2006年2月16日 【愛知県】
どんよりとした小雨の空の下、傘をさして公園の中を歩く。
ここがあの神君出生の城かぁ。
目の前にそびえるのは有名な岡崎城。
徳川家康が生まれた城だ。
家康に関する資料が展示してある家康館は、リニューアルオープンの為の改装で閉館中。
城だけで我慢しようかなと200円払って城内に入った。
一応資料館になってはいるものの、たいしたことない。
こりゃ外観だけで十分だなっていう内容。
小さな城で石数もわずかだったのだが、神君出生の城ということで、ここの城主になることは江戸時代の大名にとって1つのステイタスだったようだ。
ちなみに家康がこの城で過ごしたのは19歳から29歳の間。
それからは浜松に移っている。
1570年のころだ。
戦国の真っ只中、29歳なんて1番エネルギーと野望に満ちていたころだろうな。
天下を統一するって、今こうして日本を回っていると実感するけどなんてスケールのでかいことなんだろう!!
あ、そうそう忘れてはいけない赤味噌の資料館も見学。
名古屋といえば赤味噌。
九州の人間からしたら全然食べ慣れてない味噌だけど、やっぱ名古屋に来たなら試しとかないとな。
うん、結構美味しい。
赤味噌好きです。
腹ごしらえしたら248号線で南下。
海岸線から西に走り、懐かしの一色町を通り過ぎ、橋を渡って半田市に入る。
半田には日本のお酢業界を独占するミツカンの本社があり、お酢の博物館なんてものもある。
酢って何から作られるんだろう?
知りたかったけどそんなにそそられなかったので、とっとと次の目的地の常滑へ走った。
日本六古窯の1つ、常滑焼。
1000年の歴史があり、日本中で使われていた庶民の焼き物だ。
町の中心部にあるやきもの散歩道を散策。
車の入れない民家の隙間の生活歩道がコースになっており、歩道沿いにはギャラリーや工房、古民家を改装した洒落たカフェなんかが点在している。
丘陵地帯のため坂が多く、民家まわりの土止めのために土管や甕が壁となって積まれおり、焼き物の町という情緒を色濃くさせている。
空にそびえる赤レンガの煙突たち。
そんな風情ある道を歩き、中間地点にある登り窯広場の展示工房館でおしゃべり。
昔はここを中心にたくさんの窯元がひしめいていたらしいが、今ではここらで焼いているとこはほとんどなく、みんな市内から出たのんびりした郊外に窯を構えているようだ。
どこか見学に適したような窯はないか訊ねると、近場でいいところがあるというので早速行ってみることに。
それにしても空家だらけだなぁ。
まぁこのさびれた感じがまた魅力の1つでもあるんだけど。
教えてもらった工房にはすぐに着いた。
ごちゃごちゃとした室内をのぞいてみる。
中にいたおじさんと目が合った。
「……………ん?どうぞー。」
快く招き入れてくれたおじさん。
ここは4代目平野祐一さんの窯、然工房。
時間も時間でちょうど作業を終わるところだったようで、お茶をいれてくれた。
「うちは地元の土で常滑らしい素朴なものを作ってます。だもんで急須とかは作ってにゃーで。」
お酒が好きという平野さん。
俺が日本酒が好きと言うと喜び、別の場所にある作品庫に連れて行ってくれた。
そこに並んでいたたくさんの酒器。
「やっぱり酒好きが酒器作るのと、酒飲まー人が作るのとでは違うわのー。」
釉薬をほとんど使わない自然釉の焼き物は、がさついて模様も異なり、くすんだ色で個性が強い。
素朴な雰囲気に自然の営みを感じずにはいられない。
だからこそ俺は京都の焼き物のような華やかなものよりこういった朴とつとしたものが好みだ。
まったく同じ物で、1年ほど使った器と新品のものとを比べさせていただいた。
使いこんだものはまるで釉薬をかけて焼いた別物のようにいぶし銀に光っている。
「器も酒を飲んどるから。」
聞くと、来年の4月に大分で個展を開くらしい。
お固いものではないのでギターを持って遊びに来てくれとのこと。
必ず行きます。
平野さん、ありがとうございました。
散歩道をぐるっと回りきり、いざ名古屋へ向かった。
日本の都会を想像して思いつくのはまず大阪と東京。
次に博多、仙台、横浜あたりか。
なぜか名古屋って名前が出てこない。
アクは強そうだがなんか目立たない。
一体どんな街なんだろうな。
名古屋市に入り、港近くのスーパー銭湯『天然温泉白鳥の湯』(500円)で体を洗い、中心部に入っていく。
しだいに建物が高くなっていき、道も複雑に入り乱れはじめる。
歩行者も道に溢れ、ネオンや巨大看板がこうこうと夜空を照らす。
うおー、こりゃ久しぶりの都会だー!!
金山を通りすぎ、名古屋の町の心臓、栄にやってきた。
ごったがえす人と車とネオン。
まず目につくのが路駐の列。
関西に近づくとみんな路駐なんだよな。
路肩にズラリと隙間なく並んでいる。
俺も…………といいたいところだが、そんな調子で今まで一体いくらお布施を払ったかわからんので、ちゃんとコインパーキングに入庫。
さて街の探検だ。
情報では錦町というところが飲み屋街らしい。
さすが大都会、名古屋。
噂では名古屋人は地中が好きらしく、ものすごく広大な地下街が広がっているとのこと。
ホント迷路。
息苦しくて地上にあがると、街の真ん中にあるビルの中から観覧車が飛び出してる。
ブランド大好き、ドリルのように金髪を巻いた名古屋嬢たち。
派手な看板の居酒屋。
それにしても路駐がハンパじゃねぇ。
道路上に二列に止め、さらに歩道にまで列が出来ている。
栄はデパートが並ぶショッピング街なんだけど、そこから1本入った錦三丁目は東海一の大歓楽街の名に恥じない巨大さだった。
うおー!!広すぎるぞー!!
宮崎の飲み屋街の10倍はあるー!!
よーし!!今夜はここで歌っちゃる!!
ギターを持って錦三丁目、通称『きんさん』のど真ん中、交差点の角で歌い始める。
ネオン街の蝶たちもみんなドレスや着物を身にまとい、高飛車な感じの歩き方で街を闊歩している。
この辺りで歌うような無謀なやつはいないらしく、呼びこみの兄さんたちが驚いている。
チップも驚くほど順調に入る!!
いいぞ名古屋!!
24時になったくらいに足元には8000円。
こりゃいい調子だぞー、っていうところにあきらかに怖い風のお兄さんたちがやってきた。
「兄ちゃん、ここでやっちゃダメだよ。わかったね。」
こ、怖え……………
有無を言わせぬ表情が怖すぎて、これ以上続けると連れて行かれそうなのでそそくさとギターをしまった。
言われたらやめる。
これ路上の鉄則。
あー、これからがアツイ時間帯なのになぁ。
諦めきれないで栄のほうに行って続行したが、結局そこからは伸び悩み、たいした稼ぎにはならなかった。
まぁ仕方ないか。
いい感じかと思ったのに残念だった。
翌日。
時は遡り1560年。
駿河、遠江、三河と、東海地方を牛耳っていた百万石の大大名、今川義元は当時42歳。
バリバリのイケイケで政治に長けた名君だ。
一方、尾張を統一したばかりの織田信長は27歳の若造。
まだ全国に名が轟く前の田舎モンだ。
国が隣接していたため何かと小競り合いが絶えず、ちょっと震え上がらせてやろうかいと25000の大群を率いて尾張に向かった義元。
しかし信長の方が器が違った。
早くから戦とは情報戦ということを心得ていた信長は、スッパ(忍者)を今川軍に忍ばせ、行軍の休憩中で完全に油断しているしているという情報を得て、わずか2000の兵で一気に奇襲。
ふいを衝かれた今川軍。
あっという間に総崩れで、大物今川義元の首をとった信長は一気に戦国のスーパールーキーとなり、天下布武への道を駆けあがっていく…………ってのはとても有名な話だ。
今日はそんな歴史を動かした大戦のあった場所、桶狭間にやってきた。
とはいっても現在は閑静な住宅街。
子供が遊ぶような小さな公園に戦場跡の碑が建っているくらいだ。
今川義元の墓もポツリと寂しげにそこにある。
ここで鎧兜のお侍たちが斬り合いしていたなんてなぁ。
まだここが草むらだったころの話なんだよな。
盛者必衰。歴史もまた然り。
さて、打って変わって名古屋港。
近代的なビルが立ち並ぶ街中を進んでいき、イタリア村にやってきた。
水の都ベニスを再現したようなテーマパークで、水路を遊覧船が行き交い、お洒落なオープンカフェなんかでカップルが優雅にコーシーを飲んでやがる。
男1人でこんなとこ来るなんて頭がおかしいんじゃねぇか?
そう!!俺が!!!
チクショー……………
コーシー飲みたいけど金がねぇ……………
こんな貧乏人、そりゃモテんわ。
カップルたちの間を駆け抜けて今度は名古屋最大の名所、名古屋城にやってきた。
江戸幕府を開いた徳川家康が、東海道の要所、大阪への備えとして1609年に工事を開始し、1612年にほぼ完成させた日本を代表する名城だ。
残念ながら第二次世界大戦の空襲で焼失。
目撃していた人の話では、尾張の空に想像を絶する巨大な炎を昇らせながら燃えさかる城の姿は神々しくさえあったらしい。
有名な金鯱もその時に一緒に燃えてしまい、今のものは再現されたもの。
しかし、巨大な堀や石垣、城郭は当時の姿をとどめており、中を歩いているとその品のある雰囲気に身がひきしまる思いだ。
500円で城内にも入ってみたが、そっちは別に普通だったかな。
さて、次は日本酒いってみよう。
愛知の酒といえばパッと思いつくのは、『醸し人九平次』、『義侠』くらいか。
それぞれ電話したが見学も小売りもしていないので、各蔵が推す酒販店へ行ってみた。
『義侠』の品揃えがいいのは名古屋駅近くの「しばた酒店」。
愛想のよくないおばちゃんなので義侠の代表銘柄『えにし』を買って早いとこ次へ。
『醸し人九平次』の萬乗醸造さんが教えてくれたのは、今池駅近くの「秋貞商店」だ。
「いらっしゃい!!何探してるの?うん、九平次ね。だったらこれ。純吟の山田50%。五百万石もいいけど、やっぱり山田だね。」
いきなりとても元気がよく饒舌な店主。
「こういうね、飲み方の紹介とか美味しく飲む裏技とかね、そういうのも一緒に売るのが僕ら酒屋の役割なの。蔵元から1で入ってきたのを2や3にしてお客さんに楽しんでもらう。ただ買うだけならスーパーやコンビニと一緒だからね。だからその分ものすごく研究してるよ。知ってなきゃいけない。」
新酒が出たら、1日目、2日目、3日目、1週間目、1ヶ月目、半年、それぞれの常温・冷蔵での変化を確かめ、ありとあらゆる条件で検証してから、その酒に合った1番の飲み方を提案するという。
「なに?いつかお店をやりたい?なるほどね。飲み屋を作るとして、酒を取り引きしたいと思って蔵元に電話してすぐ契約できると思う?そんな甘いもんじゃないよ。ここにある酒はね、どれも何年も蔵に通いつめて勉強して、信頼関係を築いた上で取り引きさせてもらってるものばかりなんだよ。九平次にしても5年かかった。みんなそうやって商売してるんだよ。」
そっかあああ、それだけ苦労して仕入れる酒だ。
もちろん飲み屋さんに出す時もそう簡単には腹を見せないらしい。
特にいい酒に関しては、やはり長い付き合いをしてくれる客、ほんとに酒を愛している人にしか売らないという。
「酒屋と飲み屋の関係も信頼の上に成り立ってるんだよ。いろんな酒屋から酒をとってる飲み屋にはうちの自信の1本を出す気にはならないよ。恋人は2人も5人も作ったりしないだろ?ほんとは1対1が理想なんだよね。」
俺としゃべっている間も、やってくるお客さんに酒の説明、飲み方など、さしさわりのない程度にサラリと話して買っていってもらう接客態度。
こりゃすごい酒屋さんだ。
俺はいつかライブバーがやりたい。
日本酒の品揃えがいいお店を。
でもお酒を仕入れるって、金払えばなんでも買えるとかそんな単純なことではないんだな。
勉強になる。
「そうだね。生涯のパートナーになれるような信頼できる酒屋を見つけることだね!!よし!!これも、これもやるよ!!頑張れよ!!」
買ったのとは別に、両手に持ちきれないほど色んなお酒を持たせてくれた店主。
勉強すること、やるべきことは腐るほどある。
みんな命がけだ。
命がけで作って、命がけで売ってる人たちの手を経て飲み屋に流れてくるお酒。
大事に扱わないとな。
店主、ありがとうございました!!
さてさて、名古屋といえばB級グルメ。
その中でも代表的なのが、そう、味噌煮込みうどんだ。
どうせなら美味しいところに行こうと、名古屋の隠れ名店『角丸』へ。
ノーマルタイプ650円を注文。
沸騰した土鍋ごと運ばれてくるうどん。
おー、これかー…………………
うどんを目の前にし、心して割り箸を割る。
そして全神経を集中して口に運ぶ。
おおおおー……………………
んーーーーー………………
こ、これは………………
夜作ったみそ汁を朝もう一度温めて食べたような味……………
びっくりするほどのもんではないな。
庶民の味だ。
さてと、ゆうべヤクザさんに怒られたから今日は名古屋の外でやろうと瀬戸市まで行ってみたが、残念ながらネオン街がなかった。
しょうがなくまた名古屋に戻り、錦のネオン街の中でもゆうべの場所から少し離れたところで路上開始。
うん、昨日に引き続き出だし好調。
すぐに5000円くらい入り、よっしゃこっからだぞおおおお!!と気合いで次の曲!!!!
「兄ちゃん、ここでやっちゃいかんのやー。あそこの通りはさんだ向こう側ならいいでなー。わりーがやめてくれな。」
ま、またですか……………
怖い感じのオジサンたちにそう言われて仕方なくギターを片づけていると、向こうから呼びこみの兄さんが慌ててやってきた。
「大丈夫でした!?今の2人、この界隈ではかなり上の人ですよ!!キケンなんで早く動いたほうがいいです!!」
そ、そうなんやね……………
錦三はヤクザ関係厳しいわぁ……………
歌をやめると街はとても静かになった。
人は多いんだけど余計な騒音がなく、治安が保たれているといえばそうだけど、今ひとつ活気に欠ける。
ゆうべ知り合ったピアノマンの鈴木さんに電話すると、ちょうどクラブでの演奏が終わったところでラーメン食べに行こうということに。
おすすめの尾張ラーメン屋でいろいろと将来の展望についた語りあった。
鈴木さん、ごちそうさまでした。
日付けも変わった1時半。
まだまだ熱気さめやらぬ名古屋の街を背に、ビルの隙間をぬって車に戻った。
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