2006年3月2日 【三重県】
いやっほーー!!!!
天気がいいぞおおおおおおお!!!!
太陽がきらめく伊勢のリアス式海岸を突っ走っていく。
いやー、風光明媚とはこのことだ。
綺麗なところだなぁ。
そんな美しい道を車を走らせ、昼前に大紀町の錦という小さな町に到着した。
入江にある過疎の港町って感じ。
道路脇に立ってる看板には『美人の町、錦』と書いてある。
ほぅ、そりゃ楽しみ。
どうしてこんな目立たない田舎の小さな町に来たのかというと、先日の松坂マクサでのライブに出演していたあの狂気の1人メタルシンガー、剛兵太さんからメールが入ったから。
あ、あんな何人か人殺してそうなヤバい人からメールとかめっちゃ怖いやん…………
殺すぞテメーコラ?とか書いてたらどうしよう…………とビビりながらメールを開いた。
「アンケート書いていただき大変ありがとうございました。僕のアンケート書いてくれる人なかなかいないのでとても嬉しいです。金丸さんは日本一周を……………」
いや、めちゃくちゃ丁寧。
普通の人より丁寧。
ライブの時に配られていたアンケート用紙に感想とメールアドレスを書いていたのだが、わざわざ返事をくれるなんて歌に似合わずめっちゃご丁寧。
メールの最後には、『ぜひウチに遊びに来てください。』という言葉があったので、お言葉に甘えて彼の住むこの町にやってきたってわけだ。
「剛さん、錦に着きました。どのあたりに行けばいいですか?」
ドキドキしながらメールを送ると、すぐに返事がきた。
「金丸さん、エミーナ?」
え?どういうこと?と周りを見てみると、後ろに超笑顔の剛さんが立っていた。
な、なんて人の良さそうな顔!!!
菩薩!!!
松坂の街まで2時間半もかかる孤立した入り江の小さな町、錦。
普通なら絶対素通りしている素朴な町の中を剛さんの後をついて走る。
「わ、わ、わわ、わ、私を殺じでぐれえええええええええ!!!ギャアアアアアアアアアアアア!!!!」
なんていう歌を歌う人だ。
バラック小屋みたいなとこでデスメタルかけながらウサギを食べたりしてるんじゃないか……………?
あ、それは栃木のセンジ君か。
いやぁ、改めてセンジ君イカれてるなぁと思いつつ走っていると、剛さんの車が止まった。
あ、あの廃墟みたいな倉庫で暮らしてるのかな。
「さ、上がって上がって。」
え?
ここ?
案内されたのはめちゃくちゃ綺麗な一軒家だった。
ベビーグッズが散らかる明るいリビングに入っていく剛さん。
ご、剛さんダメですよ…………
そんな人の家に勝手に侵入したりしちゃ…………
「ただいまでちゅー。」
「バブバブ。」
「あ、おかえりなさーい。」
台所から出てきたのは若くて美人の奥さん。
ベビーベッドには3人目というムニムニの赤ちゃんがバタバタ動いている。
「ご、剛さん…………………これで『生きていてもいいですか?』ですか?」
「いやー、よく言われるんだよね。」
「さ、お昼にしましょー。金丸君ここに座ってー。」
白目ひんむいて唇歪ませて、殺すううううううう!!!!って絶叫していた剛さんは、なんとこの大紀町で日夜地域の人たちの安全を守る消防士さんをしているという。
いや、嘘やん。
消防士て。
嘘やん。
ギャップ通り越して別人やん。
人々の安全と平和を守る正義の職業よね?消防士って。
それが人間の汚い部分を抉り出してさらけだすパンクシンガーて。
マジかよとめちゃくちゃビビりながら賑やかなお昼ごはんをご馳走になる。
するとその時、ふと壁に貼ってあるポスターに目が止まった。
あ、またあの人の名前だ。
『遠藤ミチロウ』
あ、最近よく聞く遠藤ミチロウだ。
剛さんはこの遠藤ミチロウさんの大ファンで、驚くべきことになんと前座を務めたこともあるという!!
すげえ!!
こいつはだいぶミチロウさんって人との距離が縮まったんじゃないだろうか。
「ビデオ見る?ミチロウさんの。」
マジでーーー!!!!!
ずっとずっと気になってたミチロウさんの動く姿が見られるのか!!!!
噂では、ミチロウさんは80年代初期に『スターリン』っていうパンクバンドをやっていて、そのパフォーマンスが日本史上類を見ないほどの過激さだったと聞いている。
全裸で歌うとか当たり前で、会場に豚や牛の内臓をばら撒いたり客にフェラさせながら絶叫したりと、想像もできないような恐ろしいパフォーマンスをしてたらしい。
80年代、マジでイカれすぎ……………
そ、そのパフォーマンをついに観る時がきた!!!!!!
テレビにミチロウさんの姿が映し出された!!!!!
…………………………
………………………………
この人なんなんだろう……………
遠藤ミチロウ、現在55歳。
30歳の時にパンクバンド『スターリン』を結成。
バンドが世に姿を現した最初の写真は女性週刊誌。
小さなライブハウスの中、狂乱する観客の前で、病的なメイクで頭から血を流して素っ裸でマイクをにぎっているミチロウさんの姿。
奇しくも1981年、俺の生まれた年。
フリチンでステージに現れ、「ミチロウー!!死ねー!!コノヤロー!!」なんて歓迎の言葉を叫ぶファンの顔にまずは小便をする。
そして16ビートに合わせて気が狂ったような絶叫。
つばを客席に吐きまくり、用意しておいた小便と大便と牛乳をかき混ぜたやつをバケツでぶちまけ、豚の内臓やニワトリの首を投げつけながら、『天皇がセンズリ覚えた!!天皇がセンズリ覚えた!!』と絶叫しながら客をぶん殴る。
客もミチロウさんに唾を吐き、引きずり倒して殴る蹴るで流血。
キレた客がコンセントを切って暴動になってライブ強制終了、って内容。
ギャラはすべて店の修理代で消える。
そうやって日本中のライブハウスの機材を新調してあげて出入り禁止。
警察にも何度も捕まるが、イカれてたあの時代は彼らを受け入れる。
メジャーデビューを果たしテレビや映画にも出演するが、間もなく空中分解。
ベースは死亡、ギターは行方不明、ドラムはブランキージェットシティーで世に出た。
そんな魔人のような経歴の彼は現在、ギター1本での弾き語りスタイルで日本中のライブハウスを回っているらしい。
ギター1本であの伝説のバンドの頃よりもさらにエネルギーを放出して、見た者は涎が垂れるのにも気づかないほど飲み込まれてしまうという。
とまぁ、ミチロウさんの話をすると止まらない剛さん。
「ミチローかっこええで!」
元気よく帰ってきた4歳の長男坊と長女。
みんな礼儀正しいいい子たちだ。
「よし、ちょっと錦案内するよ。」
剛さんの車で港町の中をドライブした。
そして町を一望できる展望台にやってきた。
山に抱かれ、海から打ち上げられた貝殻のように寄り固まる家々。
「独身のころなんか、よぅ星見に来たもんやで。」
剛さんがいなければ絶対に立ち寄らなかった小さな町。
今まで通りすぎた星の数ほどもある町や集落にも、地元の人たちだけの世界一の景色がある。
その1つに触れることができてとても感動した。
「金丸君、今日泊まっていきなー。子供らも喜んどるからー。」
というわけで家に戻りみんなで晩ご飯を食べた。
うわー、手作りのカレーなんて超久しぶりだよ。
子供たちもだいぶ慣れてくれ、家の中をきゃーきゃー追いかけっこした。
しばらくして剛さんのお父さんお母さんがやってきて男3人だけで居酒屋に繰り出した。
女と子供を残して男だけで飲みに行く、なんて大人の世界みたいで嬉しくなる。
おばちゃんもいつものことって表情で見送ってくれる。
80年代って、ニューミュージックの時代になり、デジタル音楽が流行ってお洒落でキザな音楽ばかりってイメージしかなかった。
しかし当時の記事をしっかり読めば、このころはこういう破壊パンクが8割を占めていたんだという。
不良=ロック、ロック=乱暴って世間のイメージはこの頃に出来上がったんだろうな。
今はといえばエレキを弾くやつはガリ勉君並に冴えないやつらばかり。
とっぽいやつらはみんなダボダボの服着てMCが4人も5人もいるようなラップを聴いてる。
ライブハウスには「愛してるよー」とか「キスまで秒読みさー」的なピースなやつらばかり。
80年代のアンダーグラウンドを駆け抜けた人たちからしたら、そりゃ物足りんだろうな。
こいつら生きてんのか?みたいに見えるはず。
音楽はチャートに出てるやつらが全てじゃない。
むしろ地下にうごめく魔人たちが本当のメインストリームだと思う。
「歌ってて気持ちよくなったらおしまいだね。俺は自分の矛盾をさらけ出してるんだから。」
ミチロウさんの言葉だ。
もっともっと裸にならんと生のエネルギーは観客には伝わらないんだよな。
剛さんとの出会いで、これから俺の音楽が劇的に変わっていくことになることをまだこの時は想像もしていなかった。
翌日。
朝7時。
眠い目をこすって起き、仕事に出かける剛さんと一緒に家を出た。
奥さん、美味しいご飯ありがとうございました。
息子君も娘ちゃんも、プニプニ赤ちゃんも、
みんな元気でね。
車道に出て、ここで剛さんと別れた。
剛さん、また必ずお会いしましょう。
ド級の刺激をありがとうございました!!!!
よーし!!!!
それじゃあドンドン先に進むぞ!!!!
まずやってきたのは熊野古道。
和歌山県南部にある3つの熊野神社に通じる古からの参道だ。
お伊勢参りのように派手ではなく、深い山の中にひっそりと続く祈りの道が、伊勢神宮や高野山、奈良の吉野にまでつながっているという。
ほとんど手を加えられず昔のままの姿を保っていることから、平成16年に『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に登録された。
数多くのルートがあり、有名なものだけでも10ルート以上あるみたいだ。
もちろん全部は行ってられないのでまず馬越峠ルートを攻めてみることに。
熊野古道は大きく分けて2つある。
庶民が通った三重側の伊勢路と、公家や大名が通った和歌山側の紀伊路だ。
この馬越峠ルートは伊勢路の中でも保存状態が良く石畳のきれいさが有名とのこと。
海山町の道の駅から山に足を踏み入れた。
10秒も歩けばそこはもう森閑とした苔むした石畳道。
なるほど、すでにここから熊野詣の参道は始まってるんだな。
いやー、体が浄化されるような素晴らしい道だ。
朝早くてよかった。
観光客がガヤガヤしてたら台無しだったな。
車を走らせ熊野の町に入ってきた。
一気に視界が開け、20キロにわたる美しい白砂浜が現れる。
海岸には天然記念物の鬼ヶ城と獅子岩の自然のモニュメントが海をにらんでいる。
そこから紀伊山地の山並みの中を悠々と蛇行する北山川が作り出した瀞峡に沿って走っていく。
さっきまで三重県にいたのにここは和歌山県。
珍しい飛地だ。
陸の上で県が分裂しているという大変珍しい場所になっている。
さらに紀和町の森の中を調子よく走っていく。
木々の隙間から開けた谷が見え、そこに広がっていたのは丸山の千枚田だ。
この前見た愛知県四谷の千枚田も見事なものだったが、ここのはさらに上をいってる。
その田んぼの枚数2200枚。
マジラピュタ。
ラピュタみたいに孤立した暮らしがここにはある。
野良着の婆ちゃんたちが鍬を振り、所々梅が咲き水車がバシャバシャと音を立てて回っていた。
まさにテレビで見る田舎の原風景。
あれって嘘じゃないんだよな。
ほんとにこんな場所が日本にはあるんだよな。
布引の滝、明倫小学校跡、揚枝川の鉱山跡を駆け抜けていく。
小船の梅林。
もうすぐ日本中が花に彩られる季節が来る。
さて、これで三重は終了だ。
何もなさそうだったけど結構見るとこはあったな。
なによりも松坂マクサ、そして剛さんとの出会いがとてつもなくデカかった。
きっとこれからの音楽人生において、大きな分岐点のひとつになるほどの出会いだったと思う。
また必ず来ることになる県のはずだ。
さぁ、この調子で和歌山県突入だ。
いいペースだぞ!!!!
【三重県編】
完!!!!!
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