スポンサーリンク オンザロードアゲイン 2章 2023/8/29 双子子育て 数週間後、俺は東京に来た。なんとなく、ただ時間が無駄に過ぎて行くことに耐えられなくて、久しぶりに美々津の町を出て何も考えずに飛行機に乗った。羽田の空港に着き、ずいぶんと久しぶりにやってきた東京。人の波に飲まれながら地下鉄の階段を降り、切符を買って田園都市線の乗り場を探す。自動改札機に切符を通すのに緊張してしまう。長いこと美々津の田舎に慣れた体には、東京の喧騒がすごく新鮮で、そして慌ただしかった。都市高速が空をせばめる懐かしい三軒茶屋の町を歩いて行くと、ズタボロの三角地帯がある。見た目のボロさは昔のままだけど、入っているお店は現代的なオシャレなお店が多くなっていて、なんとなく自分が場違いな感じがした。洗練された東京の人たちが楽しそうに酒を飲んでいる。昔はこの東京をずいぶんと上手く歩けていたはずなのに、今はとても息苦しい。自分が忙しい人の一部になれたような、そんな不安定な誇らしさは若い時特有のものだったのかもしれない。そんな三角地帯の小径の奥に小さなバーがある。変わってないな、と呟いてきしむドアを開けた。薄暗い年季の入った店内にはサックスのジャズが流れていて、壁には古いレコードが並んでいる。端っこにある小さなステージには狭苦しくドラムセットが置いてある。東京らしい、小さなライブバーだ。そんな中、カウンターで1人マスターがグラスを拭いていた。Tシャツ姿のラフな格好。昔の面影は少しある。「よう。」「…………いらっしゃい…………おお!!フミ君!?久しぶり!!どうしたんだよ!!何年ぶりだよ!?」「20年ぶりくらいかなぁ。お店、変わらんね。」カウンターに座る。お店のマスターはカッピー。俺が世界一周の旅をしているときにアメリカで出会い、一緒にアメリカを横断した旅仲間だ。サックス奏者で、当時ニューヨークで活動していた彼と出会い、意気投合して一緒にアメリカを横断した。路上で一緒に演奏し、金を稼いで旅をし、ニューヨークからカリフォルニアまで3ヶ月。かなり危ない目にも何度も遭ったけど、あの日々は俺の旅の中でも最高に面白い3ヶ月だった。「話聞いたよ。カンちゃん亡くなったんだよな。」「ああ。」「早いよなぁ。交通事故だなんてな。」「…………お店、相変わらずやね。奥さん元気にしてる?サックスはまだ吹いてる?」「元気にしてるよ。店も、まぁ細々とだけどやってるかな。サックスはたまに生徒に教えたりしてるよ。それよりどうしたんだよ。こんな急に来るなんて。」「ああ、いや、カンちゃんの荷物ひっくり返してたらこんなの出てきたから。」先日、押入れの中で見つけた写真をカッピーに見せた。「懐かしいやろ。」「あー、懐かしいね。もうとっくに捨てたかと思ってたよ。」それほど大きなリアクションをしないカッピー。むしろ、少し冷たい印象すらある。でもそれは予想していたことだった。アメリカ横断中、俺たちは日本に帰ったら有名になって面白いことしようぜ!!って何度もそんな話で盛り上がっていたんだけど、帰国して再会したカッピーは本当にやる気になっていて、すでに本の出版の話まで取り付けてくれていた。そして、このままの勢いで売れようぜ!!と盛り上がり、武道館でライブをする、という目標を掲げた。カッピーが俺を売り込み、俺もライブをやったりどっかのレコード会社のプロデューサーや偉い人に挨拶して回る日々。大きなライブをやり、それなりに忙しい日々だった。でもそんな日々の中でずっと違和感を感じていた。カッピーは俺を売れさせようと手段を選ばず俺を売り込んだ。俺はというと、それまで自由に旅をして生きてきた生活から一変してしまい、メジャー音楽の世界がどうしても馴染めず、売れるような曲を作らないといけないことにも戸惑っていた。甘えた考えだったのはわかってるし、カッピーが俺を売れさせるためにどれだけ人に頭を下げてくれていたのかも少しは理解している。でもどうしても自分のやりたい道とカッピーがやりたい道は同じレール上にはなくて、その溝は深くなっていくばかりだった。あれは確かに面白い日々だった。旅をしていたころ、将来のことなんてロクに考えていなかったと思う。ただ自分の心のままに、進みたい道を生きたいように生きてきた。そんな自由な生き方をしている中でたくさんの仲間ができ、自分で決めた道の先には後悔なんて存在しないものなんだっていうことを知った。それが少し有名になったことで、周りの期待やプレッシャーに押され、いつの間にか自分のやりたいことがやれないようになっていった。周りが自分に対して持っているイメージや期待に応えるために道を選ぶようになっていった。それは俺もいけないことだったと思う。心では違和感を覚えつつも、周りの人たちの期待を裏切りたくなくて、どっちつかずの笑顔で返事をしていた。カンちゃんはそんな俺を見て、そんなに辛いならやめちゃいなよって言ってくれていた。2人で穏やかに生きていこうって。こんなに自由に生きてきた私たちなんだから、無理しないでいい生き方を選べるはずだよって優しく笑ってくれた。結局、俺はそうした商業音楽の世界から離れ、自由気ままに生きていく道を選び、いろんなことを投げ出して故郷に戻り、居酒屋を作って田舎で穏やかに生きてきた。やりたくないことを無理してやることないよ、フミ君が好きな生き方しないともったいないよって、カンちゃんが俺のことを救ってくれたように思う。故郷の美々津に帰ってからというもの、東京に行くことはほとんどなくなった。月日は流れて、カッピーとも連絡を取らなくなった。きっとカッピーは、一緒に夢を掲げて頑張っていたのに、勝手に離れていった俺に対して今も何かしこりがあるんだと思う。今さらこんな写真、見たくもなかったかもしれない。「武道館ね。なに、今からまた目指そうとでも思ってるの?」「いや、そういうわけじゃないんだけど。あの時の罰ゲーム、覚えてる?もし武道館に出られなかったらってやつ。」「…………なんだっけな。覚えてないな。今さらそんなこと覚えてないよ。」「そっか…………そうだよな…………ところでショータ君とは会ってる?」「ああ、たまに店に来るよ。電話してみようか。………………あ、ショータ?今フミ君がお店来てるんだけど。そうだよ、すっげぇ久しぶりでさ、今どこにいる?うん、はい、わかったー。」「ショータ君近くにいるって?」「ああ、近くで飲んでるからすぐ行くって言ってるよ。」すると、30分くらいしてから店の外から大きな声が聞こえてきた。酔っ払いの楽しそうな大声が近づいてくる。そしてドアが勢いよく開いた。「イヤッホオオオオオウウウ!!!祭りだぜええええええええええ!!!!!伝説の旅人復活祭りだぜウヒョオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」ドタバタと店に入ってくるなり絶叫する黒髪オールバックに白いジャケットを着た派手な男。歳は俺たちと同じ60才だけど、横にイマドキの若い女の肩を抱いている。相変わらずだなぁ、ショータ君。「うおおおお!!!マジ久しぶりだねー!!カオリちゃん!!この人ギター1本で世界一周した旅人の中の旅人、金丸文武!!!」「えー!!ギター1本とかすごいんですけどー!!」「いやぁ!!マジすげぇカッケェんだから!!この人ヤバいんだよ!?旅のしすぎでちょっと頭おかしくなってるから!!」「でもタンタンのほうがカッコいいー。」「でしょー!!マジ知ってるしー!!カオリは可愛いなぁああああ。」「しょ、ショータ君変わらんねぇ…………この歳でも元気だねぇ…………」「ショータは何も変わんないね。あの頃からずーっと一緒。毎回違う女。」「おおおおおおっとおおおうううう!!!そう!!あの頃からずーっと一途な男として有名なんだよね!!もう本当カオリちゃんのためなら普通に死ねちゃうね!!ヨユーで!!で、どうしたのフミ君?めっちゃ久しぶりじゃん。うおおお!!懐かしっ!!この写真めっちゃ懐かしい!!」「えええー!!これタンタンの若い頃なのー?!マジウケるんですけどー!!」彼はショータ君。俺たちと同い年で、昔からこうして女の子が大好きなお調子者だった。彼と初めて会ったのはフランスのパリ。世界一周中にパリの路上で歌ってるところでテンションの高い日本人と出会ったのが始まりだった。ショータ君は当時写真の勉強をするためにパリに来ていて、明るくてノリのいい彼の周りにはアーティスト仲間や可愛い女の子、ホームレスからギャングからどこかの大社長までとにかくたくさんの人が集まっていた。人を惹きつける魅力のある男で、実際、彼が撮る写真もすごく才能に溢れていた。女にだらしなくて変な薬も色々やってたけど、撮る写真はとても繊細で、人の心の機微を射抜くような、とことんアーティスト肌のやつだ。日本に帰ってきてから、有名になろうぜと約束した3人の仲間のうちのもう1人がこのショータ君だった。帰国していたショータ君と再会し、カッピーと3人で毎晩のように飲み明かした日々。俺が武道館でライブをやる、ショータ君がニューヨークで個展をやる、どっちが早いか勝負だぜー!!と、ほとんど悪ノリで酔っ払いながら交わした遠い約束。「ショータ君、どう?まだ写真撮ってる?」「写真~?最近は全然かなぁ!それより最近俺海外の友達とITの会社立ち上げてさ!!いやー!今からの時代はITだよIT!!エストニア熱いよおおお~!!」「ショータ君覚えてる?この写真の時、話してた罰ゲーム。」「罰ゲーム?え?…………あ、あれ?!もしかしてあの~、なんだっけ、砂漠だっけ!?砂漠のマラソンのやつだっけ?!それがどうしたの?え!?まさか今さら行く気とか言わないよね!?嘘でしょ!?2秒で野垂れ死ぬよ!?」「いや、別に、2人が覚えてるかなぁって思っただけだよ。」「ちょ!!マジウケるし!!え!?なに!?誘いに来たとか言わないよね!?俺超行かないよ!?そんな約束もう誰も覚えてないし気にしてないでしょ!!ていうかそれより東京にはいつまでいるの!?可愛い女の子のいるところ連れてくよ~!!もうすっごい巨乳だから!!」「はぁ?なにそれ?ふーん、やっぱり巨乳がいいんだ。」「いやいやいや!!俺は巨乳とかマジでどうでもいいんだけどフミ君が大好きだからさ!!本当彼の住んでるところ老人と野良猫しかいないマジつまらないところだからたまには刺激を楽しんでもらいたいんだよね!!最寄りのコンビニまで車で何分かかるんだっけ?」「5分。」「私の鳥取の実家、コンビニまで20分かかるんだけど。なんか男同士で盛り上がっててつまんないから私帰る。」「ちょ、ちょっとちょっと待ってよ~!!フミ君東京にいるうちにまた電話してよ!!ちゃんとゆっくり飲みに行こ!!」女の子を追いかけて慌ただしく店を出て行ったショータ君。憎めないキャラも相変わらずだなぁ。静かになった店内に、またサックスのジャズが流れる。ワインを1杯飲み干す。「フミ君、まさか本当にあのときの約束のこと、気にしてるわけじゃないよね?」「…………いや…………今、カンちゃんがいなくなって、俺なんにもなくなって…………振り返った時に何かやり残したことあったかなって…………カッピー、あの時のシャンパン……もうさすがにないか。武道館と個展、どっちかが叶ったらそんときに3人で開けようって話して買ったやつ。」「そんなのあるわけないじゃん。もうとっくに誰かが飲んだよ。」「………………」「フミ君、言っとくけど俺はあの時のことなんかもう知らないよ。やめたのはフミ君なんだから。今さら過去の話なんかしたくないね。」「……うん……そうだよな。悪かったよ、こんな写真持ってきて。」「ところで今日はどこに泊まるの?まだホテル決めてないならウチに泊まる?」「いや、いいよ大丈夫大丈夫。久しぶりに顔見られてよかったよ。あ、これお土産。奥さんにあげといて。じゃあまた。」店を出て、ひと気の減った三角地帯の路地を歩いた。別に何かを期待していたわけじゃない。いや、何を求めてたのかな。ただ、ほんの少しだけ昔話ができたらよかったのか。あの頃みたいに、無茶なことにワクワクして盛り上がって大声をだしたかったのか。もうあの頃の3人じゃない。歳をとればとるほど、一歩一歩を慎重に歩くようになる。おかげで怪我することもなくなる。それは知識が身につき、色んな経験をしてきたからだけど、なによりも大きいのはあの頃みたいに無茶なことに立ち向かう無防備さとがむしゃらさを失ってしまったからだ。クリスクリストファーソンのミーアンドボビーマギーを思い出す。自由とは失うものがなにもないこと。今、俺はこんなにも自由だ。空っぽな自由だ。俺はまだ何か新しいことに挑戦する力が残っているのかな。「なんじゃこらて…………」宮崎名物のなんじゃこら大福にかじりつくカッピー。路地裏を歩く足を止め、空を狭める首都高を見上げるショータ君。少し冷たくなった夏の終わりの夜風が、路地を流れている。ふいに1人になったしまったような、そんな寂しさが影を落とす。 人生はあっという間で、手に入れたものの喜びよりも、失うことの喪失感のほうが心に残っていくような気がする。やり残したことはどこにあるだろう。やり残してきたものの数は、きっと自分に嘘をついてきた数だ。タバコを取り出して火をつけようとしてその手を止めた。タバコの箱をゴミ捨て場に放り投げて歩いた。