9月24日 火曜日
【アメリカ】 ロサンゼルス
「フミ………フミ………ヘイフミ…………」
「………ん………んん………」
目を覚ますと、薄暗い部屋の中、ディーが立っていた。
寝ぼけている上にディーは黒人なので表情がよく見えない。
「フミ、俺は仕事だからもう行かないといけない。これ渡しとくよ。」
ディーが俺の顔の前に何かを差し出してきた。
寝ぼけていて目の焦点が合わない。
よく見てみた。
それは20ドル紙幣だった。
「フミ、南米は大変だろう。少ないけど持ってってくれ。」
「ディー、ありがとう。でも受け取れないよ。俺たちは友達だろ。友達はお金のことなんか気にしたらいけないよ。君の心だけもらうよ。」
「………そうか、わかった。元気でやりなよ。」
そう言ってディーはスムージー屋さんの仕事に出かけて行った。
あいつはまだ19歳。
仕事といってもそこまでいい給料ではないだろう。遊びたい盛りでお金はいくらあっても足りないはず。
そんなディーが俺に20ドルもの大きな金を餞別に渡そうとしてくれた。
毎晩ヘンリーと3人で飲んでて、キチンとお金の割り勘をしてた俺たち。
俺が少し多めに払うことは年長者として当然のこととやっていたが、最後にこれかよ。
ディー、そのイカした気持ちこそが最高の餞別だよ。
ありがとう。
部屋を出て行くディーを見送って、もう一度目をつぶった。
次に目を覚ましたら、窓から眩しい太陽の光が部屋を明るくしていた。
体を起こす。
ヘンリーはまだソファーの上で爆睡している。
ヘンリーをそのままにして、1人マクドナルドへ歩いた。
穏やかな平日の午前。
メキシカンの多い住宅街は、暖かな太陽が降り注ぎ、庭のパームツリーが静かに揺れている。
車の整備工場が多く、ボロい看板の文字はスペイン語で書かれている。
何気無い1日の、何気無い光景。
とても気持ちのいい朝の散歩。
マクドナルドでブログを更新し、メールのチェック。
ブログのコメント、Gmail、Facebook、たくさんのメッセージに返信していると、その中にユージン君からのメールがあった。
お、オーストラリアに入ってからもビーチで野宿しながらバスキングに励んでいるということだったけど、どんな毎日を送ってるのかな。
きっと現地の人たちと濃密に出会いながら過酷な旅をしているんだろうな。
メールを開く。
写真が添付してある。
ほう?
このドチクショウどもめ!!!!
憎しみしか湧いてこねえええええええええええええええ!!!!!!!!
いいもんね!!
俺も明日から八尾から来てくださる人とドライブだもんね!!
きっとゆまちゃん似の美人だもんね!!!
あのメールの主だから怖えええ(´Д` )
すると、久しぶりに彼女からスカイプOKの許可をいただくことに成功する。
仕事が異動になり最近めちゃくちゃ忙しくしていて全然話していなかった。1ヶ月は声聞いてなかったな。
久しぶりに声聞けるから嬉しいな。
「あ、元気!?」
「ワレは何か?オナゴとメキシコにドライブでタコスをデスペラードするとかなんたらかんたらぬかしちょったのぉ?あぁ?」
キレてる(´Д` )
あ、まぁいつものことです。
そういうところが可愛いんです。
笑い事じゃないんだけど、久しぶりの彼女との会話が楽しすぎて笑いが止まらない。
「まこつ、いい加減にせんとそろそろワシも浮気させてもらうからよー。早く子供作らんとのー。」
「大丈夫だよ。帰ったらすぐ作ろうね。子供なんてちょちょいのぴゅだよ。」
「おいコラ、妊娠なめんな。」
ちょっと食い気味にかぶせてくる彼女の返しが、ビックリするくらい息がぴったりで笑えてしょうがない。
やっぱり彼女との会話が1番楽しいな。
あと10ヶ月。ちゃんと無事に帰るからね。
部屋に戻ると、ヘンリーがギターを弾いていた。
そして俺にトーストと卵を焼いてくれた。
「ヘンリー、なんか歌ってよ。ヘンリーの歌が聴きたいな。」
そう言うと、照れ臭そうにレットイットビーを歌ってくれた。
荒削りだけどヘンリーには持って生まれた素晴らしい声がある。
センスもいい。きっとこれからいい歌い手になっていくだろうな。
シャワーを浴びて荷物をまとめる。
今日でここともおさらば。
ヘンリーがギターを持ってくれ、一緒に表のバス停にやってきた。
「フミ、これあげるよ。俺そんなにお金持ってないけど、バス代の足しにしてくれ。」
ヘンリーが照れ臭そうに1ドル札を出してきた。
かっこ良く、さりげなく渡そうとしているんだけど、ぎこちなくなってしまっているのはヘンリーの若さからだ。
そんな若者の精一杯の優しさがとても胸を熱くしてくれる。
首からかけているパスポートケースを取り出し、中に潜ませている虎の子の3千円から1枚をヘンリーに渡した。
「ヘンリー、この1ドルは俺にとって100ドルの価値があるよ。これはこのケースの中にしまって使わないでおくよ。だからこの千円をヘンリーも使わないでとっといて。これは日本で会おうっていう約束のお金だぜ。」
若いヘンリーはその約束にニッコリ微笑んでくれた。
ヘンリー、ありがとう。
君の精一杯の思いやり、心から受け取ったよ。
お互い歌っていれば、また必ず会える。また一緒に歌おうな。
やってきたバスに乗り込む。
見えなくなるまで手を振ってくれたヘンリー。
ありがとうな。
バスの乗り換えを間違えつつも2時間以上かけてなんとかたどり着いたのは、俺とカッピー、ユージン君で初めてやってきたビーチだ。
ベニスビーチ。
ここからロサンゼルスのビーチ生活が始まったんだ。
懐かしのベニスサインの下を歩いてビーチに入ると、途端に鼻につくマリファナの臭い。
そこらじゅうに漂っている葉っぱの煙とたくさんのホームレス、ヒッピー、色とりどりの土産物屋やカフェ。
これこれ、この自由で刺激的な空気が西海岸なんだよな。
ビーチ沿いの遊歩道にはいつもの顔ぶれ。
露店のオッさんたち、意味不明なことわめいてるオバさん、スピーカーを積んだチャリンコで爆音を流しながら走ってる黒人、ラジカセおじさんのころもがえはまだみたいだ。
あー、ベニス。
この空気に一発で魅了されたんだよな。
いつものパームツリーにもたれて、ゆったりとギターを鳴らす。
あぁ、気持ちいいな。
潮騒と夕日と、頭のおかしいおばちゃんの叫び声(´Д` )
この最高にロマンチックな風景の中で、最高に汚い言葉を叫びながら1人で歩いてるおばちゃん。
このイカれた空気こそベニス(^-^)/
今日もお世話になった人たちに挨拶をすることが目的だったので、お金のことは考えずにゆったりと歌っていたんだけど、たくさんの散歩中の人たちが足を止めて歌を聴いてくれる。
夕日の中で、踊りはじめるカップルたち。
あぁ、ここで最初に歌った日もこんな風に歌に合わせて踊ってくれたな。
あれからもう1ヶ月近くここにいたんだな。
思い出深いベニス。
ここが俺のアメリカのホームグラウンドだ。
あがりは36ドル。
ベニスに来た目的はただひとつ。
ロサンゼルスで1番ありがとうを言わなければいけない人がいる。
ベニスで最初に出来た友達。
とことんお世話してくれたあの大好きな人、マックス。
彼には絶対さようならを言わないといけない。
カッピーとユージン君はマックスに会わないでオーストラリアに飛んだ。
それは会ってしまったらマックスのことだから、また何かを俺たちに与えようとしてくれるから。
会うことによってそれが何かを求めてのことのようになってしまったら、それは恥ずべきこと。
とても日本人らしい気遣いが出来るカッピーたち。
それもいいこと。
でも俺は会って感謝を伝えたかった。
運河が静かに流れるベニスの住宅街の中にやってきた。
平日の夜は人も歩いてらず、静まり返っている。
こっそりとマックスの家の裏手に回る。
ここから3階のテラスが見える。
マックスがテラスに出てきたら、この歩道からテラスに向かってフリーバードを歌う。シェークスピアみたいに。
我ながら完璧なる別れの挨拶。
テレビのディレクターをやってるマックスのための臭い演出。彼ならきっと喜んでくれるはずだ。
夜のひと気のない運河沿いでギターを抱えてテラスを見上げ続ける。
のだが………
そうタイミング良くテラスに出てきてくれるはずもないわな。
家の照明はついてるんだけど、なかなかテラスまで出てきてくれない。
薄暗い歩道でひたすらテラスに出てこいーと念を送り続ける。
昔、中学生の時にたかふみの家に遊びに行った時、ただ行くだけじゃ面白くないので、屋根をつたって2階のたかふみの部屋のベランダに忍び込んで、窓の前に座り込んで出てきたところをビックリさせてやろうとしたことがあった。
カーテンのしまったガラス窓1枚向こうでたかふみがテレビゲームをやってる音が聞こえる中、心頭滅却してベランダで待ち続けること2時間。
泣きそうになってきたので、屋根を伝って下に降りて、何事もなかったかのように玄関からたかふみくーん!!と家に入った甘酸っぱい思い出が蘇りながら、また泣きそうになりながら2時間。ここは美々津ではなくロサンゼルス。
あの日のリベンジをしてやる!!必ず成功させてやるんだ!!とギターを持って立ち尽くす俺を、地元の散歩の人が危険人物を見る目て通りすぎていく。
また1時間。
必死に涙をこらえて立ち尽くすアジア人1人。
たかふみいいいい、なんであの日ベランダに出てきてくれなかったんだぁ…………
「ヘイ……ヘイ!!……フミデスカ?ナニヤッテルヨー。フミー。」
声がしたほうを見てみると、普通に向こうからマックスが歩いてきた。
はい3時間台無し。
感動の再会、ということもなく、家でリラックスしていたところに俺の影が見えて出てきてくれたみたい。
いつものハイテンションではなく、リラックスモードのマックス。
「そうか、フミ。明日行くんだな。来てくれてありがとう。泊まるところ探してるのか?お腹は空いてるかい?」
やっぱりマックスだな。そう言うと思ったよ。
「あ、俺あれからマンハッタンビーチでたくさん友達作ってその友達の家に泊まってるんだ。だから大丈夫。お腹もさっき食べていっぱいなんだ。」
「そうか……よし、ハグだ。元気でやるんだぞ。」
「マックスも。今まで本当にありがとう。マックスにたくさんの勇気をもらったよ。」
「フミ、本当にお腹空いてないのかい?日本人スタイルはやめてくれよ。アメリカンスタイルで頼む。困ってるなら困ってるって正直に言うんだ。」
笑顔で本当に大丈夫だよと言うと、マックスは全てを分かったような顔で俺をもう一度力強くハグしてくれた。
そしてサッと片手を上げて家に戻って行った。
ありがとう、マックス。その上手な距離感の取り方が本当に心地よかったよ。
元気で。
マックスと別れてすぐに向かったのは………
はぁー、腹減った。
サブウェイ、本当アメリカで何回食べたかな?
もうしばらく見たくもないな。
腹ごしらえしてビーチに向かう。
ジムモリスンともバイバイ。
月がポカリと浮かび、星がいくつかまたたいている。
星よりもたくさんの飛行機の明かりが水平線の上を動いている。
そんな月明かりの下、砂の上に寝床を作る。
久しぶりに屋根のない場所で眠るな。
夜露が空気に漂ってるのがわかるくらい湿気ている。
すぐに寝袋が濡れてしまった。
初めてロサンゼルスで野宿したベニスビーチ。
あれからいろんなことがあったけど、最後の夜も同じ砂浜の上。
水平線と真っ暗な夜空と、広大な砂浜。
この夜の黒の中に身をおくと、いつも宇宙船のコクピットの中にいるような孤独感と、不安定さに天秤がゆれる。
それが心地よい。
もう1人旅の天秤の揺れは取り戻した。
準備は整った。
ついにアメリカ出国。
中米のはじまりだ。