12月22日 土曜日
【コソボ】プリシュティナ
~ 【マケドニア】 スコピエ
うー、マジで寒かった………
この旅1番の寒い夜だった……
ろくに眠れてない。
震えながら外に出ると、シャクっと地面が音をたてる。
霜がおりている。
手がかじかんで痛くてしょうがない。
テントをたたもうにも指が感覚をなくしてチャックを摘まむことができない。
手を泥まみれにしながらなんとかバッグに詰め込んで歩き出した。
静寂の林を抜け出すと、やはりそこはとても異様な雰囲気だった。
いたるところに写真撮影禁止のマークがある。
なんなんだよ、この建物。
見たところそんなに恐ろしそうな感じでもないんだけどなぁ。
もう一回写真撮ろうとバレないようにiPhoneを取り出したら、よほど高性能な監視カメラで見張ってるようで、ソッコーで警備員が飛び出してきた。
なんなんだろうな、マジで。
門のところに「US AID」という文字は見ることができた。
坂を下り、街に向かう。
大きなビルや建物をたくさん見ることができる。
アルバニア人の国の割には本家のアルバニアよりもはるかに発展しているように見える。
街中を歩いて、お腹空いたのでファストフードを探していたら、やたら目につくのが、チェパピ。
やはりバルカン半島はこの肉団子が人気なんだね。
肉団子6ピースとパンがついて1.5ユーロ。
安い!!
肌を切るような木枯らしの中、歩いているとメインストリートを見つけた。
お店の数は少ないが、露店がたくさん道の両脇に並んでおり、いろんな物を売っている。
靴磨きなんてレトロな露店も。
こんなとこでケータイ買いたくないよね!!
物乞いの数は相変わらず多い。
みんな子供を抱えて通行人に金を要求して回っている。
さて、ここでそんなコソボのミニ情報!!
★首都……プリシュティナ
★人口……180万人
★言語……アルバニア語、セルビア語、トルコ語
★独立……2008年、セルビアから
★宗教……正教会、イスラム教
★通貨……ユーロ
★平均月収……2万5千円
つい最近までセルビアの自治州だったコソボ。
まずは自治州とはなんぞやというところだよな。
自治州ってのは、特定の民族や先住民族に対して自治権を認めた地域のこと。
彼らの存在を尊重するために一定の権利を確保するためのものってことかな。
それをふまえてコソボとはどういうところか。
もともとはセルビアという国の発祥の地であり、無敵といわれたオスマントルコ帝国の侵攻を一時食い止め、オスマン帝国の皇帝を殺すことに成功したセルビア人にとってとても重要な土地だったみたい。
しかしその後にオスマン帝国の支配下になり、あの地獄の国、アルバニア人の入植が進む。
オスマントルコからの独立後、一時コソボはアルバニアに組み込まれるが、列強の介入でセルビアの土地となる。
しかしアルバニア人が多く住む地域には変わりなく、第二次世界大戦後、アルバニア人によるコソボの独立運動が高まる。
セルビアは妥協案として自治権を大幅に認めるが、アルバニアはもっともっとと要求。
お互いの溝が深まっていく。
そこにきてアルバニア人は武装集団、コソボ解放軍を結成。
1995年にコソボ解放軍は実力行使に出て、コソボ内のユーゴスラビア警察やセルビア人の殺害、レイプにより実効支配を行っていく。
恐れたセルビア人はコソボから逃げ難民となる。
耐えきれなくなったセルビアはついに1998年にコソボ解放軍と衝突。コソボ紛争。
しかし、アメリカ、イギリスの列強はセルビアとの外交状態が良くなかったためにコソボを支援。
NATOによる空爆がセルビアに対して行われ、セルビアはコソボから撤退。
1999年、ついにコソボはセルビアの支配から実質的な独立を果たし、2008年に国際的な独立を勝ち取ったわけだ。
現在独立を認めているのはいわゆる列強、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本あたり。
認めていないのはロシアや中国など。半々くらい。
もちろんセルビアは断固反対。
現在、コソボにはアルバニア人が大半、そしてセルビア人も住んでいるという状況だけど、いまだにセルビア人に対する迫害は後を絶たない。
とまぁ、簡単だけど、これがコソボのきな臭い歴史だ。
どっちが悪い?そんなこと決められるのは世界の正義、アメリカさんくらいだけど、俺は俺の目で現在のコソボを見なければいけない。
よーし、そんなコソボ。
勇気を出して路上開始。
指がああああああああ!!!!!!!
引きちぎれるううううううぅぅぅぅ!?!!!!
もう、まったく感覚がない。
風が冷たくて顔もかじかんで動かなく、言葉がちゃんと発音できない。
拷問的寒さ。
1時間、あまりの寒さに唇がきかなくなり、ヨダレが口のはじから流れてきてしまい、さすがに切り上げた。
こんだけ頑張ったあがりは………!!!
4ユーロ。
400円。
おおぉぉ、そうですか。
で、でもいろいろ面白いことはあったよ!!
新聞記者さんのインタビューを受けた。
写真もいっぱい撮られたから、そのうち掲載されるはず。
コソボの1番有名な新聞だからみんな見てね!!
誰が見る?(´Д` )
「アルバニアと俺たちは兄弟なんだよ。」
「俺たちコソボ国民はセルビアに入ることができないんだ。」
「観光客でもコソボのスタンプがあったらセルビアに入れないんだよ。」
こんな悲しい現実も聞いたし、こんな話もあった。
「俺たちはイスラム教徒がほとんどだけど、オルトドクスもたくさんいる。俺たちはお互い尊重し合ってるんだよ。」
昨日書いたように現在もアルバニア人によるセルビア人への迫害が続いているということだったが、もちろんそれは一部の過激な民族主義者によるものだろう。
一般の人たちはこうしてセルビア人との共存を受け入れているのかな。
興味深いお話の連続で、とても勉強しがいがあるをだけど、あまりの寒さにすでに心は違う国だよね。
南に、南にさえ行けば!!
南にいくぞ!!
コソボ、結構印象いいからほんとはあと2日くらい居たいところだけど、もう耐えられません。
次に移動するぞ。セルビアだ。
若者と仲良くなり、彼にバスターミナルまで連れて行ってもらった。
彼ともいろいろ話したんだけど、彼は、ユーゴスラビア、という言い方が嫌いだった。
だって俺たちはもう独立したんだからいまだにそう呼ばれるのは嫌なんだよ!!って言ってた。
やっと勝ち取った独立からまだ間もないもんな。
他のユーゴスラビアの諸国に比べて、やっぱり敏感だ。
そしてバスターミナルに向かう途中、すごい物を発見してしまった。
これ。
クリントンの銅像。
異様すぎる。コソボというヨーロッパの小国にアメリカの大統領の銅像。
おわかりですね。クリントンが空爆を行いコソボ独立に貢献したために建てられたんです。
若者は語る。
「彼は戦争のあとコソボに訪れてるんだ。ここに来たんぜ!!すごいだろ。」
コソボ国民にとってクリントンは英雄なのだ。
これが戦争。これがアメリカ。
さて、ここコソボからすぐ東に行けばセルビアの国境。さらにそこから少し走ればブルガリアの国境となり、首都のソフィアに行くことができる。
セルビアの首都のベオグラードはかなり北に登ったところにあるので、めんどくさいし、おそらく半端なく寒いだろうから行かないで、ブルガリアとの間にある都市に行くだけにしようと思っていた。
というわけで、ここからほんのちょっとの距離しかないセルビアの都市、レスコバァツ行きのバスチケットを購入。
と思ったのだが、なんと、セルビア行きの交通は首都のベオグラード行きしかない!!
マジかー。
そういうことかー。だよなー、対立してる国だもんなー。
そりゃ交通網の充実なんて望めないかー。
ここからベオグラード…………
いや、もうこれ以上寒いところには行きたくない。
南だ、南。
というわけでいったん、マケドニアのスコピエに戻ることにした。
チケットを購入。
5.5ユーロ。
若者と別れ、バスに乗り込む。
バイバイ、コソボ。
たった1日しかいなかったけど、色んなことを感じさせてもらったよ。
民族浄化、民族意識、アルバニアの貪欲さ、セルビアの傲慢さ、
コソボは今はとても平和な国だ。それはすごく嬉しいこと。
しかしこの平和が悲惨な民族浄化と外交戦略の上にあるものだと思うと、どうしても素直に笑えない。
平和は戦争でしか勝ち取れないのか。
戦争は平和への道のりなのか。
それ言ったらすべての国の平和も戦争の上の楼閣だよな。
それが平和だと思うしかないのか。
そんな国をバスが出発した。
「もしかしてサラエボでバスキングしてなかった?」
バスの中、話しかけてきた兄さん。
バスキングってのは路上のことね。路上でお金を集めること。
バスケット、つまり入れ物を置いてパフォーマンスをすることから海外ではバスキングって言われる。
聞けば彼はオーストラリアからの旅人。パウロ
彼もスコピエに行くところで、話が盛り上がり、バスの中でずっと喋っていた。
パウロの持っていたカメラがバカチョンカメラだったので、レトロなの使ってるね!!あははー、と笑ったら、いきなりうなだれるパウロ。
ど、どうしたの?!
ここで怖い話を聞いたよ。
怖いよー。怖いよー。
ちょっと前までアフリカを回ってたというパウロ。
ケニアとウガンダに行ったらしいんだけど、そのとき強盗に遭ったそう。
もう、その手口だよ。
よく聞く話なんだけどさ、実際被害者から聞くとマジで怖い。
真昼間のメインストリート。
人がめちゃ歩いている綺麗な道で、いきなり6人の黒人に囲まれ、羽交い締めにされ、銃を頭と腹に突きつけられ、殺す、お前を殺すと言われて、持ち物全部とられたんだそう。
通行人はみんな見て見ぬふり。
警察に行ったが相手にもされなかったらしい。
「フミ、アフリカでは野宿は絶対にダメだよ。1人歩きもなるべくしてはいけない。ツアーに参加して大人数でいることだよ。奴らは白人を見るとすぐに襲いかかってくるんだ。」
彼はバッグパックをホステルに置いて町歩きをしてるところを襲われたので、iPhoneと少しの現金をやられただけだったそうだけど、旅人から聞く話では、ATMまで連れて行かれて限界まで引き出させられる、なんてこともあるそうだ。
もう、やだよなー。
こんな話聞きたくないよなー。
でもこれが現実だからなぁ。
気をつける、のレベルがまるで違うよなぁ。
もはや動物園でライオンの檻の中に入って、「気をつける」、みたいなもんだ。
アフリカ行ったらさすがにホステル暮らしかな。
スコピエのバスターミナルで、ソフィア行きの夜行バスチケットが買えた。
0時発。17ユーロ。
そして時間まで、パウロとバーで飲んだくれたってわけだ。
バルカン半島はホントに安全なとこだよ。