スポンサーリンク





飯田から諏訪へ。長野攻略開始








2006年8月20日 【長野県】





目をさますとそこはM浦さんちのアパートの駐車場。


M浦さんの部屋でシャワーと洗濯機を借りて、昼ご飯に行った。


2人とも全身バキバキの筋肉痛でヒョコリヒョコリとおかしな歩き方。



「カネヤン元気でなー。楽しかったわ。」



M浦さんと別れ、いざ長野県に向け出発。


いやー、1週間もロスしちまったな。


しかし富士山に登れたし最高のご来光も見られた。


これもナイスタイミングだったということだろう。



「旅なめんなよおおおおお………………」











車を走らせながら昨日の富士山頂での演奏について考える。


ギターを弾いて歌う。

ただそれだけの行為。


それだけのことなのに人はなぜ喜んでくれるんだろう。


歌っただけだぞ?


ギターを弾いて、その音程に合わせて歌を歌い、言葉を乗せる。


それってなんの意味があるんだろう。




なんかシンガーっていうものだけでは物足りない気がする。


アーティストなら歌なんかじゃなく、もっと効果的な表現方法があるんじゃないだろうか。


歌による表現ってなんて不確かなんだろう。



よくわかんないな。


でも今はこの道をただひたすら前に進むだけだ。











翌日。





長野県南部の深山幽谷の地を木曽の国という。


中山道木曽街道はその山の中を貫く街道で、11の宿場が参勤交代の大名行列や商人、旅人を迎えていた。


その宿場のうちの1つ、妻籠宿へ。





木曽は開発が進んでおらず、バイパスとなる国道19号の開通もあってか、旧道がほとんど昔のままの姿をとどめており、まるで江戸時代の中にいるかのような錯覚に陥る。


三重県、関の宿場町も好きだけど、ここ妻籠もすごい。









古民家だらけでマジでお侍さんとか歩いてそうだ。


そしてここが普通に民家ってのもまた驚きだよな。


地元の人たちにとってはこれが当たり前の光景なんだ。








それから飯田の町に戻り元善光寺へお参り。




長野市にある有名なお寺、善光寺は、元はここから移されたものらしい。


なので善光寺参りとは両方に参らないと『片参り』といってあまりご利益がないという。








M浦さんとの珍道中のせいで飯田で稼いだお金がすっかりなくなってしまったので、今日も飯田で歌うことにした。





いつものスクランブルにやってきて、角にある銀座ラーメンで味噌ラーメン。


やっぱりうまい!!



腹ごしらえして早速歌い始めたんだけど、飯田の町の女の子は弾き語りが好きなのかな。


いつものは見向きもしないキャバ系の女の子がやたらと話しかけてくる。


しかもみんな気前がいい。


どしゃ降り雨で、雷が周りの山々に何本も光る轟音の中、なんとか10000円までいくことができた。






歌って一体なんだろう。


この3~4分間という時間の中に物語を表現するという形が1番的確なんだろうか。


もっと様々な形があってもいいはずだ。


俺だけの表現。俺だけの歌。


誰かが作り上げた型にとらわれていたらいけない。










翌日。





飯田には1つの伝統産業がある。


水引だ。


水引とはご祝儀袋なんかを縛ってある装飾のヒモのこと。


その技を知るべく、水引の里『山都・飯田』にやってきた。





水引の色合いとかを見るにおそらくそうだろうと思っていたが、やはり平安期に中国から伝わったものらしい。


この資料館には世界最大の水引細工『竜宮城』があったりと、かなり見ごたえがあるが、無料というのはありがたい。


それにしてもこういう冠婚葬祭のものには地方によって様々なしきたりやルールがあり、めっちゃややこしい。









さぁ長いこと先に進めずにいた飯田市を出て長野県攻略開始だ。


飯田の町を離れ東の山に突入。


連なる日本アルプスの谷間をかけぬけ、まずは南アルプス一望のシラビソ峠から!!!!


さぁ雄大な景色をおおおおおおおおおおお!!!!


長野の実力見せていただきますううううううう!!!!!






曇りで何1つ見えず。


終了!!!








一路北上。

分杭峠を登り、峠の一番上に立っている『高遠領』と刻まれた石碑の横を通り、歴史の町、高遠に入る。




まずは桜の名所と名高い高遠城公園へ。



たった今閉まったばかりの博物館を無理やり開けてもらい、絵島囲い屋敷などの文化財を見て回る。


絵島さんっていうのは6代目将軍・徳川家宣の女中頭さん。


ある日この絵島さん、息抜きで女中さんたちを引きつれて芝居見物に行ったのだが、その一座の人気役者と関係を持ってしまう。


これがバレてしまい、絵島さんは遠く山奥のここ高遠に遠流の刑。


絵島さんの親族や他の女中たちもとばっちりを受け、みんな死刑や遠流の刑に処され、処罰を受けた人数は1500人にものぼったという。


浮気ひとつで被害者の数エグすぎ。



大奥の女たちは将軍や重臣にとりいって政治にかなり影響力を持っていた人が多かったようで、その粛清という意味を込めた見せしめでもあったんだって。


絵島さんはそれから一汁一菜の監禁生活を28年続け、この高遠に没した。


その囲い屋敷が再現されているのがここだ。





たった一夜の女心で28年。

彼女は何を想いながらその長い年月を過ごしたんだろう。




こんな山あいの田舎町でも江戸時代の歴史があり、明治維新があったんだよなぁ。


城がそびえるこの城下町で、徳川さんの時代が終わった時の人々の生活の変化とはどういったものだったんだろう。


激動だったのか。

それとも庶民の生活にはあまり関係はなかったのか。


歴史とはなんてドラマチックに想像力をかきたてるんだろう。








夜の道を車を走らせ、一気に諏訪湖までやってきた。


お、なんだなんだ?

湖の上に花火が上がっている。


あれ?もう終わった。


やけにさっぱりした花火だな。






諏訪の町に到着し、駅裏に飲み屋街を見つけて早速ギターを鳴らす。


あいにくの雨だが、ちょうど屋根のあるいい場所があったのでなんとかそこで歌い続ける。



「やぁ、ぼくマイケルです。」



そこに話しかけてきたのはイスラエル人のマイケルさん。

世界中を露天商で渡り歩き、この諏訪でも数ヵ月間必死に働きまくり、なんと貯めたお金で目の前の雑居ビルに店をオープン。


今ではプールバーの『マイケルズ』、カラオケバー『マイケルズ』、ラウンジ『ハナ』と3店舗を経営する大ボスだ。



「よかったらミセにもカオだしてネ。」



日本に来ているイスラエル人はいい人ばかりだ。







その後も歌い続け、雨の中で奇跡の1万円が飛び出し、ありがたいことに15000円までいった。


満足して車に戻っているところで電話が鳴った。



「金ちゃん、来週の木曜なんだけどウチでライブあるんだわー。それでさ、やりにこないかい?また電話するよー。当日まで毎日10回くらいかけるから。ゲハァ。」



こ、このゲハァァ………………



群馬県太田市のライブハウス『わんずほうむ』のマスターだ。


太田はここからなら軽井沢を越えて2時間もあれば行ける。


けど、きついなぁ。


わんずはもちろんギャラがない。


ギャラはなくてもそれ以上に楽しいんだけど。



その日は色んなとこから結構なミュージシャンが来るらしく、是非行きたいのだが、なにぶん今はほんとに時間がない。


クリスマスがタイムリミットかと思うと、長野の残り、新潟、富山、石川をあと1ヶ月で終わらせないといけない。


この前のM浦さんとの東京・富士山攻めがあったこともあり、はっきりいって今の時点でクリスマスまでに帰るのは不可能に近い。


しかしこれ以上予定をズラすと年末の宮崎到着が叶わなくなる。



今回のわんずは無理かなぁ…………………




リアルタイムの双子との日常はこちら





スポンサーリンク



ブログのランキングというやつをやっています。
よかったらクリックして下さい。
クリックが投票の代わりになります。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 田舎暮らしへ
にほんブログ村



世界中のホテルが予約できるサイトです。
家族旅行もバッグパッカーも、ここから予約してくれたら僕にアレがアレなのでよろしくお願いします! ↓↓