まで冷える風にずっとさらされていた。
17時を過ぎるとマーケットも片づけられ、コンテナストリートからぱたりと人通りがなくなった。
もはやこの街に人が住んでいないとさえ思える。
辺りも暗くなり始め、夕暮れの寂しさがひたひたと忍び寄る。
そろそろ寝床を探しに行くかと、最後にもう1度メールチェックをした。
するとGmailに見知らぬメールが来ていた。
なんだこれ?
それは昨日送られてきていたもので、なにやらこのクライストチャーチに住んでいる日本人の方からだった。
とても丁寧な文面で、そろそろニュージーランドですよね?クライストチャーチに来た際はもしよろしければウチに泊まって下さいという内容だった。
この壊滅した街に日本人がいること、そしてその優しい文面に少し胸が暖かくなる。
会いたい。今は誰かと話をしたい。
野宿は別に苦ではない。このくらいの寒さどうにかなる。
でも今はこの寂しさから逃れたかった。
今メールを確認したこと、今日の今日では失礼なのでもしよろしければ明日泊まらせていただけると助かりますと返事を送った。
そしてすぐに返事が来た。
「今すぐ迎えに行きます。」
どうしよう、まだ何も手土産も買ってないのに。
それに冒険を求めてニュージーランドに来たのにいきなり日本人の方の家にお世話になるなんて甘ったれていいのか。
悩みながらも、内心は安堵で満たされていた。
「あ、金丸さんですよね?」
指定された交差点に立っていると、日本人の声がして顔を上げた。
そこにはとても綺麗な女性の方が立っていた。
22歳の息子さんがいるとメールに書いてあったのでもっとお母さんって感じの雰囲気を想像していたのに、そこにいたのは美しいモデルのような方だった。
「それじゃあウチに行きましょう。」
お名前は伏せる約束なので彼女のことを何と書こう。
分かりやすく想像してもらうと真矢みきみたいな美人さんなのだが、ご本人の希望でまる子さんということにします。
まる子さんの運転する車は廃墟の街の中を走り、やがて中心部を抜けて郊外へと向かっていく。
工事や封鎖された道だらけの街の中を慣れた様子で運転をするまる子さんのご家族は11年前にこのクライストチャーチに移住してきて、それからずっとここに住んでいるそう。
地震の時ももちろんクライストチャーチにいたそうだけど、幸いにも怪我はなく、家も軽い修理で大丈夫くらいのダメージで済んだんだそう。
しかし街は壊滅的ダメージ。そしてその後の復興の様子もずっと見てこられている。
「地震から1年、倒壊の危険があるってことで街に入ることができなかったの。ずっとゴーストタウンでね。今でこそ危ない建物を全部壊したから少しずつ人が戻ってきてるけど、まだまだ廃墟だらけなの。」
クライストチャーチの地震があったのは2010年9月4日。
マグニチュード7.1という大きなもの。
しかしこの時は幸い早朝4時35分という時間だった事もあり奇跡的に死者は無かったそう。
しかしその半年後の2011年2月22日。
東日本大震災の17日前、マグニチュード6.3の地震が起きた。
この時は、震源が街の中心に近かった事と震源の深さが5kmとかなり浅かった事、そして平日の昼食時12時51分だった事などが重なり、日本人28名を含む185名の死者が出るなど甚大な被害を被った。
大震災で日本がひっくり返っていた時に、立て続けに起こったこの海の向こうの地震の悲劇。
津波の被害はなかったそうだが、海に面した地域の地盤が液状化により沈み、およそ人が住める環境ではなくなってしまったんだそう。
今もいたるところで工事が行われているが、復興までの道のりは果てしなく遠いことは、あの大聖堂を見れば容易に想像できる。
あの地震を経験した国の人間として、どれほどの悲しみがあったのか、今も続いているのか、完全に他人事とは思えない。
まる子さんはここで生きている。そんなまる子さんの何気ない言葉がとても現実味を帯びて聞こえた。
車は郊外の住宅エリアに入り、一軒のお宅に到着。
このあたりは地盤がしっかりしていたことで、家屋にヒビが入ったりするくらいで済んだので、震災後もすぐに元の生活に戻ることができそう。
「ただいまー、金丸さん来たわよー。」
「あ、どうも!はじめまして!!」
家にいた22歳の息子さんのトミーさんはなんとも快活で爽やかな青年。
日本語も英語も完璧に操る大学生で、お酒も大好きなんだそう。
「あ、じゃあ今夜飲みましょう!!でもその前に僕行くところがあるんですけど、もしよかったら一緒に行きます?」
「金丸さんどうぞ行ってきて下さい。晩ご飯用意してますから。」
というわけでトミーさんの車で家を出発し夜の街を走る。
未だに廃墟状態となっているのは街の中心部と海側のエリアで、こちらの内陸部はすでに道路も綺麗に整備され、道沿いにお店の看板がたくさん光っている。
被害が少なかった分、このあたりはすぐに元通りにすることができたんだろうな。
しばらくして到着したのは大通りの裏手にある建物の一角。
車を降りて駐車場の端っこのほうにある小さな玄関を入ると、そこにはたくさんの人が集まっていた。
そして広々とした室内にたくさんの和太鼓が並んでいた。
そう、ここは在住の日本人たちによる和太鼓クラブ。
トミーさんもここで4年間活動しており、よく公演も開かれているそう。
それにしてもかなりの人数。30人は超える人たちがワイワイと練習の準備をしている。実際のメンバーはもっともっとたくさんいるんだそう。
地震で日本人が28名も亡くなったということからもわかるように、ここクライストチャーチは日本人にとってとても人気のある街なんだそう。
「あ、~~さん、この方世界一周してる方なんですけど今日見学してもらってもいいですか?」
「あらー!世界一周!もちろん是非見ていってください!!」
というわけで皆さんの練習風景を1人見学させていただくことに。
しっかりとした準備体操から始まり、みんなで太鼓の陣形を整える。
本当に小さな子供から初老の女性まで、幅広い年齢層で構成されており、みんなとてもほのぼのとした雰囲気。
なのだが、演奏が始まった瞬間、みなさんの顔が変わり真剣そのものとなった。
和太鼓のあの重厚で腹の底を震わせるどーん!!という音が室内に響き渡り、全員が一糸乱れぬ動きで太鼓を打ち鳴らした。
どーん!!どんどん!!
どーん!!
バチを振る動き、威勢のいい掛け声。
窓を震わせる圧倒的な和太鼓の音量。
まだ体の小さな男の子が懸命に太鼓を打ち、女の子が後ろでリズムに合わせて練習している。
どーん!!どんどん!!
せいやー!!
日本にいる頃から和太鼓は好きで、和太鼓グループの友達もいて何度か遊びに行かせてもらったこともある。
原始的な単一の音だからこそ、リズムに全てが集約されており、人間の根源を揺さぶるものがある。
その勇壮なリズムと魂のこもった掛け声に胸が熱くならずにはいられない。
自分の住んでる場所ではないけど、今この街にこんなにも熱い魂があることが嬉しくてたまらなかった。
人間は自然の力にはとてもかなわない。
でも、人間だって結構強い。
さっきまでの陰鬱な気分を根こそぎ吹き飛ばしてくれるような太鼓の迫力にすごく元気が出てきた。
やらないと。
俺は歌うたってんだ。少しくらい街の人に元気を出してもらえるかもしれない。
明日は路上やるぞ。
廃墟の街にどーん!!どーん!!という太鼓が響き渡る。
トミーさん、連れてきてくれて本当ありがとう。