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柳生の里と障害者のこと








2006年5月7日 【奈良県】





目が覚めると外はまだどしゃ降りだった。



ゆうべ、あれから奈良まで走って歌おうと思ったのだが、実際来てみたら奈良市には飲み屋街らしいものがなかった。


それに雨もひどかったのでゆうべは路上は諦めて車に戻った。






雨の中、昨日の余韻にひたりながら車を走らせる。


日本にもこんなすごいミュージシャンがたくさんいたなんて。


ローリングストーンズにはまって、中学・高校、そして今まで、60~70年代の洋楽ばかりを聴いて育ってきた。


それでちょっと音楽通を気取っていたのだが、自分の国にもこんなに素晴らしい歌い手がたくさんいるのにそれも知らずに何が音楽通だ。


もっともっと日本の音楽の歴史を深掘りしていきたいな。







さて、奈良県は飛び飛びになってしまっていたが、残りもわずか。


気合いでスパパッと回りたいところだが、雨は気分を憂鬱にさせる。


この前行けなかった長谷寺の前までやってきたが、有料駐車場ばかり。


道路ぎわで手をこまねいているおばちゃんがうざくて素通りし、室生寺へ向かった。





でもこちらもやはり有料駐車場ばかりなので、寺から離れたところに路駐して歩いて向かう。


500円払って境内へに入る。





雨に濡れる木々と石段。


お、シャクナゲが満開だ。


すごいな、境内がシャクナゲに埋もれている。


国宝の金堂には、これまた国宝の釈迦如来立像に十一面観音立像。


その他にも無数の国宝と重文。



そしてメインは五重塔。




シャクナゲに彩られた石段の上に雨にけむる古い塔。


んー、美しい。


こいつはいい時期にいいタイミングだったな。

憂鬱な雨もたまにはいい演出をしてくれる。


いつかすべての状況、あらゆる環境を楽しめるような心を持てるようになるのかな。








室生から山の中を通って北上していく。


少し開けたところに出ると、緑豊かな中にぽつぽつと農家の屋根が見える。


ここが柳生の里か。


すでに16時。

柳生は面白そうだから明日ゆっくり回るぞ。





風呂を探して笠置にやってきた。


温泉施設を発見するが800円。


高いなぁ。


いつもなら絶対に入らないがもう何日も入っていないのでしょうがなく800円払って垢を流す。



それから食堂を探すが、なかなか見当たらない。


地図を見ると、俺の大好きなお店がある町までそんなに遠くない。


行くか。





20分かけてやってきたのは滋賀県の信楽。



「おっ!!戻って来たな!!」



串カツ『武蔵』のドアを開けると、張りのある元気な声でお出迎えしてくれたおじちゃん、おばちゃん、そしてさとちゃん。


みんなすごく明るくて、雨の憂鬱を吹き飛ばすようなカラッと晴れた晴天のような笑顔。


なんて安らげるお店なんだ。



武蔵は旅のオアシスだ。









翌日。










さてさて、剣の里、柳生にやってきた。


柳生といえば歴史ファンの心をくすぐるロマンに満ちた言葉。


日本の伝統、日本人の心である剣。


核なんていう1発で国をもふっとばすようなとんでもない兵器が完成している現代でも、その銀色に輝くか細い刀に魅せられている人は多い。


そしてその剣の心も脈々と受け継がれ、野蛮なんて言葉を挟む余地もないほどに精神鍛錬として日本人の心を支えてきた。


ではそんな剣の里、柳生はどういった歴史を持っているのか。





柳生を一躍有名にしたのは、なんといっても柳生石舟斎宗厳。


戦国末期、上泉伊勢守に師事し上泉新陰流の印可を受け、そこに刀を抜かずに決着をつけるという活人剣を見出し、柳生新陰流を創始する。


徳川家康にあつく信頼を受け、その後、柳生家は代々将軍大名たちの剣術指南役として幕府の要職についていくことになる。



鉄砲の時代の中でも剣により精神性を磨くという武士道の探求は続けられ、現代に至るまで連綿とその精神は受け継がれているというわけだ。





柳生の里の歴史、剣の歴史などの資料を展示・解説している『旧柳生藩家老屋敷』を見てから、次に柳生家代々の菩提寺である芳徳寺へ。


5月とは思えないような熱気に汗を流しながら石段を上がっていくと、ひっそりとした境内に入る。


ひと気はなく、拝観料200円を据え付けの木箱の中に入れる。


本堂の内陣の裏通路に展示しているのは、柳生新陰流の巻物や、柳生家の1番の出世頭である宗矩の刀など侍マニアにはたまらない品々。


刀を持った人物絵で剣技の解説をしている巻物や、兵法についてえんえんと記された書。


そして宗矩の長男の十兵衛が著した新陰流奥義『月之抄』の本など。




この場所はひたすら強くなることだけに生を費やした人間が集う里だったんだな。







昔は剣でのし上がれた。


つまり人殺しがうまいほど偉くなれた。


ということはこの柳生は人殺し養成所だったわけだ。


それが本質だろう。


いくら精神性と言っても刀は人を切る為の道具なんだから。



しかしだからこそそこに精神性が求められたのかな。

いや、求めたかったのか。




剣の心はいまや風化していく文化。


剣道ってものが学校の部活にもあるが他のスポーツと比べると人気がない。

そりゃそうだ。


剣なんて使わないし、人を殺す必要もない。


剣の精神性というものは殺すからこそ発展した思想だったんだろうな。


しかし人間は生き物を殺して食べなければ生きていけないもの。


すべての生に対する礼を忘れない為にもつつましやかな日本人の心を忘れたくはないな。









寺の外に出ると、ふと静かな森の中から大声が聞こえた。


耳を澄ましてみると、何やら意味不明な言葉だ。


この喋り方、知的障害者の施設か。




ハンセン病について東京で色々と学んだ。

患者たちは社会からはじきだされ陰に陰に隠されていたが、障害者っていうのもやはり陰に隠されていると思う。


こうした施設はだいたい山奥にあるし、ここもお寺の裏にある。




子供のころ小学校に特別クラスがあって、そこにいた変わった子たちを見てなんとなく怖くて、周りからもそれとなく近寄ったらダメよみたいなことを教えられていた気がする。


世界は俺のような五体満足の人間で動かされていて、それに合わせた社会になっている。


人間は優劣をつけたがる。


仕事ができるできない、コミュニケーションが上手下手、様々な優劣のつけ方がある。


そこでうまく言葉が発せない、人の話をちゃんと聞けない、我慢ができない、そんな人たちを劣っていると見るなという方が難しい。




現代はバリアフリーとか障害者に対する配慮が見られる施設がいろんなところにある。


学校教育でも障害者の方を見かけて困っていたらすぐに助けましょうと教わる。


助けないことはとても恥ずかしいことです、周りの目があなたを見ているから、と。


しかし、どこまで当事者やその親族の気持ちになれるのか。


本当の慈しみの心が持てるのは家族にそういう人がいるか、よっぽど辛い人生を送ってきた人くらいだろうな。







知り合いに、軽度だけど注意欠陥・多動障害を持ってる息子さんがいるお母さんがいるけど、生活するのになんら問題はないのだが、学校なんかの集団生活の場ではやはり他の子のようにはいかず、つらく当たられることが多いという。


そうだよな。

子供ってのは純粋だからこそものすごく残酷だ。


自分の子供に障害があると聞いたとき、お母さんは正直、この先一生暗い人生を送るのか…………と嘆いたらしい。


しかし今ではどこに出しても恥ずかしくない息子だと言っている。

誰もが隠そうとするようなことを、何も恥ずかしいことじゃない、と胸を張るのはとても勇気のいることだ。


そのお母さんに、ネットの日記に書いてもいい?と聞くと、



「全然何も気にしないで書いて!!ありがとう!!」



と言ってくれた。

その言葉にすごく感動した。



これくらい気持ちよく言ってもらったら障害に対する意識も多少は変わってくるもんだ。


逆に陰に陰に隠そうとするから陰鬱な、なにかいけないことかのような見方になる。




いつか障害が世間の中で当たり前に受け入れられる日は来るのかな。


少なくともそのお母さんに出会ってから、俺の障害者に対する見方はほんのちょっとだけど変わったように思える。


差別とは自分の身を守るための防衛本能なのかな。


難しいよな。




リアルタイムの双子との日常はこちら





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