10月12日 金曜日
外国での初めてのホステル。
イングランドから来ている女の子バックパッカーのイビキがうるさい。
おかげで早めに目が覚めたので、キッチンで紅茶をいれ、テラスへ出た。
きしむドアを開けると、震え上がる寒さで息が真っ白だ。
目の前には、朝もやのかかった川と。対岸に美しい家並み。
俺と一緒で、白い息を吐く煙突がその家の穏やかな朝食風景を想像させてくれる。
テントと寝袋を畳まなくていい、洗面所を探さなくていい、
こうしてノンビリ朝を迎えられるんだから、やっぱりホステルは金を払う価値のあるものだ。
しばらくするとマリアがやってきた。
「今日出発するの?もしまだ居たいんだったら私たちは構わないのよ。」
んー、どうしよう。
そうだなぁ。せっかくこんな夢の中みたいな町に来たんだ。もう1日くらい滞在してみようかな。
そこにもう1人、女の人が階段を降りてきた。浅黒い肌をした貫禄のあるおばさん。
彼女の名前はスキッピー。そう、彼女こそ、このホステルのオーナーなのだ。
チェコのシンガーであるスキッピー。本名は他にあるそうだけど、みな彼女をスキッピーと呼ぶ。
「今夜戻ってきてからあなたの歌を聴かせてね。」
こりゃ、楽しい夜になりそうだ。
荷物を置かせてもらい、ギターとリュックだけ背負ってホステルを出た。
まだ人通りの少ない午前中の町。
通りに煙のにおいが立ちこめているのは、煙突からのぼる生活のにおいだ。
朝もやとまじって、町をぼやけさせている。
幻想的な一日の始まり。
お城に登ると、そんなクルムロフの町を一望できる。
川に囲まれた狭い場所に密集する建物。
山の向こうから朝日が差し込み、町が眠りから覚めていく。
ところどころに紅葉の木々が鮮やかに萌えている
なんて美しい町だ。
観光客は信じられないほど多いし、観光客のための町といっても過言ではない。
でもそれを帳消しにするほどの胸を震わせる美しさがある。
旅行が現実を忘れるためのものならば、ここほどうってつけの場所はないよ。
1200年代の後半に町が作られ始めたこのクルムロフ。
かつてはボヘミア王国の都市だったんだけど、1600年代に神聖ローマ帝国領に、その後オーストリア・ハンガリー王国領に。
さらに一時はナチスドイツ領にもなり、ドイツ軍の基地が置かれたことで町が破壊された歴史もある。
なるほど、ちょっと路地裏に入ると古びた廃墟が多く見られるのはそういった荒んだ歴史によるところなんだな。
第二次世界大戦でドイツが敗戦したことで、ようやくクルムロフはチェコスロバキア領になり、今にいたるってわけだ。
どこもかしこも侵略と解放運動の繰り返しだな。人間のやることは一緒だ。
欲望、支配、権力。
そんな権力の象徴である古いお城と、落ち葉舞う庭園を散策し町に降りた。
今日も同じ場所で路上開始。
昼を過ぎると、細い土産物ストリートは押し寄せる観光客でごった返す。
「Hi.how are you my friend?」
声のする方を見たら、そこにはいつもの白装束に身を包んだダニエルがいた。
ちょいと遅いからもう来ないかと思った!!
僕の活動を日本人に伝えるための日本語を教えてくれというダニエル。
日本人だらけの町だもんね。
文武
「こんにちは。」
ダニエル
「コニチワ。」
文武
「寄付をお願いします。」
ダニエル
「キフーヲネガイマス。」
文武
「Perfect.」
ダニエル
「OK! Good luck!!」
笑顔で歩いて行ったダニエル。
今日もお互い頑張ろう!!
ダニエルは神のために。
俺は俺のために。
それにしても信じられないくらい中国人が多い。
みんな見事に一眼レフを首から下げ、数十人の団体でガヤガヤと写真撮りまくりながら闊歩している。
昨日、日本人ツアーのガイドをしていた地元のおじさんが言ってたんだけど、観光客の80%はアジア人らしい。
おかげで町のいたるところに漢字を見ることができるし、土産物やカフェの店員さんたちはみな簡単な会話程度の日本語をしゃべれる。
それにしても中国人のマナーの悪いこと。
みんな異常なほど俺の写真を撮りまくるのだ。
このヨーロッパの美しい町角でアジア人が歌ってる光景は面白い絵だと思うよ。
もちろん白人の観光客の人たちも俺のことを撮っていく。
しかし中国人と違うのは、白人は写真を撮ったらみんな気持ちのお金を入れていくところ。その辺のマナーを心得ている。
しかし中国人は何も言わずに写真撮るだけ撮って、何も言わずに去っていく。
別に、写真撮ったら金くれ、とは言わないよ。歌を聴いて、いいなと思った人が入れてくれればいいんだよ。
写真いいですか?みたいな仕草をしてくる人はまだしも、なんの問いかけもなく、勝手にカメラ向けてバシャバシャ撮りまくられると気分悪くなるもの。
俺は生身の人間だぞ?許可なく写真撮っていいわけねぇ。
さらに歌ってる俺の顔の50cmくらいの距離までカメラを近づけてきて写真撮るやつもいる。
あげくの果てには、俺の横に立って記念撮影始めたりしやがる。
こいつら人のこと何だと思ってるんだ?
銅像かなんかと勘違いしてるんじゃねぇのか?
これだけのことをやっといて、シェーシェーも言わずに去っていく。
昨日せっかく、台湾人と韓国人がアジア人のイメージを良くしてくれたのに中国人が台無しにしてくれるわ。
たいがい日本人はお金を入れてから写真を撮っていく。
写真撮っていいですか?とちゃんと聞いてくれる。
こうした礼儀正しい人たちのおかげで、外国での日本人のイメージは高い水準をキープしているように思える。おかげでみんな日本人というだけで好意的に接してくれる。
逆に中国人のことはどの国の人に聞いても嫌な顔をする。その理由はまさにこの無礼な写真撮影にあるということを彼らは知るべきだよな。
15時くらいになってダニエルが戻ってきた。
昨日ほどではないが、半分以上は配ることができたみたいだ。
今日でダニエルともお別れ。
彼は明日、チェコ西部の町、ブルノにある寺院へ行く。
俺はプラハへ。
アジア人とクリシュナ、2人で同じ路上に立った、不思議な4日間。
そろそろ行くよと言うダニエル。
小さな紙を渡してきた。
そこにはクリシュナのマントラが鉛筆で書かれていた。
今朝、クセニアが書いてくれたんだそう。
「Fumiに神のご加護がありますように。ハレ、クリシュナ。」
「ありがとう、ダニエル、ハレ、クリシュナ!!」
いつかの再会を誓って、彼は陽射しの中、白装束を輝かせながら去って行った。
まだ見ぬ友達が世界中にいる。
その1人に会えた喜びがチェコを素晴らしい国へと変えてくれた。
ダニエル、いつかまた、どこかで。
今日のあがりは、
666チェコクラウン
7.5ユーロ
15ルーブル
路上を終え、スーパーでチェコバドワイザーを買ってホステルに戻る。
名前がいいよね、このポテチ!
台所では各国からやってきたバックパッカーたちが賑やかにご飯を作っている。
みんな貧乏旅人。自炊が普通なんだろうが、俺はいつも外食だな。贅沢とは言わせない。俺はいつも野宿だ。
旅人たちが夜の町に出かけて行き、ホステルの中は静かになった。
そこにスキッピーがやってきた。
約束していたとおり、台所で彼女のギターを弾き、歌った。
とても古くて、いいギター。
ビューティフル!と喜んでくれるスキッピー。
今度は彼女に歌ってもらった。
クセのあるピッキング、激しいストローク、
そしてその歌声は、ハスキーで土臭く、とても郷愁を誘うものだった。
美しく、物悲しい、チェコ語の歌。
きっと彼女も人生の大半を音楽に捧げてきた人。
それが嫌という程演奏から伝わってくる。
同じ時代を、遥か遠くの国で歌ってきた2人がこうして出会った。
なんて奇跡だ。
ゴツゴツした白い壁、古ぼけた食器棚と机。
小さな台所の部屋の中、時間を忘れて2人でギターを弾いた。